襲来する者たち その②
副島は、御影が向かったと思われる南東方向を遠視してため息を吐く。仕事中に酒を飲んだり、不真面目でつかみどころのない男だと常々思っているが、御影はああ見えても想術師協会最高幹部、〈十二天将〉の一人。並みいる想術師では到底歯が立たない実力者である。
(それにしてもあの速度……凄まじい縮時法の使い手だな)
副島は崖の上から全員の姿が消えたのを確認する。どうやら浄霊院幾夜には逃げられてしまったようだ。逃げた方向は浄霊院家の屋敷の方角。すぐさま無線機を使い、待機させていた特殊部隊、漆扇に連絡を取る。
「状況はどうだ」
『強力な結界がいくつも張ってありますが、ほとんど解体済みです。あとは突入のみです』
〈漆扇〉というのは、古来より想術を使って社会や戦場に潜り込み、諜報、暗殺などを担う部隊の一端である。かつては忍の一派として権力者に仕えていたが、現在はその保護と報酬を与える代わりに、〈法政局〉お抱えの特殊部隊として働いてもらっている。
『主よ。指示を』
「浄霊院幾夜がそちらに向かった可能性がある。住民を見つけ次第、簡易検査機で傀紋色位を測定し、保護しろ。突入はすべての部隊の準備が整い次第、今一度報告を」
『御意』
ぷつり、と無線が切れ、副島は無線機を下ろす。
先日の〈十二天将会議〉ののち、真っ先に〈法政局〉が動いたのには理由がある。一つは、他ならぬ不穏分子を抑制し、想術師協会始まって以来初めての会長の交代という事態に備えるため。そして二つ目は、〈傀異対策委員会〉からの密命だ。
(なぜ、傀異対策委員会が介入してくる……浄霊院幾夜、あの男に何かあるのか)
副島は改めて、浄霊院幾夜という存在がいかにイレギュラーであるかを認識する。
想術師協会には、想術を扱うことのできる者について把握し、管理する役割がある。内部部局の一つ、〈情報統制局〉には、そんな想術師たちのデータが機密情報として保管されており、浄霊院家ともなればデータベースに存在しないはずはない。
しかし、どれだけ調べても痕跡はおろか、存在すら認知できなかった。このようなことはありえないことだ。
(先ほど実際に姿を見たが、確かに存在していた。幻でも人形でもない。この目で見た限り実在は確実だ)
ならば、この矛盾をどう説明するのか。存在しない者が確かにそこにいたとして、その存在がいることもいないことも果たして証明できるのか――――――。
「待て。存在しない者がそこにいるはずはない。ならば、存在しているとして考えれば……」
何かが分かりそうになったその瞬間、副島は背後に誰かが立っていることに気づく。
「誰だ」
「不用心だな、法政局長サマよぉ」
副島が振り向いた先にいたのは、小柄で細身、顔の右半分に鉄仮面を張り付けた少年だった。
「確か貴様は」
「オイラのことはどうでもいい。不用心だって言ってんだ。局長サマがお付きも付けずに敵の懐で佇んでるなんてよ……」
浄霊院衝夜。
先日、〈法政局〉が管轄する監獄、通称煉獄刑務所から釈放された少年である。
ストレスで変色したと思われる白いボサボサの前髪から、赤色の瞳を覗かせ、副島のことを睨んでいる。
「だったら何だと言うんだ。貴様には関係のないことだ」
「ハッ、関係ないだと? ならよ、今から何されても文句言えねえよな?」
副島は目を細め、少年を冷たく見下した。煉獄刑務所から受刑者が釈放される、ということについては、珍しいことなので記憶していたが、それ以上でもそれ以下でもない。
ただ、この少年が幾夜のことを知っているというのなら話は別だが――――――。
「浄霊院幾夜について、何か知っていることはあるか」
「何でオイラが釈放されて、捜索隊の一つも出されねえんだ……!」
質問と質問がほぼ同時に発せられる。副島は小さくため息を吐くと、両手の手袋をそれぞれ下に引っ張り、指を動かす。
冷めた視線が、より鋭くなる――――――。
「先に答えてやろう。正直どうでもいいからだ。〈法政局〉は傀紋色位に基づいて想術犯罪者を管理している。つまり、お前の傀紋色位に改善の兆しがあった。ただそれだけだ」
「傀紋色位? 何にもしてねえオイラを、あんな恐ろしいところにぶち込んでおいて、それだけだと!? ふざけんじゃねえ!!」
衝夜は目を血走らせて副島を怒鳴りつける。懐から数枚の能面を取り出すと、ギリギリと歯ぎしりする。
「オイラは……燵夜叔父さんが、あんなことをしているなんて……!」
「〈浄霊院燵夜事件〉……七年前の児童集団誘拐・殺人事件のことだな」
「見ただけだ……あの実験を見ただけで……」
「見て、何も思わなかったのか?」
副島の言葉に、衝夜は硬直する。
「本当に見ただけで、何も思わなかったのなら、貴様は拘束されていない」
「な……」
「貴様は、よからぬことを考えてしまった。そして、何かしてしまったのではないか? 死体を見てどう思った。正直に言ってみろ」
衝夜の脳裏に、七年前の光景が蘇る。
ぐちゃぐちゃの肉塊に向け、狂気的な笑みを浮かべる燵夜を見て、衝夜は逃げ出した。
逃げ出した――――――逃げ出したのに。燵夜に見つかってしまった。
燵夜は返り血を浴びた血塗れの体で、優しく衝夜を抱きしめた。赤い血が、脳裏にこびりついた。真っ赤な血と、生暖かいぬくもり。
それが、この上なく――――――温かかった。
「ふざけんな……オイラは」
目を泳がせた衝夜は、手に持っていた仮面の傀具を乱雑に地面に投げつける。仮面から、黒い傀朧が噴出し、地面を黒く染め上げていく。
次第に水たまりのようになった黒い傀朧は、ぐちゃぐちゃと音を立てて固まり始める。
「……人間ってさ、仮面をかぶって生きてんだろ。みんなそうさ。本当の一面、思ったこと、都合の悪いこと……全部、全部隠してる……燵夜叔父さんもだ」
衝夜の震える声に合わせ、黒い傀朧が巨大な人型の傀異に変わる。
羽の生えた者、太い腕を持つ者、猿のような者、いくつもの触腕を振り回す者、そしてその中央に鎮座する、座禅を組む者――――――それらすべてに面がついており、負の感情をごちゃまぜにしたような傀朧を身に纏っていた。
「オイラは、燵夜とは違う……! 安心したんだ。オイラは一人だったから。それだけだったのに!」
「はあ……それは八つ当たりか? 私を狙ってここに来たのも、法政局長だからというわけか。実に下らん。同情を買いたいのか? それとも慰めて欲しいのか?」
「うるさい!! オマエ!!」
衝夜の声に合わせ、五体のバケモノが脈動する。
伸びる腕、黒い粒の射出、刃のように振るわれる羽、そして地面から出現する傀朧の光線、その裏に隠れた猿の一撃―――それらの攻撃を踊るようにすべて躱した副島は跳躍し、崖の岩の上に立つ。
「最後にもう一つ答えよう。なぜ護衛もつけずに一人でいるのかと言ったな。護衛など一人もいらないからだ。なぜなら」
副島は岩の上から、醜い五体の傀異を眺め、高らかに宣言する。
「私は想術師協会最高戦力、〈十二天将〉の一人だからだ」
夜明けな裏話 その⑥
衝夜が用意した仮面型傀具は人口傀具で、使用者と周囲の傀朧を根こそぎ吸収して無理やり増幅し、インスタント傀異を生み出す代物です。今回使用したのは、その中でも特に厄介な性能のもので、発生させる傀異はかなり強力な傀異となるものです。姿形は発生させてみてのお楽しみ、となっています。




