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【書籍化&コミカライズ】婚約者の浮気現場を見ちゃったので始まりの鐘が鳴りました  作者: えひと
第3章:花が咲いちゃったので新しい旅の始まりの鐘が鳴りました
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69.諦めるにはまだ早い

 気絶してぇな。

 はは、無理ですけど。笑うとこですよお客さん。いやお客さんて誰だよ。


 一瞬のうちに頭ン中でくだらぬことをひとりごちるが、しかし、駆け巡る走馬灯がそれを許しはしない。世界で一番可愛くて愛らしい妻が生きる国を、世界で一番可愛くて愛らしい娘が生きる世を、アドルファスは何が何でも守らねばならぬ。

 

「って走馬灯じゃ死ぬだろが」


 死んでたまるか。

 アドルファスは口の端を上げる。笑っていられる状況ではないが、笑わねばやってられん。そういう心境であった。



 だって、ドラゴンの群れの急襲を受けているんだもの。



 は? はあ? なんだそれ? 人に言えば「寝ぼけてんのか」と笑われそうだし「仕事のしすぎだ」と心配されっちまうかもしれないが、残念ながら、いやはや誠に残念ながら、事実である。現実である。破壊された城壁に「修繕費……予算案組み直しだ……」と残業を憂いている場合じゃないのだ。

 現在進行系で目の前で起きている事象に、アドルファスの脳みそは思考を放棄しようとくだらぬことばかりを言語化しやがる。


 いや、だって、ドラゴンだ。

 物語の世界の産物だと誰もが思う、伝説の生き物が、目の前に。団体様で入国。ふざっっっっっけんな。これが夢じゃなきゃなんだってんだ、えぇ? おい。こんなことがまかり通ってちゃ、日々の生活が馬鹿馬鹿しくなるじゃないか。アドルファスは日々、現実的に理論的に、推論並べて証拠を探して紙に記して根回しして、よく回ると悪評だらけの舌を回して、そうやって小さなことからコツコツと、肥えた身体をたぷんたぷん揺らす貴族やら、足元を見ることに余念がない他国の悪辣どもと渡り合っているというのに。


「国王の二番目の兄とやらを出しなさい」


 ドラゴンの一声は、アドルファスの地道で面倒な仕事を薙ぎ払う。ああ、くそったれ。


「さぞご高名なドラゴンであるとお見受けいたします。失礼でなければ、殿下をと望まれる理由を伺ってもよろしいでしょうか?」


 深く頭を下げ、アドルファスは声を張り上げた。

 向こうは上空、こちらは屋上といえど石畳の上に足を下ろす地べたの生き物。足元に声が落ちることを虚しく思うことすら愚かしい。精一杯の礼を尽くすアドルファスに、ドラゴンは「へえ」と薄く笑った。


「おまえは話がわかるようですね。顔を上げなさい、名は?」


 魔力の高いものに真の名を渡してはいけない。

 アドルファスは幼い頃から魔女である母にそう言い聞かされ育ったが、自分よりも力の大きな相手に虚言が通じるわけもない。何より、ドラゴンは潔癖な生き物だという。いやアドルファスが、というかアドルファスの知る限り人類がドラゴンと相対した「記録」というものはないから、物語のそれが事実であるかは知らないけれど。

 少なくとも、この真っ白で美しく高慢そうなドラゴンに嘘は悪手だろう。会話ができるならば、とアドルファスは「恐れ入ります」と頭を上げた。


「国王の補佐をしております、アドルファスと申します」

「そうですか。ならば国王の兄とやらを連れてきなさい。できないなら皆殺しです」


 会話できねーじゃん。アドルファスの話を全然ちっとも聞きそうにない慇懃無礼な声に、アドルファスは叫びそうになってにっこり笑った。


「愚鈍なる私めに、その理由をお教えいただけませんか?」

「なぜ?」


 なぜ? なぜかー。そうだよなー。うん、そりゃあそう。

 アドルファスは思ったが微笑んだ。ひい、と隣で大臣が悲鳴を上げる。アドルファスは顔面が怖いと評判なのだ。仕方がない。いや、仕方がないのか?


 だって、アドルファスの顔が怖いのはアドルファスのせいじゃない。

 ドラゴンに育てられたというエレノアが、国王の兄の手による魔道士に呪われて、それを知ったドラゴンが怒ったとしても、アドルファスのせいじゃない。

 後ろにいるドラゴンが、その魔道士をぶらぶらと揺すっていても、アドルファスのせいじゃない。


 だったら良いんじゃないか?


 アドルファスは思った。

 国王エーリッヒとその婚約者のエレノアが集めた証拠を元に、寝る間も惜しんでピューリッツを裁判にかける準備をしている。おかげで、最愛の妻と娘に会えていない。それでも国のためだと日に日に凶悪になる(ツラ)をぶら下げて走り回る日々を、ドラゴンの群れという暴力的で無茶苦茶なものが蹴散らしてくれるという。


 良いんじゃないか?


 アドルファスは疲れていた。

 妻に会いたい。娘に会いたい。小リスのように可愛らしい妻に名前を呼ばれたい。ぴゃ、ぴゃ、と短い舌で小さな口で鳴き声のように自分を呼ぶ娘の声を聞きたい。


「なんで俺がアレを庇わなきゃなんねぇんだ?」

「なっ、得体のしれないものに屈するというのか!」


 もうなんだか全てが馬鹿々々しい気分で言えば、隣で大臣が喚くので、アドルファスは瞬いた。


「ほう、貴殿は国の安全より、国のプライドが大事だと仰る」

「そういうことではない! 貴様、まさか高貴なる殿下の御身を秤にかけているのか!」


 秤にかけているのはアドルファスではなく、上空から睨みをきかせているドラゴンである。そして、その種を撒いたのがピューリッツであれば、丁寧に育てたのもピューリッツだ。知るかっての。ね。


「殿下は農業がお得意なようで」

「貴様……!」


 アドルファスの言わんとすることがわかった時点でお察しであるが、尚もピューリッツを庇おうとするあたり、このでっぷりと蓄えた脂肪はピューリッツから与えられる蜜でできてるのかもしれない。

 前々からこの男が気に入らなかったアドルファスであるが、小狡いこの男とピューリッツの繋がりは掴めないままであった。

 案外これは良い機会なのでは、と思ったのはアドルファスだけではなかったらしい。


「お連れしてまいりました!!!!」


 快活な声にアドルファスが振り返ると「無礼だぞ! 放せ!」とピューリッツがわめいている。ぎゃんぎゃんと寝不足の頭に響く汚い罵声に、アドルファスは声を上げた。


「殿下をお連れしました! 何を望まれるのですか!」


 ドラゴンの群れの望みはエレノアが呪われたことへの報復だ、というのはアドルファスの推論にすぎない。が、そうでなければ幻想の中に生きるドラゴンがわざわざ群れで押しかけてくる理由がわからない。

 それに、アドルファスなら娘が呪われたとしたら、その魔導士を楽には死なせてやらない自信がある。

 ドラゴンがピューリッツをどうするのか、知りたいような知りたくないような気持ちで問うアドルファスに、ドラゴンはばさりと羽を広げた。


「謝れ」

「なぜ私が!」


 ピューリッツはぎゃいぎゃいと喚く。ドラゴンはそれにうるさそうに目を細めて、「へえ」と牙を見せた。


「心当たりしかないだろうに、良い度胸ですねえ」

「っおい! このまま殿下をこのまま化け物に渡すつもりか!」


 隣から大臣に怒鳴られ、アドルファスは何が問題だろうかと口には出さずに耳を塞いだ。

 化け物、などと。

 子どもを兵士にしようと企んだクーデターの主犯格と、縁ある者のために牙を見せるドラゴンのどちらが果たして化け物なのだろう。なあんて。

 決まってらあな。


「おとなしく謝罪をすればいいだけでは?」


 本当に謝って済むのかは、知らないけれど。


「ふざけるな! 私が何をしたというのだ! 私が! なぜ、爬虫類ごときに頭を下げねばならん!」


 いきすぎた馬鹿ってのは、害悪にしかならんらしい。

 アドルファスは、今度こそ走馬灯が駆け巡った。

 状況がまったく読めていないピューリッツが不遜極まりない叫びをあげ、幾人かが同調し、そして、ドラゴンは、「ああそう」と、まるで興味がないように言った。


「そう、そうだろうねぇ。おまえのような愚図は、そうだろうと思ったよ。改心するのでは、などとちょっとでも思った僕が愚かだった。そうでしょう?」


 ドラゴンは、そう言って酷く楽し気に後ろを振り返った。

 ドラゴンたちが頷くように、ばさ、と羽ばたく。その瞬間。


「防御壁! 展開しろ!!」


 ピリ、と肌を刺すような魔力の渦とともに、数え切れないほどの魔法陣が浮かんだ。

 アドルファスは駆け付けていた魔導士たちに向かって叫ぶと、自分も魔力を練った。けれど、魔女に鍛えられたアドルファスすら、ドラゴンたちが魔力を練り上げるスピードに敵わなかった。目の前でぐんぐん膨れ上がる魔力に、アドルファスは焦りを押し殺して詠唱を続けた。

 詠唱をなくせば威力が下がる。

 詠唱をすればスピードが落ちる。

 どうする? なんて迷いをねじ伏せて魔法石をしこんだ杖代わりの剣をかざせば、アドルファスの前にも魔法陣が浮かび上がった。だが、まだだ。詠唱を結ぶには早い。ここで詠唱を止めた大した効力の無い防御壁など、どのみち破られてアドルファスは丸焦げだろう。

 ひたすらに魔力を込め、練り上げ、術式を構築する。

 早く、早く、早く!

 頭の中で血管が切れそうなくらいにぎゅんぎゅんとアドルファスは思考を加速させる。その最中、光のような魔力が爆ぜた。


不可侵なる愛憐(アブソリーデナイル)!!!」



 空を割るような力強い声、身体を包むあたたかい魔力、城どころか街を覆うような巨大な魔法陣。

 詠唱すら忘れてあんぐりと口を開けて見上げるアドルファスに、白い獣の背に乗った少女は笑った。



「お待たせしました!!!」





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