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スケルツォとフーガ ①



――――――不安そうな咲夜。

――――――落ち着きのない心情を抑える老紳士。

――――――ぬいぐるみのように動かなくなったすいかねこ。


 風牙と(ヒロ)がいなくなってからの地蔵堂は静まり返っていた。

 時折、本邸の方角から襲い来る衝撃。重厚な音が鼓膜に振動を与え、地蔵堂がガタガタ揺れる。そのたびに老紳士は唇を噛み、咲夜の心が締め付けられる。咲夜は無力感に苛まれ、拳をぎゅっと握る。

 何もできず、ただ待っているだけの時間がこの上なく苦痛だった。


「私……」


 沈黙に耐えられなくなった咲夜は、ぼそりと呟く。


「どうしてここにいるのかな」


 ぽろりと出た咲夜の本音が、老紳士の心を揺さぶる。咲夜の傍に寄ると、そっと肩を叩く。


「お気持ちは痛いほどわかります。ですが、咲夜様はこの屋敷の要です。ここにいることに意味があります」


 咲夜は、気を遣っている老紳士の気持ちを察する。傀朧の探知がうまくできない咲夜は、外の様子を知る術がない。しかし、老紳士はわかっているはずだ。外で何が起こっているのかを。


「……本当に? じゃあ教えて。外は、みんなは」


 その言葉に、老紳士の表情が僅かに曇る。


「ねえ、教えて……! あの爆発何なの? お屋敷は……みんなは無事なの?」


 老紳士の腕をつかみ、訴える咲夜。その顔を直視することができなくなった老紳士は、咲夜の肩を優しく掴む。


「大丈夫……大丈夫です。落ち着いてください」

「嘘よ! 何か起こってるんだわ。厳太はわかるんでしょ? 傀朧を、探知できるもの。教えて。みんなは無事なの? ねえ!」


 咲夜は老紳士の腕を揺さぶる。その時、これまで黙っていたすいかねこが、低く声を上げる。


「ならば、貴様に何ができるのだ、小娘」

「え……」


「いいか。何も知らぬ。何も出来ぬ。今の(うぬ)は、守られるだけの人形(・・)にすぎん。それを理解しろ」

「白虎様……!」


 すいかねこの物言いに、老紳士は怒りを滲ませる。咲夜は黙って、すいかねこを見る。


「喚くな。考えろ。(うぬ)は何がしたい」

「私は……」

「なぜすぐに答えられん。他人のことを考えるのなら、他人のことを案じるのならば、何がしたいか言ってみろ」


 老紳士は、すいかねこを睨みつけ、咲夜を庇うように前に出ようとする。咲夜は、首を横に振り、老紳士を下がらせる。


「……私には力がない。風牙さんやおじいさまみたいに、誰かを守れる力がない」

「ならばなぜ、他人を案じる資格が(うぬ)にあるのだ」

「それでも私は……っ!」

「ならば今すぐ本邸に行け。そして死ね」

「白虎様! 貴方とはいえ、そのような言い方は……」


 老紳士が苦言を呈したその時、すいかねこの体が二人の視界から消える。

 咲夜の背後に現れたすいかねこの体は、淡く光り輝いていた。


「浄霊院祓式、春雷(しゅんらい)


 老紳士の全身に、強力な電撃が奔る。衝撃で体の自由を失った老紳士は、力なく壁に倒れ掛かった。


「……ずっと不快だった」


 何が起きたのかわからず、目を泳がせる咲夜に、ゆっくりと近づいていく。

 その目は冷め切っており、咲夜の知っているすいかねこではなかった。


「あらゆる人間どもに守られ、何の力も持たず、ただ他人を憂うだけの娘に、何の価値があるというのか。我ら十二天将はこの千年間、ずっと貴様らが生まれてくるのを待っておったのだ。貴様は、浄霊院家の。いや、安倍晴明(我らが主)の臨んだ、世界の救世主であるのに」


 すいかねこから放たれている本気の殺気――――――何とか意識を失わなかった老紳士は、咲夜を守ろうと体を動かそうとする。


「無駄だ厳太。すまんが、そこでじっとしていろ」


 すいかねこは、軽やかに咲夜の飛び掛かると、傀朧で腕を強化し、咲夜の首を圧迫する。

 咲夜は、背中から床に倒れる。


「小娘よ。死ね(・・)。悪く思うな」

「が……ぁ……」


 容赦なく絞められていく首。息ができなくなった咲夜は、必死に抵抗する。すいかねこは淡々と、力を強めていく。


「やめ、ろ……!!」


 老紳士は、傀朧で作り出した影をすいかねこに向けて放つ。実体化した影がすいかねこを弾き飛ばし、咲夜は解放される。


「ごほっ! げほ、げほ……」


 飛ばされたすいかねこは、すぐに立ち上がり、咲夜の手を引いて老紳士から距離を取る。


「小娘を守る? 矛盾している。厳太よ、(うぬ)らはこの小娘を人間扱いしておらんのだ」

「なぜです……」

「記憶を奪い、意志を奪い、想術から遠ざけ、優しさのみを教えた。その結果がこれだ。敵の目的が何なのか、(うぬ)らにはわかるまい」


 咲夜は自分が殺されかけたショックで、放心している。その顔を見て、すいかねこはため息を吐く。


「待ってください……目的は十二天将の核ではないのでしょうか」

「喋れるようになったか。まあよい。お門違いにもほどがあるぞ。十二天将の核は、この小娘本人(・・・・・・)ではないか」

「な……」


 老紳士は口を開け、唖然とする。


「小娘よ、よく聞け」


 すいかねこは、咲夜の体を揺り起こす。放心している顔をひっぱたき、現実に引き戻す。


「貴様は、この世界で一番傀朧を有している人間……それもただの傀朧ではない。浄霊院家が代々守ってきた、()の概念を持った傀朧を有す、神に等しい存在なのだ」


 咲夜は、言葉の意味が飲み込めず、虚ろな目ですいかねこを見つめることしかできない。


「待ってください……では、二人が向かった先にあるのは……」

「本当の浄霊院家の秘宝が安置されている。敵はおそらく、それを奪いに来ている」


 体の自由が徐々に効き始めた老紳士は、咲夜を助けようと体を前に動かす。


「厳太。この小娘が、世界を救う救世主になれると思うか? 無理だ。この大役は重すぎる。心も体ももつはずがない。だからここで、死ぬのがよい。

余は……苦しむ貴様らも、小娘も見たくはない」


 すいかねこは悲しい表情で俯くと、手のひらサイズの雷を、咲夜の胸に向かって放とうとする。


「……すまぬ、咲夜」


 今にも泣きそうな、掠れたその声に、咲夜の意識が反応する。

 すいかねこの腕をつかむと、攻撃を中断させる。


「咲夜様!」

「……まだ質問に、答えてないわ」


 咲夜は、震える声を押し殺し、すいかねこを見据える。

 その目には、放心した弱弱しさではなく、決意のような意志が宿っていた。


「私は……もう助けられてばかりは嫌! あの時……壁を壊して、風牙さんに助けられた時に、決めたの。風牙さんみたいに、生きるって! 今度は私が、誰かを守れるようになりたいって! そう、決めたの」

「では、(うぬ)が戦うとでも言うのか? 無理だ。(うぬ)が記憶を失ったのは、他ならぬその他人(・・)のせいなのだ。厳夜が奪ったのではない。自ら心を閉ざしたのだ! その力を恐れた故に」


 ドクン、と咲夜の心臓が脈を打つ。忘れている過去の記憶―――夢にまで見た恐怖が思い出される。何が起きたのかは全く思い出せないが、これ以上思い出すなと体が警鐘を鳴らしているようだった。


「……私は」


 しかし、咲夜は負けない。恐怖を押し殺す。

 負けない――――――きっと風牙ならば、どれだけ恐怖に打ちのめされても、あきらめないだろうから。


「絶対に、負けない」


 咲夜の決意が、傀朧となって全身から放出される。その量と質に、老紳士は圧倒される。これほど力に満ちた咲夜を見たことはない。傀朧は力強い圧となって、地蔵堂の壁や床をガタガタと揺らした。


「ごめんね、貴方は私を心配してくれたから、あんなことをしたんだよね」


 咲夜はすいかねこの柔らかい体をぎゅっと抱きしめる。


「違う。余は……」

「ううん。私のせい。本当は、貴方の言う通り、死んでもよかったのかもしれない。でもね」


 咲夜はにっこりと照れ臭そうに笑う。


「風牙さんなら、きっとあきらめないと思うの」


 その言葉に、すいかねこは苦い顔で俯いた。文句を言ってやりたかったが、あまりにも明るい顔だったので、言う気が失せた。


「私、本邸に行くわ」

「……勝手にしろ」


 咲夜は地蔵堂を飛び出した。振り返ることなく、まっすぐに山を下りていく。その背中に、戸惑いも恐怖もなかった。

 咲夜が負けないと誓ったのは、紛れもなく自分自身に、ということだった。


「莫迦め」


 思い出しかけている過去が怖くないはずはない。無力な自分が行ってできることなど、何もないこともわかっている。しかし、行かずにはいられない(・・・・・・・・・・)のだ。その行動を、すいかねこは笑えなかった。


「くっ……」


 老紳士は何とか立ち上がり、体を前に進めようとするが、うまく動けない。


「行かせてはならない……もし、ショックな光景を咲夜様が見てしまえば……」


 記憶が完全に蘇る。そうなれば、咲夜の精神が再び壊れてしまう。

 二年前、自らの手で友を殺してしまった際に見せた、あの壊れた笑みが脳裏に蘇る。


「白虎様……お願いです。咲夜様を追ってください。どうか、止めてください……」


 老紳士は懇願するが、すいかねこの表情は暗いままである。


「追わぬ。あの小娘は余に負けないと言ったのだ。どうしてそれを信じてやらぬのか」


 老紳士は目を見開く。風牙と出会ってからの咲夜は、以前とは別人のように自分の意志を持っていた。その力強さを思い出し、自分の考えの浅はかさを責める。


「それでも……」

「何だ。そんなに気になるか、自分の孫のことを気に掛けすぎるのは、いつの時代も同じだな。厳夜も、お前も、そろいにそろって過保護すぎるのだ」


 すいかねこは老紳士の体に触れ、傀朧を流し込む。たちまち体のしびれが取れ、うまく動かせるようになった。


冗談だ(・・・)。すべてな。気負いすぎるな」


 すいかねこはため息を吐いて、地蔵堂を出た。


「余も、甘くなったものだ。あれほど殺すと決意したのに」


 本邸の方で何が起きているのか、それは簡単に想像できる。そこに咲夜が行って何を思うのかも、想像に難くない。

 合理的に考えてここで殺す方が、十二天将にとっても咲夜本人にとっても、良いのはわかっていた。

 けれど。

 咲夜の力強い瞳を思い出し、一縷の望みを見出す。


「余の考えが、間違っていたと証明しろよ、咲夜」


 白虎は、地蔵堂の屋根に上がり、遠目で本邸を見つめる。





いつものタイトルで遊ぶシリーズです(笑)

話に合っているかは、わからない……


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