ゲームと現実【6】
響く声から受ける印象は楽しそう、その一言に尽きた。
遊ばれている、ゲームで遊んでいるつもりのプルムよりもずっとこの声の主の方が遊んでいる。
そして遊ぶためのおもちゃは間違いなく私たちだ。
そんな風に納得してしまうくらいの愉快そうな声に私が感じたのは恐怖だけだった。
平時ならば絶対にこの声の主とは関わり合いになりたくないけれど、今の状況を考えるとそういう訳にもいかない。
「……私をファクルに帰して」
『選択肢だ、自分の欲しいものを選び取れ』
そのセリフと共に笑う声まで聞こえて来て、ぎゅっと手を握り締める。
男とも女とも取れる声は、本当に私たちで遊んでいるだけのようだ。
「この中にファクルへの帰り道があると?」
『帰り道は用意した。自分で掴み取るのだろう? 選べ』
「ちょっと、私はっ?」
『お前の願いを聞くのは終わりだ、飽きた』
「はあ? ふざけないでよ! そもそも私以外の人間が……この女がゲームのことを知っている時点でおかしいじゃない。私だけの世界のはずだったのに!」
『そんなことは指定されていない。お前が生贄に使った魂を再利用しただけだ。面白そうだったからな』
「なんですって?」
驚いたようにこちらを見たプルムに静かに視線を返す。
プルムの表情に驚きの感情はあれど、申し訳なさなどは欠片も見えない。
前世で殺された挙句に遊ばれた理由も間接的にプルムが関わっているとは。
もうため息しか出ない。
「これで私があなたを助ける理由は何一つとして無くなったわ。自分を殺した相手に掛ける情なんて欠片も無いもの」
少しでも情けをかけて共にこの世界から出たらプルムはまた私の命を奪うだろう。
私自身のためにもファクルのためにも、プルムのような自分だけが幸せになるために何でもするような子に手を貸すような選択を取る事は出来ない。
それに、今はこの声のほうが重要だ。
「あなたはいったい何?」
『その女が主人公、お前は悪役、それならばこちらはプレーヤーとでも言おうか。いや、ゲームを作る側になるかもしれんな』
「…………」
この声の言っていることがすべて真実だとしたら、どのみち私達には理解できない存在だ。
声を聞いているだけで逆らっても無駄だという思いが湧いてくるし、逆らわない方が良いと頭の中が警鐘を鳴らしている。
空中に向かって怒鳴りだすプルムはそんなことを感じてはいないのだろうが、声はもう飽きたとしか返さなかった。
この声が何を考えているのかはわからない。
ただ唯一言えるのは、今私はプルムよりもよほど厄介なものと対峙しているということだ。
じっと扉を見つめてみる。
今最善の選択肢はおそらくこの声の気が変わる前に扉を選ぶこと。
本当にファクルへの帰り道があるかどうかの確信はないけれど、今私が選択できるのはこの声が用意した選択肢を選ぶことしかない。
この扉の行き先、一つだけは予測できる。
先ほど落ちてきた紙を拾い上げて、今度はしっかりと読み込んでいく。
「……これが、あのゲームの続編ということ?」
『そうだ』
「嘘よ! それが続編だって言うなら、どうしてそこに写ってる女の子は私じゃなくてそいつなの!」
そう怒鳴ったプルムの声はまるで悲鳴のような印象を受けた。
この子の今までの思惑を考えれば、確かにこの紙に書かれていることは発狂ものだろう。
私が手にする紙には、レオス様をイラスト化したような男性のキャラクターを中心に様々な美しさを持った男性キャラクターが並んでいた。
そしてその男性キャラクターの中で唯一写っている女性キャラクターは私とよく似ている……いや、これは間違いなくゲームに登場したリウム=グリーディのイラストだ。
衣装や髪型が少し変わっているが、続編ということで前作よりも時間が経過しているのだろう。
キャラクターのイラストの上に書かれているストーリーらしき文章に目を向ける。
「……前作でアルディナを追放されたリウムは、遠く離れた森の中で静かに暮らしていた。妹を陥れていた日々がまるで嘘のように穏やかな日々。唯一味方として付いて来てくれたメイドと二人で細々と暮らしていたリウムだが、ある日森の中で怪我をした魔物を見つけたことをきっかけに様々な魔物たちと出会うことになる。魔物たちと交流を深めていく中で明らかになっていく、アルディナでのリウムの行動の真意とは……」
「なにそれっ、どういうことなの!」
「見たままでしょうね」
そうだ、続編とは言っても主人公が同じだとは限らない。
主人公交代なんてシリーズ物ではよくあることだし、乙女ゲームは一作目の友人役やライバル役だったキャラクターが二作目の主人公になることもある。
つまりファクルは、リウムを主人公とした二作目の世界観の中に登場する国なのだろう。
プルムはレオス様を見て自分の攻略対象だと喜んで操ろうとしたのだろうが、レオス様が自力での防衛に失敗したとしても操られることはなかったのかもしれない。
操るための魔法は、“アルディナ“でプルムとして生きさせて、の願い通りゲームの舞台だったアルディナのみで有効のはず。
そしてゲームで考えればレオス様はプルムではなくリウムの攻略対象なのだから、プルムの魔法の対象外だ。
それにしても攻略?
……あの人を?
「……ありえないわ」
そもそもフィロにしか興味がないということを置いておいても、あの人と恋人同士になった自分をまったく想像できない。
味方としてはとても頼もしいし、彼の力や知識、そして咄嗟の判断力や行動力などに関してすごく尊敬している。
だからこそ私の手には負えない方だし、向こうも私を恋愛対象として見ていない。
それに私は自分がレオス様と恋をするよりも、レオス様が伴侶の方々と楽しそうに過ごしているところを見る方がずっとずっと好きだった。
いつもの広場で微笑み合う彼らから向けられる笑顔、フィロとの仲をからかいながらも気にかけてくれる時、悩んでいる時にかけられた心配の言葉……全部しっかりと思い出せる。
彼らの見ていて温かい気持ちになるような関係性も私がファクルを好きな理由の一つだ。
伴侶の人たちもみんな魅力的で優しくて、私は彼らのことが大好きで。
だからそこに自分が入るのは違うとわかっているし、何よりもフィロ以外の人との恋なんてもう無理だった。
そういえば並んでいるキャラクターは全員魔物の様だが、フィロらしきキャラクターは見当たらない。
『リウム、選べ』
楽しそうな声が私の名前を呼んだのを合図に、紙から顔を上げて扉の方を見つめる。
おそらく、この扉の内の一つはこの続編の世界に繋がっているのだろう。
なら残る二つは?
「一つは私の望む現実のファクルへの帰り道、一つは同じファクルでも現実ではなくてこの続編のゲームの世界、後は?」
『……あるべきところに帰るだけだ』
「あるべきところ?」
少し考えて、思いついた答えに空中を睨みつける。
「私はもうゲームのリウムには戻らないわ」
『選ぶのはお前だ』
あるべきところ、やはりこのアルディナでゲームのキャラクターに戻る扉なのだろう。
選んだ時点で私はプルムにも負けたことになる上に、きっともう二度とアルディナからは出られない。
『お前はこちらの掛けた補正を打ち破り、ゲームの外との縁をつかみ取って強固にしてしまった。お前が生きる過程で結んできた様々な縁は、お前をゲームの世界の住人から現実の住人へと変化させてしまったんだ。こちらの力だけではもうお前をゲームのキャラクターには戻せないほどに。だからお前が選べ、ゲームのキャラクターに戻るのか、現実で生きていくのかを』
「だったら行き先を教えてくれても良いのではなくて?」
『それではこちらがつまらない』
笑い声と共に帰ってきた反応に眉間に皺が寄った。
やはり遊ばれている、これ以上聞いても答えを教えてもらえることはないだろう。
じっと扉を見つめてみるが、何のヒントもない上に運任せにするには博打すぎる。
『選んでみせよ、その選んだ先の道にお前の言う現実があるのならば、こちらが関わることはないと誓う』
「続編の世界に行けばそのストーリー通りに動かされて、アルディナの世界に行けば今度こそリウムとしてこの子と共にループ、現実のファクルに帰る事が出来ればあなたのお遊びからも解放されて普通に過ごせるということかしら?」
『そうだ』
今はもうこの声が本当の事を言っていると仮定するしかない。
どちらにせよ選択しなければファクルには帰れない状況だ。
「…………」
『さあ、選び取って見せろ。お前への愛でこの世界から抜け出し、本来ならばゲームのように他の魔物と恋をしていたはずのお前を手に入れた恋人の様に、こちらの思惑から抜け出してみろ』
「……えっ」
じっと扉を見つめ続ける私に声が爆弾のような言葉を掛けて来て、体が硬直した。
声が発した言葉が何度も頭の中でループして、じわりと心臓の辺りが温かくなる。
出会ってからずっと、当然の様に傍にいてくれた彼が過去に掛けてくれた言葉がぶわっと頭の中に浮かんだ。
『関係ありません。私はリウム様に付いて行きます』
『あなたがアルディナを離れるというのに、残る必要性など私にはありませんから』
『あなた以外の女性など、それこそ俺には必要ありません』
『傍にいますよ。何度頭の中が書き換えられようとも、何度だって抗って、すぐにあなたを思い出して。たとえファクルを追われても、ずっとあなたの隣にいますよ』
フィロ、と小さく彼の名を呼ぶ。
帰りたい、帰らなくては……彼は私を選んでくれたのだから、私だって彼を選ばなくては。
『さあ、リウム。抜け出してこちらを楽しませろ。仕事への責任や情熱なんていう一番わけのわからないものでストーリーを退けたお前には期待している』
「え?」
「……あんたなに、心の底から社畜なわけ? 信じらんない。よくもまああんな影たち相手にそこまで気を回せると思ってたけど、そういうこと?」
声に向かって怒鳴りつけていたプルムにすら呆れられる私はいったい何なのだろうか。
確かに前世を思い出した時はファクルとの外交について悩んでいたけれど。
複雑な気分になったが、プルムの台詞が気になって彼女の顔を見る。
「影?」
「そうよ、真っ黒な人型の影。ゲームのモブなんだから容姿なんてないでしょ。あんたの執事だけはあの国でちゃんと人型になってたけど」
「……そう、あなたにはこのアルディナの光景が標準なのね」
私がアルディナで暮らしている時に違和感を覚えなかったのは、アルディナを追放されるまではリウムというキャラクターだったからだろう。
だがこの声の言う通り私はストーリーが終わった時点でゲームの人間ではなく現実の人間になったから、ゲームの知識を持つプルムと同じようにアルディナがゲームの光景として見えるようになったということか。
それならやはり、今の私が生きる世界はアルディナじゃない。
私は現実を生きる……ファクルで、彼と一緒に。
「フィロ……」
会いたい、会いたい。
私への想いですべて跳ねのけてくれたという彼に。
顔を上げて扉を見つめる。
間違えたら二度と会えない、それだけは絶対に嫌だ。
勘も何も働かない三つの扉を前に何度も何度も扉を見比べる。
会いたい会いたいと心が叫んで、その思いばかりが強くなっていく。
答えがわからない、本当にこの扉はファクルと繋がっているのだろうか。
部屋を出る手段はこの三つの扉しかない、なのにどの扉がどこに繋がっているのかがまったく分からない。
今はこの声の主の言葉を信じるしかないけれど、でも……だめだ、落ち着かなくては。
こういう時に焦ってしまうと、良い結果なんて確実に出ないだろう。
「フィロ、みんな、どこ?」
どうしてだろう、この扉がファクルに繋がっている感じがしない。
明確な何かがある訳ではない、けれど今まで過ごして来た日々の中で様々な人達と交渉して来た経験が駄目だと、違うと言っている。
場の雰囲気、声の話し方、今まで見てきた景色や世界の状態、それを全部重ね合わせて考えると、この声は嘘は言っていないはずなのに何かが引っ掛かってしまう。
現実のファクルへの道が用意されているというのは嘘ではないはずだ。
そもそもそこを疑ってしまえば私はもう身動き一つ取れなくなってしまう。
じっと三つの扉を見つめていた時、バンッ、という大きな音が部屋に響き渡った。




