55.乱高下にご注意ください
「ああ、おぞましい」
「っ!!」
ずるり。
ルールーがエレノアの身体から掴み出したそれが、黒くどろどろに溶けた足で藻掻いている姿を見たソフィは小さな悲鳴を上げ、思わずリヴィオの腕にくっついた。
きもっっちわるい。
心底、本気で、どうしようもなく、気持ちが悪い。
ぼたぼたと、黒い何かを落としていくそれは、ムカデのように足が多くて、幼虫のように丸い身体で蠢いている。
これほどまでに人の嫌悪感を煽るものがこの世にあるだなんて! 知りたくなかったような、知ってよかったような。複雑な胸中はさておき、嫌悪感に耐え兼ねたソフィが、ぎゅうとリヴィオの腕を握ると、「ふ」と頭上から笑い声が落ちてきた。
「?」
ソフィが見上げると、リヴィオは眉をへにょんと下げる。
は? ソフィはびっくりした。可愛い。かんわいい。一瞬で目も心臓も脳みそも一瞬で浄化される可愛さだ。
しかしまあアレを見てよく笑っていられるもんである。
すごいわ、と見上げるソフィに、リヴィオは「笑ってごめんなさい」と小さな声で言った。
「可愛くて」
「? あ、あれが……?」
んな馬鹿な。いくら可愛いリヴィオのお口から出てきた言葉だつっても、さすがに美的センスを疑う事態である。
凍りつくソフィに、リヴィオは「違いますよ!」と眉を下げた。
「ソフィです! ごめんなさい、僕にくっついてくれるの可愛いなって思っちゃったんです!!」
「もう! リヴィオったら!」
いやあ、そりゃあ、まあ、ねえ。いつでもソフィしか見ていないリヴィオに「はーもう好きだー」と浮かれ脳みそくんはお喜びですけども?
ルールーの美しい手に握られたそれを目の当たりにして、ソフィはそれどこじゃないのだ。
見た目が気持ちが悪い、とただそれだけならば、ソフィだって取り乱しゃしないさ。そうじゃなくて、肌がざわざわする嫌な魔力が漂っているのだ。むしろリヴィオはなぜ平気なのだと問いただしたいくらいである。
実際、ルールーは鼻の上にまで皺を刻み、それはもう不愉快極まりないといった顔をしているのに。
あんなものが、エレノアの体の中にあっただなんて!
「あぁあぁ、なんとまあ、不細工で気持ちが悪いんでしょう。こんな気持ちの悪いもの、二度と僕に触らせないでください」
そう言って、ルールーはそれを持ち上げた。
ぼたぼた、ぼたぼた、黒い何かが落ちていく。そして。
ルールーは、口を開けた。
「あ!」
「あ」
ソフィとリヴィオの間抜けな声を、ルールーは気にもとめない。あんぐり口を開けっちまうソフィなんざおかまいなしに、おいおい嘘だろう。
ぼたん!
黒いそれは、ルールーの口に落ちていった!!
ごくん、と嚥下する細い喉は冗談みたいに白い。
「た、食べたんですか?!」
「お腹こわしますよ! ぺっしてくださいぺっ!!!」
これにはリヴィオも驚いているし、ソフィも礼儀を落っことして叫ぶが、ルールーは眉を上げただけだ。
「この小娘と一緒にしないでください。これくらい、ドラゴンにはなんでもありませんよ。まあ、愉快ではないですけどね。その辺に捨てて、ドラゴンの巣に不浄な魔導力を混ぜる方が気に入りませんから」
「我もできるぞ」
「張り合わないで?!」
「ルールーって、意外とがさつだよなあ」
「うるさいですよ小娘」
呑気な声を上げるエレノアに、ルールーは「いいですか」と低い声を出すと、とルールーは手を振った。白魚のような指先が空を撫でると、キラキラと光が弾ける。蝶々のように舞った光の粒は、地面で呼吸をするように蠢いている黒いアレに着地すると、パア、と強い光を放った。
眩しい、とソフィが思った次の瞬間には、光も黒いアレも、なんとまあ綺麗に消え去っているではないか。
生まれて初めて目にするドラゴンの魔法に、ソフィは思わず簡単の声を漏らした。
「すごいわ!」
「我もできるぞ」
張り合うアズウェロは、ソフィが頭を撫でると「むふん」と自慢げな声を上げた。可愛い。
「次にあんなものを僕に触らせたら、承知しませんからね」
「うん、もう呪いを受けるなんてないようにする。心配してくれて有難う」
「少しは人の話を聞きなさい」
チイッ!! とルールーはすごい迫力で舌打ちした。舌打ちってそんな音するんだ? というくらいの音量なので、ソフィはまじまじとルールーの口元を見てしまう。見た目は人と変わらんが、舌がドラゴン仕様だったりするんだろうか。ドラゴン仕様の舌ってなんだ? いや、ほら猫とかザラザラだっていうし。ドラゴンも何か、人にはない特徴があるのかもしれない。それによって、器用にも大音量の舌打ちができるのではなかろうか。
「エラ、もう大丈夫なんだね?」
ソフィがドラゴンの舌の謎について妄想、いやいや考察をしていると、エーリッヒが躊躇いがちに言った。
それは、ソフィが初めて聞くエーリッヒの声だった。
いつも冷静で、時にはエレノアを叱り飛ばし、或いは静かに冷気を漂わせるエーリッヒらしからぬ、弱弱しくも儚げな声。
「本当に?」
王ではない、ただの少年の声だ。
「ああ」
エレノアは、くすぐったそうに微笑んだ。
「なんていうか、思い出せそうで思い出せなかった言葉がわかってスッキリしたときのような爽快感だ」
出てきた言葉はなんとも軽かったが。軽すぎて、勢いよくエーリッヒの顔面にぶつかっちまったが。
エーリッヒは面食らったように目を見開いた。ぽかん、とする顔は随分と幼くて、ソフィはそわそわとした気持ちが心に満ち満ちたのでアズウェロの頭を撫で撫でた。ふわふわふわ。
「心配をかけてすまなかった」
可愛いわ!
ソフィはアズウェロを撫で撫で撫でた。
だって、エレノアが嬉しそうなんだもの。ぽわん、とお花が咲いて飛んで、そう、春だ。春が舞っている。恋する女の子の顔って、なんてなんて可愛くて、落ち着かない気持ちにさせるんだろう。
エレノアが黒い剣を置いて女の子になれるのはエーリッヒの側だけで、エーリッヒが王の冠を置いて12歳に戻れるのはエレノアの側だけなのだ。
「っ」
この気持ちをどう言葉にすればよいのやら。いや、ソフィが言葉にする必要はまったくちっともないんだけど、言語化できない気持ちってのはどうにも胸がつっかえる。たまらん気持ちの置き場がなく、ソフィはひたすらアズウェロを撫でた。
「主、毛が抜ける」
「ごめんなさい!!!」
それでもソフィの手はとまらん。もふもふもふもふもふもふ。
ああ、誰かわたくしを止めて!
なんて阿呆な願いは、最悪の形で届いた。
「エラ、だって? エレノア、その人間はなんですか?」
夏も秋もぶっとばした、凍てつくような冬の声。
「おまえ、そもそもなぜ呪いなんてものを身の内にいれたのです」
「えーっと」
ううむ。
極寒の気配。
またも間が空いてすみません…
物語の気温差よりも激しい令和ちゃんの突然の秋スイッチと、なぜか昼間は切り替える夏スイッチ。感染症の緩和でやってきた繫忙期。全てを前にした私は無力でした。
そんな私もベッドと同化ばかりしていられない10月14日がやってきました!
ついにコミカライズ発売です!!!!!
いつも応援してくださる皆さま、本当に有難うございます。
表紙が可愛い、中身が可愛い、描きおろしが可愛い、特典が可愛い!!可愛いのお祭り騒ぎなんです!!!
多すぎる特典と、その話?!と笑っちゃった描きおろしが、本当に本当に可愛いのでぜひゲットしてください。本当に可愛いんです…





