四月二十七日―真実
さて、お待たせいたしました。ネタ晴らしです。(サブタイが安直すぎる)
――――――ボッ。
真っ暗な空間に、小さな炎の明かりが灯る。指先から出現した炎が、番匠宙の浮かない顔を照らした。ライター程度の小さな光は、やがて大きな灯となり、空間の全貌を露わにする。
無機質な石造りの階段が、永遠に下に続いている空間――――――ひんやりとした空気を肌で感じながら、宙は階段をひたすら下りていた。
風牙と別れてから二十分以上は経過している。人一人通れる幅の小さな階段は、まっすぐ闇に向かって沈んでいくばかりだった。
「困ったな。こりゃ永遠にたどり着けないかもね……」
宙の言葉は、半分冗談、半分本気だった。
階段はうっすらと傀朧でコーティングされている。どういう術がかけられているのかはわからなかったが、傀域に似た気配を色濃く感じる。おそらく、“永遠にたどり着かない螺旋階段”のような、怪談話を概念にした傀朧で、空間を満たしているといったところだろう。悪意のある侵入者を永遠に閉じ込めておくための仕掛けだ。
「あの猫……わかってて言わなかったな」
地蔵堂ですいかねこに耳打ちされた内容は、『ひたすら階段を下れ』だけだった。ハメられたというわけではないだろうが、永遠に続く階段をひたすら下っていくというのは、いくらか不安な気持ちを生じさせる。とはいえ、戻るという選択肢はないのだが。
「よっし! こういう時は、思いっきりが大事」
宙は、両手で頬をひっぱたくと、足に傀朧を纏わせる。息を静かに吐き出し、精神を集中させると、
「何とかなれっての!!!」
カッと目を見開き、足を振り上げる。そして、ニヤリを笑って壁を蹴り飛ばした。
激しい衝撃が空間中を伝い、壁が破壊される。その勢いで地下空間が倒壊し、天井から崩れ始める。
「やっべ! 予想と違った!」
舌をぺろりと出した宙は、階段を駆け下りる。しかし、倒壊は止まらず、背後がどんどんと瓦礫で埋まり始める。
「うわ、映画みたい!」
逃げる宙の速度よりも、倒壊する速度の方が早い。それなのにどこか楽しそうな宙は、本気でダッシュするが――――――。
「……嘘」
突如目の前の階段が途切れていた。大きな壁が進行を阻む。というよりも、完全に行き止まりだった。
(いや、待って)
宙は、壁に激突する瞬間、壁に向かって飛び蹴りをかます。すると、壁を突き破り、大きく開いた空間に飛び出した。
勢いよく瓦礫がなだれ込み、宙が開けた大穴を簡単に塞ぐ。
うまく着地した宙は、額からにじみ出た汗を拭った。
「助かった……」
広い空間に出なければ、完全に押しつぶされていただろう。流石に危険すぎた、と自分のした行動を反省する。
「あの猫、嘘はついてなかったのね」
宙は全身についた土埃を手で払うと、広い空間を見渡した。
何もない無機質な石の空間は、上を見上げても天井が見えない。タイル張りになった床を進むと、空間の中央に古びた杯が置いてあった。そして、その奥の壁面に、小さな扉がついている。
宙は近づいて扉を開けようとするが、何らかの術がかかっているようでびくともしなかった。流石に力で壊すのは先ほどの反省もあり、やめておくことにする。
「へー」
改めて見渡すと、ピラミッドの内部みたいだと思った。天井が高い点は置いておいて、まるでこの扉の向こうに宝が眠っているような気がしてならない。我ながら子どもじみた発想だな、と思っていると、不意に背後で音がした。
「……これを作ったのは、千年前の初代十二天将たちだそうですよ」
「!!!」
宙は驚いて振り返る。誰もいるはずのない空間から、はっきりと声が聞こえた。警戒せずにはいられない。
宙が振り返った先には、あるはずの瓦礫が忽然と消えていた。代わりに何事もなかったかのように、小さな階段が現れている。そして、コツコツと革靴の音が響き、何者かがこちらに接近してきている。
「ここが、玉の間か。ずいぶんと探したものだ」
「誰? 姿を見せろ」
宙は臨戦態勢に入る。階段を下りてくる靴音は二つ。一つは革靴、一つはスニーカー。宙は指先から出した炎を階段の方へ飛ばす。
「……お前は」
炎に照らされ、現れたのは黒いスーツに黒い手袋をした、鷹のような目の男だった。整った顔立ち、体を纏うオーラ、どこをとってもただ者ではない。その後ろに、男とは対照的な緩い雰囲気の男がついて来ている。
「礼を言います番匠宙。私をこの空間に導いたのは君だ」
「……浄霊院幾夜」
男は、「ご名答」と呟き、背後の男に目配せを送る。緩い天然パーマの男は、笑って背後の階段に身を引く。
刹那、宙は幾夜に攻撃を仕掛ける。俊足からの渾身の蹴りだ。普通の人間なら対応ができないタイミングでの素早い攻撃。しかし、宙の蹴りが幾夜に命中した瞬間、幾夜は宙の背後で杯を眺めていた。
「は……?」
「なるほど。これが血の杯。選ばれた者をふるいにかける装置」
宙は、起こった出来事を冷静に処理しようと思考を働かせる。
瞬間移動したか、それとも時間を操作されたか。いや、そんな高等な術ではない。
これは――――――。
「戦う気はない。話をしましょう」
「……正直、ここまでやるなんて夢にも思ってなかった」
「ここに導いてくれた礼に、ネタ晴らしをしたいのだが?」
「全部話せ」
「いいだろう」
幾夜はニヤリと笑うと、扉の横にもたれかかる。
宙は警戒を緩めない。瓦礫が消えていたことと瞬間移動のタネが分かれば速攻で勝負を仕掛ける――――――そう思っていた。
「結論から言おう。
君は、いや君たちはずっと、私の手のひらの上だった」
今目の前で起こっていることはわからない。ただ、この閉ざされた秘密の部屋を前にして、明確な敵であるこの男が何をしようとしているのか、それだけは何となく想像がつく。
「今回の私の目的は、その扉の向こう……玉の間と呼ばれる空間に眠る、浄霊院家が代々隠し持っていた〈特上傀具〉を手に入れること」
「どういうこと? ここには十二天将の核が眠っているって……」
「それは、嘘だ。番匠宙、君は勘違いをしている。十二天将の核などそれこそ、十二年前に消えてなくなっている」
十二年前――――――それを聞いた宙の顔が曇る。
「……まさか」
「察しが良くて助かる。そう。浄霊院咲夜の中に、すでに取り込まれている」
「取り込まれた? 咲夜ちゃんは生粋の朧者じゃないの?」
咲夜は、これまで生まれてこなかった朧者と術式適合者の抱き合わせ、そう聞いている。朧者に関しては、まだわかっていないことも多いが、ある特定の概念を持った傀朧を集積しやすい傾向がある人間。つまり、咲夜が内包する傀朧も、何か特定の概念を帯びているはずだ。
そう考えれば、宙には腑に落ちないことが一つあった。
「朧者だとも。ただし、内包する傀朧がかなり特殊な、究極の朧者だ。十二天将そのものを内包する、ね」
涼しい顔の幾夜を見て、宙の中で疑問の意図が解けた。
どうして傍から見ても、何の概念かが分からなかったのか。その理由はわかった。しかし新たな疑問が生じる。
「……ちょっと待って。核そのものを内包する? 十二天将は安倍晴明が残した強力な式神じゃないの?」
「違う。そもそもそこから間違っている」
幾夜は、懐から白い玉を取り出して宙に見せた。
「それは……〈傀玉〉!」
傀玉とは、一つの概念を持った傀朧が凝縮し、結晶化したものである。目に見えるように凝縮されているそれは、小さくても莫大な傀朧を有している。
「そう。君なら知っているだろう。傀玉の材料が何か」
「傀朧を……特定の強い概念の傀朧を、凝縮する」
「ならば、その傀朧が一人の人間が精製したものだとしたら?」
「そんなことが……!」
宙の目が見開かれる。この男が言おうとしていることは、常識では考えられない、到底信じられないことである。
「十二天将の正体、それは千年前に生きていた最強の想術師軍団、“初代十二天将”そのものなんだよ」
宙の時間が停止する。
そのようなことがあり得るのか。いや、ありえない。一人の人間から生み出される傀朧の量などたかが知れている。
「君が思っているように、普通ならそんなことはできない。絶対に。だが、安倍晴明は、それを可能にした。それはまさに神の所業に等しい。人間を、最高位の式神……いや、傀異に変えることで、永遠に生き続けられるようにできるのだから」
宙の心拍数が上がる。それならば、それならば咲夜はどうなる。生きていた十二人分の傀朧をその身に宿しているとして。そんな前代未聞の事態が、咲夜の身に及ぼす影響はどうなるというのか。
ありえない。信じられない。
「本題に戻ろう。私の計画……それは、浄霊院家がこれまで存在してきた理由を体現することだ。浄霊院家というシステムは、晴明が予言した〈いずれ来たる破滅の未来〉から、人類を救う存在……言わば救世主に傀朧を譲渡する存在。そのためのシステムなんだよ。そして私は……浄霊院厳夜が、いや、これまでの浄霊院が守ろうとしてきたこの世界を壊す。厳夜のすべてを破壊しつくす。つまり、想術師を超えた新たな存在となってこの世を破壊する」
「矛盾してるじゃない」
「いいや、矛盾してないさ。私自身が救世主になればいいのだから」
荒唐無稽な話だ。想術師を超えた存在などという言葉、信じられないし子どもじみている。しかし、当の幾夜本人からは、狂気的な殺気がにじみ出ていた。
「この扉の奥に眠る原初の傀玉生成器―――特上傀具、造ノ箱。
そして千年待って、ようやく現れた予言の子を手に入れる。結果としてその過程は、浄霊院厳夜を壊す。まあ、それも目的の一つだ。今日はその記念すべき第一歩が完遂される」
幾夜は扉の前に立つと、そっと手で触れる。すると、先ほど宙が調べた時には発生しなかった電撃が迸り、幾夜の手が焼け焦げる。
「残念ね。ここは術式適合者、つまり厳夜さんしか開けられない。白虎がそう言っていた」
それを聞いた幾夜は、口元を大きく歪ませた。
「何が可笑しいの」
「……白虎は君たちに嘘を吐いている」
「なに?」
「この扉は、中央の杯に特定の血を注ぐことで開く。その条件は、術式適合者などではない。そもそも、術式適合者とは何だ。その言葉自体、嘘なんだよ」
幾夜は階段で待機していた緩い雰囲気の男に、合図を送る。
階段の奥から、誰かがゆっくりとやってくる。まさか、咲夜が捕らえられたのか。どちらにせよ、幾夜の目的が本当なら、阻止せねばなるまい。しかし――――――。
からだが、うごかない――――――。
「術式適合者。式神が使える者を指す言葉か。使おうと思えば、十二天将は誰にでも力を貸す。契約さえ結べばね」
幾夜は階段を下りてくるもう一人の人影を迎えに行くように、階段の方へ移動する。
「現代でこの扉を開けることができるのは、たった一人。救世主たる存在ただ一人。それは術式適合者ではなく、〈術式継承者〉だ」
階段の奥から現れたのは、白い能面を付けた一人の少年――――――西浄影斗だった。
「なっ!?」
影斗はふらふらと杯の前まで移動する。そして、手に持っていた錆びたアンティークナイフで、自らの手首をかき切った。勢いよく流れる血が、杯に注がれていく。すると、杯が青い光を放ち、ゆっくりと扉が動き始める。
「ありがとう、影斗。君は本当に役に立ってくれた」
幾夜は、影斗の顔に張り付いている能面を無理やり剥がす。
その瞬間、意識を取り戻した影斗は、目の前の光景を見て混乱する。
「ぁ……れ、なに、これ……おれ……」
幾夜は、混乱する影斗の耳元で、ぼそりと囁く。
「ありがとう。君のおかげで私は厳夜を壊せる。心の底から感謝するよ」
「こわ……す? えっ……」
幾夜は軽やかに、扉の奥に現れた空間に侵入する。中央に安置されていた木製の古びた箱を取ると、宙の前に戻る。唐草文様が書き込まれた美しい箱だった。
「何をしたの! その子は」
「それぐらい考えろ。ここで大事なのは、どうして特別一級想術師である君が動けないのかということだ」
幾夜が指を鳴らすと、体の自由が戻る。
その刹那、本気で幾夜の顔面を蹴り上げようと体を捻る。しかし、その鋭い蹴りは空を切った。
「君を含むこの屋敷の住人たちはずっと、私の想術夢幻光の中にいたんだよ。最初からずっと、ね」
「幻術? そんな馬鹿な……」
宙の視界が大きく揺らぐ。まるで蜃気楼のように辺りの景色が目まぐるしく変わる。本邸、洋館、森、お堂――――――これまで行ったことのある場所、出会った人の姿が浮かび、消えていく。
「いや、正確に言うと幻術とは違う。夢幻光は人間の持つ思い込みや願望、あらゆる意識そのものを支配することができる想術。私に与えられた最強の術だ。厳夜に対抗できる唯一の想術と言ってもいい」
再び地下の空間に戻った宙を待っていたのは、体を震わせ、ただひたすら嗚咽している少年の姿だった。宙の目の前で吐いた少年は、恐怖と絶望に塗れ、今にも意識を失いそうになっている。
「この子に何をした!!」
「言っただろ。意識そのものを操ると。この少年の心を壊すのも、ギリギリ生かすのも私には呼吸と同じような感覚でできる。影斗のおかげで造ノ箱が手に入った感謝もある。だから今はギリギリ壊れないように調整しているさ」
「それに、」と言いかけたところで、宙は再び幾夜を殺す気で攻撃する。しかし、蹴りが煙のように体をすり抜けてしまう。
脚から放出された傀朧が生み出す衝撃はすさまじく、背後にあった壁を粉々に粉砕し、大穴を開けた。
「さて、他に聞きたいことは?」
「黙れ糞野郎」
「では黙ろう。改めて君にも感謝をするよ番匠宙。君がここに導いてくれたのだからね」
「死ね」
「口が悪いね、まったく」
宙の渾身の拳が幾夜に炸裂――――――することなく空を切ったところで、衝撃に耐えられなくなった地下室が倒壊を始める。
一瞬で瓦礫に埋もれた宙と影斗を、幾夜は冷めた笑いで見つめるのだった。
「影斗を無事に、送り届けてくれよ、番匠宙。彼こそが、救世主なのだから」
ネタ晴らしとはいいつつも、更なる謎を提示してしまいましたね……
時折変な状況描写(風牙が屋敷の人間を避難誘導するシーンなど)があったのは、幾夜の想術のせいでした。




