汚泥で見る夢(後)
「何をしていたデリウス」
子どもとの誓約は、当然ながら誰にも秘さねばならない。
まさか、はいどうぞ♡ とリボンをつけて差し出してもらうわけにはいかんので、デリウスは子どもに情報だけを与えられた。ピューリッツが捕らえられている貴族用の牢屋──デリウスが見たこともない豪奢な部屋の場所と、見張りの位置。それさえあれば、闇に紛れてピューリッツを連れ出すことくらい、デリウスにゃわけないのである。
「お前のような醜く汚らわしい者が私に仕えられることが、どれほどの名誉だと思う! 私を裏切るなどどういうもりだ!」
おやおや。
敷地を出たらもう安心したのか、ピューリッツは途端にぎゃあぎゃあと騒ぎ始めた。
もう少し我慢、はできないよなあ。無理言ってごめんなさいね。感情をコントロールできるほどの賢さも、んな高度なスキルもピューリッツは持っちゃいない。
ここまで大人しく歩いただけマシだな。
「殿下、まだ安全とは言えません。どうか、お静かに」
「何様のつもりだき」
ピューリッツの言葉は最後まで聞こえなかった。デリウスが沈黙の魔法をかけたので。
夜は音が響きやすい。どこに人の目があるとも限らぬのに、まったく手間のかかる男だ。目撃者をいちいち殺して回るなんて面倒なことをさせないでほしいとデリウスは思う。
何か叫んでいるのか、真っ赤な顔で口をパクパクする高貴なお顔を眺め、デリウスはため息をついた。ああ、まったく。
「なんて、可愛いんでしょうねえ」
ねえ殿下、とデリウスは笑った。
「貴方には今、卑しく薄汚い私しか、いないのですよ?」
おかわいそうに、とデリウスはフードを脱いだ。
心からの本音だった。
かわいそう。本当に本当にかわいそうで、とても可愛らしい。
デリウスなんぞに哀れまれ、ピューリッツは顔を真っ赤にした。屈辱で染まるその顔といったら!
「この火傷の跡がおぞましいですか? 醜い? そうでしょうね。私だって鏡を見たことくらいありますから、知っていますよ。みーんな、目を逸らすんです。誰だって醜いものは見たくない。そうでしょう? 正面切って私を罵るのは貴方くらい! 私はね、私をそうして罵る貴方の醜さが、大好きなんですよ」
青ざめるピューリッツの顔を、デリウスは覗き込んだ。
デリウスよりもピューリッツは背が高いので、少し踵をあげてやる。青い瞳が丸まって、ピューリッツは「ひっ」と掠れた吐息を漏らした。悲鳴を上げたかったのかしら。
きっと汚い声で鳴いてくれたのになあ、とデリウスは少しだけ残念に思った。消音ではなく、音を閉じ込める魔法にすればよかった。つい、簡易な魔法を選んでしまったことをデリウスは反省する。何事も手抜きは良くない。
やるならば、全力で。
「王になりたい? あの子どもに復讐してやりたい? よろしい。お好きなだけ望みなさい。私が、私だけが、それを叶えてあげましょう」
嘘だけど、ね。
ぜーんぶ嘘。嘘。嘘だよ嘘。
王に? ピューリッツが? なれるわけなーい!
たとえヴィクトールがいなくても、誰かがあの子どもを担ぎ上げただろうし、あの子どもがいなけりゃヴィクトールが王になったか、或いはそれなりの人物を探し出しただろう。
そうさ、デリウスはお芝居には自信がある。
いつだって全力で、ピューリッツの手足として動いてやった。
子どもは言った。
どこからどこまでが筋書きだ、と。
いやはや、あの子どもは恐ろしいほどに賢いが、人を買いかぶりすぎるきらいがあるな。
──だって、これほどまでにうまくいくとは、思わなかった。
あの日、腸を引きずり出してやりたいくらいに澄み切った青い瞳を見て、デリウスは思った。
なるほど、これは勝てない。
ピューリッツやその母親の陣営は、本当にこれを使って勝てると思っているのか。デリウスは正気を疑った。
本当の意味では、誰もピューリッツを「王」にする気はない。んなこた、わかっとる。そのへん歩いている幼児だって知ってるかも。王の権力を持ったピューリッツをただ良いようにしたいってだけなんだろうけれど、それにしたって、ねえ?
覆りようがない現実を前に、なんとまあ、お粗末で楽しい演目だろう。
デリウスは、紙のように真っ白なピューリッツの頬に両手を添える。
「殿下、貴方の仰るとおりですよ。貴方にお使えできた日々は、かけがえのないものでした。楽しかった。ああ、とても、とても、楽しかった。人を貶め、操り、なぶり、殺し、呪い、己の手は汚さず湯悦に浸る貴方の顔を眺め、自由に魔法を使う日々は、間違いなく幸福でした。ああ、それからガキどもを使った兵士をつくる研究。あれも楽しかった。金と材料がなくてはできませんから! まさかドラゴンが出てくるとは思いませんでしたが、この目でドラゴンの魔法を見られたのは僥倖!! ああ! 生きていて良かった!!!!」
「っ」
「おや、しまった。少し興奮しすぎましたね」
折れそうなほどに強く両手を握られ、はっとした。
ピューリッツの作り物みたいな両頬に、五本の線が引かれている。まるで、ヒビが入ったみたいに。
「……お似合いですよ」
ふふ、とデリウスは微笑んだ。
「貴方は顔が派手ですからね。しばらくはソレでもつけておいてください。そのうち、治して差し上げます」
気が向けば、だけど。
デリウスがもう一度微笑むと、ピューリッツはデリウスの腕を握る手にさらに力を入れる。痛いなあ、とデリウスはそれを振りほどいた。
簡単に手が外れたことに首を傾げたが、背を向けようとするピューリッツに、なるほど、とデリウスは頷く。
「私から逃げてどうするのです?」
ピューリッツの足が止まる。
「ヴィクトールに運ばれる貴方を誰が助けましたか? 今この瞬間まで、私の他に誰が、貴方に、言葉をかけましたか?」
「……!!!!」
おや、まあ。
こちらを振り返ったピューリッツの唇から血が流れている。
「それほどまでに悔しいですか! 惨めですか! 見下していた私しか貴方の手に残らなかったことが!!」
頭がどうにかなりそうなくらい、全身が痺れるくらい、デリウスは高揚していた。
駆け出して歌って踊って、叫びだしたい気持ちで張り裂けそう。
「憎みなさい! 望みなさい! あの子どもを引き裂き、私が貴方を王にしてあげましょう!!」
胸ぐらを掴んだ手は、振りほどかれない。
青い瞳にじくじくと滲む色が、デリウスを歓喜で包んだ。
「私が貴方のキングメーカーですよ、ピューリッツ」
そういえば。
あの子どもこそ、何をどこまで知っているのだろう、とデリウスは曇天のような髪を撫でた。
ピューリッツとは似ても似つかない目障りな色の瞳は、泥でできたデリウスの望みを本当に知らなかったのか。
デリウスは、いずれ全てあの子どもの耳に入るだろうと知っていた。
当たり前じゃん。だってピューリッツ陣営には馬鹿しかいない。幼い子どもに従えない、と憤る連中はこれまで見逃されていた悪事を叩きつけられ追われたことが気に入らないだけの、ろくでなしばかりなんだもの。
まともな悪人は、子どもに従うフリくらいできるわな。
だから問題は、どうやって終わらせるかだった。
どうやって、ピューリッツの心を折ってやろうかと。ただ、それだけ。
醜いピューリッツが、折れて、ひしゃげて、もっと醜くなって、デリウスに縋るしかない、そんな姿を見たかった。
ただ、それだけだったのだ。
ピューリッツの夢は叶わない。
デリウスの夢は永遠にこの手にある。
投稿の仕方を間違ったので再投稿しました。
びっくりさせてしまった方いらっしゃいましたら申し訳ありません!





