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第五章 リウムとフィロの新生活【1】

 黙々とペンを走らせていた手を止めて、書類を最後まで終えたことを確認してから顔を上げる。

 軽く息を吐き出して、ググっと伸びをした。


 ファクルに来てから約二か月、アルディナは不気味に沈黙を保ったままだ。

 いくつかの建物が魔物たちの手によって壊されても、今まで安全に使うことが出来ていた街道で人が襲われても、何も言ってこない。

 初めはイライラしていた様子のレオス様は、今は何か考え込みながら一定期間での襲撃を行っていた。

 色々と様子を伺っているらしい。

 正直な話、私はゲームストーリーを知っているという強みはあるが、国同士の争いなどに関しての専門知識はない。

 戦うということに強いのはやはりレオス様や魔物たちのほうだろう。

 何かが起こった時に適切に判断して動く事が出来るのは間違いなく私ではなく彼らだ。

 そう考えてしまえば、何となく安心感も湧いてくる。

 戦闘力に加えてそういう面でも強いからこそ、ファクルの魔物たちはこの世界で絶対的な強者として存在しているのだ。

 どこかの国と戦争、なんて考えた時に一番の安全圏にいるような気がして今は少し気持ちが軽い。

 一応私もレオス様から逐一情報を貰ってはいるが、アルディナが動き出すのは一か月後のストーリー終了が近くなってからだと思っている。

 私に出来るのは情報を得ながら色々と考えつつ、日々を過ごすことだけ。

 今一番新しいアルディナの情報は、予定通りに同盟国での勉強会が開催されたということだ。

 ファクルはもちろん参加していないのでそこで何があったのかはわからないが、数か国が勉強会の直後にアルディナと正式に同盟を解消した。

 アルディナの同盟国の中にはファクルと同盟を結んでいる国が一つあるので、その国の外交官を呼び出して何があったか聞いてみるつもりだとレオス様が言っていたし、近日中にはもう少し色々とわかる筈だ。

 同盟国でファクルとの外交を担当している女性は私の友人でもあるので、会えるのが楽しみでもある。

 私のアルディナでの地位はなくなったので、他国の良家の令嬢である彼女に手紙を出すことはできず、追放されてからは連絡を取っていなかった。

 おそらくアルディナでは私は行方不明という扱いだろうし、勉強会で追放の件も知られたはずだから、心配をかけてしまって申し訳ないと思っていたので、ファクルで会えるのはありがたい。

 どのみちアルディナがファクルに対してなんの動きも見せていない以上、今私に出来ることはないし、むしろそれを良いことにファクルに慣れるための期間を十分得ることが出来たのが幸いだったくらいだ。


 仕事は順調で、やはりこうして働くのは楽しい。

 散らかり放題だった書庫のうちの一つがそろそろ片付きそうで、綺麗に整理されていくあの場所を見るのが楽しくてしかたなくて、つい笑顔になってしまう。

 外交の仕事のような他国で人と関わる仕事は大好きだけれど、こうして書類を片付けていく仕事も達成感があって好きだ。

 私が片付けた仕事がしっかりと私の成果として評価されるようになったから、余計にそう感じるのかもしれない。

 座っていた椅子の背もたれに体を預けて、横にある窓のほうを見る。

 椅子も机も良いものを用意していただいたようで、仕事もしやすいし体も疲れにくい。

 窓の外は木々の緑色が大半を占めており、時折聞こえる鳥の声や窓を開けた時に入ってくる緩やかな風も、仕事部屋の環境を整えるのに一役買ってくれていた。

 視線を正面に戻せば、少し大きめの机の隅には可愛らしい犬のぬいぐるみがちょこんとおいてある。

 これは初めてフィロと一緒に行ったファクルの市場で、彼が私にプレゼントしてくれたものだ。

 市場でなくても魔物たちが経営するお店はあるのだけれど、時々開かれる市場のほうが規模が大きく物も揃うと聞いていたので、お店で買うのは最低限にして市場が開かれるの待っていた。

 そのためファクルに来てからの初めての市場は、家に揃えなければならないものが大量にあったこともあり、あれもこれもと買い込んでいて自分の趣味のものを見る余裕はなく。

 今回は必需品だけ買って、娯楽品などはまた次の市場で買えばいいと思っていた。

 フィロも同じように生活必需品を大量に買い込んでいて、二人揃って忙しく買い物を済ませていたはずなのに、家に帰ってから彼が差し出してくれたぬいぐるみに驚いたのを覚えている。

『どんどん飾って下さいと言ったでしょう? 最初の一個目は俺から贈らせて下さい』

 驚く私にそう言って、照れたような笑みで手渡してくれた彼。

 もしもこれがグリーディーの屋敷で渡された物だったら、常に持ち歩いて、絶対に両親やプルムに渡したりはしなかっただろう。


 ……こんなに、こんなに幸せで良いのだろうか。

 フィロは仕事中は執事兼部下として、それ以外の時間は恋人として私の傍にいてくれる。

 常に二人揃って一日を始め、そして終えることが出来る幸せが家中に満ちていた。

 環境がとても良い家で暮らすことが出来て、仕事も楽しいし正当な評価も貰える。

 自分が諦めていた可愛らしいものは大好きな人が贈ってくれて、誰かに奪われることなくずっと飾って置けた。

 ファクル国内を歩いても嫌な視線は飛んで来ないし、市場に行った時も楽しく買い物ができる。

 それもフィロと堂々と手を繋いだ状態で、だ。

 魔物たちもみんな変わらず友好的だし、仲の良い子たちとは時折お互いの家を行き来して遊んだりもしている。

 たとえ彼女たちが本能のままに戦いを好む面があったとしても、私にとっては大切な友人たちだ。

 フィロはたまに実家に行ってはお兄さんと交流を続けていて、お兄さんが得意だということと私が灯してほしいと言ったことで、光の魔法を教わり始めたらしい。

 フィロの練習も兼ねているので、この家の明かりは今はすべて彼が出した光で灯されている。

 まだ魔法に慣れていないこともあって、火のランプより多少照らす範囲が広がったくらいだけれど、近くに行った時の明るさは段違いだし、家の中だけではなく夜道を歩く時も足元が明るくて非常にありがたい。

 フィロも魔法を教わるという理由があるので、お兄さんとの交流のきっかけになって助かっていると言っていた。

 たしかに幼い頃に離れ離れになった二人で、しかも片方が記憶を失っている状況では何かきっかけがないと交流を深めるのは難しいだろう。

 ぬいぐるみに向けていた視線を何となく正面の扉に向けたところで、扉が静かに開いて隙間から薄い青色の髪が覗いた。

 出来上がった書類を届けてもらい、代わりに新しい書類を取って来てくれるようにお願いしていたフィロが帰ってきたようだ。


「おかえりなさい」

「はい、ただいま戻りました」


 おかえりとただいま、ようやく慣れてきた挨拶は声に出すたびに少しむず痒くて、けれど大きな喜びを感じさせてくれる。

 最近のフィロは時折言葉が崩れることがあるので、そのうち普通にただいまと言ってくれるようになるかもしれない。

 フィロと結ばれることを夢見てはいたけれど、結ばれた後の幸せも大きいのだと、今しみじみと実感している。

 未来の幸せを楽しみに出来る生活なんて初めてで、毎日のように新しい幸せを見つけて。

 ファクルに来てから、本当に日々は充実していた。


「書類ありがとう」

「……いいえ」


 幸せを噛みしめながらも、近寄って来たフィロから書類を受け取ろうと手を伸ばしたのだが、私の手は空を切ることになった。

 私の手が届かないように書類を持つ手を自身の頭の上にあげたフィロの笑顔が、なんだか怖い。


「あの、フィロ?」

「書類を届けに行った時にレオス様にお会いしたのですが」

「え、ええ」

「そこで一つ命令を受けまして」

「命令?」


 レオス様は何かあればすぐに駆け付けられるだけの身体能力があるので、国内をフラフラと歩き回っていることがある。

 だからフィロとレオス様が会うことは別におかしいことでは無いのだけれど、あの方が命令という形でフィロに何か言うのは初めてではないだろうか。

 フィロのこの態度からして、おそらく私も何か関わっているのだとは思うのだけれど。

 書類を私の届かない位置に持ち上げたままあまり見たことの無い笑みを浮かべるフィロにたじろぎながらも、彼の言葉を待つ。


「あなたを休ませろ、と」

「え……」


 思ってもみなかった言葉にフィロの顔をじっと見つめると、彼はため息を吐いてから笑みを消した。


「リウムさんがこの二か月で大半の書類を片付けた書庫、本来なら半年ほどかけて片付けてもらう予定だったそうです。床がしっかりと見えるようになった書庫を見て言葉を失っていました。あの人の引きつった顔なんて初めて見ましたよ俺は」

「確かに半年くらいを目途にとは言われていたけれど。早い分には構わないとも言っていたわ」

「それはそうですが、さすがに早すぎるでしょう。しっかり休みを取らせろとのご命令です」

「私、休んでいるわよ? 仕事をする時間はきっちり決めているし、夕方には切り上げているもの」

「俺もそう思っていましたよ。俺は兄のところへ行っていた日もありましたし、一緒に暮らしていることもあって細かく数えたりもしていませんでしたから。ですが、今思い返してみるとここ二カ月であなたが休みだった日は何日ありました? 午前中だけ仕事をした日などは抜いてくださいね。本当に一日しっかりと休んだ日です」

「え、っと…………」

「…………」


 仕事部屋がシンと静まり返る。

 そういえば仕事が楽しすぎて、毎日のように書類と向き合っていた気がする。

 いや、休んだ日はあった。

 フィロと買い物に行ったり一日二人でのんびりと過ごしたり、魔物の友人達と過ごした日は確かにある。

 いや、でも大半は午前中だけ、もしくは午後からだったような……


「五日、いえ、六日くらいは、その……ある、かも」


 週休一日どころの話ではない、確かにこれは休んでいない。

 この世界はベースが日本で発売されていたゲームのせいか、私が前世で生きていた時代の日本の文化が時々混ざっている。

 そのためか、仕事に関しては基本的に週休二日が一般的だ。

 おまけにファクルの人々は国が豊かなので余裕があり、仕事を持つ魔物たちはどうしても休めない人以外は二、三日働いては休みといった感じで動き回っているので、レオス様から見れば私はほとんど休んでいないことになる。

 沈黙が痛い、フィロが私をじっと見つめてくる視線も痛い。


「その、ごめんなさい」

「いいえ。リウムさんがとても楽しそうに仕事をしていたので、止めなかった俺も悪いです。書庫にいた方も言っていましたよ。あなたがとても楽しそうに書類を持って来ては新しいものを持って行くので、止めていいのかわからなかった、と。アルディナで外交に行っていた時もそうでしたが、本当に楽しそうに仕事をなさいますね」

「そうね、仕事をするのは好きだわ」


 外交の仕事は自分の希望と相手の希望を考えて、いい着地点を見つけるのが楽しい。

 こちらにも相手にも得になるように、どちらの国の人間も喜んでくれるように。

 その方法を思いつき、さらに調整を重ねて、相手国との交渉でそれが通った時の達成感がすごく好きだ。

 書類仕事もそう、目の前に積まれた書類の山を片付け終わった時のすっきりした感覚が好きで、あまり苦にならない。

 これは前世から変わらない、結局私は働くということがとても好きなのだ。

 だがさすがにこれはやり過ぎたと自分でもわかる。

 アルディナにいた時はしっかり休みは取っていたけれど、ファクルに来てリミッターが外れたように仕事をしていたのは、単純に嬉しかったからだと思う。


「ここでは、ちゃんと私が終わらせた仕事は私の手柄というか、評価になって。私がやったはずなのにその結果だけがあの子のものになるなんてことがないから、余計に楽しくて」


 ありがとうと言ってもらえる、助かったと言ってもらえる。

 そのことがたまらなく嬉しくて、ならもっと、と思ってしまう。

 だがそれで他の人に心配をかけてしまうのが良くないことなのはわかるし、この生活を続けていればそのうち体調を崩してしまう可能性もある。


「ファクルの居心地が良いから、なんだか気分が高揚していたみたい。ちゃんと休むようにするわ」

「ええ、ファクルの方々もリウムさんがちゃんと休みながら仕事をしているほうが嬉しいと思いますよ。リウムさんのご友人にもお会いしましたが、仕事が一段落着いたらまた遊ぼう、と伝えてほしいと言われました」

「そう、なの……気を使わせてしまったみたいね」

「もちろん、俺と過ごす時間も増やして下さいね?」

「ええ、喜んで」


 ニコニコと笑みを交し合いながら、フィロに向かって、彼の持つ書類に向かって手を伸ばす。


「リウムさん?」

「明日と明後日は休みにするから、とりあえずその書類を」

「……リウムさん!」

「本当だから、明日からはちゃんと休みを入れるから」


 なぜ私は彼とこんな駄々をこねる子供のようなやり取りをしているのだろうか。

 だが彼が今持っている分さえ終われば、本当にキリの良いところまで終えることが出来る。

 そうすれば何も気にすることもなく休むことが出来るはずだ。


「これ、締め切りは数か月先ですよね。今日の午後から明後日まで休んだところで余裕ですよね? だからこそレオス様もあなたを休ませろと俺に言って来たのですよね?」

「それは、そうなのだけれど」


 やはり諦めて休まなくてはだめだろうかと悩む私の横、机の上にフィロが手をついて、彼の顔が至近距離に現れる。


 驚いた私が体を引く前に、彼がにっこりと笑って口を開いた。

「リウム、休もう。俺に構ってくれ」


 彼の言葉が耳から入って、けれど頭で処理しきれずにまばたきを繰り返しながら彼の顔を見つめる。

 何を言われたか理解した瞬間に、一気に全身に熱が昇った。

 言葉が出ずにパクパクと口を動かす私と、笑顔を崩さない彼。

 しばらくしてようやく私の口から出た言葉は、自分でも情けないくらいに小さな声だった。


「……ずるくない、かしら?」

「ずるくないです。休んで下さい」


 私が諦めたのを察した彼が体を離す。

 彼が離れたことで少し冷静になって見れば、フィロの耳は真っ赤に染まっていた。

 どうやら恥ずかしいのはお互い様だったらしい。


「……いつもそうやって話してくれてもいいのに」

「その内、慣れたらということで」


 恥ずかしいのをごまかすように発した私の言葉には、同じく恥ずかしそうな彼の声が返ってきた。

 机の上を片付けて、仕事を終える準備を進める。

 フィロにも、他の人たちにも心配をかけてしまった。

 まるでブラック企業からホワイト企業に転職して、一人だけ環境についていけていないみたいだと苦笑する。

 いい仕事をするためにも、これからはしっかり休みを取ろうと決めた。


 そうして休みを増やした私の元へレオス様から緊急の呼び出しが来たのは、五日ほど後のことだった。


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