【100話記念! 読み切りパラレル】 逆転はじかね(後)
前編を本日更新しています!
読み飛ばしにご注意ください。
「じゃあ、やるよ」
和やかさなんざ、とうの昔にすり潰されたお茶会で、レアオフェルの声はとっても明瞭に響いた。
けれど、ソフィーストは「今なんとおっしゃいました?」と問いかけた。
「お前にやる」
「は?」
「ソフィースト、そんなに気に入っているなら、お前にその女をやると言っているんだ。お前が婚約しろ」
「は?」
最後の「は?」は、リヴィオリヴィアを除く全員の声であった。
嘘だろ。マジか。こいつやりやがった。
そんな声が二重にも三重にもなって聞こえそうな、渾身の「は?」が響いた。ひとりひとりの声は小さくとも、集まるとこんな大きな声になるんだなあ。なんて。
んな呑気なことを言っている場合じゃない。弟に「才能がある」と言わしめたリヴィオリヴィアの剣さばきは、決断力と行動力が売りだ。瞬きよりも早く、次の行動を決めて行動に移すことができる瞬発力こそ、剣の世界でも社交界でもリヴィオリヴィアを輝かせるのだと、リヴィオリヴィアは知っている。
だからリヴィオリヴィアは、「は?」の代わりに叫んだ。
拳を握って。
「喜んで!」
「ひいっ」
ごお、っと風を切る拳の感触。そりゃあ勿論、リヴィオリヴィアはこの拳を思いっきり顔面に叩き込んでやりたかったけれど、こんなんでも王太子だもんな。殴っちまえば、うっかりじゃすまされん。
んなわけで、リヴィオリヴィアの拳は突風を起こし、レアオフェルは尻もちをついた。
リヴィオリヴィアは振り返り、ソフィーストに満面の笑みを向けた。
そうすれば、驚いたようなソフィーストの頬が、ああなんてこと! うっすらと色付いたのだ! なんて可愛い。なんて愛らしいのだ。リヴィオリヴィアの握りこぶしに力がこもる。
「なななな、何をする貴様、王太子を殴ろうとするなどっ」
「殴ろうとなんてしてません勢いをつけすぎたガッツポーズです」
「は、」
「王妃になりたいなんて言った覚えはありません!」
「え」
リヴィオリヴィアの後ろで、間の抜けた声がするが知ったこっちゃない。リヴィオリヴィアは、ソフィーストの目をじっと見つめた。
甘く煮詰めたキャラメルのような大きな瞳が、きゅる、と震える。
そして、ぱちんと瞬いた。
光が弾けるような瞬きの後、その瞳はきらりと強い光を灯した。
「誰か、紙とペンをお持ちですか」
「どうぞお使いください」
ウォーリアン家の人間は常に不測の事態に対応できなければならない。それは使用人や侍女も同じで、彼ら彼女らは、主のどんな要望にもすぐさまに応えられるように、あらゆる準備をしている。
ので、どこにどうやって持ってたんだ、というツッコミをリヴィオリヴィアはしないし、他の者は呆気にとられているので、ただ侍女の動きを目で追っている。
ソフィーストは顔色一つ変えず、リヴィオリヴィアの侍女からペンと紙を受け取ると、すぐに何かを書き始めた。
「な、なにをしているソフィースト」
「わあ!」
気になったリヴィオリヴィアは、ソフィーストの横から手元を覗いた。
そこには、レアオフェルとリヴィオリヴィアが婚約を望んでいない事と、レアオフェルがそりゃあもう口汚く、リヴィオリヴィアとウォーリアン家を嘲るように、ソフィーストとの婚約を命令した事が書き記されている。
大変に美しい字で、お上品に書かれた文書の嫌味さといったら、10歳子どもの作品とは思えない。
なんて格好良いのだろう。
リヴィオリヴィアはうっとりと書面を眺めた。
可愛いだけじゃなくて格好良いだなんて、完璧じゃないか。やっぱりどっかの国の王子様なんじゃないかしらとリヴィオリヴィアが惚れ惚れする書類を、ソフィーストはすいと押し出した。
「ウォーリアン嬢、サインを」
「はい!」
リヴィオリヴィアは、ソフィーストから受け取ったペンで元気良く名前を書いた。
ソフィーストには遠く及ばない、レディらしからぬハツラツとした字であったが、ソフィーストはそれを笑わない。ただじっとサインを確認する横顔は凛々しいばかりで、リヴィオリヴィアは危うくペンを折るところだった。危ない危ない。
「殿下、サインを」
「はあ?」
「殿下とウォーリアン嬢がこの婚約を解消したいとおっしゃっている旨を、陛下にお伝えするための文書です」
完成した書面に書かれていたのは、正確に言うならば「リヴィオリヴィアは、王太子のレアオフェルがウォーリアン家を馬鹿にしやがったので王命に従えません」という内容だったし、「王家は、ウォーリアン家を馬鹿にした事実を認めて、ウォーリアン家の希望に沿うよう謝罪を形にします」という内容だったけれど。
「なんだソフィースト! お前たまには良いことをするじゃないか!」
レアオフェルは喜色を浮かべ立ち上がると、こんなにも読みやすい文章を一文字たりと読むことはなく、サラサラリとサインをした。
その字がソフィーストに負けず劣らず綺麗なことにリヴィオリヴィアはショックを受けていたりしない。断じて。
「では、ウォーリアン嬢、殿下、もう一度内容をご確認ください。本当に、よろしいのですね?」
「はい!」
「くだらん。後は任せたからなソフィースト」
「承知いたしました」
レアオフェルは、書類に目もくれずさっさと背を向けて歩き出す。リヴィオリヴィアの騎士や侍女に羽交い締めにされ「殿下!」と叫んでいたレアオフェルの騎士たちは、慌ててそれを追いかけた。
ソフィーストの手から文書を奪おうとした騎士も、リヴィオリヴィアの騎士が一睨みすれば腰を抜かして這って行った。どんまい。
リヴィオリヴィアは哀れな騎士を見送り、ソフィーストを振り返った。
「ロータス様、その、なんてお礼を申し上げればいいのか」
「お気になさらないでください。こちらは非礼を詫びる立場ですから」
「ロータス様が謝ることじゃありません」
「いいえ。殿下をお止めできなかったのですから」
「そんな」
そんなのってない。
ソフィーストは可愛くて、格好良くて、頭が良くて、字が綺麗で、優しくて、リヴィオリヴィアが知るどんな男たちよりも完璧な存在なのに、あの阿呆がしでかしたことに、一生、こうやって、頭を下げるつもりなのか。そんなこと、許されるわけがない。そんなのってあんまりだ。
じわ、と思わず視界が滲むリヴィオリヴィアに、ソフィーストは優しく目を細めた。
「あなたは立派ですね」
「え?」
「国のために、家のために、その責任を果たそうとしていらっしゃった」
「え! そんな、ロータス様に比べたら……えへへ」
リヴィオリヴィアは我慢できずにレアオフェルに言い返してしまったし、意気揚々と「こいつと結婚できるわけねーだろボケが」と書かれた書面にサインをした身であったが、褒められたので素直に喜んだ。ああ、ソフィーストのふっと笑うそのお顔の可愛さったら!
「それにとてもお優しい」
「優しいのはロータス様です!」
ふんぬと鼻息荒くリヴィオリヴィアが返せば、ソフィーストはこてんと首を傾げる。
「優しい?」
「天使のようにお優しいです!」
「初めて言われました」
ふふ、と笑うその顔に、リヴィオリヴィアは雷を落とされたかのような衝撃を覚える。
初めて言われた? こんなに素敵な少年が?? 周りの目は節穴か? 目玉じゃなくて頭を突き抜ける穴しかないのか?? それとも言葉をかける口がないのか??
「ロータス様の周りの連中ぶっ飛ばしましょうか?」
「なんでですか!」
「すみません間違えました。ロータス様の周りの方々の目とお口を剥ぎ取りましょうか?」
「表現が怖いんですが!」
「あれ?」
マイルドにしたつもりだったんだけどな、とリヴィオリヴィアが首を傾げると、ソフィーストはくすりと笑った。はあ、可愛い。可愛い。
「ウォーリアン嬢は冗談もお上手なんですね」
リヴィオリヴィアは冗談を言ったつもりはない。いたって本気であった。ついでに背後をちらりと見れば侍女は頭を抱えているので、多分、褒められるような事は言っていない。が。
「い、いえそんな! 滅相もないないですえへへ」
リヴィオリヴィアは素直に喜んだ。素敵な異性に褒められたのだから、そりゃあ照れるってもんよ。
「ウォーリアン嬢」
はい! とにっこにこのリヴィオリヴィアが元気よくお返事すると、ソフィーストは柔らかく微笑んだ。
可愛い。抜群に可愛い。春の日差しのように優しい微笑みは、リヴィオリヴィアの心をでろでろに溶かすには十分であった。
「今日は、本当に申し訳ありませんでした」
「いいえ! いいえ!! ロータス様とお話できて、その、とても嬉しかったです!」
リヴィオリヴィアがそう言うと、ソフィーストは、ぱちん、と瞬きして「良かった」と少しだけ頬を染めた。可愛い。可愛いが破裂する。リヴィオリヴィアは胸を押さえた。
「それでは、本日はこれで。ハンカチは洗ってお返ししますね」
「あ、」
「ウォーリアン嬢」
小さな背中に待っていかないで、と手を伸ばしかけたリヴィオリヴィアは、再び名を呼ばれて息を詰める。
それは、朝日のような瞳だった。
しんと静かで、美しい日差し。暖かさと、希望を告げるような。そんな、強くて優しい瞳が、リヴィオリヴィアを見ている。
「あなたの献身を無駄にしない──あなたが自由でいられる国であるよう、負けませんから」
ああ。ああ。ああ! これが! これが恋!!! これが!!!!
たった11歳の子どもが何をと笑われるかもしれない。みっともないと眉を潜められるかもしれない。
それでもいい。
今、一人で戦おうとするソフィーストを行かせるくらいなら、それがいい。そんな自分がいい。
リヴィオリヴィアは走った。靴を蹴飛ばして、ドレスの裾を翻して、それで、自分よりよっぽど細い腕を取って、踊り狂う感情のままに叫んだ。
「一緒に逃げましょうソフィースト様!!!」
*
さてその後。
ソフィーストごと書面を持ち帰ったリヴィオリヴィアの話を聞いた父オスニールは、大層お怒りになり、剣を片手に城に乗り込んだ。
その日のことは「王城危機一髪」と今も尚、語り継がれている。危うく城は一夜にして瓦礫の山と化すところだったらしいのだが、まさかまさか。ウォーリアン家はそこまで野蛮じゃないって。おほほ。
ウォーリアン家に迎え入れられたソフィーストは、次期宰相と謳われるほどに才覚を伸ばした。
ロータス家の当主はそりゃあもう悔しがったが、オスニールが剣を持ってリヴィオリヴィアとの婚約をまとめに行ってからというものの、ソフィーストの顔を見ただけで体調を崩すようになったので、まともに登城できずロータス家は衰退した。あれま。
おまけに何をどうしたのかロータス家の娘とレアオフェルは夜会の最中に破廉恥な逢瀬が見つかり、ロータス家とレアオフェルはまとめて北の領地に送られたというのだから、いやはや人生何があるかわからんね。
後ろ盾もいなけりゃ側で助けてくれる懐刀も失ったレアオフェルは、「ウォーリアン家を敵に回したうえに、貴族の名前すら覚えられないボンクラ」と早々に周囲から見切りをつけられ、女のバトルどころか勢力争いになるまでもなく王に見限られていたので、ロータス家と何か企んでいたのかもしれない。
まあ、んなこたリヴィオリヴィアにゃどうでもいいことなんだけれど。
「ソフィ様」
呼びかければ、最愛の婚約者が「なあに」と微笑んでくれる。
キャラメル色の瞳が、甘くとろけていく。
この幸せの前に、全ては些事だ些事。つまんないことは、丸めてぽんと放り捨てっちまえ。
どこで何をしていたって、どんな風に生きていたって、きっと何度だって恋をした。
タイミングも出会いも性別さえ違ったって、きっと、どうしたって恋をした。
これは、そんな二人のまばゆいお茶会のお話。
これはこれでおもしろいな、と思いつつ。
レアオフェルの婚約者がソフィじゃなかったら?
ソフィがもし家族に愛され自意識がしっかりしていたら?
リヴィオが騎士ではなかったら?
そんな「あったかもしれない」もしものお話でした。
次週から本編にもどります!





