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四月二十七日―炎の中



「やっべ! やっちまったなぁ。ちょっと派手に吹き飛ばしすぎたぜ」


 ――――――激しい炎が上がり、一瞬でお堂の形が無くなる。

 炎の熱は、すべてを消し去る。きれいに、さっぱりと。その様子が儚くて、美しい。

酔骷(すいこ)は恍惚めいた表情で、手についていた子どもたちの血を舐める。


「厳夜……怒るかなァ。きっと怒るよな。怒ったら……ヒヒヒ」


 二十七年前。炎の中で自身に向けて放たれたあの殺気を思い出し、身震いする。この世のどんな退屈も吹き飛ばしてくれるような、あのゾクゾクする感触。思い出すと全身がうずいて仕方がない。

 古来より人間を蹂躙してきた酔骷にとって、初めて味わった恐怖という感情。あの新鮮さを忘れることができない。

 ――――――もう一度、厳夜と本気で戦いたい。

 全力で傀朧をぶつけ合い、全力で殴り合い、全力で生を実感したい。


 ああ、早く。早く戦いたい。


「ヒヒ、イヒヒヒヒヒヒ……!!」


 不気味な笑みを浮かべ、軽やかに庭を歩き始める。本邸から離れ、森の近くまで来た時、くるっと背後へ振り返る。親指と人差し指でL字型を作ると、それらを合わせて格子を作る。


「もう誰もいねえか。暇になっちまったなァ……」


 右目に格子を当て、屋敷を覗き込む。首を右に傾け、屋敷を見ているうちに再び破壊衝動に駆られる。


「もういっか。ここもぶっ壊そ。そしたら厳夜、もっと怒るよなァ!」


 楽しそうにはしゃぐ酔骷は、傀朧を右手に凝縮し、火球を形成する。渦を巻き、激しい熱を帯びた火球を、再び本邸に向かって投げつける。


「火の玉! どーん!」


 火球はまっすぐに本邸に向かう。酔骷は衝突する瞬間を待ちわびる。しかし、


無歹(むがつ)流、奥義……」


 火球の前に、突如何者かが飛び出す。腰を低く構え、右手で刀を握ると、目にも止まらぬ速さで引き抜く。

 長く美しい流線形の漆黒が伸び、火球を包み込む。


黒輝穿翔(こっきせんしょう)……!!」


 黒が、水のように激しく放出され、一点の曇りもなく世界を染め上げる。

 膨張した黒は、刀の動きに合わせて弧を描き、一瞬で火球を両断した。


 二つに割れた火球から激しい炎が放出される。着弾と共に、庭に敷き詰めてある石が蒸発し、辺りは激しい爆風に包まれる。本邸の窓ガラスが一斉に割れ、壁にひびが入る。


「……へえ」


 爆風は酔骷の傍まで達し、火の粉が顔に当たる。それを見て口を大きく歪ませる。


人間(オマエ)、おもしれえな……」


 風が消えた本邸の前で、刀を構える和装の男。口元を布で覆っている男の瞳は、鋭く酔骷を見据えている。

 浄内義光は両手で、黒を纏う刀を構えると、怒りを滲ませる。


「人間の分際で(オレ)の炎を止めるなんてよ、すげえじゃねえか」

「……お前が」


 ケタケタと子どものように笑う酔骷を見て、刀を握る力が強まる。

 ――――――廊下の惨状を目の当たりにした。

 遅かった。遅すぎた。

 なぜ、これほどまでに強大な傀異の気配に気が付かなかったのか。

 考えている余裕はない。目の前にいる傀異は明らかに常軌を逸している。これ以上、好き勝手にさせるわけにはいかない。

 熱を浴び、全身がひりひりする。義光の全身に刻まれた古傷(火傷)がやけに疼く。


「ワクワクしてきたぜ……厳夜が来るまでの肩慣らしになってくれよ」

「……あの子たちをッ!」


 義光はまっすぐに酔骷に斬りかかる。しかし、簡単に酔骷の右刀で止められる。

 

 ――――――少し出血したのを見て、酔骷の顔から油断の色が消える。


人間(オマエ)、名前は?」


 義光は質問に答えることなく体を引き、次いで逆方向から斬りかかる。その攻撃を今度は拳で弾く。衝撃でわずかに後ろに引いた酔骷を見逃さず、下から切り上げる。


「いいぜェ……」


 酔骷の体にしっかりと刀が入る。激しく血が噴出し、確かな斬り具合を感じた義光は、無意識に身を引いていた。


(わざと、受けた)


 見ると酔骷は大きく両手を広げ、うっとりとこちらを見ている。人間ならば確実に致命傷になるであろう深さの傷は、もう治りかけていた。


(オレ)の体に傷をつけられる奴はそういねえ」


 酔骷は舌なめずりをし、義光に向けて殴りかかる。顔面に迫る拳をギリギリで躱し、次いでボディに突き刺さる拳を刀で受ける。思い衝撃で後ろに飛ばされた義光は、吐血する。


「どんどん行くぜェ!!」


 酔骷は飛び掛かり、踵落としを繰り出す。躱すが、衝撃で態勢がわずかに乱れる。それを見逃さなかった酔骷は、飛び散った砂利を傀朧でうまく操り、視界を奪う。生まれた大きな隙に、手のひらで形成した炎の槍を叩き込む。


「くっ!!」


 何とか弾くが、激しい熱が全身を覆い、痛みで動けなくなる。そこへ酔骷の飛び膝蹴りを喰らってしまう。


「ぐぼっ……」


 傀朧で蹴られた箇所を防御しても、一切意味のない重み――――――義光は地面を何度も転がりながら、すぐに立ち上がろうとするが、そこへ再び槍が飛来する。義光がのけ反るタイミングで軌道を変えられた槍は、背後の森に突き刺さり、木を蒸発させる。


(なんて威力だ……)


 ほんの数秒の戦闘で力の差を思い知る。スピード、戦闘センス、そして圧倒的なパワー。どれをとっても、これまで義光が戦ってきた相手とは比べ物にならない。


「いいぜ。もっと楽しませろ!!」


 そして何よりも義光が恐怖したのが、底知れぬ実力。これで実力の何パーセントを出しているのか、まるでわからない。完全に遊ばれている。

 義光は立ち上がり、刀を構え直すと、集中力を高めていく。

 勝つには、一撃で葬るしかない。そう判断した義光は、脱力した構えを取り、隙を伺う。


(なんかやろうとしてんなァ……乗った)


 酔骷は再び真正面から義光との距離を縮める。拳が綺麗に弾かれ、踏み込まれたのを見て背後に回る。回り込みながら力を貯めた回し蹴り―――後頭部に当たれば即死の攻撃だ。しかし義光は予期していたようにひらりと躱すと、低い体勢から振り向きざまに技を放つ。


「無歹流」


 刺突の構えから、鋭い刀先を酔骷の心臓目掛けて放つ。


黒鳥突(こくちょうづき)


 速い――――――!

 目で追えなかった酔骷は、本能とも言える動物的勘で、わずかに体を捻った。その結果、突きは左肩に命中する。

 ああ楽しい。痛みが伝わると同時に、酔骷はうっとりと笑った。


「鳴け!」


 漆黒の傀朧が膨張し、酔骷の左肩を吹き飛ばす。その勢いで、酔骷の左腕が本邸の方に飛ぶ。左腕を失ってもなお、酔骷は笑っていた。


 その笑みに恐怖を抱いた義光は、すぐにダメージの大きい左肩から心臓に向けて斬ろうとする。しかし、接近していた酔骷の右腕が刀の側面を捉えたのを見て、刀を引き、右下から斬り上げる――――――。

「あーやべえ!」

「……くそ」


 酔骷は、義光から素早く距離を取った。しかし、言葉とは裏腹に、もう傷が塞がりかけている。

 傀異は傀朧で出来た体を自己修復することができる。しかし、ここまで早い再生は見たことがない。その上、奇妙な感覚がある。


「……お前の体」


「これな。忌々しいけど、人間の体だぜ」

「な……」


 酔骷の体が完全に修復される。そして動揺が、行動の遅れをもたらす。

 口を大きく膨らませた酔骷は、ふう、と息を吐き出す。

 

「!!!」


 激しい熱光線が義光に向けて放たれた。防御することもできず、もろにくらってしまう。

 光線は直径三メートルほどの空間を削りながら、義光ごと背後の壁を粉々に破壊した。


「お前、なかなかいい腕してるぜ。死ぬとこだった」


 酔骷は顔を赤らめて喜ぶ。そして最後の修復、斬られた左腕がみるみるうちに再生される。


「もう一回! もう一回あの技見せろ! すっげー早いやつ!」


 じり、と地面を擦る音が聞こえ、煙が晴れると義光が満身創痍で立っていた。

 光線をもろに受けた義光の着物は焦げ、全身にダメージを負っている。ところどころ焼け焦げて垣間見える肌は変色し、凄まじいやけどの痕が露わになる。


「そっかそっか。人間は再生できねえもんな。それがつまらねえんだよなぁ」


 酔骷が残念そうに肩を落とすと、義光は刀を地面に突き立てて膝をつく。荒い呼吸を繰り返し、今にも意識を失いそうになっている。

 ――――――焼け焦げた着物の布が宙を舞い、灰になって消える。


 傀朧のガードが間に合わなければ死んでいた。しかし、ガードしてもこれだ。

 酔骷の操る炎は、普通の炎とは違うようだ。威力がけた違いな上、熱量が尋常ではない。辛うじて耐えたのは良かったが、もう動けそうになかった。


「俺は……」


 義光はぽつりとつぶやく。屋敷を守るのが門番の役目である。その役目を全うしなければならない。


「まだやれんのか! でも(オレ)、手負いはお断りだぜ。弱えし、つまんねーからな。何より壊しちまったら、もう戦えねえからな」


 ふらふらと立ち上がり、刀の柄に手をかける。

 ――――――もう一度、刀を抜け。ここで自分が倒れれば、屋敷はこの化け物に蹂躙されてしまう。


 義光はふと、先日言った言葉を思い出す。


 ――――――俺の刀には、信念がない。


 空虚な心で、自分は何を守ろうとしているのか。空虚だから負けるのか。もっと自分に力があれば、何か変わったのだろうか。

 心の中で自問自答するうちに、廊下で見た子どもたちの死体を思い出す。あの光景を見た時、自分の心がひび割れたような気がした。クッキーやビスケットが割れるような、そんな簡単に、自分の心は砕けた。

 違う。だめだ。そうではない。 


「……そういえばその火傷、なーんかひっかかるんだよなぁ」


 酔骷は、義光の様子をまじまじと観察し、手のひらを打つ。

 その一言を聞いた時、義光の身体が再度動く。


 ――――――焼ける家。

 頭の中にノイズが迸り、炎に包まれた家の光景がフラッシュバックする。


 ――――――熱い、熱い。

 何もかも燃えていく。大切なものも、思い出も。そしてその中心に何かがいた。

 嗤っていた。炎の中で嗤っていた。そしてそれを激しく糾弾する者。激しい怒りをぶつけていた。


「っ!!」


 ずき、と頭に痛みが奔り、記憶が再び閉ざされる。義光の視界に、酔骷が再び映る。ぐらつく身体を奮い立たせ、酔骷の前に立ちふさがる。その時、義光の身に着けていたネックウォーマーが地面にぽとりと落ちた。


「思い出した」

「……ああ。思い出した」


 義光の素顔――――――口元は焼けただれ、裂けた頬から白い歯が常に垣間見えている。やけどの跡は首元から胸や肩を侵食し、その深さを物語っている。


「お前は……俺の」

(オレ)人間(テメエ)の」


かたきだ!」

獲物エモノだ!」


 義光の全身から、冷たく鬱蒼とした傀朧が噴出する。

 酔骷の背筋が凍る。そして同時に――――――笑みが深まる。


「お前が俺の家族を」


 義光は立ち上がり、刀を引き抜くと酔骷に斬りかかる。


「ヒヒッ! そうだ。思い出したぜ。あんときいたなぁ。生き残りが二人」


 酔骷は迫る刀を避けようともせず、両手で包み込むような構えを取る。


「さあ来いよ……! そして(オレ)を」


 研ぎ澄まされた傀朧。激しい怒りが、悲しみが、この剣士を高みへ誘っている。

 義光の刀は、その色を黒から橙へと変える。くすんだ橙色の刀を見た酔骷の悦びは、絶頂に達する。


「本気にさせてくれよ」


 パン。

 酔骷は手のひらを合わせる。そして、最高の一撃に、自らの最高で応える。


想極(・・)


卍智炎帝苑(ばんちえんていえん)




戦闘回でした。ステゴロよりも剣があった方が個人的には書きやすいです。技名を言わせるの、小説だととても難しいなぁと実感しております(T_T)

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