ご令嬢、憧れの地サンローラでございます!
「メアリー!見てみて!あんなに大きいの初めて見たわ。空も海も終わりがないわ!」
坂の下にはキラキラと輝く海。初めて見る真っ白な海鳥。心地良い潮の香り。気持ちが浮き立つような海風。図書館で何度も見てきた挿絵よりもはるかに美しい景色が広がっていた。
ティアは嬉しくなって石畳の坂道を駆け出した。
「へ?ちょっとティア様、危ないですよ。坂ころんじゃいますよ」
メアリーが慌てて後をついてくるが、彼女の声も弾んでいる。
「まったく、あんなにはしゃいで目立つじゃないか」
イザークが呆れたように、それでも微笑ましそうに彼女たちを見る。
「ははは。ティア嬢、意外ですね。大人しそうなのに」
「好奇心には勝てないんだろう。まあ、何にしてもそろそろ止めないとな。逆方向に向かってる」
イザークとヴォルフは軌道修正すべく彼女たちの後を追った。結局、ティアとメアリーに押される形で港街を散策することになってしまった。ティアは坂道を埋める色とりどりの屋根が晴れ渡った空と調和する景色に感嘆の声を漏らした。
その後、一行は海の見えるカフェで食事をした。高級な場所ではなかったがそれなりにご婦人受けしそうな店だった。ティアにとっては何もかも初めての経験だった。新鮮な魚介の料理が美味しい。
メアリーと二人わくわくしながら料理を選んだ。サンローラの郷土料理は色鮮やかで見目もよく食欲をそそるものだった。
「ああ、もうすぐメアリーとお別れね。さみしいわあ」
食事がすんでお茶の時間になると二人は手を握り合った。
「また、しばらくしたら、きっと会えますよ」
そういうメアリーも寂しそうだ。ティアの頭をフード越しに撫でている。
メアリーはもうすぐこの街の丘の上にある修道院へ行ってしまう。そこに宿泊してから、馬車でのんびりとメラニア修道院まで戻るのだ。
彼女にはお勤めがあるのだ。いつまでもティアの旅につき合わせるわけにはいかない。
それに第二王子からの贈り物が送られた件で、ティアの所在が露見しているかもしれないので、危険なのだそうだ。
旅の最初の目的は見聞を広げるということだった。が目的が少し変わり消息を絶つ旅をするようだ。危険がないことがわかれば修道院に帰れると聞いているが、そんな日が早く来るといいとティアは祈るような思いだった。
国外追放では飽き足らずいったい誰がティアを害そうとしているのだろう。どこまでも明るく広がる空のもと、彼女は少し不安な気持ちになった。
この旅でティアは少しずつイザークから自分のあやうい立場をぼんやりと知らされた。
「そろそろ、いいか?もうメアリーは見えないぞ」
ずっと手を振り続けるティアにイザークが声をかける。メアリーはヴォルフに送られ修道院に行ってしまった。
振り返った彼女の顔はメアリーとの別れの涙で濡れている。イザークがハンカチを差し出すと彼女は遠慮なく涙をふいた。
宿屋へ行くと思っていたティアが連れていかれたのは、海を臨む断崖の突端にある白亜のお屋敷だった。眺望の良い庭はきれいな緑の芝生でおおわれ、テーブルセットが置かれていた。
「わあ!素敵!あそこでお茶を飲んでみたいです!」
ティアはさっき泣いたことも忘れたかのように、邸を物珍し気に見回している。回廊は明るく開放的で、部屋の中にも日差しがさすような設計がなされている。白一色というのがまた景色に映えて外観を美しくみせている。
足取りも軽く歩き回るティアを「まずは荷解きをしないか」と見かねたイザークが声をかける。使用人に頼み、彼女が望んだ庭園にお茶の準備をさせた。ティアの願いはなるべく叶えてあげたかった。泣いたり笑ったり、彼女はこの半年で驚くほど、いろいろな表情を取り戻した。彼はそのことに深く安堵していた。
ティアはお茶の時間、よくしゃべって質問をした。ギクシャクしがちだった彼との関係が嘘のようだった。イザークは驚くほどこの港町に詳しかった。聞けば、ここが好きでヨークスに来ると立ち寄るといっていた。この屋敷はさる貴族の別荘らしい。
「ヴォルフがもどったら、私はいく。その前に返しておきたいものがある」
そういって彼が出したのは、深いブルーのアミュレット。彼がティアから取り上げたカーライルからの贈り物だった。
ティアの顔が一瞬、凍り付いた。
「いまさらと思うだろうが、これは強力な護符だ。そなたの命を三回は守ってくれる。身につけろ」
酷なことを言っている自覚はあった。するとティアが
「売ったのかと思っていました」
と真顔で言う。
「私はそんなさもしい真似はしない」
イザークは心外だという表情で言う。彼を見つめるティアのアメジスト色の瞳がきらきらと輝く。すると彼女が突然吹き出した。遅まきながら、彼女にからかわれたことに気が付いた。
修道院での出会いから、初めて二人は笑い合った。




