コミックス①巻発売記念SS《お料理にはドキドキがいっぱい》
昇ったばかりの朝日に照らされる、早朝のゴミ屋敷。
湯気が立ち上る鍋の中で踊るペンネを見つめながら、ベアトリクスは考え込んでいた。
(ルシファーがわたくしのことを好きと言ってくれてから、いろいろお世話になりっぱなしだわ)
自らの正体が追放された第四王子であること。
そして、ベアトリクスのことが好きだとまっすぐに伝えてきたこと。
衝撃的なカミングアウトがあった日から数日が経ち、ようやくベアトリクスは心の中の静かな混乱を受け入れ始めていた。
その間もルシファーは家のことを積極的にこなし、リサイクルショップの経営を助け、ゴミ拾いにも同行している。
『少しでも危険な目にあったり困ったことが起こったらすぐに俺を呼ぶんだぞ。いいな? すぐに飛んでいくから』
と、過保護すぎるくらいの勢いでベアトリクスを溺愛しているのだ。
人が変わったような活躍ぶりに戸惑っていたベアトリクスだが、元々根は優しかったルシファーだ。何らかの理由で「ひねくれ」が取れた本来の姿はこうだったのだろうというのは、なんとなく理解できていた。
一日三食ベアトリクスが担当していた料理も、今やほとんどルシファーが腕をふるっている。せめて皿洗いはと思うのに、それもすべてやらせてもらえなくなったので、その結果時間を持て余すようになってしまった。
(今日こそは! ルシファーより早起きできたから、わたくしが朝食を作るわよ!)
茹で上がったペンネをトマトソースの入った隣のフライパンにすくい上げながら、ベアトリクスは気合を入れる。
ペンネやパスタ料理はルシファーの好物。朝食としてはやや手間がかかるので普段は作らないが、普段の感謝を込めてかなり早起きしたというわけだ。
「――熱っ!」
ペンネの茹で汁がはねて、ベアトリクスの手に当たる。
思わず声を上げたベアトリクスだが、次の瞬間、すごい勢いで厨房の扉が開かれる。
「どうした!? 何があった!」
「えっ……る、ルシファー!?」
夜着のまま飛び込んできたのは大人の姿のルシファーだった。そう、今日は新月の朝である。
鍋の前で指を押さえるベアトリクスを見て、彼は状況を悟る。
「火傷したのか? 見せてみろ」
「だ、大丈夫よ。少しはねただけだから」
平気だと伝えてもルシファーは心配そうな顔で彼女の手を取る。赤みがさす指先を見つけると、すぐに治癒魔法をかけた。
「い、いいのに。貴重な治癒魔法だわ」
「俺の魔法はおまえのためにある」
火傷はすぐに治ったが、ルシファーの眉間には皺が寄ったままだ。
「朝食なら俺が作っているだろう。……もしかして、味が気に入らないか? それならすぐに直すから、どうしたら好みの味になるか教えてくれ」
「いえ! 違うわ! ルシファーのお料理はどれも美味しくて嬉しいのだけど……」
アメジストのような美しい瞳に見つめられて、ベアトリクスは顔を赤くし言葉に詰まる。
ただでさえ見慣れない大人の姿なのだ。彼への好意を自覚してからは、まっすぐに顔を見ると胸がドキドキと高鳴ってしまって、どうにも苦しくなってしまう。
「……ベアトリクス?」
「ご、ごめんなさい。色々してくれるのは嬉しいのだけど、申し訳なくて。だから今日はあなたの好きなペンネを作ろうとしていたのよ」
「それは俺のほうが感謝すべきことだ。どこの誰かもわからない俺を拾って、家族のように迎え入れてくれた。それに俺がどれだけ救われたか」
ルシファーは真っ赤に頬を染めるベアトリクスを愛おしそうに見つめると、そっと腕の中に閉じ込めた。
「どうしようもなかった俺を見放さずに向き合ってくれたのはベアトリクスだけだ。だから俺はおまえのために生きると決めた。俺の心も身体も、すべておまえのものだ。これからは遠慮なんてしなくていい。甘えて、頼ってくれたらいいんだ」
その言葉を聞いて、ベアトリクスの瞳には熱い涙が滲む。
この生活は好きでやっていて、何一つ不満はないはずなのに、心の緊張が和らいだような気持ちになっていた。
(不思議だわ。ルシファーの腕の中にいると、世界中の何もかもから守られているみたい)
まぶたを閉じると、一筋の涙が頬を伝うのがわかった。
ベアトリクスは心が満たされていくのを感じながら、そっと彼の背中に腕を回した。
◇
そこからの調理は二人でやることになった。
しかし、ベアトリクスにとってはドギマギするようなことばかりが起こる。
「鍋の茹で汁はもう使わないから、流しに捨てましょう」
「大丈夫か? 重いだろう」
「ひゃっ!?」
ベアトリクスを後ろから抱きしめるように腕を伸ばすルシファー。耳元で聞こえる声とルシファーの気配に驚いたベアトリクスが声を上げるが、彼は面白そうに微笑むだけ。彼女の手に自分の手を重ね、流しまで鍋を運んだ。
また、ペンネの味付けの段では、
「うーん。ちょっと甘いかしら? 唐辛子を追加する?」
ベアトリクスが味見スプーンを持って悩んでいると、不意にルシファーが彼女の唇を指で拭う。
「……どうしたの?」
「ソースがついていた」
ルシファーは指先を舐め、「……確かに甘いな」とベアトリクスを見て目を細めた。
「――――っ!」
妖艶な表情に、ベアトリクスは耳まで真っ赤になる。
「そっ、そう! じゃあ唐辛子を足しましょうね!」
ぎくしゃくとした動きで香辛料の缶を手に取る彼女を見て、ルシファーは幸せそうに相好を崩す。
そんなこんなで出来上がったペンネアラビアータは頬が落ちるほど美味しくて、二人は思わず顔を見合わせて微笑みあった。
二人が国王と王妃になったあとも、こっそり二人で作って食べる思い出の料理になったのは、また別のお話。





