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王宮 地下迷宮と真実 下

薄暗い通路には二人が走る足音と息遣いだけが響いた。


 つながれた手は大きくて優しくて、力強かった。

 ティアの中でカーライルにかけられた最後の魅了の欠片が、音を立てて砕けた。


 幼いころ王宮で迷子になり、途方に暮れていたときに助けてくれた男の子。

 記憶の中では金糸の髪だった。今ゆっくりとそれは色合いを変える。


 いびつに捻じ曲げられた記憶が修正されていく。


 ティアはあふれる涙を止めることができなった。彼女は最初から間違えていた……。


 暗く湿った迷宮を駆け抜けながら、彼の背にティアは願った。


「あなたの本当の姿をみせて……」


 二人はどちらからともなく立ち止まった。金糸の髪がふわりと漆黒の闇に染まる。

 振り返った彼の面差しはティアの見知ったものだった……けれど、瞳は青く……どこまでも深い深い青。ティアが大好きだった瞳。


 彼は前に言っていた、自分は人外の血を引いていて「いま、見せている姿が、私の本当の姿ではないかもしれない」と、そういった彼の言葉が思い出される。



「それがあなた本来の姿なのですね。……イザーク様」


 その言葉に静かにうなずく。




 カーライルは二人いた。





 昔、稀覯本を一緒に見たのはカーライルだった。多分、稀覯本をティアに自慢したかっただけなのだろう。イザークはその存在すら知らなかったのかもしれない。


 そして、いろいろな本を一緒に読んでくれたのはイザークだった。ティアの疑問に答え、時には一緒に考えてくれた。


 今、二人の記憶がきれいに分かれた。彼はティアラではなく、ティアと呼んでくれる。


 王宮でのお茶会の日、迷子になった彼女に手を差し伸べてくれた男の子。初めて会ったあの時、彼は名乗らなかったのではなく、名乗れなかったのだ。そして、ティアが言われた通りに100を数えている間に、彼はカーライルになった。


「君のこと。ティアって呼んでいい?」


 彼はその日以来、「ティア」と呼んだ。修道院に行く前は、彼だけが口にする愛称だった。

 そして、彼は以後カーライルとして彼女の前に数回現れた。



 14歳の誕生日を迎える前に、とびきり美しい白いバラをもらった。あれが彼と会った最後だった。ティアは枯れてもバラを大切にしていた。


「なぜあれ以来、会いに来てくれなかったのですか?」


 しっかりとティアに目を合わせてくれる。


「君と会う事を禁じられた、君が追放されるその日まで私は王宮への出入りを制限されていた」


 すぐに気持ちはつながった。彼にはティアの言いたいことがわかるのだ。


「それは、なぜですか?」


「陛下から第四王位継承者である私を次期王にとうちうちに話があった」


「そんなことが、可能なのですか?」


  困難かつ、血で血を洗うことになる。ティアの声が震えた。


「まあ、一番簡単な方法は、カーライルを亡き者にし私が成り代わり、あとは派閥を固めて、第一王子に継承権を放棄もしくは理由を作って廃嫡させればいい。穏便には済ませられないだろうが」


 イザークは淡々と語った。国王はカーライルが憎かったのではなく、単に三人の王子が使えないと判断しただけだ。そこに肉親の情はなく、王家の面目と存続だけを考えた方法だ。


「そんな……」


 ティアは何と言って言葉を繋げればいいのかわからなかった。それが実現していれば、血塗られた玉座の上で彼は生涯別人として生きていくことになるところだった。


「当然、その動きを察した王子三人が強硬に反対した。その後陛下はすぐに病に倒れた。ということになっているが、実際には、暗殺だろう」


 王子たちが反対したのは、自分が後を継ぎたかったからで、カーライルをかばったわけではない。身の毛がよだつような醜い骨肉の争いだ。

 彼の過酷な人生を思い胸が張り裂けそうだった。同時に、今まで自分しか見えていなかったことを深く恥じた。


 ティアの澄んだ瞳から涙がこぼれる。

 イザークは思わず彼女の頬に手を伸そうとして、途中でやめた。行き場の無くなった手を強く握りしめる。


「この瞳の色は王家を象徴する色だ。見ていて気持ちのいいものでもないだろう。この姿で城をうろつくのはまずい。行こう」


 会話を打ち切るように、そういうと彼の瞳は見慣れた漆黒へと変化した。彼は踵を返すと通路を先に立って進んでいった。ずっと自分の本来の姿を隠して生きてきた彼の心情を思うと、ティアは切なくて悲して、それなのにかける言葉が浮かばなかった。


 とぼとぼとイザークのあとをついて歩いた。しばらく歩くと狭く薄暗い通路に圧迫感を覚えて、少し息苦しさを感じた。


 その時、ひたひたと何かが追いかけてくる音がティアの耳に届いた。何かにじっとりと見られているような気がして背中に悪寒がはしる。



 ーーアナベルにまた見つかった



 ティアは震えあがった。呪われていないイザークには、はっきりと感じ取ることはできないが、何かに気づいたように振り返った。


「いやっ……」

「ティア?」


 ティアは恐怖で足が竦み、しゃがみ込んでしまった。ここにきて疲労、恐怖、混乱、悲しみ、あらゆる負の感情が限界まで達し、張っていた緊張の糸がぷっつりと切れてしまった。

 イザークは王族を象徴する華美な上着を脱ぎ棄てると、彼女を抱き上げ、暗い迷宮を出口目指して走った。ティアは彼の腕の中でずっと震えていた。


 しばらく行くと、遠くから足音や怒号が響いてくる。どうやら王族以外の者たちもこの迷宮に侵入してきているようだ。恐らくカーライルが導きいれたのだろう。魔力が弱く、道を知らなければ永遠に彷徨うかもしれない、とても危険な場所なのに。


 イザークはティアを抱き上げたまま目の前にある階段を駆け上がった。



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