【5】新しいドレス
王宮の馬車どまりで、父親が乗ってきたスコット伯爵家の紋章の入った馬車をエディはすぐに見つけることができた。
馬車の馭者はエディを見ると、その腕に抱えた令嬢に驚きながらも平静を保ったまま馬車の扉を開ける。
「すぐに父上もやってくるだろう。それまで待ってくれ」
横抱きにしたシャーリーを座らせるとエディは従者にそう伝え、当たり前のようにシャーリーの隣に座った。
「いったいどういうおつもりでしょうか」
「こんな恰好の令嬢をそのまま外に出すわけにはいかないでしょう」
「……それは……ありがとうございます……」
シャーリーは今さらながら、自分が下穿きも身に着けていないシュミーズ一枚でいることを思い出して俯いた。エディが羽織らせてくれたフロックコートの前を思わず掻き合わせる。
コートに焚きしめられた香りは、ダンスの時にもシャーリーを優しく包んだものだった。
「あなたこそ、いったいどういうつもりでドレスを脱いだりしたのですか」
「そう、ですね……何もかもが嫌になってしまって。あのドレスを着ていることが一番嫌だったものですから、つい」
「つい、でドレスを脱がれては……。でも、そこまであなたを追い詰めてしまった者の一人が自分でした。これまでの無礼の数々、大変申し訳ございませんでした」
エディはゼブロン殿下の未来の側近に、一番近いところにいるのだと自負していた。
ゼブロン殿下に盲目に従っていた自分が、今となっては信じられない。
何故、気づかなかったのか。
卒業パーティでシャーリーとダンスを踊り、そこで話した僅かな時間でこのシャーリーという女性に対して思っていたことが全部ひっくり返った。
王太子殿下の婚約者として相応しくないなどと、いったい誰が言い出したのか……。
「エディ! おまえはなんということを……言いたいことは山ほどあるが、今はそれどころではない」
「はい」
馬車にスコット伯爵が乗り込んでくると、エディの隣にいたシャーリーを見て頭を下げる。
「フォークナー公爵令嬢、愚息のしでかしたことをお詫び申し上げなければなりません」
「父上、それは後回しにして、とりあえず急いで家に戻ったほうがよろしいかと」
「フォークナー公爵家に令嬢を送り届けるのではないのか!?」
「この姿の令嬢を送り、フォークナー公爵にお目にかかる勇気が父上にあるのでしたら」
「そ、そうか。このお姿では……」
「スコット伯爵様、わたくしのことはお気になさらず、ご迷惑でなければ家の前に捨て置いてくだされば」
「そんな訳には参りません!」
親子の声がかぶった。
「ここから一番近いドレスショップに向かいましょう。僕が令嬢のドレスを急ぎ買ってきます」
「いやエディ、サイズの問題があるだろう?」
「大丈夫です。僕は先ほどパーティで令嬢とダンスを踊りましたから」
エディが今日初めてのにこやかな顔を見せると、シャーリーはどこか落ち着かない気持ちになった。
馬車はしばらく走り、王都のドレスショップの横に停まる。
飛び出していったエディが大きな包みを抱えて戻ってくるまで、それほど時間がかからなかった。
馬車は再び走り出し、スコット邸に向かう。
家の中は騒然とした。
息を切らして飛び込んできたこの家の主のスコット伯爵に続き、嫡男のエディが女性を抱えて帰って来たのだ。スコット伯爵は客間にエディを向かわせ、同時に伯爵夫人にかいつまんで事情を説明する。
「かしこまりました。お任せください」
スコット伯爵夫人はこの場でただ一人だけ落ち着いていた。
素早く的確に侍女たちに指示を出し、シャーリーは湯浴み部屋で温められた。
用意された真新しい下穿きとシュミーズを身に着けると、先ほどまでの心許ない感じが消えた。
鏡を見たシャーリーはとても驚いた。
エディが急遽買ってきたドレスは、サイズも合っていてデザインも色もシャーリーによく似合っている。落ち着いた若草色で控えめなピンタックプリーツが胸元にあり、清楚な雰囲気のドレスだった。
そして何よりも、このドレスの色も形もシャーリーの好みそのものだったのだ。
十年も婚約者だったゼブロンより、一度踊っただけのエディのほうが自分を解ったことにシャーリーは驚く。
そして今回の騒ぎでエディが今後どうなるのかと、そのことだけが心配になった。
シャーリーの胸の中はゼブロンすら居たことがなく空っぽだったが、そこに温かい何かが注がれ始めたように感じ慌ててそれに蓋をした。
「いろいろと申し訳ありません」
言葉少なに謝罪するシャーリーにスコット伯爵夫人は、
「そのお言葉はご自身に向けたほうがよいと思いますわ。どうかご自分を大事になさってくださいね」
伯爵夫人は息子の卒業パーティ用に仕立てたフロックコートを手に、支度の整ったシャーリーを応接間に連れて行った。
このフロックコートが公爵令嬢の尊厳と、スコット伯爵家をギリギリのところで守ったのかもしれない。
「フォークナー嬢、落ち着かれましたか」
「はい。おかげ様でありがとう存じます。日を改めまして、父とお礼に参りたく思います」
「温かいお茶でも召し上がっていただきたいところですが、時間も時間です。すぐにエディに公爵邸まで送らせます」
父に自分の名を呼ばれるまで、エディは湯浴みと着替えから戻ってきたシャーリーを見て、言葉も掛けられず立ち尽くしていた。
シャーリーは、アップにしていた髪を片側に流してゆるく編んでいた。
自分が急ぎ買ってきた若草色のドレスがとてもよく似合っていて、いつも毅然として見えたシャーリーが、髪型のせいもあって稚い少女のようだった。
「……父上、急いで送り届けてまいります」
エディはシャーリーを促して外に出る。
馬車では時間がかかってしまうと思い、馬で行くことにした。
「馬は大丈夫でしょうか。僕は女性の扱いより馬の扱いに慣れているので、そこは安心してください」
シャーリーは思わず笑った。
馬上で密着すると、エディは服を着替えていたのに先ほどまでと同じ香りがした。
初めてのダンス、貸してくれたフロックコート、そして馬上で互いの胸の音が聞こえるほどに触れあっている今。
三度同じ香りに包まれて、そっと目を閉じる。
この香りはどういう訳か自分に安心を与えてくれる、シャーリーはそう思った。
向かっている自分の家がここからあまり遠くないことを、シャーリーは夜風の中で少し残念に思った。
対するエディは、ゼブロンと共にこの令嬢にしてしまった過ちによって明日がどうなるのか予測がつかない中、シャーリーを胸に抱えたままどこまでも走っていきたいような気持ちに戸惑っていた。




