4.わけはきかないで!
金色の睫毛が震え、そっと開かれていく。
夜が訪れるように花開いたのは深い森。
ぱちん、とその黒い瞳は瞬き、そして──
「ぶうえっっくっしょったらはっしょおおおおおおい!」
盛大なくしゃみをした。え、くしゃみ? くしゃみ。多分。
小さな小さな身体のどこから出てきたのかわからぬ声量と、可憐な見た目と真逆の豪快さはソフィの知るくしゃみと違うが、鼻をこすっているのでくしゃみなんだろう。
「はあ」
息を吐きながらのっそりと起き上がった妖精の長い髪がさらりと揺れる様は、それはそれは美しいのだけれど。ソフィの胸がドキドキと音を立てているのは、憧れの妖精との対面によるものか、迫力あるくしゃみに驚いたからなのか、さてどちらだろうなあ。
「あ、ごめんなさい。起こしてくれて、ありがとうございます」
おや、声が低い。儚げな容姿から高い声を想像していたソフィは、己を恥じながら頭を下げる妖精に頭を下げ返した。
「いえいえ。あの、妖精の方に魔法をかけたのは初めてだったのですが……不調や違和感はありませんか?」
「はい、全然。えっと、なんかすっごくむず痒い感じでびっくりしちゃったけど、すごく温かくて良い魔力をお持ちですね」
「あ、え、あ、はい、ありがとうございます?」
むず痒い魔力。いつかどこかで言われたことがあるような、ないような。うふふ。
垂れ目を細めてゆったりと微笑む妖精は、ソフィを褒めてくれているんだろうなあ。うん、礼を言うソフィに満足げに頷くから、褒めてくれているんだろう。
けれど、恋心によって力を得ている魔法というだけで恥ずかしいのに、「むず痒い」と言われてはなんとも返答に困るというものだ。
「ほんとにすごいですよ。こんなに身体が軽いのはいつぶりだろ。……たしかにあなたの魔力をもらったのに、自分の魔力が行き渡ってる……。不思議な感覚ですねこれ」
「ほう?」
妖精の言葉に、アズウェロが興味深そうに顔を上げた。
そして青い瞳でじっとソフィの手の上に座る妖精を眺める。
「なるほど?」
首をかしげるアズウェロにつられてソフィも首をかしげた。
「アズウェロ?」
「この妖精の中に、主の魔力はもちろん私の魔力も視えん。主はどうやら、妖精の魔力自体を回復させたようだな」
「魔力自体を?!」
大きな声を上げたリヴィオに驚いたソフィの手の上で、妖精が揺れる。「おっと」と体制を整えた妖精は、首をそらしてリヴィオを見上げた。
「魔力の回復ができる魔法、って普通なんですか? 僕聞いたことないんですけど!」
「それなりに長く存在してるけど、そういう人間の話は、あんまり聞いたことないですね」
「ですよね?! 普通、魔力量を回復するときは、魔導薬調合士がつくった薬を使うんですよソフィ……!」
キラキラとした目を向けられ、ソフィは思わずたじろいだ。
世間知らずのソフィだって、その薬の存在は知っている。知ってはいるが、ソフィはただいつもどおりに魔法を使っただけなのだ。特別なことはなんにもしていない。
アズウェロの指示通りに、魔力が足りないという妖精に自分の魔力を分け与えたつもりだった。
予想と違う結果で賛美されても、素直に喜べない。
自分がやったのだという実感が乏しいんだもの。そんなに可愛い顔を向けられたってソフィは──
「ソフィは本当に凄い魔女ですね!!」
「ありがとうございます!!」
つい反射でお礼を言ってしまった。わはは。
だって、高揚したリヴィオのお顔がもう可愛いこと可愛いこと。ソフィは言わばリヴィオの可愛いの奴隷である。抗えるものか。
しかし顔面まで「リヴィオ可愛い」に支配されるわけにはいかない。慌てて表情を取り繕うと、アズウェロが「むう」と呻いた。
「不愉快であるが、主は魔女の魔法と相性がいいのだろうな」
「魔女の魔法?」
この神様、本当に魔女がお嫌いらしい。アズウェロのお顔は見ないように、ソフィは見上げてくる妖精に頷いた。
「わたくしが魔法を使えるるのは、魔女が書いた本と、旅で出会った魔女のおかげなんです」
「ああ、魔女に魔法を習えば魔女」
どうやら魔女の習わしは妖精にも有名な話らしい。納得いったように妖精はぽむ、と拳で手のひらを叩いた。
「あの黒い魔女曰く、魔女の魔法はイメージ力が要なんだろう?」
「イメージ……」
アズウェロに言われ、何を考えていたんだっけ、とソフィは首をひねる。
いかに自分が幸福であるかを考えていた気がするのだけれど、スカートがきつくなってきたことを考えていた気もするが、はて。
ソフィはなんとなく、いつも美味しい食事で腹を満たしてくれるリヴィオの顔を見る。
「?」
うーん可愛いな。
思わずつられてへらりと笑えば、極上の笑みが返ってくるので目を焼かれそうになるソフィであった。
「おいなんだこの空気」
「あ、イメージといえば」
「!」
手のひらから上がった声に視線を戻すと、妖精はふわりと宙に浮いた。
羽だ。
背中に羽がある!
妖精といえばやっぱり綺麗な羽ですよねってソフィの期待を裏切らぬ、それは見事な輝きであった。集めた光の粒一つ一つに意思が通い、空気を撫でてゆく。それに合わせて揺れる金糸のなんと美しいことだろう。
虹色の風にソフィは思わずため息を漏らした。
「助けてもらったお礼をしなくちゃ。大好きって言っちゃうのが恥ずかしいんですよね?」
「……え?」
妖精は右手をすっと持ち上げる。
小さな手は存外骨っぽい。なんてことに気づいている場合ではなかったのだ。
舞うように手首をひねり、ぱちん、と一音。
何かが弾けるような音が響く。
瞬間、甘い香りがした。
日差しをたっぷり浴びた花が胸で咲くような、そんな不思議な心地にソフィは瞬き、アズウェロは「うええ」と妙な声を上げた。
「おかげで魔法も使えます。ありがとうございました」
「まてまてまて」
「えっ?」
アズウェロが手を上げて静止する声は聞こえているんだかいないんだか。
丁寧にお辞儀をした妖精は、にっこりとそれはもう清々しく美しい笑みを浮かべた。
「それじゃあ、さようなら」
「だから待てと言っている!」
そしてパチン、と消えた。
シャボン玉が弾けるみたいに、パチン、と。
最初から何もなかったみたいに消え去り、訪れる沈黙。さわさわと葉が揺れる音がやたら大きく聞こえるのは気のせいかしらん。
「……主」
「はい」
なんとなく背筋を伸ばすソフィに、アズウェロは「やられたぞ」と不機嫌そうに言った。
のんびり更新にお付き合いいただきありがとうございます。
次回はもう少し早く更新する予定です。
さて今月のコミック版はじかねはご覧いただけましたか?
私は初めて拝見したとき、ソフィの言葉にうるっときてしまいました。あの一歩を踏み出すシーンが大好きです。
そしてルネッタの回想シーン!
このシーンが見られると思わなかったので嬉しい!
実は、2人の出会いについてご質問いただいた際に、小説には描写がないことを気にかけてくださっていました。
もしかすると過去の話に触れるかも?となったときに、ずっと応援してくださっている「なろう」の読者の皆様が知らない話になってしまうのは、先生のご心配通り私にとって、とてもさみしくて申し訳ないことでした。
ということで、「私の頑張り次第なのでお気になさらず!」と、本編が落ち着くタイミングで、放置してしまっていた「わたしもあらし」の1章終了を急いだわけなのですが……いかがでしたか?
私と一緒に「あのシーーンだーーーー!」と感動していただけていましたら嬉しいです。
先読みはかっっっこいいソフィ!
ぜひ併せてお楽しみくだい!





