57.転
今なんて?
飛ぶ鳥が驚いて気を失って落っこちた衝撃で意識を取り戻して一目散に逃げていく。そんな大絶叫で飛んできた言葉は、ソフィの聞き間違いでなければ愛の告白ってえやつだったような。え、嘘まじで。
わあ、とドラゴンたちは楽しそうに歓声を上げとる。ん、聞き間違いだったかな。
「なんですって?」
ピリ、と肌を刺すような声で言ったルールーに、ソフィは心の中で賛辞を送った。
ルールーの言葉は、「もう一度言ってみろ」という響きであったが、ソフィは「もう一度言って?!」という心境だったので。
「だから! ルールーが聞いたんだろう! なぜそこまでエーリッヒを庇うのかって!」
「それで、おまえ今なんて言いました?」
「エーリッヒが好きだからだ!」
聞き間違いじゃなかった!
ソフィは思わず両手で口を覆った。一言一句、はっきりくっきり告げられたセリフは正真正銘、愛の告白じゃないか!
一人でどこかへ行っちゃいそう。そんなソフィの心配も、自分の気持ちを絶対に口に出さないってあの横顔も、フルスイングでかっ飛ばす大声に、ソフィはエーリッヒの顔を見た。
ちらり。
「わ」
両手で塞いだはずのソフィの口から、丸い音がころんと転げていく。
だって。エーリッヒはお目目を大きく見開いて、さくらんぼみたいなお口をぽかんと開けて、それで、ぼぼぼぼと音が聞こえそうなくらいに、ぐんぐん真っ赤になっていくのだ。可愛いを通り越して体調が心配になるほどの動揺っぷりである。毛を逆立てる子猫みたいに身体を固くしている様は、かわいそうにすらなってきちゃう。
エーリッヒが隣で可愛そうなことになってんのに、エレノアはちっともまったく気づいていない。まず、本人を前に大声で愛を叫んだことも気づいていないような。
ぷっつんきた時の人間って、そういうとこあるよね。周りが見えていないし、自分の言語中枢も操縦不可。エンジンかっ飛ばす脳みそ君に成す術無し。ソフィには心当たりしかなかった。
エレノアは、燃えるような瞳でルールーを睨みつける。
「エーリッヒは、いつも冷静に、ただ前を見ている。私は、」
エーリッヒは、エレノアを見上げた。
「私は、そんなエーリッヒの背中を守りたいんだ」
「それで呪いを受けたと? 僕の手を煩わせておいて、随分と大きな口を叩きますね」
「!」
フン、と鼻を鳴らすルールーに、エレノアは気まずそうに眉を下げる。
「……それは、その、申し訳ないと思っているよ」
ルールーは、深くため息をつくと苛立ったように髪をかきあげた。
さら、と長い髪が指の隙間を零れていく。
「僕は、おまえたちの、愚かで無鉄砲で頑固で自己犠牲を厭わない馬鹿馬鹿しいところが大嫌いです」
おまえたち、と言ったその言葉に含まれた誰か。もう、ここにはいない、誰かの姿がそこにある言葉は、ソフィの耳にとても悲しく響いた。
エレノアとルールーが共有する、ソフィはまだ知らない、痛み。
「…………ルールー」
俯くルールーに向けて、エレノアは手を伸ばした。
長い指が、躊躇うようにルールーの肩に、そっと触れる──
ことはなく。
バッシイイイ!!と、そりゃあもうすごい勢いで弾かれた。
思い出に立たずむ二人の物悲しさなんざ、わずかたりと残さずに遠い彼方。灰になって散ったんじゃないかしらって大迫力に、さすがのエレノアも瞬き、エーリッヒはぎょっとした顔でエレノアの手を見ている。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
全員が凍りつく中、世界中の苛立ちを集めて音にしたような声が呻いた。
発生源は、多分、うつむいたまま左手で顔を覆うルールー。頭の先から足の先まで真っ白で現実味のない、美しい姿からは想像もつかない地響きみたいな声だけれど。
「僕はドラゴンだ」
「え、はい」
ぱ、と顔を上げたルールー以外に動く者はこの場にいない。
暴力的な苛立ちで空気を支配する、表情のないルールーに問われたエレノアは頷いた。なぜか敬語だ。
「人間など到底力及ばぬ、偉大なる存在だ」
「は、はい」
「なぜ僕が、人間ごときに感情を乱されなければならない?」
「ご、ごめんなさい」
おかしいな。なんだかエレノアがとっても小さく見える。
アズウェロは隣で「キレたな」と呑気に呟いているが、呑気にしていていいんだろうか。真っ白のルールーから放たられるオーラは、どす黒く禍々しいのですが。
「おまえは、その人間を害するものから、自分を犠牲にしてまで守ると言う」
「は、はい」
「ならばそれを、全て消せばいい」
「は……いや、は?」
今なんて?
頷きかけたエレノアと一緒に、ソフィも目をかっぴらく。
今、この美しいドラゴンは、なんと言っただろうか。消す。それを。いや、それって??
「ル、ルールー?」
「国なんざ滅べばいい」
「ルールー?!」
ドラゴンに滅ぼされた国、或いはドラゴンの脅威から国を護った英雄。そういう物語は、古今東西あっちこっちにある。王妃からこっそりソフィーリアに贈られていた冒険譚にも、そういうものはたくさんあった。国を守る立場にあるソフィーリアが、国の危機を描く話に、呑気に胸を高鳴らせていたのは、それが作り話だからに他ならない。
そこに住まう人々の死なぞ描かれない、ハッピーエンドがお約束だからこそ、起承転結の「転」として楽しめるのだ。
目の前で起きてもワクワクしとったら、とんでもないイカれ野郎ではないか。
だから。
「やめろルールー!」
「エレノア!」
「ソフィ?!」
ソフィが見覚えのある魔法陣をルールーが浮かべて、周りのドラゴンたちが「しょうがないなあ」とそれに倣って、エレノアがルールーに手を伸ばした時、ソフィは思わず飛び出していた。
やめておけ、と冷静な自分が止めるのに、ついつい言語どころか行動も制御能力を失うのは、ソフィの悪い癖だ。
しまった、と思った時には遅かった。
傍観に徹していたリヴィオの驚く顔を最後に、ソフィの視界は一面の青空に変わっていた。





