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古城とあなたと失われた記憶 ~原点~

 厨房の裏口から外に出たティアは、桶を抱えて井戸に続く小道へでた。ふいに景色が歪み、視界がぶれれ、めまいがした。次に既視感が襲ってきた。


 ふらふらと小道を抜け、導かれるように右手に曲がると見覚えのある井戸があった。

 夢で何度も見た場所がそこにあった。


 怖い。



 そして、意識は闇の底に落ちた。





♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢





 燭台の光が揺れる、夕闇迫る食堂の大きな窓からは、闇に沈んでいく森と朱から紫色に染まる湖が一望できる。


 毎晩、柔らかい声で話しかけてくれた方と、今日初めて一緒にお食事をしました。扉越しにはいろいろなお話をしてくださったのに、実際に向かいあうと口数の少ない方で、私を部屋から出すためにとても無理をなさっていたのがわかります。



 扉越しにお話していたときはもちろん、初めてお会いした時にも気が付きませんでした。こうして顔を合わせてみると……とてもきれいな方です。


 目が合うと優しく微笑まれます。それだけで、私の心臓は飛び跳ねます。頬に朱がのぼります。おかしいです。私の心は……別の方をお慕いしているはずなのに。


 言葉を発すれば温かい返答がある。目があえば微笑んでくれる。

 そんな人が一緒にいてくれるだけで、この先どうなるのかはわかりませんが、しっかりと歩いていけそうな気がします。




 時がたち、豊かで雄大な自然の中、美しい風景を四季を彩り、とても穏やかな時間がゆっくりと流れています。


 もう二度と愛さないと誓ったのに、彼がそばにいるだけで私の心臓はとくとくと高鳴ります。



 ある日のこと私が図書室にいると彼が来ました。いろいろな本を教えてくださいました。とても博識な方のようです。

 魔導に興味があるというと「ここは君の家なのだから好きに持っていくといい」とおっしゃいました。そして新たに魔導書を購入してくださいました。私はむさぼるように読みました。

 この城の中でいろいろとお手伝いをしてみましたが、皆に迷惑ばかりかけて、ちっともお役に立てないので、学ぶことで何かお力になれればと思いました。


 「そんなに興味があるのなら、魔導の教師を雇おう」といってくださいましたが、それはいくら何でも申し訳ないのでお断りしました。お役に立つのが目的なので、それでは本末転倒です。


 その後、暇を見つけては私に魔法を教えてくださるようになりました。聞けば彼は王都の魔道学院の出身だそうです。



 彼はとても優しく、使用人達に好かれ、尊敬されております。きっととても良い領主様なのでしょう。

だから不思議なのです。若くて、賢いお方なのに中央から去り、政治にはかかわらず、ここに隠居しています。

なぜでしょうか?

 家令に聞くと、やはりとても優秀な方だと言っていました。王宮勤めをしなくても良いのでしょうか。確かに王宮には職を持たず、領民に尽くされる領主はおりますが、彼はそれには当てはまらないような気がします。

 私を引き取るにあたって何かあったのでしょうか。心配です。




 緩やかに時はすぎました。あるうららかな日、私が洗濯物を干すのを手伝っていると彼が庭園の方からやってきました。花束をもっています。


 「ティア」


 呼ばれて近づくとその花束を手渡されました。それは可憐で良い香りを放つ名もなき花々です。するとは私の前に跪き、礼をとり、青く煌めく美しい指輪を差し出しました。確かこの家で代々受け継がれている大切な指輪だと聞いています。


 「ティアラ嬢、私の妻に」


 聞き間違いかと思いました。その言葉の意味を理解した瞬間、私の頭の中は真っ白になりました。なぜ、私のような者に結婚を申し込むのでしょう。しかも貴重な家宝を差し出して。

 公爵閣下でこれほど立派な方なら、いくらでも相手がいるはずです。ここに置いていただけるだけでもありがたいのに……。私は心臓がどきどきして混乱して逃げ出してしまいました。



 今思うと、とても失礼なことをしてしまいました。今更ながら赤面です。そしてひどいことをしてしまいました。反省しています。お詫びに行った私を咎めることもなく。

「こちらこそ驚かせて済まない」と笑っていらっしゃいました。



 そう、この方ならばいくらでもお相手がいるはずです。私など選ぶ必要はないのです。

 でも、もしもどなたがか彼の元にお輿入れしたら?

 私は……。

 そう思うと涙が止まらない。

 次から次に思いとともに涙が溢れて、それなのに思いは募っていく。




 その半年後、領地視察に出る前に「この指輪は、君を守る物だから」と渡されました。

 嬉しかった。

 意気地のない私にはすぐにその場で指に嵌める勇気がありませんでした。



 彼が戻る今日、この不思議な魔力を秘めた美しい指輪を初めて嵌めました。この指輪には願いをかなえるという言い伝えがあるそうです。

 彼とおそろいの指輪。



 決めました。

 これから先、私の人生はあなたをお守りすることに捧げます。





 その日は唐突にやってきました。

 己の分を弁えず、幸せになろうとした罰でしょうか。もとより彼に救い上げてもらえなければ、失っていた命、覚悟はできていました。

 井戸のそばに追い詰められた私を助けようとして、彼は槍で体を貫かれてしまいました。


 本来なら このくらいの負傷などものともされないお方ですが、どうやらその黒々とした槍には強力な呪いがけられていたようです。治癒はおろか、体から抜くこともままなりません。地面に縫い留められてしまいました。


 元はアナベルだった女が何やらほざいていますが、顔が腐り始めて。不明瞭なうめきに聞こえます。

ぐずぐずに解け始めて呪詛の言葉を繰り返しております。恨みが強くて人の形を保てないようです。


「目障りな女、朽ちるがいい!「わが先祖に仇なした王族の末裔よ。滅びるがいい」」


 地の底を這うような男と女の叫びが重なります。なぜか彼も私も深く恨まれているようです。とても理不尽です。

 そして、彼女は得体のしれないものに憑依され人を辞めてしまったようです。隣で、カーライルが薄っぺらい笑みをうかべ、私達ををあざけっています。


「お前が今ここでその男を殺せば、命だけは助けてやる」


 何がおかしいのか哄笑しています。

 そのようなくだらない戯言よりも私が気になるのは、アナベルが唱える呪詛です。とんでもなく強大な呪いが膨れ上がっています。私は図書室にあった魔導書で覚えた術式を必死に唱えました。

 彼だけは守らなくてはなりません。領民にとってもなくてはならないお方です。


 強く願うと奇跡が起こりました。

 彼の周りにまばゆい六芒星の魔法陣が出現しました。そして彼が光の帯に包まれていく。間に合いました。成功したようです。この願いを叶えるという指輪のおかげでしょうか。

 彼が私を見て驚いています。

 これで彼が直接呪術師を傷つけるようなことをしなければ、呪いから守ることができます。隠すことができます。

 私の命が消えた後も。


 呪いはすべて、この身に受けます。


 上手く笑えなくなったのでしょうか。彼が悲痛な表情をしました。ごめんなさい悲しませてしまいました。

でも、私の力ではこの呪いを消し去ることはできません。呪詛を放つ者から、あなたを隠すことで精いっぱい。

 本当に私はいつも肝心なところであなたのお役に立てません。



 あとは呪いを引きつければいい。


 そろそろお別れのようなので、最期に大切なあなたに

 

 「ありがとう」

 

 とつぶやきました。




 ああ、上手くいったようです。私の方に誘導された呪いが、いま体を貫きます。



 愛しています。イザーク様……告げられなかった私の思い。

 

 どうか、あなたを慕うものとともに生きてください。

 

 ……わたしもあなたとともにありたかった……



 青い指輪が砕け散った瞬間「願いは聞き届けた」そんな声を聞いた気がする。


 意識は奈落の底へ落ちた。








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