73.親子の姿
二度目の投稿です。
読み飛ばしにご注意ください。
「エーリッヒ……」
エレノアが名前を呼ぶと、エーリッヒは眉を下げて笑った。
「仕方がない人だなあ」
「え」
「自分をもっと大切にしてくれと、いくら言っても聞きやしないんだから」
「うっ」
エレノアがピューリッツの前に出たことを言っているのだろう。エレノアにもちゃんと自覚があるらしく、小さく呻くと視線を逸らす。どっちが年下かわかりゃしない。すっかり、しかられた子どものようになっちまったエレノアに、エーリッヒは言葉を重ねた。
「ルールー殿は君を傷つけてしまうところだった」
「それは」
「それは僕に恩を売ったつもりですか?」
高々と嫌味を言い放ったルールーに、エーリッヒは「まさか」と驚いたように返した。
「ただ、決めたのです」
「決めた? 何をです」
エーリッヒが、エレノアの手を取る。
びく、とエレノアの肩が跳ねると、エーリッヒは落とすように笑った。
「エラはきっとこの先も、自分を顧みずに誰かを護ろうとするでしょう。俺が何を言っても、貴方が何を言っても、エラを引き止めることはできない。……まったく、なんて頑固で理想が高くてプライドが高くて」
ひどい言い草である。
エレノアは「うぅ」と唸りながら顔を赤くした。
だって、ねちねちと実に辛辣だが、エーリッヒの表情はとても柔らかい。しかも、口の中で飴玉を転がすみたいな声で言うもんだから、聞いているソフィもなんだか照れっちまう。
ソフィは両手をきゅっと口の前で握った。今更ながらに「これ聞いてて良いやつなのかしら」なんて思うソフィは、けれども耳を澄ませた。だって気になるじゃん。
「なんて素敵な人なんだろうって、ずっと思ってた」
「っ」
きゃあ! エレノアが息を呑むのと同じく、ソフィも声を飲み込んだ。
聞き間違いじゃないよね? 今素敵な人って言ったよね?? いや、早合点は良くない。何せエーリッヒは、エレノアをずっと褒めはやしていた。恋情なんぞ一切見せない澄んだ瞳で、真正面からエレノアへの好意を告げていたのだ。喜ぶのはまだ早い。もっと決定的な言葉を聞かなければ。
「エラ、ルールー殿」
ルールーは大きな目を細めた。ソフィは、ドラゴンの表情を見分けられない。けれど、不愉快そうに見えるのはソフィだけじゃないだろう。
エーリッヒは、表情よりもよほど雄弁に語るピリピリと肌を刺す魔力に臆することなく、ルールーに相対する。
「エラが誰かを、俺を護るというなら、俺はそんなエラを護れるようになる。もっと、強くなってみせる。だからどうか」
どうか、と声は凛と静かに続けた。
「俺の命が終わるその時まで、エラの側にいることを許してくれないだろうか」
「っ!!!」
言った!! 言ったわ!!!!
ソフィは飛び上がりたくなる心を堪えて、両手をぐっと握った。爪が刺さって痛い。痛いがなんだ。だってプロポーズだ。プロポーズだぞ。エレノアがだいじにだいじに想いを抱え続けた相手からの! エーリッヒのためにエーリッヒの側を離れようとしていた、そんなエレノアが! エーリッヒに! プロポーズされた!!
「エラが好きなんだ」
ぼぼぼぼ、とエレノアの顔がこれ以上ないくらいに真っ赤に染まっていくのを見て、ソフィは泣きそうだった。今すぐエレノアに駆け寄って抱き着いて飛び跳ねたい気持ちを、ソフィはぐぐぐっと堪える。
「エ、エー、リッヒ、きみ」
真っ赤な顔で、途切れ途切れに自分の名を呼ぶエレノアを見て、エーリッヒは目を見開いた。
いつも背筋を伸ばして凛々しく振舞うエレノアが、林檎もトマトも己の赤さに自信を失うほどの顔をして狼狽える姿を、きっとエーリッヒは初めて目にしたのだ。エレノアが大切にしまってきた、恋をする女の子の顔を。
ぱちん、と瞬きすると、エーリッヒは弾けるように破顔した。
「エラ、なんて可愛い顔をするんだい!」
「か、かわっ、な、な」
「困ったな。ねえ、なんでそんなに可愛いの? もしかして、ずっとそんな顔を隠していたの? ああ、なんて勿体ないことをしてきたんだろう! もっとよく見せてよ」
「や、やめてくれえ!」
エレノアの両手を握って、エーリッヒはとろけるような微笑みで下から覗き込んだ。それにエレノアは顔を背ける。
ぐい、と顔を向けた先では、真っ白のドラゴンの白けた瞳がエレノアを見ていた。白いドラゴンだけに。
「……だらしない顔をしてまあ……」
「う、うるさい!!!」
甘々でろでろの空気に、すっかり毒気を抜かれちまったらしいルールーは、盛大に嘆息する。ぶふう。諦めの風が吹く。どんまい。
頭が痛い、とばかりにルールーが顔を振ると「パパ」と声が降ってきた。
「パパ、おうち、かえる?」
つたない声に、ソフィはびっくりして顔を上げた。
見上げたお空に浮かんでいるのは、小さなドラゴンだ。小さい、といってもドラゴンなので、ソフィが両手を広げても足りんだろなってくらい大きいのだけれど、他のドラゴンたちと並ぶとずいぶんと小さい。子どもだろうか、って。え。
パパ?
「テオ、どうしてここにいるの」
別人、いや別ドラゴンでしょうかってくらいに、優しく丸い声を出すルールーに、全員が目をひん剥いた。
「パパもみんなもいなくてさみしくてね、そしたらお兄さんがいたからね、いっしょにおそとに出たの!」
「なるほど……どうやって巣を抜けてきたのかと思えば、テオでしたか……」
ルールーはずいぶんと穏やかな声でそう言うと、エレノアとエーリッヒに視線を戻した。
「エーリッヒ、とかいいましたか」
「はい」
ぴり、と再び響く硬い声に、エーリッヒは動じた様子なく返事をした。
「僕の魔法を、彼が切り裂いたのはおまえの仕業ですか」
「はい。俺の魔力は、他の魔法と相性が良すぎるもので」
「さぞ扱いにくいでしょうね」
はい、とエーリッヒは変わらず静かに言った。
「けれど、それが俺の魔力です。これからも向き合っていきます。自分の力で、エラを護れるように」
そう、とルールーは羽を動かした。ばさ、と身体を覆うと、光が舞う。
「その言葉、忘れるんじゃありませんよ」
そうして、人の姿になったルールーは、ふん、と鼻を鳴らしてエレノアの前に立った。
白い指先が、エレノアの頬を撫でて、
「いっいひゃいひゃいいひゃい!」
「黙りなさいこの考え無し!」
ぎりぎりと頬をつねった。思いっきり。しっかりと。頬をつまんだ指を、これでもかと捩じり、ひっぱり、不明瞭な音で叫ぶエレノアにルールーは声を上げる。
「ドラゴンの魔法の前に飛び出すなんて、二度とするんじゃありませんよ! 次におまえに流れるローディスの魔導力を傷つけるようなことがあれば、今度こそこんな国滅ぼしてやりますからね!」
「ごめんにゃひゃい!!!」
「いいですか、ドラゴンじゃなきゃいいんだな、なんて言ってごらんなさい。二度と、二度と口が利けないようにしてやりますから」
「いわにゃい! いわにゃいはやあ!!」
ははあ、さすがである。エレノアの言いそうなことなんざお見通しなんだね。しっかり先回りしてしかりつけた怖いパパに、エーリッヒは「まあまあ」と眉を下げて笑った。
「無茶をさせないように、俺も気を付けますから」
「これの馬鹿さ加減には際限がありません。せいぜい、後悔するといいですよ」
「しませんよ」
楽しそうに笑うエーリッヒは、ソフィにはなんだか凛々しく見えた。ルールーよりもずっと小さな子どもの身体なのに、ルールーと目線が同じ大人のようだ。
ルールーはどう思ったのだろうか。はん、と唇の端を上げて笑うと、ぱっとエレノアの頬から手を放した。そして、空を見上げる。
「で? あれを渡せと」
「そうしていただけると助かります」
肩をすくめて苦笑するエーリッヒの隣で、エレノアは頬を擦っている。とっても痛そう。
「もうなんでもいいですよ」
放しておやり、とルールーがどうでもよさそうに言うと、ドラゴンは「ちぇ」と残念そうな声を上げた。すると、魔導士が降ってくる。
ごつん。響いた鈍い音に重なり小さく呻くと、魔導士はそのまま動かなくなった。まあまあの高さから、なんとも無慈悲に落とされたのだ。無事だろうか。思わず心配するソフィをよそに、リヴィオはすたすたと魔導士に近づいた。
「気絶してますね。たんこぶくらいはできてそうですが、まあ大丈夫でしょう。念のために、回復魔法をかけておいた方がいいかと」
「わかりました」
アドルファスはリヴィオに頷くと、魔導士をよいしょと肩に担いだ。いかにも文官らしい見た目をしているのに、鍛えているらしい。苦も無く一人担ぎ上げるアドルファスに、リヴィオは「あれ」と首を傾げた。
「僕、運びますよ? そのために残ってたのに」
「いえ、暴れるようなら手伝っていただきたいところでしたが、運搬くらいは私一人でもできますから。部屋を用意しますので、お二人はゆっくりなさってください」
ずいぶんと世話になりましたからね、とアドルファスは笑った。
諸々片付いてスッキリした笑顔、ではなく「さて処理が大変だな」とうんざりした顔で。
「陛下、それでは後ほど」
ああ、とエーリッヒが短く返すと、アドルファスは時間が惜しいとばかりにさっさと背を向けた。はあやれやれ、と疲れた声になんとなく同情しちゃうソフィであった。ご愁傷様です。
「ルールー殿、厄介ついでに頼みがあるのですが、兄上のことについて改めて話を伺えますか? 正式な証言が欲しいのです」
「なぜ僕が、と言いたいところですが」
ちら、とルールーは空を見上げると、ふかあいふかあい溜息をついた。
「いいでしょう。おまえたち、先に帰っていなさい」
「しゃあねぇなあ。エレノア、また遊ぼうな!」
「うん」
頬を擦るエレノアに、ドラゴンはケラケラと笑い声を上げると一斉に羽ばたいた。ごお、と強い風が吹き、ソフィの身体がよろめく。と、すかさずリヴィオが手を伸ばし、ぎゅ、とソフィを抱き込んでくれた。あったかくて頼りがいしかない体温に、ふにゃんと溶けちゃいそうになって、ソフィは力を入れて踏ん張った。人としての形は保たねばならんので。
「さて、この姿は目立ちますね」
ドラゴンの姿が見えなくなると、ルールーはパチンと指を弾いた。
同時に、白く美しい姿は光に包まれて、それで、次の瞬間には、まったくの別人がそこにいた。
短い髪に、柔和な瞳。人間離れした美しさと対極にあるような、人間らしい人間は、すいと両手を広げる。
「おいで、テオ」
ルールーではないルールーが見上げて呼ぶと、「はあい」と一匹で残っていたドラゴンは元気良くお返事をした。子どもらしい、無垢で可愛い声のあと、ドラゴンはルールーと同じようにぱっと光る。
そうして、ぽすりとその腕に収まると、きゃらきゃらと声を上げた。
「パパ、もういっかい!」
「また今度ね」
「こんど? こんどっていつ?」
「うーん、1回寝たらかなあ」
「じゃあ、テオねるねっ」
「え、今?」
あのルールーからは、まったくちっともこれっぽっちも想像がつかない、ほんわかしていて、それでなんだか間の抜けた会話を繰り広げる姿は、あれれ? 既視感が。
はてと瞬いたソフィの脳みそくんは、記憶の引き出しを開け、ぺぺーんと船で出会った親子の姿を呼び出した。
そう、ソフィはこの二人を知っている。ソフィは、この親子と会ったことがある。
つまりは、エレノアとエーリッヒに出会うその前に。とっくの昔に、ソフィとリヴィオはドラゴンと出会っていたのであった。
「ラ、ランディさん?!」
ちょっとしたエラーで投稿が遅れてしまいました…!
私が寝るまで今日ということで…
待ってくださっていた方いらっしゃいましたら申し訳ありません!!





