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王宮 地下迷宮と真実 上



 ティアは、残った者たちの戦いに後ろ髪をひかれながらも、きびすを返すと図書館の奥深くへと走った。先ほどの通路にもどる。案の定扉は消えており、もう一度結界を解きなおした。


 扉の中をのぞくと王宮の客間ほどの広さがあった。中央の台座には煌びやかな、しかし古い感じのする立派なネックレスが飾られていた。そして、四方の壁がぐるりと宝飾品で囲まれていた。どれも高価なもので歴史的価値がありそうなものばかりだった。

 プレートを見ると歴代の王や王妃の名や生没が刻まれている。ここは王家の宝物庫だった。ティアは更に奥にある扉に向かった。鍵がかかっているか不安だったが、真鍮のドアノブをひねると簡単に開いた。

 

 やはり同じような広さの部屋で、装丁の美しい本が所せましと集められていた。ティアは幼いころ見た光景を思い出した。あの頃より狭く小さく感じる。ティアの求める本は正面の上方にあった。すぐに梯子を上り手に取った。じんわり魔力を感じる。やはり、ただの本ではなかった。

 幾重にも複雑な封印が施されているので、ここで時間をかけて解くよりも、とりあえず持ち出した方がよいと判断した。


 ただ、今この図書館からは出られる状態ではない。この部屋に外の物音は聞こえてこないが、まだ戦いは続いているだろう。図書館の出口はふさがれたままだ。下手に表に出ればまた人質になりかねない。


 あたりを見回すと部屋の奥にある小さな粗末な扉が目についた。図書館も迷路のようだったが、ここも同じようなものなのかもしれない。もしかしたら、この宝物庫から王宮の地下通路に出られるのかもしれない。ティアはしばし迷ったが、先に進むことにした。

 ただ、その扉の先には得も言われぬ不穏な気配を感じた。まるで何かに呼ばれているような……。しかし、そこ以外に出口はなさそうだった。


 ティアは扉に近づきそっと押してみた。大きな軋む音が響いて扉は開いた。そこに部屋はなく、下へ向かう暗く狭い階段が伸びていた。どこからか水音がして不気味だったが、ティアは新しい出口を求めて、慎重に一歩を踏み出した。


 暗く湿気を帯びた階段をしばらく降りると、正面にまた扉があった。一瞬迷子になって永遠に迷路を彷徨うことになったら、どうしようという不安な思いに囚われた。意を決して、ゆっくりと扉を開けるとかび臭く、血生臭い。

 嫌な予感がしたが、もう先に進むしかなった。


 扉の中は薄暗く、天井の高い広い部屋だった。一歩入ると、部屋に配置された燭台に炎がポツリポツリと灯り薄暗く部屋を照らした。子供の頃、一度入った迷宮も同じような仕掛けで灯りがついた。

 内部には、いろいろな古い武具が飾られ、収められていた。飾りや宝石に彩られた物も多数あるが、いままでの部屋とくらべると暗く陰惨な雰囲気だった。忘れ去られ、うち捨てられた宝物庫のようだ。全体的に埃をかぶっていて、最近人が出入りした形跡がない。


 広間は全体的にかび臭く埃っぽい。所々蜘蛛の巣がはっている。武具は壁に飾られ、ガラスケースに展示されているものもあるが、無造作に床に転がっているものあった。上にある宝物庫と違い、手入れも整備もされていない。

 赤錆のついている武器などが転がっており、人の血を吸っているような気がして、ティアはぞくりと寒気を覚えた。


 通路をまわってみるとティアが入ってきた扉のほかに三つ扉があった。どこから出たらよいのか判断に迷った。

 そうしているうちに、ティアはふと壁に飾ってある一本の黒々とした一本の槍に目が吸い寄せられた。銘には破魔の槍と刻まれている。来歴はない。しかし、それは名前とは裏腹に禍々しく強い呪いがかけられていて、あたりにひと際不穏な空気をまき散らしていた。魔法で強化された武具や道具はよくあるが、呪いをかけられた武器というのはあまりお目にかかることはない。誰が何のためにこのような武器を作ったのだろうか。込められた念の強さにティアは背中が粟立った。

 ここにはあまたの王家の闇が眠っている。


 早く逃げなければならない状況にも関わらず、ティアは説明できない直観につき動かされた。禍々しい槍に手をかざすとカエルムで教わった神聖魔法の術式を唱え、ゆっくりと澱んだ呪いを浄化していった。


 呪解の半ばで、背中に寒気と殺気を感じ、振り返った。


 それまで全く人の気配や物音はなかったはずなのに、それは居た。気づいたときには、そこに存在していた。

 青白く虚ろな顔をした女が宝物庫の奥に立っている。いつからいて、どこから入って来たのかわからない。魔力で灯らせた燭台の炎がゆらゆらと揺れ、部屋を翳らせた。背中が恐怖で粟立ち、頭がずきずきと痛んできた。

 不気味なそれは、じっとりとねばりつくような視線でティアの様子を凝視している。吐く息が白くなり、いつの間にか凍えていた。怖くて震えがとまらない。一瞬誰だか分らなかった。そもそも人なのだろうか?しかし、端正な女の顔にはどこか見覚えがあった。



「アナベル……様?」



 キラキラと輝きを放って魅力的だったアナベルの瞳が、今では白目まで血のように赤く染まり、まがまがしい光を放っている。美しかったストロベリーブロンドは赤さび色のざんばら髪になっていた。はじけるような笑顔は消え、王宮で王子たちや貴族に愛されていた頃の華やかさは欠片もなく、まるで幽鬼のようだ。だんだんと部屋に卵が腐ったような臭いが充満してきた。ティアは吐き気がしてきた。


 その時、アナベルが錆びた古い短剣を逆手に握りしめているのが目に入った。ティアはそこに吸い寄せられるように目が離せなくなった。



 ---ティアラ・デ・ウィンクルム---



 地の底這うような、ざらつく声はすでに彼女のものではなく、幾重にも響く。まるでアナベルの体の中にいくつもの邪な魂が宿っているかのように。対峙した今、ティアには彼女が呪いの根源であることが本能的に分かった。


(でも、なぜ?)


 とても恐ろしくて、不可解だった。ティアからすべてを奪ったのは彼女の方なのに、なぜ恨まれるのかわからない。

 それほど強い恨みを受けるようなことをしたのだろうか?

 それどころか華やかで王妃や王子たちの覚えもめでたい彼女が、呪いなどという暗い情念にとらわれていたことに気付きもしなった。そんな馬鹿なという気持ちもあるが、今はそれどころではない。とにかく逃げなければと強く思う。


 だが、焦る気持ちとは裏腹に、彼女と目が合ったときから、ティアは指一本動かせなくなっていた。金縛りにあい、口を開いて悲鳴を上げることすらできない。じりじりと緩慢な動きでアナベルがにじり寄って来る。真っ赤な唇の両端がゆっくりと持ち上がり、どう猛な笑みを作った。

 寒さに指先の熱が奪われ、恐怖とパニックで胸が苦しくなった。



 一年前ならば、アナベルに対して怒りや嫉妬を感じていたし、そんな狭量な自分に自己嫌悪を感じていた。しかし、今はそれよりも何よりも、もう二度と関わり合いになりたくないという気持ちの方が強かった。そして、ただ、ささやかな幸せが欲しいだけだ。どこか田舎で薬草を育てるとか、アミュレットを売って暮らすとか、修道女として静かにすごすとか……。平穏な生活を送る。ティアが望むのはそれだけだった。


 それすら許されず、また呪いを受けるのだろうか。それともここで……。


 また、部屋の気温がぐんと下がった気がした。アナベルの周りに黒く禍々しい霧がゆっくりと立ちこめていく。呪詛が始まる。


 そのとき身に着けたアミュレットが光を明滅させ震えだす。淡く聖なる光がティアの体を包んだ。それはティアを守るものでもあり、ここから離れよという警告だ。少しずつ体が温まり、動くようになった。ティアは漸くパニックから抜け出し、恐怖心を抑え、後退りした。


 死にたくない!


 次の瞬間、アナベルは短剣を振り上げ、跳躍した。一気に間合いを詰めてくる。女の跳躍力とは思えない。

 それ以前に人のものですらない獣じみた動きに、ティアは身がすくんだ。なんとか平静を取り戻すと結界の術式を唱え発動させようとしたが、間に合わない。

 ティアは固く目を閉じた。


 その瞬間、金属がぶつかり合う固くとがった音が響いた。ティアをかばうように剣を握った男がアナベルとの間に入る。

 黄金の髪が揺れる。ティアはその後ろ姿を知っている。


 獣じみた速さで繰り出されるアナベルの短剣による攻撃を受け流すと、彼は躊躇することなくその胸を切っ先で刺し貫いた。


 しかし、彼女はにたぁと笑っただけだった。


 胸の傷は見る間に修復していく。

 ティアはその様に戦慄を覚えた。




 彼は今まで手にしていた剣をアナベルに投げつけた。彼女が怯んだすきに、素早い動作で宝物庫の壁に立て掛けられていた古びた剣をとった。

 錆びていたそれは、しっかりと柄を握ると本来の色彩を取り戻し、鞘からすらりと抜くと錆びかけていた両刃が神々しい光を放つ。

 魔道具だ。おそらく王族の血に反応する剣。



 彼は剣を構えると素早く間合いに入り、容赦なくアナベルの腹を薙ぐ。今度は手ごたえがあった。


「ぐあああーーーーっ!」


 アナベルは獣のような叫びをあげ、仰け反った。鮮血が散り、腸がずるりとはみ出す。噴き出した血が瞬時に赤黒く変わる。

 後にはじゅっと肉が焦げる嫌な臭いが残った。


 ぐずぐずとアナベルの姿が腐り始め、眼球ががごろりとおち、落ちくぼんだ眼窩がぽっかり空く。が、再生することはなかった。はみ出た内臓から暗緑色の体液が噴き出し、液がしたたり落ちる。美しかった鼻が紫に変色して崩れ落ちる。

 異臭が漂うなか、アナベルであった物は黒い塊になり、さらりと灰になり、さーっと一筋の蛇のように扉の奥へ吸い込まれ消えていった。

 すべてはあっという間の出来事だった。


「今のは……何?死んだの?」


 ティアの声が恐怖に震える。彼は彼女を庇うように前に立っている。ティアはこの状況に混乱した。

 振り向いた彼と目があった。深いブルーの双眸。


「力を蓄えに行っただけだ。あいつはとっくの昔に人間をやめている。説明は後だ。今は何も聞かず、私と逃げてくれ」


 そういうとカーライルはカチャリ音を立てて剣を鞘に収めた。それからティアの手をとり、迷いなく一つの扉を選んだ。

 気が付くと、ティアは手を引かれるまま、王宮の地下通路を走っていた。


 恐怖と混乱でおかしくなりそうだった。



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