星天の霹靂
今回、きりのいいところまで行こうとして長くなってしまった……
――――――雲が晴れていく。
淡い月の光が、森に差し込む。
風牙の目の前に現れた浄霊院家当主は、手に持っていた大量の土産袋たちを放り投げる。空中に散らばったそれは、パッと魔法のように消える――――――。
何が何だかわからず、混乱する風牙を見た厳夜は、説明する。
「私の術式だ。初めて見た者は大抵お前のような顔になる」
厳夜は、着ていた黒いコートを脱ぐと、状況の理解が追い付かない風牙に向かって投げる。
コートを受け取る寸前、コートがまた一瞬で消える。
厳夜は親指を立てると、森の方へ突き出す。
視界の先、三十メートルほどの地点に、人型の化け物がいた。
風牙は、今の自分の状況を落ち着いて顧みる。
自分は確か、握りつぶされて死ぬところだった。その後、柔らかい草の上に座っている今の自分までたどり着く記憶が曖昧だ。
(わけわかんねえ……)
“ギギギギギギギ……!”
そう思っているのは化け物も同じようで、自身が握っていた風牙が、目の前から忽然と消えたことに、何がなんだかわからず、きょろきょろと周囲を見渡している。
――――――腕が、ない。
傀異の肘から先が、切り落とされたように無くなっている。そのことをようやく認識した傀異は、怒りの咆哮を上げる。
一歩、また一歩。傀異は、消えた風牙を探しながら、屋敷に向かってゆっくりと進み始める。
「やべえ……」
厳夜は己の口に人差し指を当てる。
「話は後だ」
厳夜は、巨大な人型の傀異を見据える。
鋭い爪――――――黒い傀朧で強化された体は筋張っていて、ずいぶんと不気味な印象だった。傀朧の量は、厳夜が見た限り、並みの傀異を凌駕している。
(どのような概念から生まれたのかが、はっきりしないな……伝承レベルは最下位なのに、危険レベルは最高位といったところか)
厳夜は、風牙の方へ振り返る。
「風牙。私の戦いを見ておけ」
僅かに口角を上げた厳夜は、風牙の目の前から消える。一瞬、厳夜の全身に青い稲妻が走ったように見えた。
「……!?」
風牙は、目を疑った。手の甲で目をこすると、厳夜の纏う傀朧の気配を追いかける。
――――――空だ。
厳夜は、巨大な青い龍の頭に乗っていた。
龍の全長は、二十メートル以上もある。立派な角に、二対の長いひげを生やし、美しい鱗に覆われている。
「それにしても……私がいないのをいいことに、散々やってくれたな」
厳夜は空から、屋敷の様子と傀異を俯瞰する。
山の上にある講堂が焼け落ちて消え、さらに本邸もほぼ全焼。使用人たちは階段を上って避難しているが、怪我人が多い。
現状を見て、目を細める。
『う、うわ……なんなんだろうあの傀異。怖いなぁ』
青い龍が口を開く。先ほどからちらちらと、地上にいる傀異を見て怯えているようだった。
「“青龍”。すまんが、ちょっとお土産を見ていてくれるか。あと、ついでに私のコートも」
厳夜が先ほど風牙の前から消して見せた袋とコートが、青龍の角の近くにあった。
『飛んで行ったらどうしよう』
「それは、何とかしてくれ」
心配そうに頭上を気にする巨大な龍をよそに、厳夜は門の方へ目を向ける。
仁王門の前でも、小さな黒い傀異が大量発生しているようだ。
それの侵攻を止めているのは、本家守備隊の隊長、浄内義光。
彼は、刀を神速で振るい、たった一人で次々と湧いてくる傀異を撃退していた。
「“朱雀”」
厳夜が呼ぶと、何もなかった場所から、火を纏う小型の赤い鳥が出現する。ふわふわと舞うと厳夜の肩にとまる。
『ういーす。なんだなんだ~? 屋敷焼けてんじゃん。どうしちゃったの?』
「それは、私が聞きたい」
『へー。あんな傀異、見たことねーな』
朱雀と呼ばれた赤い鳥は、巨大な傀異を見て、興味深そうにつぶやく。
気だるそうにあくびをしてから、厳夜の肩から仁王門に向かって飛び立った。
「行くか」
厳夜の体に、光が走る。
一瞬で風牙の目の前まで戻ってくると、風牙の肩に触れる。
「移動するぞ」
――――――また、一瞬で移動した。
講堂に続く階段の下。咲夜のすぐそばまで戻ってきた。
「……!!」
突如現れた祖父を、咲夜は心配そうに見つめる。
厳夜は、ボロボロの風牙の体を二人に預ける。
「……じいさん。その……」
「いい。すぐに終わる。礼ならその時にたっぷりと聞かせてもらおう」
厳夜は、冗談のつもりで言ったのだが、真剣なまなざしのままの風牙を見て、頭を掻いた。
「おじいさま……私」
気まずそうに俯く咲夜の頭に、厳夜はそっと手を置いた。
「では行ってくる」
厳夜はにっこりと笑い、再び稲妻を走らせる。
次に現れたのは、避難していた使用人たちの頭上だった。ピタリと空中で静止した厳夜は、使用人たちに向かって語り掛ける。
「皆、すまなかった。だが、もう大丈夫だ」
月の光を浴び、光り輝く厳夜の姿は、天から舞い降りた使者のように幻想的だった
――――――使用人たちはその姿を見て、自然と力が抜ける。中には、安心して泣き出す者までいる。
厳夜は、人差し指を天に向ける――――――。
『浄霊院祓式 蒼の癒乱雨』
上空にいる青龍が、光り輝く。青龍から放たれた傀朧が、空を覆う。月明かりが一層強さを増し、光の粒子が雪となって使用人たちに降り注ぐ。
温かく、安心する光――――――粒子は、使用人たちの苦痛を取り除いていく。出血が治まり、力が湧いてくる。
使用人たちは歓喜した。
その光は、階段の下にいた風牙たちにも降り注ぐ。ゆらゆらと煌めく美しい光に、言葉が出ない。
「綺麗……」
咲夜は、その光を両手で受け取る。心が洗われるような温かさだった。
「咲夜様。功刀風牙」
その時、森の中から老紳士が現れる。老紳士は、二人を見て安堵する。
「無事でしたか……よかった」
咲夜は、老紳士に向かって駆け出すと、勢いよく抱きつく。
ぎゅっと老紳士の服を握った咲夜は、目に涙を浮かべていた。
「……私は、使用人失格です。功刀風牙。貴方に礼を言わなければなりません」
風牙は、虚ろな目で老紳士を見る。深々と頭を下げた老紳士の体は、わずかに震えていた。
それを見た風牙は、思わず目を背けてしまう。
「……俺は」
“ガァァァァァァァァァァァ!!!!!”
黒い傀異の咆哮は、ビリビリと鼓膜を揺らす。振動が骨まで響く。
三人は驚いて、傀異の方に視線を向ける。
「さて」
厳夜は、天高く傀異を見下ろすような位置にいた。
それを見た傀異は、怒りを露わにし、爪に傀朧を集中させる。
禍々しい爪から黒い傀朧が放たれ、爪が強化される。
傀異は地面を蹴り、高く跳躍する。厳夜の正面から鋭い爪を突き出し、切り裂く。
青い稲妻――――――爪は空を切る。厳夜は傀異の背後に移動し、右腕で傀異の体にそっと触れると、
「どうしてくれようか」
傀異の体ごと、地面スレスレに瞬間移動し、そのまま顔面を叩きつけた。
――――――地面に大穴が開く。重い衝撃により、傀異の四肢はバラバラになり、圧縮された黒い体が地面にめり込んだ。
厳夜は傀異の体から手を離すと、少し距離を取る。
(……これは)
もう傀朧が集まってきている。
どこからか発生した歪な傀朧が、傀異の体を修復していく。
衝撃でバラバラになった四肢が元通りになる。その上、先ほどよりも太く、頑丈な体になっていた。
“グォォォォォォォォォォォォ!!!”
傀異は地面から這い出てくると、一心不乱に厳夜に迫る。
「もういいだろう」
傀異の腕が、厳夜の体に触れる――――――厳夜はその腕を、手のひらで軽く払った。
『屈曲』
バキバキバキ――――――。
傀異の腕は、一瞬で歪な方向にねじれ、圧縮される。
形を維持することができなくなった腕は、傀異の肩から崩れ落ちた。
驚いた傀異は、後退する。
厳夜は傀異の真正面に立つと、ゆっくりと歩み寄る。腕を上げ――――――傀異の前で指を鳴らした。
『郭大』
パチン。
音と共に傀異の体が一気に膨張し、はじけ飛んだ。
「大地に還れ」
傀異の内包していた傀朧は、器である体を失って霧散する。
顔についていた般若の面だけが残り、地面に落下する。厳夜はそれを空中でつかみ、睨みつける。
「……仕上げだ」
厳夜は、上空にいる青龍を一瞥し、再びその頭の上に移動する。
最も気配の濃い傀異は倒したが、まだいくつかの個体が仁王門に残っている。
厳夜は目をつむり、傀朧の気配を探知する。敷地内にいるすべての傀異の位置を、気配で捕捉すると、目を見開く。
『南方より来たる、七宿の守り手に告げる』
厳夜の詠唱と共に、真っ赤な光が上空に渦を巻く。まるで太陽のように光り輝く光は、次第に大きくなっていく。
厳夜は、右手でその光を受け止める。その光をゆっくりと、空に返し、手のひらを握る。
『森羅万象を犯す穢れを祓い、清め給え――――――浄霊院祓式 赫織鳳華!』
渦を巻いた光が、一気に凝縮する。光が弾け、花火のように四方に散る。
散った光の筋は、全て傀異に向かって降り注ぐ。降り注いだ光は、青い炎となり、傀異の漆黒の体を焼き尽くす。
――――――圧巻だった。
仁王門付近で奮戦していた義光は、青い炎を見て肩の力を抜いた。
「……」
その光景を見た義光は、嘆息を漏らす。術の規模も、派手なやり方も、とても一介の想術師では成しえないことだった。
義光は、光を睨みつける。
「……」
全てを浄化した青い炎が消える。炎が消え、辺りは再び暗い夜の世界に変わる。まるで、何もなかったかのような静寂。義光は、少し下がっていた口元のネックウォーマーを上げると、本邸の方へ歩き始めた。
* * * * *
終わった。圧倒的だった。
風牙は、息をするのも忘れて、厳夜の戦いに見入っていた。傀朧の量は底を知らず、質は到底真似できないレベルで研ぎ澄まされていた。それに、あの瞬間移動のような想術――――――。
これが、想術師協会のトップにして、浄霊院家をまとめる者。
風牙の心に、憧憬が満ちる。
ただ強いだけではない何か――――――それはわからなかったが、強く惹かれる。
「私も、未だに見入ってしまう。まるで“神”のようだと」
横で共に見ていた老紳士が口を開く。幻想的な青い炎は消え、夜空を彩る星々が光を取り戻していく。
「想術師は夜を駆ける――――――。
傀異が発生するのは、大方夜が多いからです。旦那様の術式は、月夜に突如現れ、稲妻を纏い、まるで天罰を与えるように傀異を狩ることから、こう呼ばれています」
――――――上空で、再び青い稲妻が走る。月を背にした厳夜は、空中を散歩するように移動している。
「“星天の霹靂”、と」
美しい銀髪が、月の光を反射する。厳夜は地面に降り立つと、風牙たちの元へ歩み寄る。
「待たせたな。皆、本当にご苦労だった」
厳夜は、風牙、咲夜、老紳士と、順番にそれぞれの目を見据える。鋭い目つきと風格は、見る者を圧倒する。老紳士の言う“神”という言葉さえ、誇張にならないほどの凄みがあった。
空がほのかに色を帯び始める。どこからか吹いてくる柔らかな風が、朝を告げていた。
辺りが静寂に包まれる。厳夜は俯いて拳を握ると、三人に向かって進み始める。
風牙はふと、何か言われると思い、身構える――――――。
「咲夜ぁぁぁぁぁぁぁ……!!!!!」
「は?」
突如破顔した厳夜は、咲夜に抱き着いた。
「無事で本当によかった……! ああそれだけで私は……」
「おじいさま……あの、ごめんなさい。私……」
咲夜は、申し訳なさそうに厳夜を抱きしめ返す。
「わかっている。だが、お前が夜桜庵から出て、こうして立っているのを見て思った。私のやってきたことは間違いだったのではないかと……すまなかったな」
「おじいさま……ううん、わかってる。私、何でもするわ。おじいさまのためなら」
厳夜はその言葉に胸を打たれたらしく、咲夜の顔を見て、目をウルウルさせている。
「おじいさま泣かないで」
「だ、だって。いつの間にか、こんなにもお前が、成長しているのだと思うと私は……私は……」
「なんだこれ」
風牙は、目の前でいちゃいちゃする孫と爺に、冷たい視線を送る。
「旦那様は咲夜様を前にされると、いつも溺愛モードに入られるので」
「いつもこんな感じなのかよ……」
老紳士は表情一つ変えずに、先ほどとは一転した主人を見つめている。
――――――それが、ちょっぴり怖い。
「……そんなに睨まなくてもいいだろ厳太」
「睨んでいませんが」
厳夜は立ち上がると、大きく咳ばらいをし、風牙を見た。
「改めて礼を言うぞ風牙。お前がいなければ、私は間に合わなかった」
風牙は、厳夜の言葉を受けても納得できなかった。
厳夜が来なければ自分も、背後にいた咲夜たちも、死んでいた。その事実が、風牙の心に圧し掛かる。自分がいなければ間に合わなかったのではない。厳夜が間に合ってくれたから、みんな生きている。
自分は弱い。
強くなったと勘違いしていた。うぬぼれていたのだ。
弱ければ何も守れない。思い出も、家族も、父が守ろうとした誰かの幸せも――――――。
「……くそ」
風牙の脳裏に浮かんだのは、浄霊院紅夜の姿だった。
呼吸が早くなる。浄霊院紅夜の姿が、濃くなっていく。このままではダメだ――――――ダメなのだ。
瞳孔が開き、視点の定まらない風牙を見た厳夜は、風牙の背中を勢いよく叩く。
「痛って!」
「阿呆が」
急に背中を叩かれて、風牙は現実に戻る。むっとした風牙を、厳夜は笑った。
「自分を責めるな。前にも言ったが、お前の過去は知っている。だから、お前がどういうことを考えているのか、理解はしてやれんがなんとなくわかる。だからこそ、お前は自分を責めるべきではない」
「……でも、俺! あんたが来なかったら負けてた。死なねえって言ったのに、死んでたんだ。全部、あんたのおかげなんだ」
「馬鹿者」
厳夜は、風牙の頭を優しく小突く。
「ほら。見てみろ」
厳夜は、風牙の背後――――――徐々に明るくなっている山の上を指さした。
「……!」
階段の上、避難した使用人たちがこちらを見ている。皆、明るく笑い、こちらに手を振っていた。風牙を褒める者や、礼を言う者もいる。
「お前が守ったのだ。誰一人死なせなかった。胸を張れ」
「……俺」
風牙は、朝焼けに照らされた使用人たちの姿を目に焼き付ける。
頭が混乱して、何も考えられない。いや、何も考えずに突っ走り、当たり前のことをしただけだ。褒められる筋合いはないし、礼を言われるのもピンとこない。でも――――――。
少しだけ。ほんの少しだけ、風牙は笑った。
功刀家家訓その①、困っている人がいたら助ける――――――。
「俺は……“かくん”ってやつに、従っただけだ」
風牙が憧れた父は、誰かの笑顔を守っていた。
その生き方がカッコよくて、好きで。自分もこうなりたいと思っていた。
しかしそれは、父が死んだあの日から、自分の使命に変わっていたのかもしれない。
「じいさん」
風牙は、厳夜の目をまっすぐに見つめる。そして、拳を厳夜に向ける。
「俺、ちょっとは役に立ったかな」
「馬鹿者。ちょっとどころじゃないと言っておるだろうが」
長かった夜が明ける。
山の間から昇った朝日が差し込み、戦いの後を照らす。
――――――その時だった。
「どういうことだァ……ふざけんじゃねえ……」
朝焼けの中、木々をかき分け、本邸に向かって歩いてくる人影は、歯をギリギリと噛み締める。
息を荒げ、怒りを露わに向かう先、そこにいるのは――――――。
「功刀、風牙……テメエがあの化け物を呼んだんじゃねえのかよォ!!」
浄霊院鐡夜は、血走った目で風牙を睨みつけた。
いいシーンをブレイクしていくてっちゃん。
次回、1章エピローグです。




