来訪者 ③
咲夜と宙が邂逅した後、時刻は十九時を告げた。
「ほ~ら! ぐりぐりぐりぐり~」
「やめてーーー!」
和気あいあいとしていた――――――。
風牙は口をポカンと開けたまま、宙と咲夜の仲睦まじい様子を見つめている。
宙は咲夜の頭をわしゃわしゃ撫でる。咲夜は嫌がるというより、むしろ楽しそうに見える。
「ほんと、かわいいわね咲夜ちゃん。顔は真夜さん似なのに性格全然似てない」
宙は頭をわしゃわしゃしては離し、わしゃわしゃしては離し、を繰り返している。
「なにしてんだよ」
「えっ、咲夜ちゃんのかわいさがわかんないの? 旦那なのに?」
「旦那じゃねえって!」
宙は嬉しそうに咲夜の頭を指さす。
「見て。咲夜ちゃんのこの不思議アホ毛! この可愛さわかんない?」
「わかんねえよ、んなもん」
「このアンテナみたいなかわいいアホ毛……何度押さえてもペタンコにならないのよ。ほんと、不思議よね」
じろじろとアホ毛を観察する宙に、咲夜は両手で頭を押さえる。
「出会い頭にいきなり頭を触る奴があるかよ」
「ああそっか。少年もわしゃわしゃしてあげよう。して欲しんでしょ。遠慮せんでもいいわよ」
風牙は顔を真っ青にして頭を押さえ、飛び退くように宙から距離を取る。
「そういうところよ」
「えっ? どういうところ?」
「かわいいってことよ咲夜ちゃんーーー!」
再び宙が咲夜の頭をわしゃわしゃし始めたのを見て、風牙はため息を吐いた。
「それにしても、本当に久しぶりね。前に会ったのいつだっけ?」
「えっと……確か私が五歳くらいの時に」
「……覚えてないくらいには前ってことよね」
宙の顔に一瞬、影が落ちる。
「そうだ。咲夜ちゃんも一緒にどう? 屋敷探検! 風牙少年と一緒に行くんだけど、なんだか警戒されちゃってて。夫婦で行くなら安心でしょ?」
「ふ、夫婦……じゃないよ宙さん」
咲夜は宙から目を背ける。
「なーなー。俺たちのことって、そんなに有名なの?」
「そりゃ有名よ。なにせ、孫煩悩な厳夜さんがすごい熱心にPRしちゃったからね~。協会が発行する広報誌にも載っちゃったくらいだし」
「はあ!? 何やってんだよじいさん……!!」
風牙は嫌そうな顔をする。
「まあ、浄霊院家のことは、想術師協会に属する者なら誰しも興味のあることだから仕方ない」
宙は腕時計で時刻を確認する。七時を回り、窓の外はすでに真っ暗である。
「そろそろいいかな。行きたいところがあるの」
「どこ行くんだよ」
「行けばわかるよ」
宙は、風牙と咲夜を手招きすると、洋館から出ていく。
※ ※ ※ ※ ※
日が沈み、ひんやりとした風が肌に当たる。季節の変わり目は、気温差が激しい。
明かりの灯る本邸から、森の中にある使用人たちの住宅地に向かって三人は歩く。しかし、目的地は居住スペースではない。いくつかの住宅を通り越して、山の斜面を登っていく。
「あっ……」
木の根に躓きそうになる咲夜を、風牙がそっと支える。
先頭を歩く宙は、そんな光景を闇の中で見つめて、先に進んでいく。
「私ね、厳夜さんに助けられたから今があるの」
「なんだよいきなり」
「昔から、自分も、この世界も大嫌いだった。でもね、厳夜さんが私にこの世界で生きることを教えてくれた」
風牙は首を傾げる。唐突すぎる話に困惑するのもあるが、宙の声が今にも泣きそうなほど震えていることに、どこか哀愁めいたものを感じる。
風牙は改めて、番匠宙のことがよくわからないと思った。会ってから数時間しか経っていないが、色々な顔を見た気がした。子どもっぽい側面も、真剣な表情も含めて何を考えているのかわからない、つかみどころがない。
「ほら、ついたよ」
斜面を登りきると、突如山が開き、広い台地のようになっていた。
風牙と咲夜が斜面を登り切り、宙に追いついた時に見たのは、辺り一面にたくさんの大きな石が点在している光景だった。
その石はまるで、夜空を写し取ったかのようなとても綺麗な色をしていた。人一人が座れそうなくらいの大きな石は、淡い光を放ち、三人を出迎えている。
「やはりここに来たか、宙」
次いで二人が見たのは、難しい顔をした厳夜だった。凛々しいスーツ姿で、月夜の明かりに照らされるその姿は、まるでこの大きな石の一部であるかのように、美しかった。
「……咲夜」
「勘違いしないでくださいね。偶然会ったんですよ。夫を私が独り占めしてもいけないでしょ。だから一緒に」
厳夜は三人に向かって歩いてくる。
風牙は気になる質問をぶつける。
「なんなんだ、ここ?」
枯草の間で光る巨大な石からは、傀朧が漏れ出していた。その傀朧が夜風に当てられ、光り輝いているようにも見える。石の高さは腰の辺りまであり、飛び乗ればいい椅子になりそうな感じだった。
「ここはね。儀式場なの。浄霊院家次期当主を決める、大事な場所。十二天将に選ばれた者は、ここで力を授かる」
宙は、辺りの石の数を目で追った。
合計で十二個ある。それを確認し、宙はくるりと振り返る。
「ねえ咲夜ちゃん。ここを見て、何か感じることはない?」
「えっ……?」
唐突に話を振られた咲夜は、首を傾げて困惑する。
「えっと……こんなところ、初めて来たわ」
「……そう」
宙は小さく呟くと、咲夜の顔を見る。そして、ぱあっと明るく笑い、
「ごめんね」
ふわりと咲夜に覆いかぶさった。
「……?」
優しく抱きしめられる。よくわからなかったが、とても温かかった。
咲夜から離れた宙は、指先をくるっと回す。
瞬間、傀朧が放出される。ピリッと空気を伝う傀朧が辺りに奔り――――――台地の石の上から大きな火種が上空に飛び出し、大きな音と共に花開いた。
それは同時に、本邸の方にも同時に起こる。次々と花火が点火され、浄霊院本家全体に破裂音が何度も轟く。
それを見た、咲夜の意識ががくんと混濁する。手足に力が入らなくなり、枯草の上に崩れ落ちる。
「咲夜!?」
咲夜の傍に寄る風牙の身にも異変が生じる。目眩がし、ぐるぐると視界が回り、立っているのも困難になる。宙の指先から放たれた傀朧が、鈍く全身を巡る感覚――――――咲夜に近づこうとしても、うまく足が動かない。
「く……そ……なんだ、これ……」
大きく視界が一転し、風牙は頭を押さえる。
何が起こっている。このままではまずい。意識を失ってしまう。
風牙の本能が危機を告げる。どうすればいい。このままでは。
――――――咲夜を、守らなければ。
風牙の意識は、本能と連動する。無意識に全身に巡る傀朧を逆流させ、体外に放出する。
意識の混濁は、強化した自分の手を強く握ることで痛みを発生させ、何とか食い止める。
腕が砕ける――――――。
重い痛みが、自身の傀朧が、風牙の意識を覚醒させた。
「はあ……はあ……」
「驚いた。普通、わかってても咄嗟にできるもんじゃないんだよ」
宙は、風牙が意識を失わなかったことに驚く。この術は、かかってから十秒程度で意識を失う。それを防ぐには、宙の放った“干渉”の概念を持つ傀朧を体外にいち早く放出しなければならない。
(この状況判断能力……二級想術師ができる芸当じゃない)
宙は素早く風牙に接近し、何とか持ち直した風牙の体に直接触れる。
がくん。
風牙の纏っていた傀朧が一瞬で霧散し、代わりに“干渉”の概念を持った傀朧が大量に流し込まれる。宙は耐えられなくなった風牙の体を、そっと支えて優しく地面に寝かせる。
「ごめんね少年。騙すようなことして」
風牙が最後に聞いたのは、宙の悲し気な声だった。
※ ※ ※ ※ ※
――――――浄霊院家は沈黙する。
屋敷にいた者は、例外なく花火の“音”と“光”を認識した。宙の仕掛けたこの術は、認識した者を例外なく昏倒させる強力な催眠術だった。花火自体が傀具となっており、“干渉”の概念を持つ傀朧を周囲にばらまく。
しかし、この場に平然と立っている者が二人いた。仕掛けた本人と、浄霊院厳夜だ。
厳夜は何もなかったかのように、冷たい表情のまま宙を見つめ続けている。
「厳夜さん。ごめんなさい。関係のない屋敷の人まで巻き込んだこと、まずは謝罪します」
宙は丁寧に頭を下げる。厳夜は何も言わずに、宙を見つめ続ける。
「でも、確信したから。貴方は“クロ”だった。確かに、朧者を違法所持している。申告なんてしていない」
宙は厳夜と目を合わせる。今にも泣きそうな、それでいて決意を秘めた瞳だった。厳夜は宙をじっと見つめ続ける。
宙は倒れている咲夜を優しく抱きかかえる。
見ているとこっちまで安心してくるような、安らかな寝顔だった。
「咲夜ちゃんは朧者。それは昔からわかっていたことなんでしょう」
厳夜は閉口する。何も言わず、顔にも出さず、ただ静かに宙を見つめていた。
「記憶を……奪ったのね。いつのころから記憶を奪ったのかはわからない。でも確かに咲夜ちゃんは、五歳の時に私と会ったって言った。今から七年前よ。そんな昔のこと、私だってはっきりと覚えてない」
「……それだけで見抜いたのか」
「最初に会った時の違和感。咲夜ちゃんから、全く傀朧の気配がしなかった。そうね、まるで内から封印されてるみたいに。仮にも“適合の儀”で選ばれた後継者でしょ? 傀朧の気配がないなんておかしい」
宙は語気を強めて、厳夜を睨みつける。
「見損なったわ。どうして、記憶を奪ったの……咲夜ちゃんが、自分の持つ巨大な力を制御できなかったから? じゃなきゃ、記憶なんて消さない。でも、記憶を消して現実から目を背けても、いつか記憶がないことに気づく時が来る。それは大きな波となって、咲夜ちゃんを飲み込むわ。これほど残酷なことはない」
「残酷だと?」
厳夜の怒りに呼応するように、異常な密度の傀朧が放出される。
厳夜は一歩前に足を踏み出す。傀朧の重みで、地面がミシミシと音を立てて軋む。大地が揺れ、風が起こり、肌を刺すような傀朧が宙を包み込んでいく。
「お前に何がわかる」
ビキ。地面に大きなひびが入った。
怒りを、殺伐とした空気を放つだけで、銃の引き金に指を置いているのと等しい。宙は、声にならない嗚咽を漏らし、ひしひしと恐怖を感じている。
――――――額から汗が流れる。もし、厳夜がやる気なら、もうすでに自分は死んでいる。
「……お前の言う通りだ宙。咲夜は朧者。それも、浄霊院家が始まって以来、これまで一度も生まれてこなかった“術式適合者”との抱き合わせ。これを想術師協会が知ればどうなるか、お前ならわかるだろう」
宙は、喉の奥から言葉を吐き出す。
「わかるわ! でも厳夜さん。ルールを守るように……そう教えてくれたのは貴方よ。貴方がこれまでしてきたことは、過剰なまでのルールの徹底。法政局や内部監査局を作ったのも貴方。想術師という“暴”のシステムに、“暴”で革命を起こしてまで貴方がやりたかったことを、今貴方自身が否定している。それをわかっているの!?」
わずかに掠れた声は、厳夜の表情を変えるには十分だった。厳夜は宙に歩み寄る。
そして、宙の前で緊張感を解くと、膝から地面に崩れ落ちた。
「わかっている……私がしてきた数え切れぬ罪を、その清算を、全て棚に上げる行為だと言うことも……だがそれでも!」
厳夜は、宙が抱いている咲夜の顔を見つめる。
「私は、どんなことをしても家族を守る。たとえ無間地獄に落とされようとも構わん。今この屋敷にいる私の家族、そのすべてを守り抜く。それが妻との……桜との約束だからだ」
厳夜の言葉には、身から放たれるよりもずっと重い、決意が込められている。そう悟った宙は歯を食いしばり、厳夜から目を背けた。
「ずるい。私は貴方が……いいや、貴方が私に見せてくれたこの世界を守りたい。そう思って想術師になった。腐ったこの想術師世界にも、貴方のような人格者がいて、正義を執行してくれれば、いつかいい世界になる、そう信じて。現に今、想術師協会はとても良くなっていると思う。腐敗も汚職も減った。非人道的な行いも減った。それは紛れもない貴方の功績よ厳夜さん」
宙は一歩下がり、厳夜から距離を取る。
「私はルールに従う。法やルールが、世界を変えてくれると貴方が見せてくれたから。だから私は、咲夜ちゃんを連れて行きます」
それが、貴方に育ててもらった私の意思だから――――――。
厳夜はまっすぐな宙の瞳を見て、ゆっくりと立ち上がる。
「そうか。わかった」
厳夜の目に、一筋の涙が浮かんでいるのが宙の目に映る。
「ありがとう。宙。それならば私は、我儘を突き通す……」
そう言って、厳夜が殺気を放ち、“星天の霹靂”を発動しようとした時、宙の背後で傀朧が奔った。
「!?」
二人は驚いて、傀朧が奔った方角に意識を向ける。
そこにいたのは――――――荒く息を吐き出し、口から大量の血を流している風牙だった。
「……よくわかんねえ」
「風牙、お前」
風牙は、ペッと血を吐き出すと、手の甲で口元を拭った。
「わけわかんねーよ。じいさんも、ばんじょーさんも。でもよ」
風牙は宙に向かって指を指し、宣言する。
「俺は、咲夜を守る。どんな理由か知らねーけど、あんたが咲夜を連れていくなら止める」
誰よりもまっすぐな瞳だと、宙は思った。意志ならば、誰にも譲る気はない。しかしそれは、目の前の少年も同じだった。
(功刀、風牙)
「じゃあ問うわ、少年。君は何で咲夜ちゃんを助けるの?」
「咲夜は、何もしてねえ。なのに眠らされて、勝手に連れていかれようとしてる。俺にはあんたの理由は知らねえし、わかんねえ。けどよ、それは咲夜の意志じゃねえ」
風牙は光る石に足を乗せ、力強く踏み出す。目線の高さが同じになる。これでようやく宙を見上げずに済む。
「咲夜はな……自分の意志で生きようとしてんだ。それを邪魔すんな!」
風牙の言葉に、二人は息を飲む。
咲夜の意志――――――厳夜はそんな当たり前のことを、蔑ろにしていた。咲夜を守るために、咲夜を二年も閉じ込めた。しかし、それは咲夜の意志を破壊することだった。
厳夜の心に、後悔と罪の意識が押し寄せる。わかっていた。わかっていたつもりだった。だが、風牙が救い出してからの咲夜の様子を思い出し、確かに成長している孫の“意志”を感じ取る。
「私は……」
呟く厳夜の近くで、風牙の言った咲夜の意志について宙は考える。
――――――ルールを守ること。しかしそれは、健全な意志を妨げてまで遂行すべきなのか。
僅かでも揺らいだ自分の意志を、自分の心で嘲笑う。
「いい顔してるね、少年。いや、功刀風牙。
でもね、私も“意志”ってもんがある。引くことはできない。つまり……やることはわかっているよね?」
咲夜を丁寧に、枯草の上に寝かせる。
そして風牙と対峙する。
「君のその意志で……私を納得させてみろ」
宙から放たれる傀朧が、風牙を包み込んだ。圧倒的な強者―――身をもって体感した風牙の心が、メラメラと燃え上がる。
応えるように拳を突き出し、宣言する。
「いいぜ……ぜってー勝つ」
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