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第四十五話

 大魔法使いの屋敷とあって、それはとても大きくて豪華なものだった。外壁には異国を感じさせる鮮やかなタイルが一面に貼られ、使い魔たちだという烏や鳶が屋根にたくさんとまってこちらを見下ろしていた。


 クロエは「もう来たのかえ」とぶつくさ言っていたが、一応歓迎してくれているようであった。ゴミ屋敷を失ったベアトリクスのことも、労働と引きかえに置いてくれるという。


「ルシファーは今宵から修行じゃ。娘には明日から頼みたいことがある。今夜は精々ゆっくりするといいぞえ」


 真っ赤な唇がゆっくりと弧を描く。

 妖艶でありながら凛々しさを感じさせる切れ長の瞳。柳のようにすっとした眉に、色白の肌。床まで届く美しい髪は根本が黒く先が銀という見事なグラデーションである。


「かしこまりました。いつでもなんでも仕事を言いつけてくださいませ。全力でやらせていただきます」

「まずは体を休めねば仕事もできぬぞえ。まったく、修行を再開する原動力が女子(おなご)とは。おぬしも結局男だったのだな」


 クロエがにやりと口角を上げると、ルシファーは照れくさそうに頬を染めながらも頭を下げた。


「……修行を放り出して悪かった。もう一度鍛え直してほしい。俺は大魔法使いにならなければいけないんだ」

「まあよい。退屈していたところだから、暫くの暇つぶしにはなろうて。どこまでおぬしが耐えられるか見ものじゃのう」

「俺は本気だ。もう逃げたりしない」


 クロエが顔に貼り付けた表情は、分類するなら笑顔なのであろう。だがしかし深紅の瞳は全く笑っていない。

 その冷え切った美貌に、ベアトリクスは思わずぶるりと背を震わせた。


(そういえば、ルシファーは魔法の鍛錬で死にかけたと言っていたことがあったわね)


 大魔法使いになる修行とは、生死がかかったものなのだということを目の当たりにした感じがした。

 長旅の直後だというのに、さっそく今から森で鍛錬を始めるらしい。彼女の後に続いて緊張した面持ちのルシファーが玄関を出ていった。


「…………ルシファー。どうか無事で」


 そう願わずにはいられなかった。


 ひとりになったベアトリクスは、クロエの言葉に甘えて休むことにした。

 初めての国外旅行なうえ、ここ数週間は徒歩の移動が続いてさすがに足が疲れている。

 ベストパフォーマンスを出すためには適切な休息が必要だと知っているベアトリクスは湯を借りたのち、あてがわれた小さな部屋で布団にくるまった。


「温かいわ」


 毛布の中は既にほんわかと暖かく、嗅いだことのないハーブの香りがした。

 頬が緩み、張り詰めていた心もほぐれてゆくのを感じる。

 ゴミ屋敷を失って、そして生きる意味を失って。旅路に集中することで悲しい気持ちから目を逸らしてきたけれど、いつの間にかそれは薄らいでいるように思えた。


(ルシファーのおかげだわ。わたくしが落ち込まないように楽しいことをたくさん考えてくれた)


 道中、少々遠回りになるけれど素晴らしい眺めの場所に連れて行ってくれたり。その土地その土地の名産物を下調べして、人気のお店に連れて行ってくれたり。ベアトリクスが風邪をひかないように魔法を駆使して一晩中部屋の温度を調整してくれたり。少し振り返るだけでもこれだけたくさんのことをしてくれている。


(いつまでも現実から目を背けていてはいけないわ。ルシファーのためにも早く元気を取り戻さないと)


 自分の生きる意味はもはやゴミ拾いや肥料工場のためだけではなくなっているのだと、彼女は初めて気が付いた。ルシファーの幸せが自分の幸せで、その逆もしかりなのだとごく自然に感じられた。


(頑張りましょう。また一から)


 きっと自分は大丈夫だ。ルシファーが修行を頑張るのだから、自分も負けてはいられない。

 ベアトリクスは頭のもやが晴れたようにすっきりとした気持ちになり、やがて深い眠りに落ちていったのだった。

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[一言] 頑張れよ、ルシファー( ノД`)シクシク… 頑張れよ、ベアトリクス( ノД`)シクシク…
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