第七章 ゲームと現実【1】
「……まさか、本当に、二周目だっていうの?」
心臓がギュッと締め付けられる感覚が不安を倍増させる。
見える景色は変わらず、追放前のアルディナの町並みが広がっていた。
「フィロ?」
彼の名を呼んでみても、一人きりの裏路地にむなしく声が響くだけ。
アルディナで一人きりなのはいつぶりだろうか。
フィロが執事になってからは彼がずっと傍にいてくれたから、余計に寂しさと不安が押し寄せる。
本当に……本当に私が過ごして来た日々は失われてしまったのだろうか。
胸を締め付けられる感覚と共に、鼻の奥がツンとする。
視界が滲みかけた私の脳裏によぎったのは、先ほどフィロがプルムに向かって言い放った台詞だった。
『当然だ。どれだけ頭の中を書き換えられようとも、俺がリウムさんを捨てるだなんてありえない。たとえ一時的にお前の力に影響されようとも、俺は絶対にリウムさんのことを思い出して傍にいる。今までも、これからも』
「…………これからも」
そうだ、大丈夫。
ここがどこでも、プルムが何かを企んでいたとしても、たとえ何もかもがリセットされたとしてもフィロは絶対に私のところに来てくれる。
根拠なんてない、むしろあり得ない可能性の方が高いのに、ただ彼に対する絶対の信頼がある。
大きく息を吸って、お腹から空気が無くなるまで吐き出す。
慌てては駄目だ、落ち着こう、今するべきことは現状を把握することだ。
「……っ」
ともかく立ち上がろうと、道路に手をつく形で体に力を入れる。
「な、んで、こんなに、動きにくいの?」
体が重い、まるで全身に何かがのしかかっているようだ。
しかし立ち上がらなければこの人っ子一人いない裏路地から出る事は出来ないし、情報も手に入らない。
さらに地面についた手に力を籠めると、ふとその手の違和感に気が付いた。
「どうして、大きいの?」
一度立ち上がることを諦めて、自分の手をじっと見つめる。
あのゲームはプルムの幼少時の回想から始まっていた。
子供の頃から続くリウムからの嫌がらせ、その辛い日々の記憶を振り返る形でゲームは始まる。
プルムがもしも二周目を始めるというのならば最初からになるはずなのに、私が縮んでいないとおかしいのではないだろうか。
「たぶん年齢は変わっていない。記憶もそのままあるし、変に操られている様子もないわ」
路地の壁に手をついてようやく立ち上がることに成功する。
視界の高さは先ほどまでと変わらず、やはり子供に戻っている様子はない。
近くにあった水たまりを覗き込めば、以前と変わらないままの私の姿がぼやけて映っている。
「さっきまでの私と何も変わっていないわ。それにどうしてこんなところで一人なの?」
ゲームを初めからプレイしたのならば私が此処に一人でいるのはおかしい。
本来ならばゲームの舞台であるグリーディの家にいなければいけないのではないだろうか。
「ああ、もう……!」
重い体に少し怒りを覚えながらも路地を抜けるべく歩を進める。
幸いにして私がいる裏路地は短く、少し歩けば大きな通りへと出る事が出来た。
薄暗い裏路地から明るい大通りに出たことで、眩しさに一瞬視界を奪われる。
軽く目を押さえて顔を上げた私が目にしたのは、予想もしていなかった光景だった。
「……え、なに、え?」
人々の話す声が聞こえる、人影が歩き回っている。
私の存在に気が付いていないかのように、至近距離を人影が通過して行った。
そう、影だ、真っ黒の人型の影が歩き回っている。
門番さんのような可愛らしい感じではない。
ぞわっと背筋に冷たい汗が流れる。
「これ、ゲームそのままの……」
キャラクターではない登場人物、例えば町中での会話シーンで背景に描かれる顔のない人間のような存在がそのまま歩き回っている。
一定の距離まで行くと戻ってきて、そしてまた同じ場所まで歩くことを繰り返している影、影、影。
彼らには口もないのに通りには人の話し声のようなものが響き渡り、先ほどまでとは違う恐怖で鳥肌が立った。
言葉が出ないまま周囲を見回す私の正面から歩いてきた影が歩を止める様子もなく、固まる私の前まで歩いてくる。
今も重い私の体では避けることも出来ずぶつかることを覚悟したのだが、その影はスルッと私の体を通り抜けてそのまま歩き去ってしまった。
呆然とそれを見送ってから、自分の体を見下ろす。
すり抜けた時にも何も感じなかった、もしも目を閉じていたら通り抜けられたことにも気が付かなかっただろう。
恐怖を振り払うようにぎゅっと手を握り締める。
「……行かなくちゃ」
ここで呆然としていても何もわからない。
行くとすればどこだろう、グリーディの屋敷だろうか、いや、ファクルに向かった方が良いかもしれない。
あの時ここに引きずり込まれたのは私だけだったと思うが、他にどんなことが起きているのかもわからないし。
「フィロ、レオス様、みんな……」
私を助けようと走って来てくれていた魔物たちの姿を思い出す。
彼らは無事だろうか、フィロは私にとって一番の味方だとプルムは知っただろうし、レオス様は彼女にとって新しいターゲットだ。
帰らなくては、ここで呆けている場合ではないのだから。
プルムが何をしようとも、なにが起こっていようとも私の居場所はここじゃない。
ひとまず町中を観察しながらファクルへ行くための道がある、国の入り口へ向かうことにした。
重い体を無理やりに動かして歩を進める。
本当に、いったいこの身体の重みはなんなのだろうか。
夢の中で急いでいるのに早く歩けない時の感覚に似ているが、まるでアルディナすべてから拒絶されているようにも感じる。
必死に歩いていく内に、違和感と共に増していく恐怖。
歩いている人々はすべて真っ黒な影で、どこから聞こえてきているのかもわからない上に何を言っているのかもわからないざわめきも常に周囲に響いている。
私の存在は彼らの目には入っていないらしく、試しに話しかけてみても何の反応も返って来なかった。
……これならまだ冷たい目で見られていたあの日々の方が良かったかもしれない。
そして広がる町並みは同じ所をループしているかのようにまったく同一のデザインの家が同じ順番で並んでいて、まるで一枚の絵が繰り返されているようだ。
遠くに見える城を目印に進んでいるので道自体は合っているのだろうが、この風景は不気味さしか感じなかった。
「どうしてこんなことに、追放される前は、前、は……?」
元々のアルディナはどんな町並みだっただろうか。
城周辺や、家の周りの景色、よく行っていた場所の様子は思い出せる。
なら下町は? 城から離れている場所は?
「どうして、だって仕事で見に行ったことだってあるのに。火事の時だって物資を届けに……」
物資を受け取った人以外の顔は? 大勢来ていた兵士たちの中で会話しなかった人たちの顔は?
思い出せるのは数人だけで、私の記憶の中のアルディナの住人達の顔がどんどん今周囲にいる黒い人影と入れ替わっていく。
よく睨みつけて来ていた人たちの顔は思い出せる。
けれど道でひそひそと嫌な空気を飛ばしてきていた彼らを思い出そうとすると、私に近い方にいた数名の顔だけしか思い出せず、残りの人たちはすべて真っ黒な影になっていた。
感じた寒気に体を抱きしめるようにして両腕をさする。
「……ゲーム」
主人公や攻略対象たちが話しかけたり逆に声を掛けられたりした時の相手は顔があったが、背景に描かれた町の人たちはやはりこんな感じだった。
「あの子の言う通り、ここはゲームの世界だというの?」
そんなわけないと思いたくて、けれど視覚から得ることができる情報は現実よりもゲーム画面に近い。
でもどうして今更なのだろう。
元々のアルディナもこういう風景だったのならば、何故私は今まで気が付かなかったのだろう。
他国の友人達やレオス様もアルディナが元々こうだったとしたら何かしら言ってくるだろうし。
「あれ、でも待って」
思い出せないのはアルディナのことだけだ。
ファクルの人々の顔や国の細かいところはすべて思い出せる。
フィロと買い物に行った市場の端から端まで、広場の木の形、書庫に並ぶ本の一冊一冊、友人と囲むテーブルの模様や関わった人たちの顔も声も、自然あふれるファクルの優しい香りも。
ファクルだけじゃなく、友人の国に外交で行った時に見た場所や、そこを歩いていた人たちの服装なんかも何となくだが思い出せる。
記憶がこのゲームの風景に置き換わっているのはアルディナだけだ。
「どうして?」
考えこんでいる内に町の入り口へとたどり着く。
私が追放された時に、フィロと一緒に町を出た場所。
「……え?」
小道が続いていた町の外、そこをフィロと二人で歩いて門番さんの待つ森まで行った日。
私の人生が大きく変わったあの日の風景は今も私の頭の中にしっかりと残っているのに、今ここには何もない。
国と外の境目にあるアーチ状の門の向こうは、真っ暗な闇が広がっているだけだった。
恐る恐る手を伸ばしてみるが、門のところに透明な壁があるかのようにその先へ触れる事が出来ない。
「ゲームのデータに、アルディナ以外の国が無いから? そんな……あっ!」
ファクルに行く術がないと絶望しかけたのは一瞬で、私の脳裏に浮かんだのは希望だった。
あの子の言うゲーム、その言葉通り今のアルディナはどうみてもゲームの世界そのものだ。
町並みはイラストをループしているような状況になっているし、国民は顔もない真っ黒な影。
そして舞台ではないアルディナ以外の国は無く、行けないようになっている。
けれど私の記憶に残るファクルが嘘だったとは思えない。
ゲーム中では名前しか出なかったファクル、それに名前すら出ていなかった友人の国は確かに実在している。
しかし登場もしていない国の細部までゲームの中に組み込まれているとは思えない。
つまり……ゲームなのはアルディナだけなのではないだろうか。




