そして夜が明ける
エピローグが二話になってしまったので、前編です。
怒りを露わにし、風牙に迫る鐡夜――――――厳夜は、二人の間に立ちふさがる。
「なぜ、そう思う」
厳夜を前にしても何ら怯むことなく、鐡夜は風牙に向かって指を指す。
「俺は見たんだ……確かに見た! そいつが、講堂に火をつけるところを! 時限発火の術が組み込まれた式札を使ってた。俺が、見間違えるわけねぇ!!」
厳夜は、それを聞いて顔をしかめる。ちらりと背後の風牙を見て問いかける。
「……一応聞くが、心当たりはあるか?」
「式札? なんだそれ」
風牙、鐡夜両者とも嘘をついている感じではない――――――気になるが、今は戦いの後始末が先だ。厳夜はため息をつくと、鐡夜の方へ向かって歩き始める。
「鐡夜。色々と終わった後に話を聞かせろ。それまで他の使用人たちに、そのことは言うなよ」
「あ‟ァ? ふざっけんじゃねえ!!」
鐡夜は、厳夜に殴りかかりそうな勢いである。
「そうか……なら、仕方がないな」
厳夜の冷たい視線――――――。
全身に傀朧を巡らせ、ゆっくりと腕を上げる。
鐡夜の背筋に寒気が走る。緊張で肩に力が入る。
しかし、それでも引こうとしない。
厳夜は、往生際の悪い鐡夜の顔に人差し指を向ける。
「とにかく、だ」
「……!?」
突如、鐡夜の口に巨大な白い塊が突っ込まれる。
「あっっっっっふっ!!!!!」
「ほら。お前の好きなゴー●―イチの豚まんを買ってきたからな。これで機嫌を直せ」
鐡夜は驚いて、アツアツの中身に勢いよくかじりついてしまった。肉汁と共に、口の中に熱が一気に伝わり、悶絶する。
口を大きく開けてしまった鐡夜は、豚まんの四分の三以上が地面に落下していくのを、受け止めようと必死に手を伸ばす。
何とかギリギリのところでキャッチし、ホッと息をつく――――――。
それを、四人に見られていたことに気づいた瞬間、顔が茹蛸のように赤くなる。
厳夜はいたずらっけのある笑みで、そっと鐡夜に耳打ちする。
「納得いかんかもしれんが、今は混乱を収めるのが先だ。風牙が皆を救ってくれたことも事実。くれぐれも内密にしてくれ。頼んだぞ」
「……チッ! お、オレは認めねえからな、そんな奴!!」
鐡夜は、豚まんを手に持ったまま、森の中へ消えていった。
咲夜と厳太は、二人の様子を食い入るように見ていた。
「何と恐ろしいこうげき……」
「えっ? 何か言った?」
「いえ。独り言です」
「私も、肉まんが食べたいな」
咲夜がにっこりと笑い、風牙に同意を求めようとしたところ、
「あれ……?」
いつの間にか、風牙が天を向いて倒れていた。すぐさま老紳士が風牙の状態を確認する。
「……寝かせておいてあげましょう」
風牙は、すーすー寝息を立てて寝ていた。そもそも、厳夜の術で癒されたとはいえ、本来立っているだけでやっとの状態だったのだ。
「厳太。洋館の二階に空き部屋がある。そこで寝かせておいてやれ」
「承知しました」
「私も行く!」
老紳士と咲夜の背中を見送った厳夜は、温和な顔から一転、眉根に皺を寄せる。
最も大きな謎であり、事件の真相に最も近づくことができる遺留品――――――。
「……この仮面」
厳夜の右手に出現したのは、傀異の顔についていた般若の面だった。
「どこかで見たような気がするが」
それを眺めた厳夜は首を傾げ、焼け落ちた本邸の方へ向かう。
厳夜は朝日の眩しさに目を細める。
――――――胸騒ぎがしてならない。
厳夜は、焼け落ちた本邸をしばらくの間見つめ続けた。
* * * * *
三日後
空は雲一つなく晴れ渡り、穏やかな風が吹く浄霊院本家では、復旧作業が行われていた。
風牙と厳夜のおかげで、死者はゼロ。重傷者もいなかった。そのため、多くの使用人たちが屋敷を再建するために働いている。
想術師が派手に戦闘をした後は、一般人への秘匿のために傀修術と呼ばれる術を使い、破壊された箇所を元に戻す必要がある。厳夜は、素早く復旧させるために、式札に術を込めた傀具を制作し、使用人たちに使わせている。そのおかげか、三日で屋敷の半分が元通りになっていた。
「傀修札。あれ、昔想術開発局の知り合いに作らせて実用化させたんだ。いいだろう」
崖に面した、応接用のお堂―――その柱にもたれ、復旧作業を見ていた厳夜は、どこか満足げに頷いた。
「想術開発局にお知り合いなんていたんですか。あそこは、色々と黒い噂が絶えないと伺いますが」
「あそこはたくさんある研究室ごとに独立志向が強いからな。かなりのブラックボックスだ。でも逆に、一人でも知り合いがいると強いぞ」
「知り合いは、お一人なんですね」
「悪かったな。友人が少なくて」
お堂の奥で茶を淹れていた老紳士は、湯気の立つ湯飲みを応接用のテーブルに置く。そのテーブルには、数枚の紙をホッチキス止めした資料が置かれていた。
「さて、結界は張ったか」
「ええ。ここは今、この屋敷のどこよりも機密性が高いです。ご安心を」
「わかった」
厳夜は、テーブルの前に敷かれた座布団に胡坐をかいて座る。温かい緑茶に口をつけ、資料に目を通す。資料の一枚目には、大きな文字で報告書と書かれていた。
「すまんな厳太」
「いえ。監視用の式神が、つねにこの屋敷の周りにうろついている……もう“内部監査局”に知れ渡っているでしょう。一応そのままお渡しできるように作りました」
「読ませてもらう」
厳夜は、報告書にじっくり目を通す。
「……良い出来だ」
「ありがとうございます」
厳夜は五分ほどで読み終わると、ポケットから取り出した自身の印鑑を、表紙に押す。
「……結論から言いますと、講堂と屋敷に火を放ち、謎の傀異を召喚した犯人は、この屋敷内にいると見て間違いありません」
「そのようだな」
「これを」
老紳士は、ハンカチに包まれた白い紙を厳夜に見せる。それは奇しくも、外で使用人たちが使用している傀修札に酷似していた。
「時限発火の術が組み込まれていました。いつ、だれが張ったのかなど、ここから犯人を特定するのは難しそうです。しかし……」
「目撃者がいたな」
「はい。三人の証言ですね」
厳夜は、報告書の中に書かれている事件の詳細をもう一度見る。
十七時すぎに、永久、ヒカル、そして鐡夜が、講堂にいた風牙を目撃している。
「鐡夜が見ていたのが引っ掛かるな。それに、あの必死の形相」
「それはいつものことだと思いますが……どちらにせよ今のところ証拠はありません」
「その時風牙は、お前が地蔵堂の中で拘束していた。つまり、三人が見た風牙は偽物ということになるな。お前が嘘をついていない限り」
「その通りです」
即答した老紳士に、厳夜は笑いかける。
「冗談だ。お前は犯人ではない」
「なぜそう言えるのですか」
「勘」
厳夜は、湯飲みの中に移る自分の顔を覗き込む。水面に、一本の茶柱が立っていた。それを老紳士に見せる。
「ほら見ろ。私の勘がそう告げている」
「……意味がわかりませんが」
「あと、気になる点は、これだな」
厳夜は徐に立ち上がり、お堂の中にある引き出しから、和紙に包まれた丸いお香立てを持ってくる。
「あの時、ここで風牙に使った傀具だ。まさか使われるとはな」
恐れや不安を増幅させるお香の傀具――――――。
それが、本邸の中で焚かれていた。
「犯人は絞れんな。別に隠しているわけではなく、ここにいつも置いているものだしな」
厳夜は、軽くため息をつくと、再びテーブルの前に座る。
「私が思うにこの事件は、起こるべく仕組まれて起きたものだ。
功刀風牙の来訪。これまでこの屋敷には、部外者は誰も入れてこなかった。それは、ここにいる者たちが皆それぞれに事情を抱えているからだ。私は皆を守らねばならん」
厳夜の脳裏に、浄霊院紅夜の姿が浮かぶ。
――――――功刀風牙が、紅夜を追いかけてこの屋敷に来たのは、偶然か、必然か。
「動きだしてしまったのかもしれん。今までずっと、時の流れに身を潜めていた何かが、風牙と共に、荒波となって押し寄せるような……そんな気がしてならん」
「……功刀風牙。旦那様、彼は一体何者なのですか。彼の体は……」
「厳太」
厳夜は、老紳士を睨みつける。その厳しい目つきに、老紳士は委縮する。
「それは、今論じることではない。そして、この屋敷ではお前ほどの想術師しか気づけないことだ。わかるな?」
「……申し訳ありません」
厳夜は、湯飲みに入った茶を一気に飲み干す。
「これ以上は、犯人に繋がる手がかりがない。引き続き調査を頼む。何かあればすぐに報告するように。話は終わりだ」
「かしこまりました」
厳夜は、報告書を老紳士に手渡す。空になった湯飲みを持ち、お堂から出ようとしたところで、老紳士が後ろから問いかける。
「そういえば旦那様。咲夜様と功刀風牙の今後はどうなさるおつもりですか?」
風牙はまだ意識を取り戻していない。これまでの無理が祟り、思った以上に衰弱していた。洋館の二階にある寝室で寝ており、咲夜が四六時中隣にいる状況だった。
「……そうだな。正直私は、風牙があの壁を壊したことに、ホッとしているところもある。お前もそうだろう」
老紳士は、自分が咲夜を外に出してしまったことを思い出して目を細める。
「私は……使用人失格です。何なりと処分を」
「そんなことよりも、影斗の見舞いに行ってやれ。あの日何かあったのかはわからんが、精神的にかなりやられているみたいだからな」
「ですが……」
「処分と言うなら、一週間の謹慎処分にしてやろうか。その間、影斗の傍にいてやれ。いいな」
厳夜はお堂から出ると、ひらひらと手を振って、どこかへ瞬間移動して消える。それを見た老紳士は報告書を握りしめる。
「……影斗」
老紳士はわかっていた。
影斗の精神を衰弱させたのは、紛れもなく浄霊院鐡夜の仕業だということを。
しかし、それを責めることはできない。
老紳士はお堂の中の座布団や机を片付けると、洋館の方へ向かった。




