王宮夜会 (1)
王宮夜会へは、二台の馬車に分乗した。ユージェニーとシリルは、祖父母と同じ馬車。叔父夫妻は、別の馬車だ。
祖父ジョージがユージェニーをエスコートし、シリルが祖母シンディーをエスコートする。会場に入ると、チラチラと視線を感じた。オールダム侯爵家の当主夫妻が連れている若い二人がいったい何者なのか、気になるのだろう。
ユージェニーが今まとっているのは、彼女のために作られたドレスだ。これといって注文を出さない彼女に代わり、叔母エリノーラがそれはもう張り切って仕立屋に指示を出していた。白を基調にして、青緑色を差し色にしている。
弟のシリルも、同色で仕立てた。身長はあの後、仕立屋の予言どおり見事に伸びた。目線もすっかり高くなり、なかなかの貴公子っぷりだ。
周囲から向けられる好奇の視線の中には、特に強いものがあった。チラチラどころではない。不躾としか言いようがないほどジロジロと見ている。ユージェニーは顔を向けずに、目だけ動かして視線の持ち主を確認した。するとそれは、ルシアン・フィッツシモンズだった。
(本当に気持ち悪い人)
心の中で吐き捨てながらも、顔には出さない。もともと猫かぶりはお手のもの。祖父がそばにいる限り、近づいてはこないだろうし。以前、王宮ですれ違いざまに手を伸ばしてきたときに、ジョージにきつく叱責されているのだから。
ところがルシアンは、彼女が思っていたよりも愚かだったらしい。
ジョージが知人たちに挨拶するために彼女のそばを離れたとたん、至近距離まで近づいてきた。すぐ近くに祖母や叔父夫妻がいるにもかかわらず、である。壁際で祖父を待っていたので、ひとりきりになったとでも思ったのだろうか。
ルシアンはユージェニーの耳もとにささやきかけた。
「姿を消したと思ったら、こんなところにいるとは。いったい、どうやって侯爵に取り入ったんだい?」
「はい?」
ルシアンは何を言っているのか。意味がわからない。さすがの彼女も、眉根を寄せた。なのにルシアンは、にやにやと薄笑いを浮かべてさらにささやきかけてくる。
「あんな年寄りの愛人になるくらいなら、僕のほうがずっといいだろうに。いい思いをさせてあげるよ」
ここまで言われて、やっとユージェニーにも理解できた。ルシアンは彼女がジョージの妾になったと、思い込んでいるのだ。
気持ちの悪さに、全身があわ立つ。この男には、容赦なんてしてやる必要はない。これまで散々、身分をかさに着て迷惑をかけてきたのだから、同じように身分をかさに着て仕返しされたって文句なんか言えないはずだ。
彼女はショックを受けたように目を見開き、絞り出すような声で、けれども周りにはっきり聞こえる声量で言い返した。
「愛人になれだなんて……。なんて失礼なの!」
「ちょっ……。大きな声を出すなよ。人に聞かれて困るのは、きみのほうだろう」
ゴシップの種になりそうな騒動の気配に、周囲の人々の視線が集まる。ルシアンは焦ったように手を伸ばし、彼女の腕をつかもうとした。もちろん彼女はするりとよけて、触れさせない。
「いや! 触らないで! けがらわしい……!」
ルシアンは驚きに目を見張った。こんなふうにユージェニーがきっぱりと拒絶したのは、初めてだったからだ。それを彼女は、冷めた目で見ていた。
まさか自分が好かれているとでも思っていたのだろうか。蛇蝎のごとく嫌われていることに気づきもしないなんて、おめでたいにも程がある。
ユージェニーの鋭い声を聞きつけて叔父ロバートが歩み寄り、彼女を背に回した。
「うちの子に、気安く触れないでくれたまえ」
「え、うちの子……?」
この期に及んで、ルシアンは恥の上塗りをした。ユージェニーに向かって、ささやき声でまだ続けたのだ。
「きみ、ロバート卿までたらしこんでるのか……?」
「ちょっと何をおっしゃっているのか、意味がわかりかねます」
スパッと彼女が斬って捨てると、周りからくすくすと笑いがもれる。エリノーラは呆れたように片眉を上げ、姪に声をかけた。
「ジニー、こちらへいらっしゃい。おかしな人はもう、放っておおきなさいな」
「はい、おばさま」
おかしな人扱いされても、ルシアンには侯爵家の人間に盾突く度胸はないと見える。
ユージェニーがいたって普通に、オールダム侯爵家の人々に家族として輪の中に迎え入れられる様子を、彼は呆けたように眺めていた。ここまできてようやく、自分が何か勘違いしていた可能性に思い至ったようだ。
しかも、すっかり耳目を集めてしまっている。ルシアンはうろたえて周りを見回した後、逃げるように退散して行った。その後ろ姿を、ユージェニーは心の中であざ笑いながら見送る。まったくもって自業自得で、いい気味だ。
それと同時に、ルシアンがこれほどにも小物だったことが、意外に思えた。
平民の立場にあったときには、もっとずっと歯が立たないほど手強い敵に思えたものなのに。要するに、彼には武器になるものが身分と財力しかなかったのだ。それを振りかざすことのできない相手には、どこまでもつまらない人間だった。
エリノーラはユージェニーの肩を抱き、優しく尋ねた。
「いったい、何があったの?」
「あのかたが、何を勘違いなさったのか『あんな年寄りの愛人になるくらいなら、僕のほうがずっといいだろうに。いい思いをさせてあげるよ』とおっしゃって……」
「あらまあ。それはこわい思いをしたわねえ。かわいそうに」
ユージェニーは叔母の意図をあやまつことなく理解した。
目を伏せて、恐怖に震えたような声音で、しかし周囲にはっきり聞き取れる声量で、事情を説明する。ルシアンのセリフを一字一句そのまま、野次馬たちに聞かせるためだ。いかに彼が品性下劣か、周囲への宣伝はこれでばっちりである。
彼はいずれ、犯した罪に見合う制裁を受けることになるだろう。だが、あくまでもそれはそれ。ユージェニーはこれまで散々不快な思いをさせられたことへの意趣返しをせずにはいられなかった。断罪されるそのときまで、社交の場でヒソヒソされて居心地悪く過ごすがいい。
ショックで打ち震えたように叔母に寄り添えば、叔母は優しく彼女の背中をさすった。
周囲の人々は、見世物はここまでであることを察し、それぞれの輪に散って行く。もちろん、たった今、仕入れたばかりのゴシップに花を咲かせながら。




