ご令嬢、黒い森へ入る
「困ったな、これは・・・」
「うーん、どうしようか」
サンローラを出発して三日目。一行は、小さな町の宿屋にいた。ヴォルフとサフィラスが朝食時のピークを過ぎて、閑散とした食堂の片隅で額を突き合わせて悩んでいる。
「どうしたのですか?深刻そうですね」
ティアがテーブルに「どうぞ」と言ってクッキーを並べた。
「ティア嬢、そのクッキーは?」
「はい、食堂の親切な方にいただきました」
見ると、コックの若者がティアに手を振っている。
ヴォルフはティアにクッキーの礼を言いつつ、呆れたように言う。
「宿の中とはいえ、あまりふらふら立ち歩かないでくださいね」
「ヴォルフ、その言い方はちょっと失礼だよ」
とサフィラスがフォローする。
確かに思い当たる節はある。サンローラでヴォルフに釘を刺されたにも関わらず、ふらふら動いてしまった。
ティアは立ち歩くのも悪いかと思い、おとなしく席に着くことにした。テーブルには地図が広げられている。
どうやら二人は旅のルートで悩んでいるらしい。
「どこへ向かっているんですか?」
「聖都カエルムですよ」
サフィラスが教えてくる。カエルムの話は聞いたことがある。ヨークスの北側にある宗教都市だ。各国から、聖職者たちが集まっている。聖都市にして、どこの国にもくみしない緩衝地帯だ。
「あれ、言いませんでしたっけ?」
とヴォルフがしれっと言いつつ、クッキーに手を出す。そういえば彼はサンローラを発つ時、ティアに行先は秘密だと言っていた。からかわれたのだろうか?それとも目的地前まで秘密だったのか、ティアにはわからなかった。
思えばカルディアの王都から随分遠くへ来たものだ、ティアには感慨深いものがあった。
色々な国の宗教文化がまじりあった聖都カエルムはどんなところだろう、まだ見ぬ都に思いをはせた。
「それで、お二人は何に悩んでいるんです?」
サフィラスが言うには、カエルムへ行くためのルートが土砂崩れのため、しばらく通れなくなってしまったということだ。
迂回路を使って五日かけて行くか。道が復旧するのを宿で待つか。森を抜けていくかで悩んでいるという。
「森を抜けるとどれくらいですか?」
「正味二日です」
とサフィラスが言う。
「早いですね。そのルートが使えない理由でもあるのですか?」
ティアが地図を覗き込む。
「ええ、この黒い森という場所はオークを始めとした魔物が頻繁に出るんですよ」
ティアは話には聞いていたが、まだ本物のオークを見たことがない。図書館にあった本の挿絵を思い出した。
「ティア嬢・・・目が輝いてますね」
ヴォルフが諦めたように言うと、サフィラスも
「あまり、遅くなるもの何ですし・・・。少々危険ですが、黒い森ルート決定のようですね」
と苦笑する。
森に入って半日以上たった。途中でお茶と干し肉で簡単な昼食をとり、また歩き始めた。
これまで遭遇したのは、ゴブリン数匹と群れからはぐれたガルム一匹だ。
いずれもヴォルフが石礫、サフィラスが氷魔法であっさり撃退してしまった。そのせいかティアが魔獣を見たのは一瞬だった。二人が強すぎる。しっかりと観察したかったティアには、ほんの少しだけそれが不満だった。
ティアは旅の途中でヴォルフに石礫を教わった。小さな石を指でぱちんと弾くだけなのに上手く出来なかった。
「魔力をのせてみては?」
というサフィラスの助言に従い、風魔法を乗せると上手く出来た。
途中、ティアが道々練習しながら放った石礫が怪鳥に当たり、怒り狂った鳥の集団に追いかけられるなどのハプニングがあったものの、サフィラスが攻撃魔法で丁寧に潰し、森を抜ける旅は概ね順調だった。
そろそろ日も暮れる頃、それは起きた。
「囲まれたな。結構な団体さんだ」
ヴォルフが森に入って初めて剣を抜く。サフィラスがティアの横に来ると魔法による防御壁を展開した。ガサガサと草木を揺らす音がする。緑の肌に知性を感じさせない凶暴な目をしたオークが数匹現れた。ティアは想像よりも恐ろしい姿に一瞬たじろいだ。
ヴォルフがひらりと刃をきらめかせ、正面に突っ込む。2匹同時に薙ぎ払った。サフィラスは散発的に氷魔法を叩きこむ。ティアを守りつつヴォルフを援護している。
すると背後に新たな気配が生まれた。
――バゴーン!
一匹のオークが吹っ飛んで地面に叩きつけられた。続いて2匹3匹とものすごい勢いで地面に打倒される。一瞬の惨劇にあっけにとられた三人が見たのは小山のような大きな人影。
「いよー。ティア!久しぶり」
にかっといい笑顔で片手を軽く上げるその人は
「シスターノーラ!」
ティアは駆け寄り、彼女に抱き付いた。
ノーラの後には、二度と立ち上がることがないオークが累々と転がっていた。
「ノーラ、随分、早くに追いつきましたね」
「相変わらず、強いなあんた」
夜も更けた森で4人は焚火を囲んで食事をしている。みなノーラの到着を歓迎している。
「ヴォルフ様とも知り合いなんですか?」
聞けば、ノーラもイザークの部下だという。修道院で危険がないようにティアを見守っていたということだった。
「本当は修道女ではないのですか?」
とティアがいうと
「いや、本物の修道女だよ。この身分は使い勝手がいいからね。今はメラニア修道院所属の修道女兼イザーク様の密偵だ」
と言って、さっき捕ったガルムの肉に豪快にかぶり付く。
「密偵って、堂々と宣言するのもどうかと思うぞ?」
とヴォルフがすかさず突っ込む。三人とも仲が良く、ノーラが持って来た酒を酌み交わしている。
ティアはノーラが肉をうまそうに食べるのを見て、挑戦してみることにした。ティアは魔獣の肉を食べるのは初めてだ。なんでも珍味らしく、市場に持ち込むとそれなりの値段で売れるらしい。
焼けた肉のいい匂い、表面はぱりぱりとして香ばしい。一口かじると少し野性味を残したジューシーな肉汁が広がった。
夜中に獣や魔獣の鳴き声が時おり響き渡る森の中。久しぶりの野宿だったが、ティアはノーラの隣で安心したように、丸くなって眠りについた。




