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第二十三話

 ガランと音を立てて角材が地に落ちる。

 氷点下のようにひどく冷たい目をしたルシファーは、無表情で顔の前に剣を構え直す。


「誰だお前!? 犬はどこへ行った!?」


 唾を飛ばして威勢よく叫ぶガタイのいい男。しかし、肉ダルマの方はほんの少しだけ冷静だった。


「……兄貴。こいつ、ちょっとヤバくねえか?」


 急に現れた青年はただならぬオーラをまとっていた。

 やや線は細いが、鍛えられたすらりと高い背丈。身に着けているのは平民が着るごく普通のシャツとスラックスだが、とても平民とは思えない洗練された佇まいだ。

 全身から溢れる殺気と威圧が対峙する男たちの精神をじわじわ削っていく。紫色の瞳は死など怖くないとでも言っているかのように虚無で溢れている。


「……ッッ!!」


 思わず一歩後ずさる肉ダルマ。――この男は怒っている。ものすごく。

 そして自分が敵う相手じゃない。瞬き一つの間に致命傷を受けるくらい技量に差がある。かつて傭兵をしていた二人はルシファーの力量を正しく察知した。


「おっおっ、俺は何も知らないぞぉ! 兄貴がゴミ屋敷令嬢はイケるって言うから付き合っただけだ!」

「おいお前っ! 何言ってんだ! 最初に女に声かけたのはお前だろうが! 乗り気だったじゃねえかよ!!」


 仲間割れを始め、罪をなすり付け合う悪党たち。


「……おまえたちがこの令嬢に危害を加えたことは変わらぬ」


 怒りを押し殺した低い声。震える二人を前に、アメシストの瞳がきらりと光る。

 右手を彼らに向かってかざし、形の良い唇が呪文を紡いだ。


「מניפולציה של כוח הכבידה」


 低い耳鳴りのような音が響き渡る。

 と同時に、男たちは立ったまま急加速し、勢いのまま壁に背中から激突した。

 破壊音と同時に壁のモルタルが飛び散り白い粉が舞う。


「ぐううっ!?」


 めりめりと音を立てて彼らの身体が壁にめり込んでいく。

 ものすごい重力を体の前面に感じ、言葉を発することも呼吸をすることもままならない。みるみる顔は赤くなり血管が浮き上がる。


「命が惜しくば、二度とこの令嬢に手を出すな」


 真っ赤な顔で脂汗を浮かべる二人の男と対照的に、ルシファーは冷え切った低い声を出す。

 コツコツと靴を打ち鳴らし、ゆっくりと壁の方へ歩いていく。


「返事は? ――ああ。できないのか」


 かざした右手を下にさげる。その動きに呼応するように男たちの身体がゆらりと崩れ、ぐしゃりと床に倒れ込んだ。


「……グッ、ゲホッ! ゲホゲホッ!!」

「――カハッ。やややっ、約束する! もう二度と近寄らない!!」


 喉や腹を押さえてうずくまりながらも、見下ろすルシファーに向かって必死に命乞いをする。


「ならば速やかに去れ。下らない」

「「すみませんでしたあああっっ!!!!」」


 転がるように男たちは倉庫を出ていった。

 その様子をしっかり確認したあと、ルシファーはくるりと振り返る。


「ベアトリクス! 大丈夫か?」


 横たわるベアトリクスに駆け寄り膝をつく。背中を手で支え、ゆっくりと上体を起こす。

 見開かれた青い瞳には涙がいっぱいに溜まり、水面が揺れている。たくましいゴミ屋敷令嬢とはいえ、襲われそうになったことは怖かっただろう。可哀そうにとルシファーは胸が痛くなった。

 身体を拘束する縄を開放し、嚙まされている布を引っ張り出すと細い声が漏れだした。


「ルシファー……よね?」

「ああ。怖かったな。もう大丈夫だ」


 ゆっくりと瞬きをすると、金色のまつ毛の間から大粒の涙がこぼれ落ちた。

 白い頬を伝うそれを指で拭ってやる。彼女は眉を下げて、心底悲しいという表情をしていた。


「わたくし……あるまじきことをしてしまいました……」

「ど、どうした?」


 この場においてベアトリクスは紛れもなく被害者だ。あるまじきこと、なんていう状況とは一体何か。

 ベアトリクスは悲痛な面持ちで己の罪を告白する。


「わたくし、ポイ捨てをしてしまいました! か、果実水とペンネを取り落としてしまって……!」

「はあ?」


 暴漢に襲われたことよりも、落とした食べ物のことでショックを受けているだと――? この美しい涙は恐怖の涙ではなく、ポイ捨てに対する贖罪の涙なのか――??

 

(分からない。この令嬢の思考が分からない――――)


 共に暮らすようになって数か月経つ。そこそこ彼女の脳内を理解できるようになったと思っていたが、それは驕りだったのかもしれない。

 震える小さな背を支えながらルシファーが混乱の汗を滲ませていると、倉庫の扉から勢いよくひとりの男が飛び込んできた。


「ベアトリクス様!?」


 ミカエルだった。

 その真剣な表情は、彼女とルシファーを捉えたところではっと固まる。涙を流す令嬢と、彼女のすぐ側にいる青年。誤解を招くには十分な状況だった。

 ミカエルの普段まとっている穏やかな雰囲気が一転し、金色の瞳が好戦的に輝く。腰の剣に手をかけ、背筋が凍るような声を出した。


「今すぐベアトリクス様から離れなさい。花火に間に合わせるために急ぎでクエストを終わらせてみれば、身の程知らずな軟弱男に迫られているところだったとは」

「いやおまえ、どうして居場所がわかったんだよ。さすがストーカーだな」


 呆れ声を出すとミカエルは片眉を上げた。


「……? わたしのことを知っているのですか?」

「いや、知らない」


 即答するルシファー。

 ――幸か不幸か今日は新月だった。ベアトリクスを待ちぼうけている間に元の姿に戻ったルシファーは、ミカエルの知る〝ベアトリクスの弟分ルシファー〟ではない。ミカエルは見知らぬ男がベアトリクスを襲ったと誤解しているのだ。


「言い訳は無用です。さあ、剣を取りなさい。さもなくば問答無用で斬りますよ」

「おい待て。理由を話すから聞いてくれ」

「待ちません。早くベアトリクス様を開放しなさい。お可哀相に、涙の痕があるではありませんか! ……そういえば、あなた、どこかで見たような顔ですね? 確か先日追放された王子は黒髪に紫目だったような――」

「べ、ベアトリクス、逃げろ! 荷物のところに見張りの冒険者がいるから合流して家まで送ってもらえ。確かそいつは客として屋敷に来たことがあるから、お前も知っているはずだ」


 妙な勘だけは冴えているミカエルの言葉を慌てて遮り、ルシファーはベアトリクスに指示を出す。

 荷物を預けてきた冒険者の名前は思い出せないが、ベアトリクスも安心した表情で会話をしていた相手だから、きっと彼女を守ってくれるだろう。

 ――そう伝えると同時にミカエルは目にもとまらぬ速さで剣を抜く。一瞬で間合いを詰め、ルシファーに斬りかかる。銀色の髪が薄暗い倉庫に華麗に舞った。


「うおっ!?」


 反射的にルシファーも剣を抜き顔の前で打撃を受ける。びりびりと腕の痺れを感じて、腐ってもSS級冒険者だなと唇の端を持ち上げた。


「ほら、ベアトリクス! 行け! 俺もすぐ帰るから」

「俺もすぐ帰る、とは?」


 ぴくりと眉を上げるミカエル。

 交わる刃の重みが増す。


「っ、ああもう面倒くさいな! ほら、早く行け! 必ず屋敷まで送ってもらうんだぞ!」

「あ、は、はいっ……!」


 背中に向かって叫ぶルシファー。呆然としていたベアトリクスがはっとして返事をし、慌てて倉庫の外へ駆け出していく。

 彼女が倉庫を出た瞬間、激しく剣がぶつかる音と、何かの爆発音が耳を突く。しかし、ちょうど始まった花火によってその音は上書きされてしまう。


 二人は大丈夫かしら? そう心配になりながらもベアトリクスはごしごしと涙を拭き、夢中で市の会場まで地を蹴ったのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] ミカエル「その命、神に返しなさい!!」 ライダーを最近観返している身としてはそんなセリフが頭に(ぇ それはそうと修羅場やなぁ(;'∀') ルシくん、生きろよッ。
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