王宮 脱出
イザークはティアを抱いたまま階段を登り切り最上階にでた。
「あの、私、大丈夫です。自分で歩けます」
もう、お荷物は嫌だった。この緊急時に泣きじゃくっておびえている場合ではない。ティアはイザークに支えられながらも自分の足でしっかりと立った。
「顔色は悪くないようだな」
イザークが心配そうにのぞき込む。あまり表情のない彼にしては珍しく、感情が顔に現れていた。
「大丈夫です」
そんな彼の反応に驚いて、ティアは心配させないように笑顔を作った。イザークはすっと目をそらすと扉を開けた。
まぶしい日差しにティアは目を細める。爽やかな風が頬を撫でた。そこには城の屋上だった。二人は表に出た。
「怒っていないのか?」
イザークが呟く。ティアは、彼の言っている意味が分からなくて、大きな目を瞬いた。
「私は、わざと黙っていた。騙していたのと同じだ」
彼は修道院で出会って間もないころ、「信用するな」と言っていた。ティアはそれでも、彼を信じることを選んでいた。最初はきっと縋っていたのだ。しかし、今は違う。
命がけで守ってもらった。
だから、今度は私があなたを……。
彼女が思いを言葉にする前に、矢が降ってきた。見張り塔から次々と矢が放たれ、降り注ぐ。次から次へとイザークが剣で薙いでいった。
ティアはそこでやっと周りの状況に目を向けた。
「あれ、イザーク様、そういえば、ここ屋上じゃないですか!どうやって逃げる気ですか?」
のんびりと泣いたり、怯えたりしている場合ではなかった。かなりまずい状況のようだ。出てきた扉からは、兵士たちが、階段を駆け上ってきたのを見てティアは慌てた。逃げ場がない。
対魔物戦には慣れていたが、対人戦は結界をはったり、相手の魔法を反射させるくらいしか経験がない。
だが、これ以上、イザークの足手纏いになりたくなかった。
思わず扉に水魔法を放ってしまった。先に出てきた者はよけたが、後から来た者たちが階段から転げ落ちる物音や悲鳴が聞こえる。
「ごめんなさい!ごめんなさいっ!」
叫びながらも、ティアは水魔法を連射した。
自分たちを殺そうと功名心に燃え、ギラギラとした殺意を向けてくる兵たちに詫びをいい、情けをかける彼女を見ながらイザークはなんとも言い難い感情にとらわれた。もう少し粘って城の兵力を削ろうと思っていたがやめた。
「ティア、らちが明かない。馬で逃げるぞ」
降りそそぐ矢を薙ぎ払っていたイザークがティアに向かっていった。
いつもの無表情でとんでもない提案をする。
「はい?ここ屋上ですよ!どこに馬がいるんですか?」
「厩に決まっているだろう」
ティアは恐怖に顔を引きつらせた。なぜなら屋上に厩などあるわけないからだ。以前サンローラで、イザークがほぼ垂直な崖からティアを抱えたまま飛び降りたことを思い出した。
もう嫌な予感しかしない。
「ひぃっ!」
逃れる間もなく、軽々とイザークに片腕で抱き上げられた。城壁沿いに見える地面は、とんでもなく遠かった。
イザークは城壁に足をかけると躊躇なく、ふわりと飛び降りた。
「いやーーーっ!」
落下の瞬間の浮き上がるような感覚に、ティアは意識を手放した。
目が覚めるとティアは馬上の人になっていた。
それほど長い間気を失っていたわけではないらしく、まだ城内で、イザークはティアを抱えて、馬で疾走していた。とりあえず馬の強奪は済んでいた。
ばらばらと矢が降り、兵が追いすがってくる。
「ちっ、面倒だな」
イザークが舌打ちをした。ちょっと怖くてティアの体はぴくっと反応した。
彼が指笛を吹く。
すると空から二人の上に影が舞い落ちた。
ティアが恐る恐る見上げる。
「あの鳥!」
驚きに目を見開いた。魔獣の成長は早い。それはダンジョンで見つけた時よりも大きく成長したシムルグだった。
翼を広げたシムルグはブレスと羽ばたきで矢をすべて落とすと、馬の前に出て露払いをするがごとく先頭に立って兵を蹴散らした。
突然、魔獣が乱入し、兵達が浮足立った。兵とは言っても派閥争いの影響で、もともと統制すら取れていなかった。
障害物の無くなった馬はさらにスピードを速めた。あっという間に北側の狭い搦手門を潜り抜けた。
その先にはまだ鎮圧されていない暴徒の残党がいたが、表門よりははるかに少ない。鳥型の魔獣を見ると、皆驚きに目を見張り、慌てて道を開け、潮が引くように人が沿道によけて行く。ティアはその中にサムズアップをする小山のような女拳闘士を見た。手を振るメアリーを肩にのせている。
「メアリー!ノーラ!」
馬上から見た二人は、流れる景色の中にあっという間に消えた。
「イザーク様、皆さんは、無事ですか?」
「ああ、城を抜けるのは我々が最後だ」
ティアは、その言葉に安堵した。
「これからどこへ?」
「ティアが呪われた場所にいく。こんなことは終わりにしよう」
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そのころ王宮の地下では、迷宮に迷い取り残された兵達がいた。
王族の血を引いているものか、魔力の強いものでなければ、
なかなか出口を見つけることはできない。
彷徨っているうちに彼らはまた一人仲間をなくす。それに気づく余裕はない。
だんだん凍えるほど寒くなってきた。手がかじかみ、歯の根が合わない。
最後尾の一人の兵士の足元から幾千もの黒い粒が、密やかに這い上がり、全身を包み込む。
「ひいっ!」
それらは礫のように体の柔らかい部分に食い込んだ。
ぐずっ……ぶしゅっ
不気味な物音とともに鮮血が霧のように散る。
次の瞬間、人の体はもろくも崩れ去った。
いつの間にか蓬髪の女がただ一人薄暗い地下通路に座り込んでいた。
ごりごりと何かをかみ砕き、ぽきぽきと音をさせ咀嚼した。
ごくりと音をたてて飲み込みこむと、血濡れた赤い唇を満足そう微笑みながら拭った。
……あの女……今度こそ、殺す
……あの剣…痛い……あの男…………みぃつけたあ……
にたりと微笑んだ女の口角がとこまで上がり、裂けていく。
王宮の地下深い闇に亡者の哄笑が響いた。




