第十三話
カーテンを開けると、朝日が白いシーツに横たわる青年の姿を神々しく浮かび上がらせた。
漆黒の髪に同色の長い睫毛。鼻筋はすっとして高く、少し開いた薄い唇からはどこか色香を含んだ寝息が漏れる。
「えっ?? る、ルシファーはどこ? それでこのお方は誰……?」
混乱しながらも、急いで上掛けをたぐり寄せて己の顔を隠すベアトリクス。なぜなら青年は衣服を身に着けておらず、引き締まった胸や腕の筋肉が露わになっていたからだ。
「どうして服を着ていないのよっ」
慌てて自分の着衣を確認するものの乱れはない。部屋も荒らされていないし、窓も開いていない。暴漢というわけではなさそうだけれど、そうなると何のためにここに侵入してきたのかがわからない。
――と、敷布の上に破れた服が伸びていることに気が付く。
「これはルシファーの夜着だわ。引きちぎられたように破れているわね」
青年の下敷きになっているその服を引っ張ると、ううんと青年が声を上げた。
「ベアトリクス……?」
腕を額に載せ、眩しそうに目を開く青年。その瞳は宝石のように澄んだ紫色で、探している少年と全く同じ色である。
「ルシファー……?」
思わず口をついて出た名前。当然違うだろうと頭ではわかっていたのに、目の前の青年はごく自然に会話を続ける。
「もう朝か? ……おい、昨晩のことは忘れてないからな。力の加減ってものを覚えろよ。気絶で済んだからいいものの、二度と目を覚まさない可能性もあったぞ」
それは間違いなくルシファーとベアトリクスしか知らない出来事だ。大人の低い声ですらすらと悪態をつくこの青年は、一体何者なのだろうか。
「あなたは、誰?」
からからに乾いた口で言葉を絞り出すベアトリクス。
目の前の男性は「はぁ?」と眉間にしわを寄せ、当然のように言い放つ。
「どうしたんだ急に。ゴミの拾い過ぎでおかしくなったか? ルシファーだよ、ルシファー」
「…………!!」
目を見開いて固まった彼女に、ルシファーは不審な目を向ける。
「なあ、どうしたんだよ。俺の顔に何かついてるのか?」
ルシファーは自分の顔に手をやる。そして彼もまたぎくりと身をこわばらせた。
「あ、あれ? どうしてだ……?」
手に触れる顔面にはしっかりとした凹凸があり、かつての自分だと思われた。そして目に映る右手は筋張った男性の手である。
その下にある身体だって、十歳の子供であるはずがない。成人男性らしい筋や筋肉があり、踝から先はベッドに収まりきらず飛び出している。
「ほんとうにルシファーなの? あの子は十歳だったはず。もしどこかにやったんなら許さないわよ」
「いや……俺だ。黙っていたが、これがほんとうの姿なんだ」
「ど、どういうこと?」
混乱するベアトリクス。
どうして身体が戻ったのかはわからないが、こうなっては事情を説明しなければなるまい。ルシファーは長いため息をついた後、重い口を開いた。
◇
ルシファーは、呪いをかけられて家を追い出されたということを打ち明けた。
王子だということは何となく言い出せず、田舎の子爵家の出だということにしておいた。
「そうでしたの……」
衝撃を隠せないベアトリクス。厨房のいつもの食事テーブルを挟んで座りながらも、どうしたらいいか分からないと言った様子でちらちらとルシファーを見ている。
「じ、事情は理解しましたわ。でも、どうして急に元の姿に戻ったのですか?」
「それだ。少し考えてみたんだが、おそらく俺の師匠が〝月の魔女〟だからだと思う」
「月の魔女様?」
「ああ」
ルシファーは長い脚を組む。ひとまず屋敷にあった古着を身に着けていて、流行遅れのデザインのそれを見事に着こなしている。
自棄になる前の彼が師事していた大魔法使いクロエ。通称月の魔女とも呼ばれる彼女は、ルシファーに若返りの呪いをかけた張本人でもある。
「師匠は月の光を魔力に変換して魔法を使う。だから、月が出ていない日は魔法を使うことができないんだ」
「月が出ていない……。も、もしかして」
はっと何かに気が付いた様子のベアトリクス。ルシファーは頷いた。
「昨夜は新月だった。月が出ていなかったから、一時的に呪いが解けたのだろう」
「そういうことなのですね……! では、一日経つと再び子供の姿に戻ってしまうということでしょうか」
「その可能性が高い」
はあぁ、とルシファーはため息をついた。
ルシファーも腕のある魔法使いであるが、世界に数人しかいない大魔法使いであるクロエは別格だ。彼女がかけた呪いを解く力は今の彼にはない。大魔法使いがかけた魔法を解くことができることもまた大魔法使いだけだ。
「る、ルシファー様は月の魔法使い様の弟子なんですよね? 弟子に呪いをかけるだなんて、なにか揉め事でもあったのですか?」
大人に戻ったルシファーは年上のように思われたので、敬称と敬語で尋ねたのだが。
「……別にいいぞ。今更だから、様も敬語もいらない」
「しかし、そういうわけには。あなたはわたくしより年上ですし」
「三つしか違わないだろ。構わない。また子供になったときにもそういう態度を取るのか? 怪しまれるぞ」
「……それは、そうですわね」
少し逡巡したのち頷くベアトリクス。可愛がってきた子供が実は自分より年上だったということには戸惑ったものの、肝の太いベアトリクスは受け入れが早かった。
「おまえは特別だぞ。俺を呼び捨てにするやつなんて家族以外にはいなかった」
ルシファーは目を細めてふっと笑った。
(笑った顔……初めて見たかもしれない)
ベアトリクスはその美しい顔に思わず目を奪われる。彼はこの屋敷に来てから常に不愛想で感情のない目をしていたから、このように笑えるのだということが意外だった。
(笑うといくらか幼く見えるわね)
やや尖った犬歯がそう感じさせるのかもしれない。
ルシファーにつられるようにして、彼女も穏やかに微笑んだ。





