52.いじっぱり
ソフィは、エレノアとエーリッヒのことが心配で心配で昨夜は眠れなかった───。
なんてこたなく。
エレノアが水を汲みに行っている間の気まずい沈黙の間に力尽きていた。朝までぐっすりスヤスヤピーであった。
ちなみに、ソフィとエーリッヒは、旅の初日から火の番を止められている。
戦場を知る騎士二人から、「体力を回復することも重要な仕事だ」と説き伏せられ戦力外通告を受けているのだ。意地を張ったとて役に立たんのでは意味がない。人にはどうしたって得手不得手があるものだし、ソフィが「王妃」になるために努力し続けただけの時間を、二人は騎士であるために使ってきた。同じ土俵に立とうと思うだけ、失礼ってもんだろう。
とはいえ申し訳ない、と顔を見合わせたソフィとエーリッヒであったが、結局は疲労に勝てず、ソフィは初日からグースカピーであった。いやはや、図太くなったもんである。繊細でか弱いソフィーリアはもうこの世にいないのね、などと冷たい水に手を浸した浮かれ脳みそくんが黄昏れてみたりしたが、そもそも人を人とも思わん連中に囲まれても「まあしょうがないわね」で飲み込んで生きてきたので、案外、ソフィーリアは図太いのかもしれなかった。じゃなけりゃ、ここまで生きてこれなかったやもしれぬ。
そういうところを父親から受け継いでいるのかもしれない。
どんなに切って捨てようが引き千切って駆け抜けようが、ソフィーリアはあれの血を引いているのだ。
どれだけ捨てたいと思っても捨てられない。
どれだけ手放し難くとも、別離はやってくる。
それが家族なのかもしれない。
難儀なことである。
ま、そんな風に思うのは、思えるのは、ソフィがあの「家族」から遠い遠い場所で生きているからだ。
だーって海を渡ってんだもの。あのちっちゃな世界で生きていたソフィーリアが聞けばひっくり返るかもしれんな。重たいドレスをばっさあと広げて、弾け飛ぶピンヒールのパンプス。見上げた先はきっと、星が輝く眩き夜空だ。
小さく笑ったソフィは、顔を拭うと抹茶に声を掛けた。
「マッチャさん、皆さんお水は飲んだかしら」
「ひひん」
こっくりと頷くように、賢いお馬さん方は頷くように頭を振る。気品すら感じる優雅な佇まいに、ソフィはにっこりと微笑んだ。
さてさて、優雅なお姿と一変。
勇猛さも兼ね備えた馬たちは、その日も主を乗せて豪快に森を駆け抜けた。
迫りくる木々もなんのその。障害物があってもスピードを落とさない馬と走り抜ける、スリリングな旅がついに終わりを迎えたのは、その日の午後だった。
ちなみに昼食のメニューは、牛肉のステーキと具沢山のトマトスープだ。
噛むたびに肉汁が溢れる肉も、大きくカットされた芋がほっくほくのトマトスープも、そりゃあもう美味いのなんの。落っこちたほっぺたに根っこが生えるんじゃないかしらってくらいの美味しさに、ソフィの口内から体中に幸せが走り抜けた。甘さすら感じる肉の旨味を引き立てるスパイスの刺激と、トマトの酸味が織りなすその幸福といったら! 食事ってなんて素敵なの!! とソフィは叫び出したいくらいだった。美味しいは楽しい。
「この森を抜ければ、我が国ルディアだ」
馬を止めたエレノアがそう言って振り返ると、ソフィを乗せたアズウェロが「なるほどな」と地面をぽむぽむと叩いた。
「魔力が豊かだ」
「それはドラゴンがいるから?」
ソフィが問うと、アズウェロは「さてな」と笑う。
「無関係ではなかろうが……豊かだからドラゴンが居着いたのか、ドラゴンがいるから豊かなのか……まあ興味はないな」
「なるほど」
あれだ。卵が先か鶏が先か、ってやつだな。
ソフィにしてみりゃ、卵が先にあってそこから鶏が生まれオムレツが美味しい今があるのか、鶏が先にいて卵を産んでくれたからオムライスが美味しい今があるのか、興味深いけれど。知ってどうすると言われれば、返事に困るんだものなあ。「そうなのね!」とただ知識欲が満たされるだけだ。
己の欲に他者を巻き込むほどの図太さは持てなかったソフィが大人しく頷くと、
ふいに。
ふいに、肌が、ちく、と何かに、刺されるような。小さな虫が、肌を噛むような。
そんな違和感が、全身を駆け抜ける。
ソフィが顔を上げたその時。
「!」
ギイン!! と鼓膜が破れんじゃねぇのかって音が響き渡った。
反射で身をかがめるソフィは、それでも目を閉じない。頑張ってかっぴらいた目に映ったのは、剣を盾にするリヴィオの背中だった。
大きくて頼もしいその背中が、輝いている。
正確には、光を放っていたのはリヴィオが弾いた何かが、だけれど。
「やっぱ見張られてましたねぇ」
笑いさえ滲む声には、焦りの色はない。
いつでもどこでも変わらぬリヴィオの背に、ソフィはほっと息を吐いた。
ほ、と吐息が空気に馴染むその瞬間。
「あそこだ!」
エレノアが叫んだ。
そして、鋭い眼差しの先に、黒いローブの男が降り立つ。
どこから来たのか、どうやって現れたのか。思考が追いつかないソフィの前で、フードを深く被った男が叫んだ。
「エレノア……! なぜ貴様がここにいる!!!」
見た目をいくら変えようとも、身体に宿す魔力、身体を構成する魔導力は変えられない。
そもそも、ソフィがエレノアにかけている魔法は、視覚に影響を与えるようなもので、本人そのものを変える力はない。美しき魔女に教わった魔法とはいえ、ソフィは彼女の足元にも及ばない。
魔法を使って間もないソフィの精一杯など、人の記憶を改ざんするような魔力の持ち主を前にしては、無力であった。
「アレン!」
それでも、無駄な抵抗だとわかっていても、だけどソフィはその名を呼べない。
エレノアとエーリッヒは城にいるはずで、ここにいるのはアレンとリックという我儘お貴族様なのだ。認めてなるものか、とそれこそ子供じみた意地を貫くソフィの前で、エレノアは飛ぶように馬を降りた。
「久方ぶりだな、魔法使い殿」
小細工などもう通じない。
それをわかったエレノアのその声の、瞳の、なんと凛々しいことか。
瞬きすら間に合わぬほどの速度で、エレノアは大きな剣を手にして微笑んだ。
「待て、お前、その魔力、」
男はエレノアの魔力を知っている。
けれども、それはドラゴンの、得体のしれない強力な魔力を知る前の話だ。
エレノアの本当の魔力を識ったのは、きっと、この瞬間が初めてだったんだろう。
驚きに見開かれた目を、エレノアは笑い飛ばした。
「そうさ! お前が探しているのはドラゴン! お前が求める道を識るのは私! この私だけさ!!」
青空を割るような快活な声は、大剣を地に突き刺した。
「さあ! 私を捕まえてみせろ!」
そして、ソフィの世界は一転する。
先週投稿できなかったので、休日の間にもう1話投稿します…!
また読んでいただけましたら嬉しいです。
ところで、皆様コミカライズは読んでいただけましたか…?!
ついに…ついにあの二人が登場です!!!!!!!
可愛い可愛い二人も最高なのですが、それまでの浮かれタップダンスな空気を変える、あのコマのかっこよさをぜひ!ぜひ御覧ください……!!!!!!





