四月二十七日―非常事態
「早く! 避難をするのよ!」
老紳士と別れた、宙と風牙の二人は、本邸にいる住人達に避難を呼びかけていた。その矢先、突如屋根に巨大な衝撃が走ったのである。
(くそ。何か仕掛けてきたの? 敵の数は、規模は……考えても仕方がないか)
宙は、避難誘導を風牙に任せて、屋根に上がる。もしもの時に避難できる地下室があると厳夜から聞いていた。そこは、結界が幾重にも張られ、屋敷が完全に破壊されても無傷でいられるシェルターだった。子どもたちは皆、何かあればすぐにそこに逃げるように訓練されているため、一応は安全だと言う。
宙は屋根の上、衝撃があった個所をすぐさま見つける。
何か巨大な玉のようなものが屋根に当たり、衝撃で屋根が吹き飛んでいた。下の和室が瓦礫だらけである。
(これは……)
宙は、溶けた瓦を一枚拾い上げる。とても熱い。かなりの高温になっている。
入射角度から考えて、敵は東にある山の中腹から、熱の概念を持つ術を放ってきた可能性が高い。
「いない。打つだけ打って逃げたな」
宙はすぐさま下に戻り、風牙の元へ向かう。
「避難は?」
「おう。大体避難できたぜ。でもよ、みんなどこに行くんだ?」
「それはみんな分かってるらしいから大丈夫」
宙は、頭の中で懸念事項を整理する。
「……そうだ。咲夜ちゃんは!」
「そういえばいなかった!」
「咲夜様なら、地蔵堂に向かいましたよ!」
その時、廊下の角から現れた永久が返事をする。
「ほんとか!」
「うん。すぐに向かってあげてね、旦那さん」
「おうわかった! って旦那じゃねえ!」
「地蔵堂は厳太さんにお願いしたから、きっと安心だけど……」
そう言いかけた時すでに、風牙は駆け出していた。
「サンキューな! えっと……永久だっけ」
「気を付けてね!」
宙は、永久に逃げるように伝えてから風牙を追いかける。
そんな、行ってしまった二人を見て、永久はふうと息を吐く。
「……咲夜様を守ってあげてね、風牙くん」
※ ※ ※ ※ ※
「ひゅう。鼻息みてえに吹いただけでこの威力……力が戻ってんじゃねえか、なあ衝夜」
「……うるさい。オイラの名前を呼ぶな化け物」
「連れねえなー。友だちだろ? 鬼と人間」
東にある大きな山の山頂。
浄霊院本家を含む、この辺りの山の持ち主は厳夜であるが、浄霊院家の人間でさえほとんど足を踏み入れない難所である。標高は四百メートル程度だが、切り立った崖やごつごつした岩場で、斜面が険しい。この山に登ろうとする登山者などいなかった。
そんな山の山頂付近の岩場に、胡坐をかいてゲラゲラと笑う男。
身長百八十センチくらいの大男で、引き締まった体中に炎のような文様が浮かび、ボサボサの白い長髪の間からは、二本の角が垣間見える。
「次は人間狙ってもいい?」
「だめだ。やったら殺す」
「えー。じゃあさ、暇つぶしに行ってもいいか?」
「まだだ。幾夜の糞野郎が連絡してくるまで待機」
「なああれ見ろよ」
「オイラに話しかけるな」
「いや、そうじゃなくて」
男が指さした先に見えたのは、洋館の屋根からこちらに手を振る人影だった。
金色の瞳をキラキラさせながら、こちらをにっこりと見つめている。あの特徴的な青色のセーターは間違いない。ガロウズだ。ガロウズ・フォン・リヒテンシュタット。幾夜が連れてきた謎の少年である。衝夜は、あの少年のことを良く思っていなかった。
「何してるあの狂人……! 指示はまだ出てないだろ!」
「ずりいな博士! 鬼も行こーっと」
岩から飛び上がった男は、足から熱気を噴出させ、空を飛ぶ。
「おい!! 待てクソが! 殺すぞ!!」
「衝夜も来いよ! 厳夜が来るまでの間、暇潰そうぜー!」
まるでジェット機のように空を飛び、ガロウズのいる洋館の屋根に降り立った。
ガロウズはこちらに目配せを送る。何か言っているようだが、当然聞き取れない。
「クソ……あの傀異もどき……」
衝夜は大きなため息を吐くと同時に、岩の上に腰を下ろす。顔の右半分を覆う鉄仮面が風を受けて軋む。ピリピリとした空気が去り、内心安心していた衝夜は、ぼんやりと本邸を眺めた。
「……あんな奴を……あんな奴を蘇らせるなんて、どんな手使ったんだ幾夜の野郎」
衝夜は体を震わせる。厳夜にやられた傷が痛む。恐怖を感じると、体が熱くなり吐血する。トラウマであり、後遺症でもあるその症状が、静かに牙をむく。鉄仮面の隙間から真っ赤な血を吐くと、苦い顔で俯いた。
酔骷――――――。
それがあの男の名だ。協会がずっと監視している最上位の傀異の一体。人語を介し、圧倒的な実力で人間を蹂躙してきた“鬼の傀異”だ。協会がずっと監視してきたが、時代ごとに名を変え、形を変え、人間を脅かし続けている。しかしその傀異も、二十七年前に厳夜によって討たれる。完膚なきまでに、叩きのめされ消滅した――――――はずだった。
――――――今日から彼の世話をしてあげてくれ。我々に反抗しないように精神操作はされている。安心するといい。
突如自分を牢獄から出して、厳夜に復讐するなどと言いだした幾夜を、衝夜は笑った。 こんな恐ろしいものを蘇らせて、その世話をしろだと? バカバカしい。
――――――君は私の復讐を見届ける証人だ。私が本気かどうかは、今に分かる。この、蘇らせたオモチャたちを見たらすぐに、ね。
衝夜は体を押さえ、震えを無理やり止める。恐怖ではない。体の奥底から湧き出してきたのは希望だった。暗い牢獄で、一生を過ごすだけの余生。そんな絶望の日々に、本気で光が差したのだ。このチャンスを、無駄にはしない。
「ククク……厳夜ァ……今度はお前が、ガタガタ震える番だぜ……」
衝夜は立ち上がると、黒いフードを被り、山の闇に溶けていく。
※ ※ ※ ※ ※
老紳士は、音を出さないよう警戒しながら山を登る。
宙、風牙と分かれた老紳士は、自らが管理する結界をチェックしに地蔵堂に向かっていた。
厳太の結界術は、厳夜が認めるほど高度なものである。想術師協会の中でもトップクラスの実力だと、お墨付きをもらっている。
老紳士は、そう言われて自らの実力に溺れることは決してない。
抜かりはない。先日の一件以来、非常に丁寧に張り直した。万が一にも外部から術を改ざんされることなどありえなかった。
(外部からでなければ、内部からか? 可能性は十分ある)
老紳士は地蔵堂の入り口に背を付け、臨戦態勢に入る。勢いよく扉を開け、身構える。
しかし、そこは普段と変わらない地蔵とぬいぐるみで埋め尽くされた棚が広がっているだけだ。
(おかしい)
一見、何の異常も見受けられない。老紳士は術式が刻まれている中央の床に手を当て、慎重に見えない箇所のチェックに入る。網目のように細かく張り巡らされた傀朧を通して、屋敷の周りを疑似的に見ることができる。
しばらく目をつむり、確認作業を終えると、額の汗を拭う。
「なぜだ。異常はない」
ぼそりと呟いた老紳士の背後で、コンコンと扉が鳴る。
「教えてやろうか。なぜ、結界に異常が見受けられないのか」
老紳士は反射的に懐から小さなナイフを指に挟み、振り向くと同時に複数投げつける。
ぐさり。その存在が、老紳士の視界に入ると同時に、ナイフが肉をえぐる。
「痛いな……えらく大層な歓迎じゃないか、厳太」
右肩、左わき腹、右太もも、それらの箇所にナイフが命中している。
立派な黒い紋付羽織袴に、真っ赤な血がにじむ。
「き、貴様は……」
「おいおい、そんな亡霊でも見たような顔しないでくれ」
くすんだ赤色の前髪をかき上げる。この顔を、忘れるはずはない。髪の下から現れた真っ赤な瞳は深く澱んでおり、細身の顔立ちは、どこか厳夜に似ている。
老紳士は、目の前の男の顔に意識をくぎ付けにされる。混乱し、頭が真っ白になった隙に、男が攻撃を仕掛ける。
鋭い何かが、老紳士の右太ももを貫通する。痛みで意識が現実に戻り、瞬間的に貫通したものを引き抜く。
――――――植物の根だ。太くうねりながら、生きているように動いている。
「相変わらず抜かりがないな、君は。だが、これで動けまい」
「なぜ貴様が……」
「私は息子に会いに来たんだよ。可愛い可愛い息子に会いに。地獄の底から、ね」
男は地面から三体の植物型の式神を召喚する。それらは、先ほど老紳士の足を穿った根が、幾重にも絡まり合ったような見た目をしている。くねくねと体を動かし、老紳士に迫る。
「待て……!」
「これはほんのご挨拶さ。では失礼」
三体の式神が、老紳士に襲い掛かる――――――。
新キャラが増えすぎること自体が非常事態(笑)
まだ増えます。敵は許してね(笑)




