71.悪事の露呈
今週、二度目の更新です。
読み飛ばしにご注意ください。
──光が爆ぜるような衝撃だった。
城とその周辺をドーム状に覆った防御魔法に、ドラゴンたちの魔法がぶつかって弾ける光と轟音は、けれど何も傷つけずに消えていく。
街を覆うようなルネッタの防御魔法とは比べ物にならん出来だ。神様の力を借りてもこの程度の範囲。だがしかし。
「上出来だ」
アズウェロは自分のことのように喜色を浮かべた。ソフィは、えへへ、と小さく笑い返す。
「アズウェロが魔法を使った方が早かったでしょうけど」
「弾いた魔法でドラゴンを消しても良いなら」
良いわけがない。
つまりは、ソフィの判断は間違っていなかったってことだ。そして、ソフィの魔法がドラゴンの魔法を弾いたのだ! ドラゴンだぞ、ドラゴン。誰に話しても、んなことあるわけねぇだろって笑われることだろうね。ソフィだって自分が信じられないんだもの!
城壁から高く飛び上がったアズウェロの背中から、恐怖も忘れて自分が放った魔法の結果を見届けたソフィは、燦爛たる景色に思わず笑みを浮かべた。
あんぐりと口を開けて自分を見上げる、アドルファスの顔をソフィは忘れることはないだろう。
ソフィとアズウェロはドラゴンの魔法を防ぎ、エレノアを城に送り届けたのだ。
「お待たせしました!」
思わず叫んだソフィの後ろで、エレノアが笑い声を上げる。
アズウェロが着地する前に、エレノアはアズウェロから飛び降り剣を掲げた。
「有難うソフィ!」
陽光を浴びる凛々しい背中は、ソフィが憧れてきた物語から抜け出てきたかのようだった。力強い麗姿は、容赦なく周囲の視線を攫い言葉を奪う。
誰もが黙する前で、エレノアの豊かなブルネットが風に揺れている。
エレノアは、ばさりとローブを脱ぎ捨てた。
「私はこの国の民を護る義務がある」
その声は、不思議とよく響いた。
特別な大きな声を上げているわけではない。それどころか抑揚なく静かな響きであるのに、アズウェロの背に乗ったまま石畳に着地したソフィにも、一語一句、しっかりと聞き取れる。
ほんの一瞬ソフィに見せた弱さなど、どこにも見当たらない。
そこにあるのは、黒鬼アレンと呼ばれた武人の背中であり、王と並び立つ者の背中であった。
「私は王の婚約者で、そして、」
びゅおお、と剣はまるで獣の咆哮のように音を立てた。
剣先を向けられた白いドラゴンが、わずかに目を細める。
「私は、人だから」
待て。今、エレノアは何を斬り捨てた?
身体を満たす充足感から一転、背筋を駆け下りるような不安に、ソフィはアズウェロの背から降りようとするが、うまく力が入らない。べしゃりと崩れた身体が、もふんと毛に埋まってしまう。
「退いてくれないか」
いっそ恐ろしいほど静かな声に、ルールーは怒りの滲む声で言った。
「その王の兄とやらを差し出せば、それで良いんですよ」
「彼も国民だ。我らの王は、誰かを見捨てるような人ではない」
「へえ?」
ばさ、とルールーが翼を動かす。
ごお、と巻き起こる風に悲鳴が上がるが、エレノアはびくりともしない。
「っこの人間は僕の! いえ、私たちの巣を荒そうとしていた不届き物なんですが、不遜にも言うのですよ。自分たちのために働けと。それができぬなら素材になれと」
え?
ソフィはアズウェロの毛に埋もれながら、ドラゴンがぶらんぶらん揺らす魔導士を見上げた。何をしてくれとんだあの魔導士。ただでさえ、エレノアに呪いを掛けられたルールーは「そうだ丸ごと滅ぼしちゃえ」と烈火の如くお怒りなのだ。なぜ油を注いだ? ガンガンに放り込まれた燃料がごうごうとルールーの怒りを燃やしている。
「その全ては王の兄の指示だったと言ったんですよ。力をつけて、王を殺すのだと。それでもお前は、その男を庇うのですか」
「なっ」
場の空気に呑まれていた人々が、驚いたように声を上げた。丸々と肥えたいかにも貴族らしい風体の男は頭を抱え、アドルファスが下の方で小さくガッツポーズをしている。
「でたらめだ! なぜ私がそのようなことを!」
と、ここで怒鳴り声が響く。おやとソフィはアズウェロの上で顔だけを動かし、声の方を見やる。
灰色の髪を後ろで束ねた男が「爬虫類風情が!」とルールーの怒りに元気に火炎瓶を放り投げているではないか。嘘だろおい。はっはーん彼が噂のピューリッツか、などと納得している余裕なんぞない。誰かそいつを黙らせろとばかりに真っ青な顔で兵士たちが震えている。
「むぐ!」
「黙りなさいピューリッツ」
「殿下!!」
震える兵士たちの救世主は、思わぬところから現れた。
むぐむぐ、と呻くピューリッツの口を片手で押さえているのは、長い金髪に軽装の男。エーリッヒのもう一人の兄、ヴィクトールだ。一体どこから現れたのか、もうずっと前からそこにいたかのように「やれやれ」と呑気に首を振っている。
「ドラゴン殿、愚弟が申し訳ない。聞くに堪えない無礼を働いたようで、詫びのしようもないが」
「でっ殿下! 頭を下げてはなりません!」
でっぷりとした脂肪を揺らす男の叫びに、ヴィクトールは「なんで」と子どものように言った。
まあ、外交問題において国として簡単に非を認めてはいけない、という考えはソフィも知っている。足元見られたが最後、物流ルートだ関税だ資源だと搾り取られてしまい国力の低下に繋がるからだ。そもそも謝罪をせねばらならん状況になっているだけで不味いのに、取り返しのつかない深手を負いたい者はおらんだろう。まずは事実確認からせねばなるまい。
とはいえ、だ。
こちらに非があるなら速やかに謝罪するべきだとソフィは思う。それこそ取り返しがつかなくなる前に。
それはアドルファスも同じ考えなのだろう。
というか、好機とみたのか。
「殿下に謀反の疑いがあることは事実です。殿下は事もあろうに、子どもを使ったテロ組織をつくろうとされていました。倫理観の欠片もない、実に恐ろしい企てです」
アドルファスの言葉に、さらに周囲がざわめく。ざわざわと信望が薄そうなピューリッツの好感度がさらに下がっていく音に、アドルファスは口の端を上げた。
「な、なにを根拠にっ」
「殿下の指示で動いていた者を捕らえており、その旨が記された手紙もありますよ。おまけに、魔道士本人からの証言をそちらの御仁が引き出してくださいました」
先程のガッツポーズはなるほどそういうことかと得心がいくソフィの前で、アドルファスは貴族の男から視線を上げた。
「実行犯であることを、お認めになるのでしょう?!」
アドルファスの問いかけに、ドラゴンが身体をぶらんと揺すると、魔道士は悲鳴を上げながら叫んだ。
「そ、そうだ! 殿下に命令された! 城で働きたいなら言う事を聞けと! 私のような魔道士を他に雇う物好きはいないから、魔道士でいたければ従えと脅されたのだ!」
「デリウス貴様……!!」
ピューリッツは、真っ青になって震えている。
魔道士に裏切られることは、想定外だったらしい。
「っそれなら! それなら、私だってデートワールに請われたのだ! 子どもや卑しい血を引くものが王城を我が物顔で歩くことを許してはならない、私が国を救ってくれと頼まれた! 私は国を救いたかっただけだ!」
「でっ殿下! 私は、貴方様はこんな恐ろしいことをするお方でないと信じておりましたのに、私に罪をなすりつけるなど、なんと卑怯な真似をなさるのか!」
「貴様も私を裏切る気か!」
なるほど、泥沼状態であった。
知らぬ存ぜぬは通らぬと覚悟してくれたは良いが、三者三様に罪を押し付け合っている。いやいや全員アウトですよと不幸にもこの場に居合わせてしまった者たちの声なき声が聞こえた、というわけではなかろうが「くだらない」とルールーが唸り声を上げた。
「もう結構です。汚物が一匹二匹ではなかったということだけの話! こんな連中がのうのうと生きている事を許していた者たちが私の邪魔をしないでほしい!」
「痛いところをつかれたな」
アズウェロの言葉に、アドルファスが頭が痛いとばかりに額を押さえた。後手にまわり続けていたのは事実なので、なんとも言えないのだろう。
「誰が汚物だ!」
叫んだピューリッツは、「そもそも!」とエレノアを睨みつけた。
「呪いを受けているはずのお前がなぜここにいるんだ!」
エレノアは、「おや」と眉を上げる。
「それは極限られた人たちしか知らないはず。表向き、私は病に伏せっているはずなんだけれどなあ」
「あ」
芝居じゃあるまいに、露骨に「やっちまった」って顔で、ピューリッツはお口を手で押さえた。よくもまあ、こんなんで今まで隠れて悪事を働けたものである。エーリッヒたちは、これまで尻尾を掴めなかったと嘆いてけれど……。
あら?
ソフィは、すいとお空を見上げた。
魔導士がぷらんぷらんと揺れているが、随分と静かだ。先程まで喚いていた姿と、なんだか噛み合わない。
え、あれ?
ソフィは胸に広がる違和感に、内心で首を傾げた。
三人が怒鳴り合う姿は、エーリッヒとアドルファスの手を掻い潜り続けた頭脳派とは思えない。うっかり三人衆とか、おマヌケ三人衆とか、なんかそういう幼稚なお名前をつけたくなる体たらくではないか。子どもを洗脳しようとか、街一つ催眠にかけてやろうとか、そんな大それたことを思いついて、秘密裏に実行する能力と頭脳が本当にあるのだろうか?
その違和感を口にしようと、ソフィが視線を戻した瞬間。
「お前さえいなければ、さっさとあいつを殺せたのに!!!!」
ピューリッツが走り出した。
とっくにピューリッツから手を離していたヴィクトールは「馬鹿か」と呆れたように言う。だって、ピューリッツの手にある剣は、エレノアを狙っている。エレノアだぞ? ピューリッツの背丈と変わらないサイズの剣を肩に乗せ、ドラゴンの前に堂々と立ちはだかるエレノアだぞ? 悪事がバレたピューリッツは命乞いをする場面だ。彼の剣がエレノアに届くなどと、誰が思うだろう。阿呆だ馬鹿だと指さして大笑いが起きてもおかしくない。
ただ、それは感情論の外にある。
己とエレノアの力量を測れずにピューリッツが走り出すなんざ誰にも予想できなかったように。
エレノアに剣を向ける愚かさが我慢ならぬことも、目の前で誰か傷つけられることが我慢ならぬことも。
それは誰にも予測ができなかった。
「エレノア!!!!!」
そう。
怒りに目を染めたルールーが素早く魔法を放ち、ピューリッツに届くその前に、エレノアが飛び出すなんて、ソフィは思わなかったのだ。
私の安否をご心配くださっていた方がいらしたので少しだけ…。
あんまり自分の気持ちを言葉にするのが得意ではないので、ぐるぐる考えても仕方がないといつも通り更新することにしました。
少しでも、異世界で旅をしている気分になってもらえたら嬉しいです。





