74.よく似ていない当人
それはソフィが海に大興奮した船上での出会いである。
元気で好奇心旺盛な可愛らしい男の子と、息子と目線を合わせて語らう優しい目のお父さんは、ソフィが知るよりもずっと世界は柔らかなものであることを教えてくれた。
『人に優しくしてもらえることで、この子は世界を優しい目で見ることができますから。誰かに優しくされれば、この子も誰かに優しくしてあげられる人になるでしょう』
別れ際に「ランディ」と名乗った父親が言った言葉は、ソフィの胸をぎゅうと締め付けた。
我が子の幸いを願う親の姿とは、こんなにも美しいのかと。ソフィは胸打たれたのに。
よもや国を滅ぼそうと大群で押し掛けるドラゴン様と同一人物だっとは。
あっはっは。笑えんな。誰が思うか阿呆。
「僕の姿はどちらも、人の世では目立つようなので……。この子と街を歩くには向いていないんですよねぇ」
呑気そうに顔は、素朴だ。人当たりが良さそうで人畜無害そう。人を害するなんてもってのほか、虫一匹すら殺せないんじゃないかなって。そんな具合なんだな。わかってて対面しても、ドラゴンのルールーとも、白い人形のルールーとも、別人にしか見えない。
いや、だがしかし。もしかすると、ルールーをよく知らないソフィだからそう思うのかもしれない。存外、面影があったりして。
ソフィは、ちらりとエレノアを窺ってみる。
「そ、その喋り方は……?」
エレノアは、この世で一番恐ろしいものを見た、という顔をしていた。うん、ソフィの気にしすぎだな。
エレノアに問われたルールー、否、ランディはにっこりと笑った。
「いろいろと都合が良いんですよ」
「いろいろ」
「いろいろ」
へ、へえ……。ソフィは目を逸らした。いろいろって、なんだろ。いろいろ。
「この子の教育にも良いですしねぇ」
あ、それは同意。ソフィちゃんも全面同意である。高慢で人の話を聞きゃあしないあのドラゴン様のお喋りの仕方を、こーんなにも可愛いテオが覚えちまうのは、ねぇ。なんかいやだもの。
ソフィと目が合ったテオが、にこお、と笑っている。あ、やだ可愛い。可愛いぞ。ソフィもにっこりした。
「あのルールーが、『パパ』なんて呼ばせてるだけで気持ちわる、じゃなくてびっくりなのに、人の世で子育てなんて、何があったんだ。呪いでも受けたのか」
「エラ、何も隠せてないよ」
「あ」
エーリッヒに笑いをこらえながらツッコまれたエレノアはぎしりと固まる。ランディは、ふふ、と微笑みながら、豪奢なソファにゆったりと身体を埋めた。
「もう少しお仕置きが必要かな」
「ひっ」
怖い怖い怖い。関係ないはずのソフィもついリヴィオの袖を握っちまう。テオを抱くランディときたら、言葉も声も表情もおっとりとしているのに、目が。眼光が、鋭すぎるのだ。目だけドラゴンなのだ。どうやるんだそれ。
「ルールー殿、その、どうか穏便に……」
国を滅ぼされかけた悲運の王様の嘆きに、ルールーは目を細めて「陛下、どうぞランディとお呼びください」と言った。陛下。陛下ね。陛下。いや、なんも間違っちゃおらん。それが正しいエーリッヒの呼び方なんだけれど。
「……ラ、ランディ、さん」
「はい」
大暴れする姿を見せられた後じゃあ、気持ちわる、じゃなくて落ち着かないし、何よりランディの身体はちっとも謙虚さがない。まるでこの部屋の主かのようにソファでくつろいでおいでなのだ。説得力がないよね。
座って話をしよう、と案内された王城の一室で楽しそうなのは、煌びやかな装飾に興味津津のテオだけである。
「それで、ランディさんはどうして人の世で子育てを?」
楽しそうなのはテオだけであったが、このなんとも言いづらい雰囲気をものともしていない人間もいた。
リヴィオである。
いつだってマイペースなリヴィオは、テオに向けて呑気に手を振っているではないか! テオが嬉しそうにきゃっきゃと喜ぶのを見てほころぶ顔は、満開の花を描くキャンパスのよう。なんて麗しく可愛らしいことか。ソフィは一瞬で幸せな気持ちになった。世界平和が意志を持って出現したおかげで、ソフィの脳みそくんは元気いっぱいである。
「この子は、人とドラゴンの子なんです」
「へえ」
みんなの視線が集まると、テオは注目されて嬉しいのかくふくふと笑った。かんわいいな。
「この子はどちらかというと人の姿の方が楽なようなので、たまに二人で出かけているんです」
なるほど。ソフィたちとランディが船で出会ったのは、その「お出かけ」の最中であったらしい。船に乗って国外ってのは、お出かけにしちゃ、ちと壮大であるが。ドラゴンの感覚なのでまあそんなもんなんだろな。
案外、人間が知らないだけでドラゴンはこんなふうに、あっちこっちにいるのかもしれない。だから、ドラゴンと恋に落ちる人間もいるのかも。
──それってなんだか素敵だわ。
「この子の両親のことはベラベラと話す気はないので割愛しますが……」
テオの両親に何があったのかを考えると「素敵」なんて簡単に言っていいことではなさそうだけれど。ソフィが読んできたおとぎ話には、本当のことが交ざっていたのかもしれない。
伝説も、苦悩も、愛も、ここにあるのだから。
「託された以上、僕はこの子がどちらの世界を選んでも良いように育てる義務があると思っています。どちらの世界も愛し、どちらの世界にも愛される子になるべきです」
ふわふわと、大きな手がまあるい頭を撫でると、テオは楽しそうに揺れた。
なんだかこう、ぽやぽやするあったかい空間に「それは」と少年の声が静かに言う。
「エラみたいに?」
先週はちょっと体調が悪く、また遅刻してしまいました。すみません!
後ほどもう一本上げますので、また読んでいただけましたら嬉しいです。





