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うそ

 暗闇から目が覚めたら、暗闇だった。埃っぽい。

 えっと、と考えようとするも、身体が痛いし、重い。考えが纏まらない。


「目が覚めたかい」

「……おばあさん」


 どうして、という思いが顔に出ていたのだろう。


「何、首を傾げてんだい。ここはあたしの店ん中だよ」

「えっと、あの……あれ? 私、どうしたのかしら……」


 はあ、と大きく溜息を吐かれた。


 身体をゆっくりと起こすと、確かに私はおばあさんの店に帰っている。けれど、私はハリスさんのところに行って……。


「ハリスさん! そうよ、おばあさん! ハリスさんが、火柱になっちゃう! どうしたらいいの!? 子供さんとハリスさんが!」

「落ち着きな!」

「どうしよう!! みんな火炙りに……も、もしかして、ここってもうあの世? 私、やっぱり力不足で神様に連れて行かれてしまったのかしら!? 実は天使に……いいえ、私、悪魔に連れて行かれたのねっ!?」

「落ち着けって言ってるだろう! 〈ウォーター〉!!」

「どうしよう! ハリスさんたちに謝って―――ふぎゃっ!!!」


 頭の上に水が振ってきた。


「落ち着いたかい?」


 びしょびしょに濡れてしまった髪を前が見えるよう、かきあげる。

 前髪の隙間からおばあさんを覗く。


「……ええ、少しは……あの、あの、それで……一体何があったの? 私やっぱり天使じゃなくて悪魔に連れて行かれたのね。それで絶望を見せるためにおばあさんがいるのね……私への罵詈雑言を並べようと……」

「全く落ち着いてないじゃないかい! なんで、あんたが悪魔に連れて行かれたら、あたしが罵詈雑言を言わなきゃなんないんだい……全く。あんたは『魔力切れ』になったんだよ。覚えてないのかい?」

「『魔力切れ』?」

「そうさ。火は消えて、冒険者達はハリスが倒したんだがね。ちゃんと、警備隊んとこに連行されたさね。にしても、あたしんところにあんたが運ばれてきた時は何事かと思ったら魔力切れなんて、あんた馬鹿じゃないかい? 自分の魔力量も分からないまま、全力で魔力を注ぎいれたらそうなるって教えといただろうに」

「…………え?」


 冒険者達が捕まったのは良かったけれど、あの華奢なハリスさんが筋骨隆々の冒険者達を倒した?


「こ、子供さんは無事?」

「……。無事だよ。あんたと違って、火傷一つ負ってないよ」

「……やけど?」


 言われて、始めて気づいた。

 身体がずきずきと痛いなあ、と思っていたのは足や手が火傷していたからだった。

 あの高温の火の壁の中にいたのだから、当然だ。必要な怪我だったし、こうして無事なのだからぐだぐだ言わない。


 けれど、そこで気づく。


 制服が焼けてる! ああ、なんてことだろう!

 火の粉も飛んでいたから、制服が焼けてもおかしくない。理解は出来るけれど、でも1枚しかないのに!


 この穴の空いたり、所々焼けたりしてしまっている制服は直して貰えるのだろうか。直してもらえるとして、その間、私は何を着て外に出ればいいのだろうか。


 ……まだ裸で外を歩く勇気はない。それとも、これは裸で歩けという神様からの天啓なのだろうか。


「あたしは治癒魔法は使えないからね、学園に帰ったら直ぐに保健室に行きな。分かったね?」


 おばあさんの言葉に意識を引き戻す。え、と目を瞬かせる。


「でも、軽い火傷だから大したこと……」

「分かったね?」

「……はい」


 カッ、と目を見開いたおばあさんの圧力にしぶしぶ頷いた。


 ひどい水膨れになっている訳ではないから、放っておけば痕になるかもしれないけれど大丈夫だと思うのだけれど。

 そう思った瞬間、おばあさんから睨みつけられて首をすくめた。


「ちゃ、ちゃんと行くわ」

「当たり前だよ! あたしが言ってなかったら、行かないつもりだったのかい?!」

「そ、そんな……。痛んだらちゃんと行った、わ。……たぶん」


 流石に痛みだしたら、ちゃんとカハール先生のところに見せに行ったと思う。「多分っ!?」とおばあさんが驚愕しているけれど、それより、子供が無事だったことにホッとした。子供の柔肌に火傷なんて痛々しい事この上ない。


「ハリスさんに火傷はあったのかしら」

「ないよ。あんたと違って、ちゃんと火のない所に後ろに下がってたからね」


 なんだか棘がある言い方だ。私は火を消すために前に出たのであって、好きで火に焼かれたんじゃないのに。


「何不満そうな顔してんだい! 生活魔法ライフマジックが一度も出来た事ない癖して、馬鹿やった自覚を持ちなっ!!!」


 怒鳴られて、ぐぅの音も出ない。


 確かに、少し、ほんのちょっと、僅かに、そう、本当にちびっとばかり……無茶をした自覚はある。結局、火の壁の中で意識を失う……失う?


「わたし……どうして、意識を失った、の」

「あんた、まだ理解できてないのかい!? 魔力切れだよ! 魔力切れ!!! あんたは魔法に大量の魔力を込めて、その場で気を失ったんだよ!!」

「うそ」


 口から漏れた言葉は一拍遅れて私の頭に届く。


 うそ。うそだ。


 だって、『魔力切れ』は『魔力』を使い切らなければ起こらないのに。

『魔力』は放出しないとなくならないのに。


「嘘なんてついてどうすんだい。そんで、あんたは大量の水を出して、魔力切れさ―――あんたは終に、魔法を使えたんだよ」


 静かに視線を合わされて言われた言葉に、呆然と私はおばあさんの赤い瞳を見返した。


「う、そ……」

「その様子だと、漸く頭に入ったようだね」

「わた、し……魔法、使ったの……?」

「それでちゃんと人を救ったのさ。よくまぁ、何も出来ない癖して無謀な事をするもんだよ。そんな図体してるから、胆も見た目と同じくらい据わってんのかね」


 呆れたような口調で言われても、返事をする余裕が無い。


 なんだかよく分からない。

 実感が全く無い。本当に私は魔法を使ったのだろうか。でも、私はここにいて。おばあさんは確かに、私が魔力切れだと言っている。けれど私はハリスさんを見ていないし、子供も確認していない。

 都合のいい、夢なんじゃないかしら。

 だって、私が魔法を使えたなんてそんなこと―――。


「ローズちゃん!」


 カランカラン、と扉が開く音がして、店の扉から飛びこんできたのはハリスさんだった。


「……ごめんね、うちが直ぐに対処しなかったから」

「はりすさん」


 見た感じ、どこにも怪我はなさそうだ。


「……ローズちゃんが壁を消してくれたから、なんとかなった。……本当にありがとう」

「壁を、けした? わたしが」

「子供も助かったよ。無事、親のところに送り届けたから」


 子供が無事だったのは良かった。けれど、そこも大切だけれど、私の意識を奪っていたのは。


 本当なのか、とまだ疑う気持ちのまま、おばあさんを見ると。彼女はふんと鼻を鳴らした。

 ここ暫く、ずっとおばあさんの顔色ばかり伺っていた私には分かる。


 肯定したのだ。

 ほら、言った通りだろう―――そう、声が聞こえた。


「……っ、クラリスさん! 本当にうちが渡した薬は塗った!?」

「当たり前だよ。その涙はまた別さ。……はぁ。ナタリアに報告しといたから、さっさと送り届けなきゃなんないんだけどね」

「それはまた後でもいい!」


 二人が何か言い争っていたけれど、私は頭で理解する事が出来なかった。


 身体中が熱くなって、両目も熱くなって、呼吸が出来なくなって。


「ふ、っ、……う゛ぇ……ッ」


 視界は歪んで、何も見えない。

 耳には私の声しか聞こえない。

 えづいて、しゃくりあげて、私は始めての魔法を使えた喜びと感動と実感のなさと本当かどうかという疑心暗鬼と助けられた喜びと生きている安堵と―――ごちゃまぜの感情に訳も分からないまま、泣き続けた。


 *・*・*・*・*・*・*・*・*


 目が覚めた時には、学園の保健室のベットの上だった。

 再び、どうしてここに状態だった私に説明をしてくれたのはカハール先生だ。


 どうやら、あのまま泣き疲れて眠ってしまったようだ。それを、ハリスさんが学園まで送り届けてくださったらしい。本当にハリスさんには頭があがらない。どうやって送り届けたのだろう、と尋ねると、風魔法で私を浮かばせて運んだそうだ。


(…………肥えた涙と鼻水でぐちゃぐちゃの女子生徒が宙へ浮かんで、小さな老婦人に運ばれている姿…………)


 もう街の中を顔上げて歩けない。

 なんて珍妙な配達だろうか。もしかして、ま、魔力切れで———まだ信じられない———気を失ったのを運んでくれたのも、ハリスさんだったのか。

 また迷惑をかけてしまった。今度、お詫びに何かお手伝いしよう。


「あのですね、チュベローズさん」


 神妙な顔のカハール先生がじっと此方を見ていた。何かあっただろうか。


「はい、先生」

「君は女の子です」

「……はい……?」


 意図が分からない質問だ。けれど、茶化していない事は雰囲気と顔つきで分かる。その為、戸惑いながら頷いた。


「で、今回火傷をしましたね。痕が残るかもしれない、火傷を」

「……? はい……あの、それが、何か?」


 本気でよく分からない質問に更に疑問符を飛ばす。


 キッ!とカハール先生の目が釣りあがった。


「それが何かっ!? 君は本気でそう思ってるのですかっ!?!」

「……ッッ!!?」


 驚きに声を失くす。

 カハール先生はいつも穏やかで物静かな先生だ。私が理不尽な態度を取っても大抵堪えていない顔で見てくれる。怒ったところも興奮した所も見たことなんて、ましてや想像も出来なかった。なのに、どう見てもこれは。


 ―――怒り心頭、である。


「軽かったので、何とかなりましたが……深い火傷の場合、その場での判断が左右されます! 今回は薬師が適切な処置をしているため、死に至りませんでしたが……火傷なんて! そのままにしていたら、治癒魔法でも治らないものになっていたかもしれないんですよっ!? 治癒魔法は元の状態に戻すんですっ! 完璧に治癒してしまっていたら、それが元の状態になるために、治癒魔法でも痕は消せなくなる可能性が出てくる! 腕がもげようと足がとれようと再生する魔法はありますが、そのまま、火傷の痕として定着していたら僕の治癒魔法でも治せたかどうかわからないんです! それを!!! 君は何を考えてるんですか!?」

「え……」

「年頃の女の子が肌に火傷の痕を残すなんて、馬鹿にも程がある! 人助けだからって、やっていいことと悪い事があります! いえ、勿論、人助けをするな、ということではなく、もっとやり方があったでしょうっ!!? 人を呼ぶとか! 声を張り上げるとか!! 顔に火がかかっていたら失明したかもしれない!」


 君は本当に分かってるんですかっ!?と続けられて、その勢いに乗せられて首を縦に振ってしまった。

 辛うじて、完璧に理解しているのは「ハリスさんとカハール先生にお礼しないと」という点だ。ハリスさんの処置のおかげで、あったはずの火傷の痕が完璧にカハール先生の手によって無くなっている、と本人が言っている。

 腕がもげようと足が取れようと再生できるなんて、治癒魔法持ちが優遇されるはずだ。


「……本当に分かってるのでしょうかね、僕は心配になってきましたよ。女の子が、身体に傷を作るだけでも大問題なのに火傷なんて。それも、全身火傷なんて……」


 ブツブツとぼやかれながら、私は寮へ送って行かれた。全身火傷ではない。軽度の火が満遍なく身体を焼いただけだ。それに治してもらったのだから、送るなんて大げさだろう。一人で帰れる、と言うと般若の顔で睨まれたのですごすごと従うことになった。カハール先生、怖い。


「何も出来ないのに、なんで暴漢二人に喰ってかかるような真似を? 連絡を聞いた時は、酒に酔ってるのか、たちの悪過ぎる冗談か、狂ったのかと思ったら、本当だなんて君は……」


 道中も延々と私の不注意と無謀さを指摘されていく。身を縮こませて聞くしかない。そんなカハール先生が私を歩かせるはずもなく、久しぶりにバッシスを使っての移動となった。

 寮に着いた時には、私はもう肉体的よりも精神的疲労の方が勝っていて眠りたくて仕方がなくなっていた。

 カハール先生はまだ文句を言い足りないようで、不満げな顔をしている。


「僕から先生に話しておきますから、2、3日は学校を休みなさい。それから、激しい運動は控えること。心穏やかに日々を過ごして、何か不調を感じれば僕にすぐ言うことです」


 火傷はカハール先生に全部治してもらっているのに?と疑問に思ったのが顔に出ていたのだろう。


「……いいですか。君は火に焼かれそうになったのですよ。身体の傷は治しましたが、心はそう簡単に治りません。だから暫く、安静です。心に動揺するようなことをあまりしないように」

「は、はい」


 そう言えば、私は火柱となる所だったのだと思い出した。


 そうよね、だって焼け死ぬ所だったもの。トラウマになっても、おかしくないわ。


 本当に分かっているのか、と言う様な目を向けられたものの、私は先生にお別れの挨拶をして寮へと入った。

 あまりに疲れすぎて、私は部屋へと入った瞬間、床へ倒れこんで眠った。

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