エピローグ
「行っちゃったなあ」
あーあ、としょんぼり呟く婚約者の肩に大きな手がかかる。
「派手な旅立ちで大変良いな!!」
「耳元で大声を出すな」
「エラ! そう寂しがるな! 友なら私がいるではないか!! ドレスを着てやろうか?」
「図体がでかい上に煩い馬鹿野郎と可愛いソフィを一緒にするな。割るぞ」
「何をだ」
うーん。
エーリッヒは微笑んだ。
ヴィクトールとエレノアが仲良しなのは今に始まったことではない。というか、二人が仲良しだったからこそ、エレノアはエーリッヒの婚約者としてやってきたのだ。
阿呆だが警戒心の強い兄が心を許す、唯一の友。あの兄が戦場で喜んで命を預ける友。
それが、エレノアだ。
だから、エレノアはエーリッヒの婚約者なのだ。
「うーん」
今度は声に出して、エーリッヒは呻いた。
ヴィクトールは、煩いと文句を言われてエレノアから離れるどころか、その肩に顎を乗せやがる。ベランダでイチャイチャイチャイチャと、誰かに見られたらどうするつもりだろう。
周囲に人がいないことはわかってやっとんだろうが、な。はは。エーリッヒの口から笑いが漏れた。
「冷たいぞエラ。お前は私が愛する唯一の友。私が愛する唯一の女性だというのに」
「お前、それ外で絶対言うなよ」
「君が婚約してからは我慢している」
我慢かー。我慢。そうな。
エーリッヒの兄は、あれでいてえげつねぇ作戦とか考えちゃうし、腹芸も得意だ。エーリッヒを王座に座らせたことがそれを証明している。
が、基本的には思ったことは全部口に出したい生き物なのだ。幼児かな。いや、幼児なら良かった。幼児なら、エレノア大好き! とか言っても問題ないもんね。ところがあの幼児ときたら、頭脳も見かけも上等であるし、エレノアの婚約者なのはエーリッヒなので、問題しかない。
一応は弁えているらしい兄に、「きっしょ」と吐き捨てたアドルファスをエーリッヒは見上げる。
「作戦成功、かな?」
ヴィクトールはさておき、賑やかに駆けて行ったカップルを指して言うと、アドルファスは眼鏡を上げてニヤリと笑った。
「これだけ大騒動にすれば、彼らを追って利用するなんてことは不可能だって馬鹿でもわかるでしょうし、彼らが権威に興味がないこともよくわかるかと」
「ちゃんと礼をしたかったんだけどなあ」
「ご命令通り、旅仕度させた馬に、これでもかと金貨を詰め込んで、あの時計も入れておきましたから。納得してください」
「そうだな」
リヴィオの愛馬にくくりつけた荷物を開いた二人は、さぞ驚いてくれることだろう。
浮世離れしたところのある二人は、金銭にあまり興味がなさそうだったが、エーリッヒはそんな二人でも驚いてくれるだろう量の金貨を袋に詰めさせたのだ。それから、エーリッヒの用意したおまけにもきっと驚いてくれるはず。
「王家の紋章と陛下のサインを刻んだ懐中時計なんて、いつの間に用意したんです?」
「なんだ、知らなかったのか。兄上が『成長の証』とかいって毎年つくらせているんだ。俺の年齢分ある」
「おっっっも」
あの二人ならば、一国の王の名を刻んだものを正しく使うだろうことをエーリッヒは自信を持って断言できる。エーリッヒが人生を救われたように、自分の名が二人の旅路に幸いを運べばいいとエーリッヒは微笑んだ。
ヴィクトールとて、十二個あるうちの時計の一つを譲り渡したとて文句を言うまい。「成長の証」とは別にもらっている誕生日プレゼントは大切にしているし、そも、あの男は人に渡したプレゼントの行く末は気にしないタイプだし。渡して満足するんだ。幼児なので。
「しかし」
「うん?」
エーリッヒが見上げると、アドルファスは本当に何の気なしに呟いた。
「あの馬鹿でも隣りにいると、エレノア様が女性だって当たり前のことを思い出しますね」
「……ふふ」
「ひっ」
ばき、と肘をついたソファの手すりが音を立てた。うふふ。いっけね。エーリッヒの身体から漏れた魔力がちょいと悪さしちゃったみたい。エーリッヒはそれをすぐさま治める。
エーリッヒの身体に流れる魔力は扱いが難しいうえに強力で、負の感情にえらく反応するのだ。闇と呼ばれるその名の由来は、魔力の好物が、悲しみや怒り、それから、嫉妬であることなので。
嫉妬。嫉妬ねー。うんうん。
「不思議だなあ」
「え、な、なにが」
震えた声で問うアドルファスに、エーリッヒは目を細める。
「どうして、今まで気にならなかったんだろう」
自分の婚約者と兄が、あんなにもべったりくっついてんのに。ヴィクトールの馬鹿、そのうちエレノアの頬にキスでもしちまいそうなんだけど。幼児だからな、あいつ。でもきっと絵になるんだろうな。は? 絵? 描いたやつぶん殴るけど。
ばき、とまたソファが音を立てる。
「……俺も我慢すべきだろうか」
「あ?」
「兄上に邪な下心は一切ないだろう」
恋人みたいに顔を寄せ合う二人を前に、エーリッヒがふうとため息を付いて魔力を治めると、アドルファスは「馬鹿か」と眉を上げた。
「あのボケと違って我儘一つ言わないお前が心から欲した、それこそ『唯一』が、エレノア様だろう」
俺なら今頃あいつ八つ裂きにしてんぞ、とアドルファスが親指を首の前で横に引くので、エーリッヒは声を上げて笑った。
「あはは! おまえ、本当に性格が悪いな!」
「お前ら兄弟ほどじゃねぇわ」
「なんだ! 楽しそうだなお前たち!」
笑い声を上げるエーリッヒに気づき、目をキラキラとさせる兄を、エーリッヒは好いている。
こんなに重たい愛を向けられて無関心でいられるほど、エーリッヒの情緒は死んじゃおらん。
けれど、少しだけ。
ほんの少しだけ、兄を見ると心が惑う。
ふとした瞬間に、人々がヴィクトールに王の影を見ることを、エーリッヒは知っている。
兄の持つ存在感に膝をつきたくなる心理が、エーリッヒはわかってしまうのだ。
エーリッヒだって、このやかましくも頼もしい兄にこそ、王座に座ってほしかった。なぜ自分なのだと、本当の本当は今もちょっぴし思っちゃいるけれど。
「兄上」
「なんだエーリッヒ!」
エレノアを見下ろす身長も、エレノアより大きな手も、羨ましいけれど。
エーリッヒが小さな子供だってことを思い出させて突きつける、この恋とやらが、憎らしいけれど。
「エーリッヒ?」
けれど、玉座に腰を下ろしたのはエーリッヒで、みんなが王と呼ぶのはエーリッヒ。
それから、まっすぐにこちらを見るエレノアが選んでくれたのも、エーリッヒなのだ。
「今すぐエラから離れないと磨り潰しますよ」
どんな宝石よりも美しい双玉が自分を映すその光さえあれば、迷う事はないだろうとエーリッヒは笑った。
おわりのおわり!
有難うございました!!
次回の更新は未定なので、一旦完結にさせていただきます。
ところで皆さま、今月のコミカライズはもう読まれましたか?!
表紙のかんわいい二人は見ましたか?!
くま…くま可愛い……ネームを拝見した時も三度見くらいしたんですけどね??完成版すごいですよね???
空気読まねーリヴィオがリヴィオで可愛いし、楽しそうなソフィも可愛いし、活き活きしたルネッタも可愛いし、ヴァイスはずっと恰好良いので私は元気です。
プレミア版の4人の会話も最高です!
気温が上がってきて死にそうですが、来月の更新を楽しみに頑張りましょう…!





