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第三十八話

 隣の席に、自分をよく思わない兄王子とその婚約者が来ている。どうやら彼女はベアトリクスのことを知っているようで、こちらに挨拶に来ようとしていた。


『まあ、そうですね……。ゴミ屋敷令嬢、と言えば殿下もご存じなのではないでしょうか。昔、親しくしておりまして』

『ああ、その名なら聞いたことがある。それにしてもゴミ屋敷令嬢がこの店に……?』


 会話が途絶え、一拍置いたところで。衝立から優雅に一人の令嬢が現れた。

 色白で背はやや高め。細身ながらしっかりと凹凸のある身体は女性らしさに溢れている。ピンクブロンドの髪を上品にハーフアップにしていて、王国基準ではかなりの美人である。


「あら! 思った通りでしたわ。ごきげんよう、ベアトリクス様。お久しぶりですわね」

「! カロリナ様。お久しぶりでございます!」


 突然現れた令嬢に、ベアトリクスは慌てて立ち上がって淑女の礼をする。伯爵家という意味では同格であるものの、カロリナの家は長い伝統や確かな功績を持ち、侯爵家とほぼ同等の力を持っていた。

 扇子を取り出し、ばっと音を立てて開くカロリナ。


「あなた、まだゴミ拾いをしてらっしゃるの? 手紙だけじゃなくて、たまには社交界に顔を出しなさいな」

「ご無沙汰しておりまして申し訳ございません」


 再び頭を下げるベアトリクス。

 カロリナは呪いを受ける前に親しくしてもらっていた令嬢だった。二つ上のカロリナは可憐な見た目に反して姉御肌で、貴族らしい上辺の付き合いが苦手だったベアトリクスが唯一慕っていた相手でもある。

 ゴミ屋敷令嬢となってからは、そういう令嬢と付き合いがあるとカロリナの評判も下がると思い、付き合いはたまの手紙にとどめて会うことは自粛するようになっていた。


「あなたも十分年頃になったのですから、ゴミが恋人だなどと言うのはやめて少しご自分の将来を――って。失礼。お連れ様がいらしたのですね」


 必死に気配を消していたルシファーだったが、存在に気が付かれてしまった。

 そっぽを向く顔の前で両手を組み合わせているが、その手にじりじりと汗がにじんでいく。魔法で見た目を変えればよかったと、今更すぎる解決案が脳裏によぎった。

 扇子をしまったカロリナはドレスをつまんで優雅に礼をする。


「わたくしファビウス伯爵が娘、カロリナと申します。ベアトリクス様、ご紹介いただけますか」

「あー、えっと……」


 元第四王子のルシファー殿下です。と、正直に紹介していいものだろうか?

 言い淀むベアトリクスを不思議な顔で見つめるカロリナ。

 すると、すっくとルシファーが立ち上がった。きらきらとしたよそ行きの笑顔を張り付けている様子に、ベアトリクスは彼が覚悟を決めたのだと気が付いた。


「……お久しぶりですカロリナ嬢。すみませんが、わたしがここに来ていることは兄には内密に――」

「まあ! ルシファー様!? こんなところでお会いするなんて!」

「ちょっ、お声が大きい――」


 ルシファー王子は身分をはく奪されて王城から追放されたはず。意外過ぎる人物の登場に、カロリナは令嬢らしからぬ驚きの声を上げた。

 その大きな声は、当然隣の席まで聞こえたようだった。


『ルシファー、だって?』


 先ほどの会話より一段も二段も低い声で、男性の声が聞こえる。


「ああもう最悪だ……」


 顔に手を当てて俯くルシファーと、状況に混乱するベアトリクス。

 衝立から現れたのは、不機嫌さを隠そうともしないユリウス王子だった。


 ユリウス王子は、端正な顔立ちこそルシファーと似ているものの、体つきはまるで違った。

 服の上からでも分かる盛り上がった胸筋に、ベアトリクスのウエストより太い太もも。がっちりした長身は騎士団の青い制服がとても似合っていた。王国中の男が憧れるような見事な体格である。

 ルシファーと同じ黒髪であるが、くせ毛を伸ばした髪型ゆえイメージはかなり違う。

 長めの前髪からのぞく金色の瞳が怪しく光った。


「お前、どうしてこんなところにいるんだ? ここは王族あるいは高位貴族しか使えない店だぞ」

「……」


 ぎゅっと唇を噛んで黙り込むルシファー。

 二人の関係性はよく分からないが、空気が悪いことだけはベアトリクスにも理解できた。


「あ、あの、ユリウス殿下。ルシファー様はわたくしが誕生日だからと連れてきてくださったのですわ」

「ご令嬢。わたしは口をきくことを許可していない」


 ぎろりと睨みつけられて、ベアトリクスははっと息をのむ。慌てて礼をして、失礼いたしましたと頭を下げた。

 ユリウスの後ろに控えるカロリナが、申し訳ないというジェスチャーをしている。男を立てて女性は一歩引く文化のグラディウスでは、婚約者とはいえ王子に強く出ることはできない。


「ルシファー。いいか、お前は追放されたんだ。未練がましく王都をうろつくんじゃない」

「……申し訳、ありません」


 全く心のこもらない声でとりあえず謝るルシファー。

 今や彼は平民同然の身分で、相手は第三王子である。昔のように言い合うことは許されないのだ。反論せずに相手の気が済むのを待つのが最善策だ。

 ふてぶてしい表情のルシファーにユリウスは苛立ちを募らせる。つま先を大理石の床に打ち付けながら口元を歪めた。


「まったく。魔法の才能があるとか何とかで持て囃されていたが、お前が居なくてもひとつも問題ないからな。お前などゴミのようなものだったと、皆口を揃えて言っている」

「……」

「相変わらず貧弱な身体だな。ああ、筋肉がつかないんだったか? 可哀想になあ。ま、そんなゴミのようなお前の居場所はこの国にはない。早いところ出ていくがいい」


 ――なぜそこまで言われなければいけないのか。ユリウスの言うことなど右から左へ受け流そうとしたルシファーだったが、悔しさがふつふつと湧きあがってくる。

 俺は努力をした。それこそユリウス以上に朝から晩まで鍛錬をしていた。手の豆が潰れて血が滲み、筋肉痛で立てなくなるほどに追い込んだ。

 魔法だって、鬼のような師匠によって何度も死にかけながら習得した技術だ。爆発に巻き込まれて重度の火傷を負ったり、深淵に飲み込まれて冥界に堕ちそうになったりしたことだってある。おまえはそんな経験したこともないだろう。

 なんなら好戦的な父王による従軍経験も自分の方が上だ。前線で敵の数を大幅に減らした後にユリウスが出てきて、最後の美味しいところを搔っ攫っていくのが常だった。


(くそ。一発ぶん殴ってやりたいが、トラブルを起こしてベアトリクスの誕生日を汚したくない。とにかく我慢してこの場をやり過ごさなければ)


 どうにか自分を納得させたルシファーだったが、その決意は次の瞬間無駄になった。


 しなやかな肌色がびゅんと音を立てて空を切る。さらさらとした金髪が躍動し、一瞬だけふわりと甘い香りがした。その鮮やかだが信じられない光景に、ルシファーとカロリナは目を見開いた。


 ――ベアトリクスが、ユリウスにハイキックを繰り出していた。

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