春の風の内緒話
クルミはメイドだ。ファミリーネームはまだ無い。
なんてぇとだね。お貴族様ってのは、眉をひそめるし鼻をつまむし視界に入れもしないもんだけれども。クルミが働くこの城に限っては、それに当てはまらない。
父王を殺し、城内のお腐れお貴族様を一分の情けも容赦も無く一掃なさった現国王は、才があると見込み、己を裏切らないと確信を持った者で城を埋め尽くした。身分よりも才能と信頼を重んじたわけだね。
おかげさまで、クルミはそこいらの男に負けない腕っぷしの強さと、国王を裏切るだなんて考えもつかない小市民っぷりを買われて、王城のメイドという似合わない仕事をしている。似合わない。いやはや、似合わんのだ。これが。な。
だってクルミときたら、下町の路地で生まれ育った孤児だ。
親の顔なんざ知らぬし、読み書きもできぬから。生きるには、盗んだり這いつくばったり捻じ伏せたり、そういう、綺麗なお姫様に聞かせれば耳が腐り落ちてしまうんじゃなかろうかって事ばかりしなけりゃあならんかった。
なのに今、クルミは他国のお姫様のお世話をする仕事を仰せつかっている。
ああ、お姫様ってのは比喩だ。
クルミがお世話をするお客様は、クルミと同じくファミリーネームを持たんのだという、王の婚約者、のご友人。
ソフィ、と名乗ったその娘は、華やかさこそ無いが、健康的な可愛らしさがあり、何より気品があった。
死に物狂いで礼儀作法を学んでようやく、下働きからお客様の前に立てるまでなったクルミなんざ、足元にも及ばない、天上人のような仕草。振る舞い。
自分が受けた厳しい授業の目指していたところはなーるほどここだったわけか。いや、無理に決まっとるやろがーいって全力フルスイングでツッコみたくなるような。そういう、内面から出る美しさと愛らしさで、家名の無い一般人です、って。
嘘つけいって話だ。
そんなわけで最近、城はお客様の話題で持ちきりだ。
「ちょっと! 誰よ今日のソフィ様のお支度をお手伝いしたの!」
「私だけど」
本を読む。なんて高尚な趣味を身に着けたクルミが、優雅に紅茶を片手に本を開き、夜を楽しんでいると、バン! と自室のドアを開け、同僚が現れた。
クルミはフフン、と顎を上げる。
実際のとこ、髪を結ったり着替えを手伝ったり、お客様に触れるのは侍女として側に付いてるレディだけれど。そんな細かいこた聞かれちゃおらんだろう。髪を結うのは侍女でも、品を揃えたのはクルミだしね。
クルミの同僚、アンナは顔を真っ赤にして、テーブルに両手をついた。
「何よあれ! 上等なアメジストのピアスに高級なレースがたっぷりの白いドレス、紫色の花が可愛い黒いパンプスなんてっ」
用意したアイテムは、どれも一級品だ。
お客様が気持ち良く滞在できるように金を惜しむな、と王のご命令を受けている使用人アンド侍女一同、最先端のドレスや靴、メイク道具をソフィのために用意した。
自分たちが一生働いても手が届かないだろう、高価な品で全身を飾ったソフィの本日の装いを並べて、アンナはついに両手で顔を覆った。
「最高じゃんかよ~~~!!!!」
「だろ」
クルミは得意気に頷いた。
「見た? ソフィ様を見たリヴィオ様のご様子見た?!」
「え、見てない見てない。私今日はお部屋の清掃係だったから」
「最高に甘酸っぱいわお可愛らしかったわ! 私たちがリヴィオ様カラーをご用意していることにはソフィ様もお気づきでしょう?!」
うん、とクルミは頷く。
ソフィとリヴィオ。
城に滞在している王とその婚約者のご友人様は、見ていると足の指先がムズムズするような、どうも私が春ですって空気が名乗りだしてきそうな、そんな初々しいカップルであらせられる。
お互いにお互いが大好きでしょうがないって、顔と言わず空気にまで書いてる。そんな具合なんだな。
これが、まあ。
城で働く人々の心を、掴んだりくすぐったり大忙しなわけである。
どっからどう見てもお貴族様なのに、家名が無いと言う二人に、誰もが思った。
駆け落ちじゃん!
誰もが心でつっこんだ。誰もがそっわそわした。
んでも、んなこと聞くわけにはいかん。
この城で仕事をする人間は、クルミのように「え、ファミリーネームをくださるんですか? あ、いやー、慣れないし、いいです。その分のお給金追加でもらえません?」なんて、まっとうじゃない生き方が染みついている者が多いので。
こそこそ隠れて噂話、なんて、それこそ品が無い真似をする下衆は、敬愛する国王の手駒にはおらんのだ。が。年若い二人の恋路にちょっかいを出したい、ってのは話が別だ。別だろ? それはもう、あまねく全ての大人が抱えし欲望ではないか。
そんなわけで、メイドや侍女は、リヴィオの瞳の色や髪の色でソフィを飾り付けようと画策した。だって見たい。お互いの色を身に着けた二人が見たい。そんで、もじもじしちゃう二人が見たい。
んでもって、ソフィはそんな周囲に、多分、気が付いている。
最初こそ、恥ずかしいです! とばかりに顔を赤くして取り換えを要求されたが、早々に諦めたらしく、ソフィは何も言わなくなった。
居候先の大人に逆らえない子供の様子に胸が痛まんわけではなかったが、恥ずかしいだけで嫌では無さそうなので。みんな知らん顔している。大人ってやーね。
ソフィは、並ぶ品の高級さにも、そんな身分じゃない、と恐縮しきりだった。だが、いずれは国母になるお方のご友人。それも、初めての親友であらせられる。妥協など、メイドや侍女に許されるはずもない。
と、いうのは建前で。
メイドも侍女も、着飾ることに飢えていた。
だーって、ね。王様ときたら、年中、シャツとスラックスでうろうろするズボラっぷり。公式の場でなけりゃ、髪をセットすることすらさせてもらえない。
王様の身支度係は、城内で一番人気のない仕事だ。
洗濯係より? 洗濯係より。
シーツを真っ白にして、ぺっかぺかのお日様の下に干す方が、代わり映えがあるってもんよ。
んじゃ王の婚約者はっていうと、こちらは、あまり着飾ると「汚しそうで勿体ない」と、お部屋でじっと動かなくなるのだ。
物静かな割に好奇心旺盛で、あっちこっち歩いて回ったり、研究室で何やら呪文や薬草をむにゃむにゃやったり、大鍋でかき混ぜたりするのが好きなくせに、だ。そんなもん、大人の良心痛みまくりじゃないか。
主が気持ちよく過ごせてこそなので、王の婚約者、ルナティエッタの装いも、幾重にも重ねたレースやフリルでいっぱいのドレス、なんて派手なものは選べないってわけだ。
しかも、ルナティエッタは黒以外を好まない。
カラフルなドレスを見せると、「こんな綺麗な物は似合わない」と悲しそうにされるものだから、ピンクだ黄色だってドレスは即刻処分した。
黒一色で、いかに華やかに、かつルナティエッタが走り回れるように着飾るか。それがルナティエッタのメイドや侍女の使命だ。
これはこれで、やりがいのある仕事なので、城内では一、二を争う人気の仕事だった。
王の身の回りのお世話より? 王のお世話より。
とは言え。
とは言えだ。自分たちが着ることはおろか、触れることも叶わない、色とりどりのドレスや宝石への憧れってのは、無くならない。だって女の子だもん。涎が出ちゃう。
そんなわけで、ソフィが滞在すると聞いたメイドも侍女も大張り切りで、あらゆるドレスと宝石を取り揃えた。人の金で高価な買い物。超楽しい。
しかも、恋人が自分の色を身に着けている様子を見て相好を崩すイケメンと、それを見て真っ赤になる少女が拝めるわけだから。
「は~最高よ。あのとんでもない顔面がさあ、ソフィ様を見つけると、こう、ぱっと嬉しそうになって、それで、ソフィ様が恥ずかしそうに耳元を触るでしょう? そうしたらリヴィオ様、紫もお似合いです、って、どもりながら、真っ赤な顔でお笑いになったのよっ! 自分の色が似合うって言うの恥ずかしいの? 恥ずかしいの? 今どんな気持ち?? ってニヤけちゃうの我慢するためにほっぺた嚙みすぎて口の中血だらけよ」
ここ最近。メイドの食事は、味の濃い物や辛みがあるものは封印されている。
みんな口の中血だらけだからしみると痛いんだ。
クルミは、ニヤニヤするアンナが、リヴィオの周りを「恥ずかしいの? 恥ずかしいの?」とぐるぐると走り回る様子を思い浮かべた。
「そういえばリヴィオ様、いつの間にかソフィ様のことを、敬称を付けずにお呼びになっているわよね」
他国の姫と騎士? お嬢様と従者? 身分差カップルの駆け落ち?!
と心に眠りし少女が発狂しかねんばかりにメイドたちが内心ざわついたのは、リヴィオのソフィへの振る舞いもあった。折り目正しく相好を崩すイケメンと、真っ赤になる気品あるお姫様なんて、夢しかない。
「デートの後からだったわよね。ルナティエッタ様が凄い、と仰る程の指輪を、ソフィ様がしていらっしゃったのもデートからでしょう?」
明らかにお互い距離を測りあぐねていた二人。それが、気づいたらその距離が近づいているのだから、メイドも侍女も兵士もコックも歯を食いしばった。
ついでに。
「ああ、合コン! 誰か合コンセッティングして! 恋が! したい!! 私も目と目が合うだけで幸せ~ってやりたい~!」
独り身の己を憂う者も多く、夜になると、あちこちからすすり泣きが聞こえるとか聞こえないとか。
クルミは、おいおいと泣き始めた同僚の肩を撫でた。
「ジャイスに言おうか?」
「え、マジで?」
あ、こいつ嘘泣きしてやがった。
「ぼかぁね、ああいう若者がいっとう好きだよ」
真っ赤に腫れた頬をさすりながら言うジャイスに、クルミは笑った。
「思いっきり殴られているのに?」
「思いっきり殴られているからさ」
マゾかな。
「違うぞ」
「あら」
見抜かれたらしい、癖っ毛の長い前髪の奥からねめつけてくるアンバーに、クルミは笑った。
「リヴィオ様は、そんなにお強いの?」
ああ、とジャイスは腰にぶら下げた剣を持ち上げた。
「使い慣れない練習用の剣なのに、まるで一緒に育ったかのように扱われる。剣の扱いも、身のこなしも、たった16歳とは思えない。さすが、と言ったところだね」
「さすが?」
クルミが首を傾げると、ジャイスは「いや、忘れてくれ」と笑った。
クルミには、剣の事はわからない。わからないが、きっとリヴィオの本当の名前に関わる事なんだろう。
んじゃ触れるはマナー違反だな、とクルミは薬草を塗った布を、ジャイスの頬に当てた。
粘着力のある薬草を混ぜているので、手を離しても落ちてくる心配は無い。押し付けると、ジャイスは眉を寄せた。
「いてっ」
「我慢しなさいな。ルナティエッタ様が教えてくださった調合だから、きっとすぐに治るわよ」
あらゆる魔法を使いこなすルナティエッタは、薬草の研究も得意としている。
魔法が無いとできない調合も、魔法なんてからっきし駄目なクルミでもできる調合も、聞けば何でも教えてくれちゃうのだ。
「ルナティエッタ様はもっと知識を出し惜しみした方が良いんじゃないかい」
「怪しい奴は近づけないから任せてちょうだい!」
ふんぬとクルミが腕まくりをすると、ジャイスは「頼もしいな」と笑った。
目尻を下げた、人当たりの良いこの笑顔がクルミは好きだ。
「リヴィオ様が凄いのはね、剣の腕だけじゃないんだよ」
ふうん? とクルミは首を傾げる。
ジャイスは、ほわ、と優しく笑った。
クルミが好きだからクルミって自分に名前を付けた。クルミがそう言った時に、「君のそういうところが、ぼかぁ大好きなんだが、知っていたかい?」って笑ったときみたいな。クルミの心が、きゅうんと溶けっちまいそうな笑顔だ。
「なによりもね、素直でいらっしゃる。ぼくらなんぞより、強くていらっしゃるのに、偉ぶることもなけりゃ、意地の悪い事を言うでも無い。誰に対しても丁寧で、ご存じない事には、目をキラキラさせて、それで、ソフィ様のお話をされる時は別人のようなんだ」
「別人」
「うん。ソフィ様のお話をできるだけで嬉しい、って感じかな。恋人をあれだけ堂々と溺愛する様は見ていて気恥しいものもあるが、年下だからかねえ。可愛く見えてしまうよな」
へえ、とクルミは思った。
へえ。それはつまり、つまりつまり。今までソフィの話をできなかった、ってことだろうか。だから、堂々とソフィが好きだって言えるだけで嬉しい、とか。ね。ね。
そんな風に考えちまうのは、クルミが「他国の姫と護衛騎士の駆け落ち説」を推しているからかしらん。
ま、なんにせよ若者が恋に浮ついている様子を見るのは良いものだ。
大人と呼ばれるようになって随分と経つクルミには、遠い眩さのように思えた。
「さて、そろそろ戻らないと休憩も終わるな」
「付いてってもいい?」
クルミの休憩が終わるまでには、まだ時間がある。
ジャイスが絶賛するリヴィオの剣の腕前も気になるし、アンナの彼氏候補も物色せにゃならん。……べつにジャイスのちょっと格好良い所が見たい、なんてのは思っちゃないぞ。ほんとだぞ。ソフィとリヴィオに影響を受けたりなんて、してないからな。
「おいで」
なんて腰を抱かれておでこにチューされたって。別にクルミは浮かれちゃいないンだから。
演習場に到着したクルミは、思わず口をあんぐり開けそうになって、慌てて唇を噛んだ。ふんぬ。
お客様の前に出ることを許されているクルミは、侍女になれるお嬢様には程遠いが、それでも、人前では礼儀作法を身に着けたレディでなくてはならない。
あらいい穴倉ねン、なんて虫が飛んでくるような大口開けてはならんのだ。
しかし、まあ。
これがリヴィオか、とクルミは驚いた。
「踏み込みが甘いです。剣が軽い。はい、そちらの貴方は大振りすぎ。おや、フェイントのおつもりで? 視線でバレちゃってますよ」
休憩が終わり、ジャイスも隊に戻ってしばらくすると、リヴィオと兵士たちの手合わせが始まった。
たち。そう、兵士たち、だ。
ぜひにと手を上げた兵士がずらりと並ぶ中、軍隊長が「じゃあそこ一列」と指した10余名の兵士たちは、だくだくと汗を流し息切れしているのに。リヴィオは、たった一人で相手をしているだけではなく、指導する余裕まである。
剣を振りながら淡々と話す、その真剣な表情は、人形のよう。いや絵画? 宗教画だな。宗教画から抜け出してきたような、この世のものと思えない美しさで、それが恐ろしさすら感じさせる。果てが無い程に綺麗な顔なんだ、この男。
ちなみに、リヴィオの身支度をお手伝いする係は不人気だ。
あんな美貌を間近で見たら目が潰れる。現実の男が芋にしか見えなくなる。と、日常生活。ひいては婚活、或いは結婚生活に支障をきたす、と大不評。大不評。
「射止めて見せるわ☆」とか、身の程知らずな事を思えないほどの美貌なのに、甘々に溺愛する恋人までいるのだ。夢見るどころか、二度と起き上がれなくなる。
ということで、メイド同士で押し付け合う不人気職なのだ。
洗濯係より? うーん洗濯係よりは人気かな。
「貴方の剣さばきは悪くないんですが、もう少し体力をつけた方が良いかと。足、絡まりそうじゃないですか」
そんな美貌の16歳が、とん、と身を翻すと、指摘された男はついて行けずにずっこけた。
軽やかなステップは、まるでダンスを踊っているかのように優雅で、けれど剣を振る度に聞こえる音がえげつない。ごおっ、って何その強風。
「リヴィオさんて人間なんでしょうか」
「え、多分?」
後ろから聞こえた声にクルミが振り返ると、日傘を差したソフィとルナティエッタが並んで立っている。クルミは衝撃を受けて震えた。
「ルナティエッタ様が日傘を……!」
いつもは、手がふさがるから、とやんわり日傘を拒否するルナティエッタが、フリルが愛らしい真っ白の日傘を差しているのだ!
黒いドレスに白い日傘は不思議とよく似合っていて、長い黒髪を左右に分けて結んだルナティエッタは、小さな女の子のようで可愛い。
同じく日傘を差した侍女も、にこにこと嬉しそうだ。
ソフィも真っ白の日傘を差しているから、多分、ソフィにつられたんだろうな。うちのお姫様可愛いな、とクルミはスカートを持ち上げ頭を下げた。
こちらに気づいたソフィとルナティエッタもぺこりと、軽く頭を下げる。
ソフィはともかくルナティエッタはクルミに頭を下げちゃいかんだろ、て話だが。クルミは礼儀作法の先生では無いので、にこりと微笑むにとどめた。
「ソフィ!」
ふいに響いた、喜色に彩られた声は勿論、リヴィオのものだ。
クルミは思った。
目が潰れる……!!!!
にこお、と細められた宝石のようにキラキラな紫の瞳に、少女のようにとろける美貌。クルミは思った。
灰になる……!!!!!!
きっと、光を浴びた吸血鬼ってこんな気分だ。カン! と跳ねるような音は、だいせいかーい! てベルの音じゃなくって、リヴィオがソフィに手を振りながら、兵士の剣を折った音だ。
見ろよあの兵士の絶望した顔。
恥ずかしそうに、小さく手を振り返すソフィは可愛らしい。とってもほのぼのするんだけども、そのソフィを見て「かわいいなあ」と、デカデカ顔面に書いたリヴィオの剣が出す音がえっぐい。
かなり手加減をしているんだろうな、ってのはこの場にいた全員がわかっていたが、ソフィを見た喜びでちょっと力加減狂っちゃったのかね。急に、ぼっきぼき練習用の剣が折れていく。こわい。
「お出かけですか?」
「え、えっと、ちょっとお散歩です」
「良いですね! あちらでアネモータの花が綺麗に咲いていました。薄い緑の花弁がソフィの髪みたいで、とても綺麗でしたよ」
「っ」
この男、兵士を相手する片手間に口説いてやがる。いや、口説く片手間に、兵士が相手をしてもらってるんだな。失礼。
視線はソフィから離れやしないし、目が潰れんばかりのお可愛らしい顔面はソフィにだけ向けられる表情だものな。
顔はソフィに向けて固定したまんま、ぼっきぼきと折られていく剣。兵士の心。軍隊長が頭を抱え、ソフィは真っ赤な顔を伏せた。
「リヴィオさん、ほんとに人間ですか?」
「え?」
ルナティエッタの問いかけに、天使みたいな顔をした男は、転がる兵士の真ん中で首を傾げた。案外、悪魔ってこういう顔してんじゃないかしら。
様子を見に来た我らが国王陛下は、「あ?」といつものように胡乱気に言った。
「いい感じに地獄だな。もっとやれ」
魔王は多分こういう顔をしている。多分。
そんな風に、正体不明な駆け落ちカップルは、城内に春をまき散らして回った。
独身の者にも既婚者にも「恋っていいなあ」と春は伝染し、あちこちでカップルが成立したし、冷え切っていた二人は「お互いを思いやる心」を思い出し、熱々に再沸騰した。
「ねえ、なんか俺がしばらくいない間に、城の空気ほわほわしてない?」
「春が通り過ぎたからな」
「なんて???」
なんて会話を、王と旅から戻った王の側近がするので、クルミが思わず吹き出しそうになるくらい。
なーんかみんな、ハッピーだった。
恋であれ友情であれ。隣にいる誰かに優しくされたり、思いやったりすることは、当たり前じゃないんだって。
有難うって、互いに言い合うからこそ成立するんだって、大人たちは、ほわほわカップルを見て気付いちゃったんだな。
今隣にいる人を、もっと大事にしよう。
誰かが優しくしてくれる自分を、もっと信じてみよう。
なんて。ね。いい大人がさ、勇気やら優しさやらをもらったんだよって、これは、実は、とある一週間を体験した、クルミの話。
路地裏で生きて、死にそうになって、そんな自分が王城のメイドをやっていることなんて未だに信じられない。
優しくて強くてあったかくて、立派な家に生まれ育った人と一緒に歩く覚悟なんて無い。
いつの間にか、子供のころに「私はなんでもできる」って思っていた強さを忘れていた、クルミの大切な話なんだ。
内緒だよ。
クルミはメイドだ。ファミリーネームはアリストレラ。
この城で春に再会できる日を楽しみに、胸を張って働いている。そんなどこにでもいる女の話。
ね、内緒だよ。
ちらほら、メイドの話が見たい!というお言葉をいただいていたので、メイドさんのお話でした。
最近また地の文について「おもしろい」と言っていただけて嬉しかったので、ここまで読んできてくださった皆さまを信じて、いつにもまして趣味全快な文体で楽しく書きました。
母の秘蔵のキラキラした少女漫画が好きなので、「ぼかぁね、」とか言っちゃうキャラが大大好きです。おお…!おお風よ…!とか言っちゃうキャラをいつか書きたい。





