ご令嬢、ひたすらイチゴを摘みます
ティアは今森の中でもくもくと野イチゴ摘んでいる。なぜ、このような状況になったのか。
さかのぼること4時間。
トルクの街を出るとき、馬車が手に入らなかった。次の街に行くためにトルクでもう一泊とイザークとヴォルフは提案したが、意外にもティアが徒歩でも平気だと言った。
サンローラへの日程は決まっているようだ。どうやらイザークはそちらで仕事があるらしい。それならば、ティアは自分のために馬車を用意してもらうのも申し訳ないと思った。
馬車だと街道沿いに遠回りに移動することになるが、徒歩だと森を抜けることになるので近道だ。女性の足でも馬車とそう変わらない時間に到着できる。野宿無しならなおのことだ。
それならば、ぜひ森歩きを経験したいと思った。幸いティア以外は全員徒歩の旅の経験者だった。ヴォルフに至っては戦場や紛争地帯から馬が調達できないこともままあることだと言っていた。騎士の世界は随分過酷なようだ。王宮にいたままだったら知ることもなかった。
それに彼女は前回に森に逃げて野垂れ死にしているので、今回はいろいろ勉強になるのではないかと思った。もっとも本当にそのような事態になったら困るのだが、覚悟はしている。
森を半分ほど進んだところにちょうどきれいな小川が流れていたので、そろそろ食事にしようということになった。
ここら辺は獣や魔獣が出ることもあるので火を焚こうという事になり、ヴォルフとメアリーが薪になりそうな小枝を集めにいった。食事はトルクで手に入れた干し肉と木の実がある。
ティアは手持ち無沙汰も嫌なので、イチゴを摘むことにした。ティアを一人にするわけにはいかないようで、イザークが一緒にいるのだが、先ほどから何の会話もない。
それにしてもメアリーがいないと間が持たない、とティアは思った。王都にいた頃、ティアは決められた規範の中で生きてきた。将来まで決められ、自分の意志で行動したのは魔導学院への進学だけだった。そのせいかいざ身一つになってしまうとどのように振る舞えば良いのか分からなくなってしまう。
もともと殿方と積極的に話したことはないが、これまで話題が見つからないということはなった。しかし、今は何を話して良いのか分からない。イザークの方でも話を振ってこない。彼は最初に受けた傍若無人な印象と違い、こちらが気づかないところで気を使ってくれる節がある。
ティアもそれに気付き、相応の気配りをしなくてはと思うのだが、それをうまく言葉にも態度にもできなくて、ギクシャクしてしまう。
するとイザークも手持ち無沙汰なのか手近にあった緑の色の果実をもぎ始めた。ティアが初めて目にするものだ。
「イザーク様、その果物は食べられるのですか?」
好奇心にかられて声をかける。
「これか?」
イザークはもいだばかりの実を掲げる。
「これは魚を捕るのに使う。間違っても食べるなよ」
魚を釣る餌だろうか。それにしても「食べるな」とは失礼な。自分はそんなにおなかをすかしているように見えるのだろうか。それでもめげずに声をかけてみる。
「魚の餌ですか。これから、釣り竿でも作るのですか?」
作り方を知っているのならぜひ知りたい。ティアは森で生きるのに役立つかもと考えた。
「いや、堰を作る」
「堰?」
そう言うとイザークはじゃぶじゃぶと小川に入り、大きな石を積んで流れを堰き止め始めた。強化魔法を使うでもなく普通に大きな石を運んでいる。スマートな見かけと違い、かなり力があるようだ。
すると先ほど採った木の実にナイフで切れ込みを入れいくつか投げ込んだ。何をやっているのだろうか。ティアは好奇心に勝てず近づいた。
しばらくすると魚が腹を見せてぷかりぷかりと浮いてきた。
ティアはびっくりした。
「なんで魚殺したんですか!」
「は?食べるためだろ?」
何を言っているんだという顔で見返された。
「食べるって、それ毒ですよね?食べたら私たちも危ないじゃないですか」
とティアが言うと、イザークがしょうがないなというように教えてくれる。
「この実は平気だ。ロコの実といって魚は麻痺しているだけだ。村によっては、もっと大規模な堰を作って大量に捕るところもある」
ティアは早速、ロコの実のなる木へ近寄った。
「もう、いらないぞ。魚はこれで十分捕れた」
「いえ、ロコの実を覚えておこうかと」
「何のためだ?」
イザークが怪訝そうに聞く。そういう顔をするといつもより少し幼く見える。
「今後の為です」
「森で暮らす予定でも?」
揶揄うような口調で言う。彼は何だか楽しそうだ。いつも無表情な彼にしては珍しい。
「森で迷子になった時のためです」
ティアが力強く言う。
「ならないように努力しろ」
呆れたようにそう言うと、イザークは捕れた魚を回収し始めた。ティアの摘んだイチゴより喜ばれそうだ。
「そんな釣りの方法どこで教わったんですか?」
イザークの言動も物腰も高位貴族そのものだ。彼はそういう教育を受けている。だが、街でも森でもおよそ貴族らしからぬ知識と経験を持っている。ティアの周りにはそういう人は今までいなかったので彼の存在が不思議でならない。
「これは領地を回った時に、領民が使っていた方法だ。まあ、適当な木の枝を銛代わりに刺す方法もあるがな」
やはり貴族だ。どこの領地だろう。ティアは彼の家名を知らない。知っているのはイザークという名前だけだ。
「それがどこの領地かは教えてくださらないのですよね」
イザークはティアをまっすぐ見た。
「ああ、言わない」
ティアは「言えない」ではく「言わない」という彼の言葉が少し寂しかった。
彼女はそれを口に出さずに代わりにこう言った。
「領民の生活を実際に見るなんて、私の家ではありませんでした。イザーク様のお家はとても良い領主様なのでしょうね」
「それが良い領主なのかどうかは分からない。ただそれが、これから先は当たり前になるべきだとは思っている」
イザークは淡々と語るが、ティアはその言葉の端々に熱いものを感じた。そして、そこから少し自分の立ち位置が見えてきた気がした。
「私は、イザーク様がそのために必要とするカードの一枚なのですか?」
彼が軽く目を見張った。
「概ね合っているな。時折ものが見えなくなるだけで、頭は悪くないようだ」
「イザーク様が言ったんじゃないですか。信用するなと」
「確かに我が国の貴族にとって、無私の親切などあろうはずがない。それが家名すら名乗らないのならばなおのこと。元貴族ならば、そなたも良く分かっているはずだ」
つまり、今のイザークにとってティアは何らかの価値があるということだ。彼の表情からはどんな感情も読めない。
「否定してほしくて言っただけです」
ティアがぽつりと言い、寂しそうに笑う。
「イザーク様、いつか信用させてもらえるのですか?」
こんな甘えたことを言えば皮肉かきつい一言でも返ってくるかと思ったが、意外にも彼は言葉に詰まった。しかし、それでもすぐいつもの調子に戻り、
「別に私でなくとも修道院の仲間がいるだろう」
といった。なんとなくはぐらかされている気がした。
「良かった、私にも信じられる人達がいて」
ティアは皮肉ではなく、本心からそう思った。
「メアリーのことをどうを疑えと?」
それを聞いてティアは笑ってしまった。彼女といて言葉の裏を考えたことはなかった。
「そんなことより、靴を脱いで川で足を冷やした方がいいんじゃないのか?腫れているだろ」
彼の言う通り、長い距離を歩きなれないティアの足は腫れていた。歩き方で気付かれていたようだ。ティアは素直に靴を脱いで足を浸した。水の冷たさが、足の痛みを和らげた。ここ数日続いた彼女の緊張も、澄んだ水の流れに解けていくようだった。




