15.猛者遂滅
「教皇様!平民どもが、教会内部に押し寄せてきましたっ!危険ですので、お逃げ下さいっ!」
「なんだとっ!」
逃げると言っても、この部屋は建物の最奥にあり、隠し通路などもない。
逃げるには、一箇所しかないドアから出るしかないのだ。
開かれたドアの外からは、平民と思われる者の怒鳴り声が聞こえてきている。
「ここにいるのか!」
「助けてくれ!」
「町に魔獣が入って来たんだ!」
「はやく結界を!」
平民たちは、武装はしていないものの、数の有利で教会騎士たちを押し除け、この神聖な大結界の間に雪崩れ込んできていた。
「ここは貴様らのような卑しい平民が入る場所ではない!即刻立ち去れ!」
たまらず聖職者が牽制するが、激昂した平民の集団に、それは逆効果だった。
「なっ!私はいつも多額の寄付を、この教会にしてるんだ!寄付した分くらい守ってくれてもいいはずだ!」
「はやく魔獣を倒せ!」
次から次へと平民が入り込み、聖職者たちを囲む。
言葉での罵り合いが、暴力に変わるのは一瞬だった。
素手での殴り合いは、数に勝る平民が有利であった。
「無礼者!私はこの国の第一王子だ!卑しい平民どもめ、道を開けぬかっ!」
混乱の場でも、王族の声は不思議とよくとおり、一瞬だけ、その場を支配した。
「王子?ここに王子が?」
「王族なら助けてくれ!」
そして、聖職者に殺到していた正気を失った平民たちが、今度は第一王子に詰め寄る。
「なっ!寄るな!不敬である!」
「王子!はやく結界を!」
「王子!魔獣を倒してくれ!」
平民たちはなおも王子に詰め寄り、壁に追い詰めた王子をぐいぐいと押しつぶす。
「痛いっ!無礼な!私に触れるなっ!
教会騎士ども!何をしている!こやつらを切り捨てろ!」
王族の声は混乱の中で、不思議と強制力を持って響き渡った。
さすが古い国の、長く続いた支配者の一族の末裔とも言うべきか。
人が密集していたせいで、廊下で待機し、様子見していた教会騎士が剣を構えて雪崩れ込み、暴徒と化した平民たちを切り捨て始める。
しかし狭い室内に、身動きがとれないほどの人間がひしめきあっている中、剣を振り回したらどうなるのか。
敵も味方も関係なく、斬りつけることとなり、床に繊細に描かれた大結界の術式は、血に濡れ、繊細な模様が消されて、遂に機能を失ったのだった。
また、魔力を持つ聖職者の殆どが、魔獣に襲われるまでもなく、ここで骸となった。
***
「クソっ!なぜ私がこんな目に!」
そんな中、第一王子は王城へと走っていた。
すがりつく平民たちを斬り捨てながら、文字通り血路を開いて、混乱から逃れたのだった。
通常であれば、教会内で帯剣は許されていないのだが、王族ということで、特別に許されていたのが幸いだった。
装飾過多な細身の長剣だが、中身は名工が打った魔大陸時代の魔剣である。
大量の肉を斬り捨てても、脂が付着して切れ味が悪くなるようなこともなく、刃こぼれもしていない。
ただし、たくさんの血を浴び続けているために、柄の部分がヌルヌルして滑るのが気になっていた。
やっとのことで、王城に辿りついたものの、ここにも平民が押し寄せ、あろうことか城内にも入り込んでいた。
名乗りを上げて平民どもを蹴散らそうと思ったが、先程の教会での結果を思い出し、見つからないように回り込むことにする。
屈辱だった。
なぜ自分がこんな目に合わなければならないのか、全く理解出来なかった。
「なぜだっ!なぜ私ばかり!」
コソコソと王城の衛兵用の通用門から、城内へと入ろうと、門を守っていた衛兵に近づくと、
「はっ!アレフ第一王子殿下!ご無事でしたか!」
生真面目な衛兵が、大きな声で第一王子に呼びかけた。
途端、
「第一王子?第一王子がいるのか?!」
「あそこにいるぞ!」
「王族なら助けてくれ!」
あっという間に大勢の平民に取り囲まれる。
「チッ!余計なことを!そこの衛兵!平民どもを蹴散らせ!」
「えっ?!は、はっ!承知しました!」
生真面目な衛兵は第一王子の指示に驚くも、命じられたとおりに抜刀する。
ここも教会同様、血飛沫が舞う。
「ぎゃあああ!」
「い、いきなり何を!」
弱そうな者から斬り付けていく。
死体が転がるせいで、足場の確保が難しくなるのが鬱陶しい。
しかし、非武装の無力な平民は、数で圧倒する。
「王子が、乱心している!」
「きっと、魔獣に取り憑かれたのだ!」
「殺せ!」
「殺せ!」
誰かの叫び声が、集団心理に作用する。
より、理解しやすい方に思考は流れる。
「なっ!取り憑かれてなどおらぬ!」
誰かが投げた石が、第一王子の顔に命中し、額から血が流れる。
武器を持たない集団は、それが有効な攻撃だと理解すると、それと同じ行動をとりはじめる。
四方八方から飛んでくる石など、到底避け切れない。
「やめろ!無礼な!斬り捨てろ!」
「王子殿下!ここは我らに任せて早く城内にお入り下さいっ!」
先ほどからそのつもりである。
入る隙がないのが解らぬのかと、衛兵に怒りを覚える。
なので、その衛兵の背中を蹴り付け、平民どもが怯んだ隙をついて城内に駆け込む。
満身創痍である。
主に石をぶつけられた傷なのだが、あちこち酷く腫れ上がり、頭を庇った腕は折れているかもしれない。
足も痛いが、我慢して走る。
平民どもが侵入出来ない場所に移動しなければ。
門の外が静かになった。
衛兵がやっと本来の働きをし始めたのだろう。
わざと迷路のように分かりにくく作られた回廊を迷わずに通り抜け、王のみが入ることの出来る謁見の間へ。
ここから行ける王の執務室に東の離宮へと抜ける長い隠し通路がある。
東の離宮には、父上である陛下と王妃殿下、それに産まれつき盲目の腹違いの弟である第二王子が住んでいる。
王妃殿下は元聖女だ。
そこまで行けばなんとかなるに違いないと思った。
この国は聖女の力で支えられて来たのだ。
ジルヴァラを追放したのは失敗だったのかもしれない。
ミリアリアは肝心な時に全く使い物にならず、いつのまにか消えてしまった。
あの女に騙されたのだ。
ここにきてようやく、自らの誤ちに少しだけ気がついた第一王子だった。




