悪役令嬢VS主人公【9】
「本当に……なんなんだこいつは」
警戒に呆れが混ざった視線が周囲からプルムに向けられているが、おそらく彼女の台詞の意味を理解できているのは私だけだろう。
この子、本当にゲームをやっているつもりなんだ。
そして訳もわからずリウムに生まれ変わった私とは違い、おそらく自分の意志でここにいる。
ゲームをプレイしてストーリーを知っていたこの子はプルムとして愛されることが当然だと思っている、というよりも愛されるためにプルムになったのだろう。
そしてゲームと同じように人生の周回プレイをするつもりだったんだ。
一周目だから一番興味のないキャラだったユート王子を選び、そうして彼とのエンディングを迎えたら次のキャラの攻略に行く。
躊躇なく様々なことをペラペラ話している理由もわかった。
この子の言っていることが本当に出来るのならば、ここで話したことなんてなかったことと同じだ。
前世の世界の文明を考えたとしても、その様な事が出来るとは到底思えないけれど。
けれどアルディナ国内でだけはプルムの思い通りに動いていたのも事実だ。
「フィロ、危ない気がするわ」
「わかりました。俺の後ろから出ないで下さいね」
そう返答したフィロが後ろに回した自身の手に魔法で小さな光を灯す。
もしも私が何か感じて警戒した方が良いと思ったら近くにいる魔物に頼んで、光で合図を送るようにとみんなに言われていたからだ。
一人が気が付けば合図が出たことは周囲にどんどん広がっていく。
無言のままでもしっかりと広場周辺の魔物には伝わったようだ。
魔物たちの警戒が濃くなりピンと糸が張ったような空気を感じた直後、笑顔のままのプルムの周囲がぐにゃりと曲がった気がした。
「もう面倒だわ。どうせエンディングは知ってるしまずは一回ずつクリアするつもりだから、どのキャラが相手の時でもこのくらいで自動的に巻き戻すようにしてよ。もう変な調節なんてしないから、ちゃんとストーリー通りに動くようにしてちょうだい」
その言葉を合図にしたのか、プルムの周囲に出来ていた空間がねじ曲がったような部分が真っ黒な長方形の靄に変化する。
同時に周囲から魔物たちの攻撃がプルムに向かって一気に放たれた。
「……っ」
轟音と暴風で耳と目がふさがれたような感覚、飛んでくる塵で目を開けていられない。
それでも必死に薄っすらと目を開けると、すうっと吸い込まれるように舞い上がった粉塵がプルムのいた辺りに吸い込まれていく。
視界はすぐに色を取り戻し、しっかりと目を開いた私が見たのは攻撃される前と何一つ変わらない黒い靄を背に笑うプルムだった。
攻撃と同時に彼女を押さえていた魔物も離れており、自由の身になったプルムがゆっくりと立ち上がる。
攻撃なんて無かったかのように彼女も後ろの靄も無傷で、けれど周囲の草や木は吹き飛び地面は大きくえぐれていることで攻撃がどれだけ強力だったのかはわかった。
「その靄は魔法じゃない、放っておけ! その女を狙え!」
どうして、と口に出す前にレオス様の大きな声が周囲に響き、同時に魔物たちの攻撃が再度プルムに向けて放たれる。
一瞬プルムが顔をゆがめたのが見えた。
「ちゃんと守ってよ!」
叫ぶプルムの声、続いて魔法が何かに当たった音。
舞い上がった粉塵は先ほどと同じ様に吸い込まれる様にして消えていった。
「……っ、駄目です!」
「え?」
煙が晴れる直前、慌てた様子のフィロが私の視界を塞ぐ位置に移動したが、それでも僅かに見えてしまった光景に声が出なくなる。
プルムは怪我一つない、魔物たちの魔法は確かにあの子に向かっていったはずなのに。
周囲の魔物たちも顔を顰める中、あの子だけがすましたような笑顔のままだ。
「な、んで……だって、こんな」
先ほど二人から情報を引き出そうと挑発していた時が嘘のように、私の口は言葉を作ってくれない。
魔法が当たったらしい数人の人間がプルムの前に倒れている。
先ほどまで不気味なくらいに身じろぎしなかった兵士たち、そしてユート王子。
地面に倒れ伏している彼らの顔は見えないけれど、体から上がる煙と流れる血で染まった地面で状態は把握できてしまう。
まだ息はあるようだけれど……。
先ほどのプルムの守ってよ、という言葉が頭の中に響く。
フィロの後ろから見える範囲を固まってしまったような首を無理やり動かして見回す。
地面に倒れる彼らは先ほど無言で立っていた時の様にまったく動かない。
王子が、兵士たちが、プルムが、魔物たちから攻撃されるかもしれない、命を奪われるかもしれない、それは覚悟していた。
それを目の前で見ることになるであろう覚悟も。
けれどそれは……決してこんな状況でではなかった。
「……大した奴だ。操っているのはわかっていたが、人間に防御も何もさせずに盾にするとはな」
「どうせ操っていなくたってこの人たちは私を守ろうとするんだから一緒でしょう」
「操っていることを認めたか。操られていない状況だったならば、こいつらは自分も防御態勢を取りながらお前を庇っただろうよ。お前を抱えて避ける選択肢もあっただろうな」
「私が助かっていれば結果は同じよ?」
吐き捨てるようにそう言ったレオス様にも、そう笑顔で返すプルム。
「とんだ悪女だな。アルディナの連中もお前などに操られず、そこの王子にリウムを嫁がせておけば幸せだっただろうに」
「悪役が幸せなんて運んでくるわけないわ! 私が幸せになることがアルディナのハッピーエンドなの!」
「どう見てもお前が悪だろうが」
フィロの言葉が聞こえたらしいプルムがこちらを睨みつけて来る。
その視線もフィロが遮ってくれているので、直接私には届かない。
「私は悪じゃない、ヒロインなの」
「ヒ、ヒロイン? 操らなければ咄嗟に守っても貰えないお前がか? お前の言う通り何もせずとも守ってもらえるというのならば、操る必要なんてないだろう。操らなければそこの王子達はお前の思い通りには動かない、お前を最優先にはしないんだろう?」
「そんなこと……」
「なるほど、面白いな」
フィロとプルムのやり取りを聞いていたレオス様が静かに呟き、視線が彼の方へ集中する。
笑顔のレオス様が幹部たちに、プルムに見えないように手で何か指示を出しているのが見えた。
「お前は自分を正義に、リウムを悪にしたいようだな」
「したいんじゃない、そう決まっているの」
「ほう、だが現実はどうだ?」
「現実?」
プルムと話すことでレオス様が注意を引いている間、指示を受けた魔物たちがじわじわとプルムを囲うように距離を詰めている。
どうやらその会話はそのための時間稼ぎのようだ。
「お前はそのアルディナの人間を操る力を使わなければ慕われず、仕事も出来ず、愛されることもない。実際にアルディナ以外の国でのお前の評価は散々のようだしな。だがリウムは自分の力でアルディナ以外の国から評価を得て、我が国の魔物にも慕われ、フィロという何があっても自分を最優先して愛してくれる男もいる。その力を使わなければ何もないお前とは違ってな」
ぐっと押し黙ったプルムが唇を引き結ぶ。
この子が力を使わなかったらアルディナは、そこに住む人々はどうなっていたのだろう。
アルディナの人々の内、どのくらいの人が本当にプルムを慕っていたのだろう。
私を庇ってくれているフィロの背中を見て、あの子の足元で無言のまま倒れ伏す王子を見る。
先ほどプルムの真意を聞いた時に王子に対して感じた何とも言えない気持ちがまた湧き上がってきたのを、王子から視線を外すことで抑え込んだ。
思うところはある、けれど彼らの命が尽きるかもしれないということも覚悟していたこと。
私の最優先はファクルの人たちだ。
幹部たちがにじり寄っていっているのにプルムは気が付いていない。
なら私も時間稼ぎに協力するべきだろう。
「……可哀想に。あなたは力を使わないと愛されることも出来ないのね」
「なんですって!」
やはり彼女は私のことが本当に嫌いらしい。
私を睨みつける時は他の人に食ってかかっている時よりもずっと周囲が見えていないようだ。
悪役悪役と連発しているので、ゲームでは負けて去っていくはずの悪役令嬢の私が幸せであることが気に食わないのだろう。
……彼女にかける情などそれこそ無い。
「だってあなたにはいないのでしょう? 私にとってのフィロのように、すべてを捨ててでも自分の意志であなたを選んでくれる人が。もっともあなたも誰かのためにすべてを捨てる選択なんてしないのでしょうけれど」
「当たり前でしょう、元々すべて私のものなんだから」
「アルディナでお前を最優先するように仕向けていた力、俺は自力で振り払ったがな」
「えっ」
「当然だ。どれだけ頭の中を書き換えられようとも、俺がリウムさんを捨てるだなんてありえない。たとえ一時的にお前の力に影響されようとも、俺は絶対にリウムさんのことを思い出して傍にいる。今までも、これからも」
「うそ、アンタにも効いてたっていうの? それなのにそいつが好きってどういうこと……あいつまさか手を抜いたの?」
「あいつ、なあ。やはりお前にその力を与えた存在がいるわけだ」
「…………」
その問いに無言で返したプルムに、今度はレオス様が声を掛ける。
「お前が悪であろうがなかろうがどちらでもいい。お前のやり口は気に食わんが、俺も人間たちにとっては悪に分類される身だ」
にやりと笑うレオス様の笑顔は、それこそ悪だと断言できるほどの凶悪なものだった。
これぞ魔物の王だと言わんばかりの、自信に溢れる笑い方。
「俺はお前と違って自分が正義だろうが悪だろうがなんだっていいのさ。力ずくだろうがなんだろうが結局は自分の主張を通した方の勝ち、そうだろう?」
そう言いながらレオス様がプルムのほうに手を突き出すと、すさまじい勢いで氷の結晶混じりの暴風がプルムに向かっていく。
しかしレオス様の魔法はまたしても立ち上がった王子の体で阻まれた。
ユラユラと揺れる王子の体は魔法で少しのけぞったが、倒れこむことなくプルムを庇うように立ちふさがっている。
がっくりと下を向いた頭のせいで彼の表情は見えない。
まるで死体が動いているような、ゾンビものの映画のようだ。
「だから無駄だって……っ!」
王子の体に庇われて無事だったプルムに、今度は近付くことに成功した魔物たちの魔法が四方八方から次々と向けられる。
先ほどと変わらず兵士たちの体に当たっているのか、衝撃で発生した煙から数人の兵士が吹き飛ばされては地面に倒れ伏していく。
もしアルディナを出なければ、私が守っていくはずだった人たち。
……一瞬だけ目を閉じて気持ちを切り替える。
あの子をここで逃したら、ファクルの魔物たちがこうなってしまう。
そんなの、絶対に嫌だ。
すぐに目を開いて、何かあってもすぐに対処できるようにじっと煙を見つめる。
こういう戦闘の状況になった時に私、それにフィロにも出来ることは少ない。
フィロは確かに魔物の血は流れているが、だからと言って幼い頃から魔物として戦闘だらけの日々を送っていたわけではないし、魔物たちの戦闘に加わると邪魔になってしまう。
それでもずっと執事として護衛の仕事もしてくれていたし、私なんかよりはよほど強いのだけれど。
だからこそ彼は戦闘に加わらず、私の一番近くで守ってくれている。
そんな私たちの横をすり抜ける様に一歩前へ出たレオス様の手が光を帯び、そしてその手から大量の光の矢がプルムのいるあたりに放たれていく。
「ひっ!」
煙の中から小さくプルムの悲鳴が聞こえる。
煙が晴れた先に見えたのは、腕からポタポタと血を流すプルムの姿だった。
「あ、あ……」
呆然と光の矢が刺さる腕を見つめるプルム。
その後ろにあった長方形の靄はいつの間にか黒い枠のような形になっており、その向こうには見覚えのある風景が広がっていた。
「……アルディナ?」
空中に出来た黒い縁取りの窓のような空間の向こうにアルディナの町並みが見える。
「……あ」
ゲーム画面だ、と思った。
電子的な雰囲気は一切なく、ただ魔法で出したような靄で出来てはいるけれど。
手で持って遊んでいたあの小さなゲーム機の画面。
これがあの子の、あの子に力を与えている何者かの魔法なら、あのゲーム機を参考にしたのかもしれない。
突然現れた町並みに幹部たちがざわつき、その声の中で震える手で腕を押さえたプルムが叫ぶ。
「なにしてるの? 早くしてよ!」
彼女の言葉を合図にするように、突如すさまじい風が吹き荒れた。
竜巻のような突風が巻き起こり、舞い散った葉がバシバシと全身に当たる。
あまりの風の勢いに目を細めた瞬間、フィロに抱き寄せられて彼の胸に顔を押し付ける形で腕の中に収まった。
嬉しそうに笑いながらアルディナに向かって飛び込むプルムと吸い込まれていく王子と兵士の姿が見える。
ファクルの魔物たちが吸い込まれる様子はない、ただ吹き荒れる風の勢いにみんな目元を腕でカバーしている状況だ。
風のせいでバサバサと自分の髪の毛が暴れる。
フィロに抱きしめられていなかったら吹き飛ばされて転んでいたかもしれない。
風が少し収まって来て、魔物たちが現状を把握しようとしているのが見えた瞬間、フィロにしがみついていた私の腕に何かが巻き付いたような感覚を覚える。
「え? あっ!」
疑問の声が口から零れたと同時に、強い力であの靄の窓の方へ引っ張られる。
私の口から零れた悲鳴に反応したフィロが、すぐに私の腕に巻き付く植物の蔦のようなものに気付き、引っ掴んで魔法で燃やしていく。
蔦を焼き切った火は私の腕には一切熱さや痛みを感じさせない。
フィロがコントロールしているのだろう。
「リウムさん、大丈夫ですかっ?」
「だ、大丈夫」
「リウムっ!」
切羽詰まった様なレオス様の声が聞こえて、フィロの後ろから私めがけて飛んでくる大量の蔦が目に入った。
私を片手で抱きしめたままフィロが鞭を振り一掃し、さらに向かってくる蔦を魔法で打ち落としていく。
魔物たちが私のほうに走ってくるのが見える、何人かの魔法が蔦を燃やしていくのも見える。。
それでも大量に飛んできていた蔦の一部が私の手首に絡み、私の抵抗など無いように思いっきり引っ張られた。
フィロの腕から自分の体が抜け、体が引っ張られる感覚。
「リウムさんっ!」
離れた温もりに必死に手を伸ばして、私の名を叫ぶように呼んだフィロが伸ばした手に指先が触れる。
指先が掠った瞬間、手首に巻き付いた蔦に一気に引っ張られ、浮遊感を感じたと同時に意識が飛んだ。
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「……う」
真っ暗になった意識が浮上していく感覚、うっすらと開けた目に映ったのは石造りの床だった。
どうやら私は倒れこんでいるらしい。
妙に重い体を震える手を使って無理やり起こし、床の上に座る体勢になる。
動かすたびに少し痛みを覚える体を不思議に思いながら、周囲を見回した。
「……ここ、アルディナ?」
建物に挟まれた裏路地のような少し暗い道に座り込んだまま、以前住んでいた町並みを見つめた。




