四月二十七日―いってきます。
白髪の少年、ガロウズは誰もいない洋館の中を、闊歩する。
こつ、こつと、履いている革靴の音だけが響く館内は、ひんやりとした空気に包まれていた。
――――――肺いっぱいに空気を吸い込み、吐き出す。生きているものの気配がないことが、ガロウズの気分を高揚させる。
階段を上がり、二階にたどり着いたガロウズは、窓から本邸の様子を伺う。間もなくガロウズの目的であり、楽しみでもある“実験”が始まる。退屈に耐えられなくなった自分の制作物は、本邸の方へ向かった。目を閉じて、本邸の微弱な生の気配を感知する。
消えていく。また一つ、消える。それが面白くて、つい声に出して笑ってしまう。
「おやおや。ここにおられましたか、ガロウズ博士」
その笑い声に反応し、背後から紋付袴を着た男が接近してくる。窓ガラスに映る自分を見ながら、くすんだ赤色の髪を整え、ガロウズの横に立つ。
「息子には挨拶できたの?」
「ええもちろん。それはそれは感動的な再開でした。消えていた私の心が、体が、満たされていく。そんな感覚でしたね……」
「それ、影斗のことでしょ。僕は本物のことを言ったんだけどな」
浄霊院燵夜は、うっとりと身をよじらせて喜んでいる。うっすらと顔が赤くなっているのを見て、ガロウズはニッと犬歯を見せる。
「……いいね! やっぱり君は気持ち悪い」
「博士には及びませんとも」
「くくくくくっ」
「フフフ……」
二人の笑い声が奇怪な二重奏を奏でたところで、燵夜が思い出したかのように質問する。
「そうそう。幾夜君から連絡はありましたか」
「あったよ。計画通り、浄霊院厳夜を拘束することに成功したんだって。すごいね」
「そうですか。それは結構」
ガロウズが感知していた気配がまた消える。これで合計五人になった。
「ねえ、この屋敷にいる子どもたちってさ」
「私のモノですが?」
燵夜はガロウズの言葉を遮って怒りを見せる。
「この国にはね。協会がらみで親を失ったたくさんの孤児がいるんですよ。親を傀異に殺されて、自分は運よく傀異を見てしまった、とか、反対に法では裁けない傀朧犯罪者の子息、とかね。そういう可哀そうな子どもたちを、私が買い取った」
「んで、ソレを傀玉精製の実験に使ったー、ってこと?」
傀玉とは、傀朧を凝縮した言わばエネルギー体である。莫大な傀朧を蓄積する電池のようなもので、使い方次第では危険な代物だ。このような理由から、想術師協会は傀玉の精製を禁止している。
「ええ。私はその実験で、傀朧の新たな可能性……それを見出しました。博士ならばお気づきでしょう。傀朧は、突き詰めれば生命そのものとなる力がある。それこそが、協会が長年隠してきた事実の一つですね」
それを聞いたガロウズは、燵夜の顔をじーっと見つめる。そして、ピッと人差し指で燵夜の体に触れる。
「くくっ。幾夜が言ったことは正解だったね。君を選んで正解だった」
そして、流れるように目の前の扉を指さす。
「ここ、厳夜の執務室。んで、ほっとくと僕の研究成果が、君の所有物を殺してしまう。どうする? 良いのかな」
「良いわけないだろうが!!!」
それを聞いた燵夜は、突然激昂する。ガロウズは構わず続ける。
「止めに行く? それともここに入る? どうする?」
「げ……んやあああああああ!! 殺す殺す殺す殺す殺す殺す」
「くくくくくっ!! ごめんね、やっぱ怒るのなし」
今までの落ち着いていた態度が一瞬で消え、突如狂暴性を丸出しにした燵夜は、執務室の扉を何度も殴りつける。しかし、強固な結界で守られているため、傷一つ付かない。
バキ、という鈍い音がしたが、それでも扉を殴り続ける。
「あー、腕折れちゃってるよ」
燵夜はようやく殴るのを止めて、手首の先が折れている自分の腕を冷静に見つめる。
「申し訳ない……たまにフッと、怒りと憎しみに支配される時があるのです」
「それ、僕がちょっと回路を弄ったせいだから。気にしないで」
ガロウズは、燵夜の両腕に触れる。すると、ぐちゃぐちゃと音を立てながら腕が治る。
「ところでさ」
ガロウズは燵夜の腕から手を放す。
「さっきからそこの角で僕たちの話を聞いている悪い子は……誰かな?」
「!!」
駆け出したガロウズは、トップスピードで廊下の角を曲がる。
しかし、角を曲がる寸前に、踊り場の窓ガラスが割れる音がする。
「早い逃げ足だね」
姿を見ることなく逃げられた。その上、気配もすでにない。追っても無駄だろう。
「まあ、いいや。気を取り直して僕たちは見物しよう」
ガロウズ再び視線を本邸に戻す。
「楽しい楽しい実験の様子をね」
※ ※ ※ ※ ※
咲夜を追って、地蔵堂に向かっていた風牙と宙は、目的地に到着する。
「大丈夫か!?」
風牙は中の様子を確認しようと、地蔵堂に飛び込む。壁などは無傷だったが、地蔵やぬいぐるみが辺りに散乱していた。
「風牙さん!」
先に到着していた咲夜が、風牙を見て安堵の笑みを浮かべる。老紳士は壁にもたれかかり、足に食い込んだ細かい枝のようなものを一本一本抜いている。やけに深く刺さっているようで、抜くたびに床に血が滴れ落ちた。
その様子を見た風牙は、老紳士に詰め寄る。
「執事のおっさん!!」
「……大丈夫。問題ありません」
淡々と答えた老紳士の顔が、ひどくやつれているように見える。咲夜は傍でその様子を心配そうに見つめていた。
「私が来た時にはもう……」
「どうやら襲撃があったみたいね」
後から来た宙も、周囲を一瞥した後、老紳士の足に目を向ける。近くで見ると、刺さっていたのは枝ではなく“根”だとわかる。
「何が起きたんだ?」
「敵……ですね。しかし結界には何の問題もありませんでした。私は攻撃を受け、それで負傷を。お恥ずかしい限りです」
「敵の特徴は?」
「……わかりません。追おうとしたら消えました」
老紳士は根を抜き終わると、癒しの概念を帯びた傀朧で傷口を覆う。傀朧を用いた応急処置程度はできるようで、すぐに血が止まる。
「その根……敵の能力ですか?」
「ええ。よくわからない式神のようなものを出されて、攻撃を受けました」
咲夜が心配そうに手を出したのを見て、老紳士は申し訳なさそうに笑う。足を布で縛り、何とか立ち上がる。
「まったく……余の当てが外れたわ。こんな体たらくでは、おちおち避難場所にもなりはしない」
その時、すいかねこの低い声が風牙のすぐそばで聞こえる。
すいかねこはぴょこ、と風牙の頭に乗るとムスッとした顔で老紳士を見る。
「げ。お前いたの?」
「余は小娘を守る仕事があるでな。暇な汝とは違うのだ」
「暇なのお前だろ」
すいかねこが風牙の髪の毛を引っ張り、二人はまた喧嘩を始める。それを見た宙が、二人を引き離す。
「確かに、敵の正体やなぜ結界をすり抜けるのかがわからない以上、ここに咲夜ちゃんを避難させるのは危険かもしれないわね。白虎はどうしたらいいと思う?」
「そんなもの決まっておる。ここで良い。余と小娘を置いて、汝らは敵を排除しに行けばいい」
「何言ってんだよ。お前弱えじゃねーか」
「莫迦が! 余が本気を出せばだな……」
「はいはい黙って」
宙に睨まれた風牙とねこは、口を曲げてそっぽ向く。
「今の状況はかなり壊滅的よ。厳夜さんとも連絡取れないし。一刻も早く敵を見つけ出して排除する必要があるし。散々ね」
それを聞いた老紳士が、口をはさむ。
「私なりに敵の目的を考えてみました。もし、敵がこの屋敷にあると言われる、 “十二天将の核”を狙っているのだとしたら」
「ジュウニテンショウノカクって何だ?」
「貴方には言っていませんでしたか。十二天将は、今ここにおられる白虎様をはじめとして、浄霊院家が代々受け継ぐ式神たちの総称です。その力は絶大で、最高位の傀異に匹敵する傀朧を有しています。その核―――言わば心臓のようなものがこの屋敷の地下に眠っている。それが奪われれば、一大事です」
老紳士の話を聞いた風牙は、首を傾げている。
「そんなもんあったら、すぐわかるんじゃねーの?」
「ふん。莫迦にはたどり着けんようになっておるわ。その上、扉は適合者にしか開けられないようになっておる」
「適合者って?」
「そこの小娘か、厳夜のことだ」
咲夜は不安げな表情で風牙を見つめる。
「よっしゃ! 咲夜は俺が守るぜ!」
親指を突き上げ、ニカッと笑う風牙に、老紳士が告げる。
「いや、今回は私が咲夜様を守った方が、効率がいいと思います。私は足を怪我していて皆様の足を引っ張るかもしれませんので」
老紳士は、不安げな咲夜の顔を見て大きく頷く。
「うん。風牙さん、私大丈夫」
「ほんとか?」
「うん」
咲夜は、風牙の真似をして同じようにガッツポーズを取る。
「決まりね。私と風牙で核を守護しに行く。白虎、場所を教えてくれる?」
「いいだろう」
「それで、咲夜ちゃんと厳太さんが、ここで待機する」
「余もな! 忘れるな!」
「これで決まり」
すいかねこは、宙に耳打ちで核の場所を伝える。
「風牙さん……その、気を付けてね。なんだか嫌な予感がするの。さっきから胸がざわざわして……お屋敷の方で、何か起こるんじゃないかって」
「大丈夫だから心配すんな」
風牙は咲夜の肩を叩く。
「俺も正直、ちょっと不安なんだ。でもさ、考えてたってしょうがねえ。何とかすっから!」
「出発するわ」
宙は二人を交互に見遣ると、地蔵堂を出る。それを見て風牙も続く。
「いってらっしゃい」
咲夜の声に後押しされた風牙は、力強く一歩を踏み出した。
「行ってくる」
※ ※ ※ ※ ※
二人がやってきたのは、先日戦闘を繰り広げた儀式場だった。地面に十二の巨大な石が埋まっている。少しもやがかかり視界が悪い中、その石が淡い光を放っているため幻想的に見える。
宙は辺りを見渡し、人の気配がないか確認する。
「ここが入り口。全く意外じゃないけど」
「ここって、この間の……」
石を見つめる風牙をよそに、宙はすべての石の周りを調べ始める。
「スイッチがある、ってあの猫が言ってた。ありきたりだけど」
「スイッチ? へー」
宙は一番森に近く、一つだけ台地から飛び出していた石が怪しいと思い、入念に調べる。すると、指一本分の小さなスイッチを見つける。
「あった」
宙がそれを押すと、地面にめり込んだ石が音を立てて動きはじめる。地面を滑るようにゆっくりと動き、隠していた階段を出現させる。それは、人一人がようやく通れそうなほど小さく、苔のような湿気の臭いを漂わせていた。
「すっげー」
「ほんと、古典的」
風牙は興味深そうに地下に続く階段を覗き込む。階段はまっすぐに闇に向かって進んでいる。冷たい空気が漂い、吸い込まれそうな感覚に陥り、宙を見つめる。
「早速入りたいところだけどその前に……」
「その前に?」
「出てきなさい」
宙は低い声で森の方を威圧する。風牙はハッと驚き、周囲を警戒する。
ざわざわと森が揺れているだけで、誰も出てくる気配はない。
風牙はぼんやりと、森の中に誰がいるのかを察知する。
「なあ宙さん。先に行っててくれ」
「どういうこと?」
「多分、俺に用があるんだと思う」
その時、木々の間から現れたのは――――――真っ赤なソフトモヒカンヘアで鼻の上に絆創膏を貼った目つきの悪い少年、浄霊院鐡夜だった。




