35.決意が咲いた庭
朝である。
ソフィは、にこにこ笑顔の優しいメイドと侍女によって、裾に紫の刺しゅうが入った真っ白のワンピースに着替え、長い髪は紫のリボンで束ねられた。うなじが涼しくて、可愛らしいワンピースにも不満は無い。
街歩き用にわざわざ用意してくれた装いは、決して不満ではない、が、青みがかかった紫は誰かさんを思い出させるのだ。絶対わざとだ。
服を着替え、紫のリボンを「いかがでしょう?」と出されたあたりで、ソフィは恥ずかしいのでやめてください、と思ったけれど。にこにこ楽しそうな微笑みには逆らえなかったのだ。
しかし、恥ずかしい。
ひょっこりと顔を出したアズウェロが「番の色だな」と、納得したように頷くので、ソフィは顔から火が出そうだった。やっぱりチェンジで!
リボンを黒に結びなおしてもらったところで、これはこれで髪の色では…?と思ったソフィだったが、また結びなおしてほしいとも言えず。先のやり取りがあったからなんでもそう思うだけだな、と結論付け朝食の席に着いた。
隣でそわそわにこにこするリヴィオの視線が痛い。
「白もとてもお似合いですね。お可愛らしいです」
「り、リヴィオも、今日も、とてもかっこいいです…」
「う、嬉しいです」
にこお、と溶けるように笑うリヴィオは、今日は藍色を基調にした服だ。昨夜の天使かな?という装いから一転、服がラフなのに貴族かってくらいの品と美しさが眩しい。
あと、胸元に付けている、色が濃い琥珀のブローチは、多分、そういうことだ。
メイドや侍女の張り切り具合に、ソフィは頭を抱えたくなった。はっずかしい。
今もなまぬるーい見守りの空気が、によによとした空気が、漂っている気がしてならないのである。
思わずソフィが、あいているヴァイスとルネッタの席を、早く来て、と祈るように見ると扉が開いた。
「悪い、待たせたな。朝は苦手でな」
昨夜と同じく、白いシャツに黒いパンツのラフな服装で現れた王様は、髪をぱちん、と後ろで束ねた。いわゆるハーフアップ。器用である。
「わたくしたちも、今来たところですわ」
ソフィとリヴィオが席を立って頭を下げると、「座れよ」と手であしらわれた。
「ルネッタは?」
席に着いたヴァイスが振り返ると、メイドは「すぐにいらっしゃるかと」と頷く。
それに答えるように、今日も今日とて全身真っ黒のルネッタが現れた。
「私また最後ですか?」
「俺も今来たとこだよ」
そうですか、とルネッタは頷き「おはようございます」と頭を下げた。
「おう」
「おはようございます」
「おはようございますルネッタ」
三者三様に挨拶を交わすと、食事が運ばれてくる。
昨夜と同じく、パン、スープ、サラダ、ソテー…と次々と料理がテーブルに並び、サイズと量はそれぞれ違う。朝からよく食べられるなあ、と大皿組には感心するばかりである。
「今日はどこへ?」
ヴァイスがパンにバターを塗りながら問うと、リヴィオが顔を上げた。
「はい、昨日教えていただいた冒険者用の店が並ぶ通りに行ってみようかと。明日発つにしろ、一週間後に発つにしろ、準備は必要ですから」
昨日?
ソフィが見上げると、ヴァイスはにやりと笑った。
「取っておいたデッドリッパーの肉で1杯やったんだ」
「1杯?」
「いっぱい、の間違いでしたね」
「うるせえ」
ふむ。ソフィがルネッタと紅茶を酌み交わしたように、ヴァイスとリヴィオは酒を酌み交わしたらしい。というかあの後まだ食べたのか。
ヴァイスもリヴィオも、役者が自信を失いそうなスタイルなのに一体どこに入るのか。人体の不思議である。
「ああ、身分証を用意したから持っていけ。武器類を買うならいるぞ」
「身分証…?」
そういえば、とソフィはサラダを飲み込んだ。美味しい。
じゃなくて。
ヴァイスが治めるこの国は、外から入るにも出て行くにも、身分証がいる。
入国審査を受け合格した者しか入ることができない、王の自由さと反して厳しい国なのだ。
こちらです、とアーヴェが銀のトレイに入れ恭しく差し出した二枚のカードには、ソフィとリヴィオの名前が書かれている。お洒落な金縁が美しいカードだ。
「…ヴァイス様、これ、なーんか特別感ありません?」
「勘が良いな。王城で仕事をする奴の身分証だ」
なんだって。
二人そろってヴァイス様を見ると、にや、と笑われ、アーヴェも「官僚クラスの物をご用意いたしました」と笑う。いやご用意すなそんなもん。
「そんな嬉しそうな顔すんなよ」
「目ぇ悪いんですね。嫌そうな顔ですよ」
どんな顔だろう。ソフィが思わず覗き込むと、リヴィオは綺麗な顔で微笑んだ。ん? じゃない。可愛いけどそうじゃない。
「他意はねぇよ。それ持ってりゃ、大きな国ではそれなりの扱いをしてもらえるから持っとけ。で、いつか、そろそろゆっくりしてぇなって時に土産話持って来い。歓迎するからよ」
「いつかじゃなくて、またいつでも帰ってきてくれていいんですよ」
ルネッタが言うと、ヴァイスはそうだな、と笑った。
王として自分たちを買ってくれていて、それでやっぱり先生みたいっていうか、見た目と口調に反して慈愛、みたいなもんを見せてくれる王様に、ソフィとリヴィオは降参した。
「有り難うございます」
「嬉しいです」
ヴァイスは、おう、と目を細めた。
うーん、ずるい笑顔である。
そんなこんなで、和やかな朝食時間は過ぎ、食後の紅茶でほっこりしているところで、「そういえば」とヴァイスが髪をほどいた。柔らかそうな髪に、癖がついている。
「坊ちゃんと話してたんだが、嬢ちゃんは騎士の待遇改善にも噛んでたらしいじゃねぇか。ご令嬢がそこに目を付けるのはおもしれぇなと思ったんだが、きっかけは何だったんだ」
どこかでこの話をしたような。
ソフィは首を傾げながら、ええと、と言葉を探した。そんな、王様に話すような凄いエピソードとかでは無いんだけど。
「昔会った、一人の男の子がきっかけなんです」
「え」
「へえ」
へえ、と楽しそうな声はヴァイスで、え、と硬い声はリヴィオだ。
見上げると、なんか、こう、凄い不味いモン食った、みたいな顔をしている。めっちゃ嫌そう。
その顔を見て、あ、とソフィは思い至る。
見送ってくれた騎士に、「リヴィオニスには言わないでくださいね」と言われたのだ。「嫉妬深いんで、ソフィーリアの初恋トークは地雷だ」と。よく分かってないくせに頷いちゃ駄目だな。大して記憶に残ってないもんだから、ついうっかり。ペロッと。言っちまったソフィである。
いやしかし。しかしだ。
あれは初恋ではない、とソフィは思っている。ソフィの初恋はリヴィオだ。言えなかった助けてを拾い上げてくれて、綺麗なお顔をとろけさせて、ソフィーリアを連れ出してくれた美貌の騎士様だ。
それに、嫉妬するような話でもないし、これだけ神様に愛されまくった至宝の存在が、ソフィなんぞのために嫉妬。んな馬鹿な。無い無い。
まあ良かろとソフィは話を続けた。
「疲れたわたくしに、元気をくれた男の子がいて、その子が騎士を目指していたんです」
「へえ」
温度の無いへえ、にびっくりして顔を上げる。
リヴィオが空を見ながら、眉間に皺を入れていた。なのに口元は笑顔だ。え、こわ。
「どんな奴だったんだ?そいつ」
ヴァイスは、おもしろそうな顔を隠すことなく問う。これ、完全にソフィはおもちゃにされとるな。いや、ソフィの話に何やら怖いお顔をしているリヴィオを、だろうか。
どうしたものか、とソフィはちらりとまたリヴィオを見上げる。リヴィオは、「それで?」と微笑んだ。氷像みたいな笑みだった。綺麗で冷たい。だから怖いって。
ソフィは、ええと、と視線を外した。
「それが、顔はあまりよく覚えてないというか、見えなかったというか」
「夜だったのか?」
「あ、いえ。昼間です。お茶会が終わった後の、お城の庭園で、わたくしは疲れて座り込んでいたんですけど」
ぴく、とソフィの視界の端で、テーブルに乗ったリヴィオの指が跳ねた。
なんだろう、と思いつつソフィはあの日をなぞる。
視線を落とした先で揺れる紅茶のように、あの日のソフィーリアの心は揺れていた。虚しくて、苦しくて、泣きたかった、ひとりぼっちだったあの日の思い出。
「わたくしはあまり両親ともうまくいっていないのですが、その男の子はわたくしの代わりに、怒ってくれたんです。わたくしは悪くないんだって言ってくれて、すごく嬉しかったし、心強かったです」
思わずソフィが微笑むと、へえ、とヴァイスの声が、楽しそうに響いた。
なんだろう、とソフィは顔を上げる。ヴァイスは、に、と笑った。
「で、どんな見た目だったんだ?」
「え? えっと、顔を真っ赤に腫らして血だらけだったので、あまり覚えてなくて…」
「怪我していたんですか?」
ルネッタの声に、ソフィはええ、と微笑んだ。
「騎士を目指しているようだったから、きっと訓練中の怪我だったんでしょうね。…わたくしと年が変わらない子が、こんなに頑張っているんだって思ったら、勇気が出たの」
自分の役割に意味があることを実感できたあの日が、ソフィーリアを生かした。心が折れそうな日も、投げ出してしまいたくなる日も、あの日の決意がソフィを奮い立たせた。
「この男の子が騎士である事を誇りに思ってくれるような、騎士の道を選んだことを後悔しないような、そんな国にしたいって、思ったの。わたくしに楽しい時間をくれたように、男の子に喜んで欲しいなって。……どんなに嫌な事があっても、あの庭園を思えば、背筋を伸ばして立っていられたのよ」
遠い日の、暖かな庭園を思い浮かべていたソフィは、ガタッ!と不意に大きな音に驚いて顔を上げた。
音は、隣。リヴィオからだ。
ぽかん、とソフィは、そのリヴィオの顔を見上げて瞬きした。
「…リヴィオさん、大丈夫ですか…?」
ルネッタの突然の問いかけは、けれども自然な問いかけだ。
だって、リヴィオの顔が、凄い事になっている。
まっっっかで、眉間にしわが寄って、目が潤んで、歯を食いしばっていて、乙女のような子供のような、泣き出す一歩手前の脆さと可愛さである。何があった。
いや、それにしても凄い赤い。赤いぞ。水をぶっかけたら蒸発しそうな赤さだ。体温大丈夫だろうか。
「り、リヴィオ…?」
恐る恐るソフィが声を掛けると、リヴィオはびくりと肩を揺らし、はくはくと唇を動かした。
なんだなんだ。可哀そうなくらい、動揺しとる。
さっぱり事態が飲み込めないソフィを置いて、リヴィオはがばりと頭を下げた。今度はソフィの肩が跳ねる番だ。
「す、すみ、あのっ失礼します!!!」
「え」
常にないドタバタ感で、リヴィオは扉を目指し、素早く開けられた扉から駆け出すように退室した。
「なるほどなあ。なんか朝から凄いの見たな」
「純愛ですね」
「リヴィオさんどうしたんですか?」
「見てたらわかるだろ」
「わかりません」
「あー、後で教えてやるよ」
え、待ってわたくしにも教えて。
まったくもって話がわからないのは、どうやらソフィとルネッタだけらしい。
頷きあうヴァイスとアーヴェに視線を向けると、控えているメイドさん方もなんだか生温い笑みを浮かべていらっしゃる。どうも、本気でソフィとルネッタだけが話が見えていないらしい。どういうことだ。
ぽかんとするソフィに、ヴァイスはくっくと肩を揺らした。
「そうだな。落ち着いたら迎えに来るだろうから、聞いてやれよ。覚悟して来るんじゃねぇの?」
「純愛ですねえ…」
だからなんの話?
首を傾げたソフィはさてこのあと。
氾濫した川も白旗を上げるほどの涙を流して街歩きどころではなくなったんだが、まあいいのだ。
だってソフィはこの日、生まれて初めて自分の人生を褒めてあげられたんだからさ。





