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悪役令嬢と執事の新しい居場所【6】

「とりあえず今日は解散だな。あいつらが戻ってくればまた何か情報を持ってくるとは思うが。呼び出して悪かったな、せっかくの同棲初日だったのに」

「レオス様……」


 にやにやとからかうような笑みを向ける彼からは、先ほどの怒りはまったく読み取れない。

 ……怖い人だ、色々な意味で。

 ただ彼の言う通り、アルディナに向かった幹部たちが戻ってこないことには何も進まないし、アルディナが何か答えを用意するためには数日かかるはずだ。

 誰かと話しながら深く考え事をするのは難しいし、思考もまとまらないだろう。

 色々と考えるのは夜に一人の時間が出来た時にすることにして、まずは最初に決めていた予定通り、ファクルで過ごすための基盤を整え始めなくては。

 家を整え、仕事の準備をし、出来ればアルディナが何らかの答えを出すまでにファクル国内の大まかな地図も頭に入れておきたいところだ。

 せっかく家を出てきたのだし周辺を探索しながら帰るか、逆に本格的に国内を把握する日に切り替えても良いかもしれない。

 そんな風に思案していると、レオス様がその考えを後押しする様な提案をしてくれた。


「せっかく来たことだし、一通りこの国を案内して貰ったらどうだ? 地図は渡したが、リウムも知っているのは家までの道と外交の時に使った道くらいだろう。そいつも今日は休みだしな。ようやく再会できた兄弟相手に案内するのは嫌ではないだろう?」 


 レオス様にそう問われたフィロのお兄さんが、驚いたように目を見開きながらも、はい、と返す。

 けれど肯定の返事をしたものの、お兄さんとフィロの間には何とも言えない空気が流れていた。

 やはりまだ戸惑いの方が勝つらしいが、お互いに相手を気にしてはいるようだ。

 案内は確かにありがたいけれど、ここは気を使って彼らに二人で話す時間を作るべきではないだろうか。

 私は二人を送り出してから、別の仲の良い魔物の子に案内を頼んでも良いのだし。

 落ち着いたら遊ぼうと言って手を振ってくれた猫耳の彼女を思い出して、昨日と同じ場所にいるだろうかと考えていると不意に手を掴まれる。

 顔を上げれば、掴んだ相手であるフィロがにっこりと笑った。


「どのみち把握は必要でしたし、せっかくですから行きましょうか」

「え、ええ、そうね」


 強めに掴まれた手やその笑顔から絶対に私も連れて行くというフィロの強い意志を感じて、気圧されるように肯定の返事をすると、お兄さんのほうもホッと息を吐いた。


「ま、ゆっくり交流していくことだな。これからいくらでも時間はある。また何かあれば呼ぶから、それまでは好きに過ごすと良い」


 面白そうに、けれどどこか優しく笑うレオス様や幹部の方々に見送られる形で、フィロに手を取られたままお兄さんに続いて広場を後にする。

 そうしてしばらく歩いて広場が見えなくなったあたりで、これは一緒に来て正解だったかもしれないと先ほどまでの考えを反省することになった。

 二人とも会話がまったくない、お互いがお互いをチラチラ気にしてはいるのだが、ともかく無言だ。

 よく考えれば記憶を失っているフィロだけでなく、お兄さんのほうも探してくれていたとはいえ、幼少時に引き離されたままで今日が初対面のようなもの。

 話はしたいし再会は嬉しいが、いざ二人で話せと言われても何を話したらいいのかわからないのだろう。

 ずっと無言のままの空間が居心地悪く、少し待ってみたが二人とも話し出す気配がないので、会話のきっかけくらいにはなるだろうかと口を開くことにした。


「あの、お名前をお聞きしても?」

「ああ、すまない。オディロンという。その、両親からはディロ、と呼ばれている」

「……似てますね」


 フィロとディロ、お兄さんのほうは愛称とはいえ名前の響きはよく似ていて、兄弟としてつけられていてもおかしくはない名前だろう。

 偶然とはいえ、これから兄弟として過ごしていくための些細なきっかけにはなるかもしれない。


「……両親は、どんな人なんですか?」


 私の手を握ったままのフィロがそう問いかけると、オディロンさんは少し悩むそぶりを見せてから口を開いた。

 母親が人間だと言っていたので、父親のほうがこのファクルの住人だったのだろう。

 私たち人間よりもずっと彼らの見た目は多種多様で、フィロの父親はどんな人なのだろうかと気になってしまう。


「俺たちの髪の色や顔の作りは母譲りだから、母の顔は何となく想像できるかもしれないな。ハーフの子供は人間の親のほうに似るから、俺たちも例外ではないということだ。父親は容姿も人間に近いが、遠い先祖は海の中の魔物だったらしい。水の魔法が得意で、髪も目も青色。俺たちの瞳の色は父譲りということになる。父に恋をした母が押しかけて結婚したらしいが、今は普通に仲の良い夫婦だよ。だからこそ、弱り切った母を見ていられずに療養に行ったんだ。ただ二人とも元々賑やかな人だから、お前を見たら騒がしくなるかもな」

「そう、なんですか」


 瞳の色のあたりでちらりと私のほうを見たフィロから、そっと目を背ける。

 昨日盛大に告白をした流れで話してしまったため、彼の瞳に一目惚れしたことはもう知られていて、何だかとても恥ずかしい。

 じっと私を見つめるフィロと顔を逸らし続ける私の様子を不思議そうに見つめながらも、オディロンさんの話は続く。


「俺の魔法の研究は、元は父がしていたものだ。母は人間だから何とか、魔物たちと比べると辛うじて書類整理が……十分ほど長く出来たからとりあえず何とかなっていた」

「結局は母もそういう仕事が苦手だということですか」

「まあ、そういうことだ。お前は出来るのか?」

「その辺りは普通にこなせますよ」

「私の書類整理も手伝ってくれていたものね」

「ええ、初めは苦手でしたが、覚えてしまえばあなたの手伝いは楽しかったので」

「そうか、良かった……フィロ」

「なんでしょう?」

「いや、普通に話してくれて構わないと思ってな。そもそもファクルで常に敬語で話している奴なんて数えるほどしかいない。王相手ならばそれなりに丁寧に返す奴もいるが、幹部たち相手ならば普通に話しているくらいだ。おそらく、いや、確実にリウムさんが一番丁寧だな。そのうち直せと言われると思うが」

「え」

「口調を変えろと言う訳ではなく、フィロと話している時のように話すように言われると思う。レオス様は国民が堅苦しく話しかけてくるのが嫌いだからな。だから、フィロ。お前もさっき咄嗟に出たのが素なんだろう。あの口調で話してくれていい……兄弟なんだから」

「……ああ」


 そう肯定の返事をフィロがした後、また無言になってしまった彼らを見ながらこっそりと笑った。

 歩き始めた時よりはぎこちなさは減ったように思うし、こればかりは時間が解決するのを待つしかない。

 漂う空気の気まずさをなくすように、フィロの顔を覗き込んで微笑みかける。


「私相手でも、いつでも普通に話してくれていいからね?」

「う……頑張ります」


 顔を引きつらせながらそう返してくれたフィロにくすくすと笑ってから、オディロンさんに向き直る。

 微笑ましそうに私たちを見守る彼とも、きっと仲良くなれるだろう。


「どこへ向かっているんですか?」

「俺の家だ。仕事場でもあるから、魔法の研究が外に漏れないように国の最深部にある。そこから案内すればファクルの内部も把握しやすいだろう。フィロに実家を見せたいということもあるがな。そろそろ見えてくる頃だ」


 オディロンさんが指し示す先に、二棟並んだ建物が見える。

 最深部というだけあって歩いて来た道も深い森の中だった。

 道も舗装はされているが細くなっており、うっそうと生える木々で少し薄暗い。

 けれど建物の周辺に近付けば、私たちの家の周囲の様に家の上はポッカリと開いており、光が差し込んでいた。

 手前にある建物が仕事場なのだと説明されながら、案内された先にあったのは木で出来た一軒家。

 ここがフィロの実家なのかと、どこか不思議な気分で周囲を見回す。

 茶色い木製の壁、赤い屋根、庭に当たる部分は柵で囲まれており、大きな木が生えている。

 木の下には二人くらい座れそうなブランコのようなものがあり、同じく木で出来たベンチとテーブルも設置してあった。

 何と言えば良いのだろう、子供たちがブランコを漕いで両親が優しく見守っているような、幸せな家族が過ごしている風景が見える気がする、そんな家。

 アルディナが何を思って、魔物の子であるフィロを他国から買って来たのかはわからない。

 アルディナが介入しなければ、フィロはすぐに助けだされてここで家族と過ごしていたんだろう。

 ……その場合は、私は彼とは出会えなかったのだろうけれど。

 何とも言えない気分になってフィロのほうを見ると、彼は私の少し前で呆然とした様子で家を見つめていた。


「フィロ?」

「どうかしたのか?」


 フィロの様子に気が付いたオディロンさんも声を掛けてくれるが、フィロの視線は庭の辺りに固定されたままだ。

 無言で家を見つめ続けるフィロから答えはなくて、オディロンさんと顔を見合わせる。

 少しだけ沈黙が辺りを支配して、ようやくフィロがか細い声を出す。


「……俺は、アルディナにいるよりもリウムさんについてファクルに来るのが好きでした。アルディナのような町中よりもファクルのような自然の多い場所が好きで、もしも住むならこういう森の中が良いと思っていたんです」


 ゆっくりと顔を動かして、辺りを見回している彼の顔を少し後ろから見つめる。

 信じられないような、どこか泣きそうな顔をしているように見えた。


「ずっと、それこそ奴隷だったころから、頭の中に何となく理想の風景があって、ファクルはそれに似ていたから好きなんだと……でもここは、俺が思い描いていた風景そのままだ。あのベンチのあたりから見回すような、そんな風景がずっと、ずっと理想として自分の中にあって……」

「……俺たちが生まれてからしばらくの間、両親はそれぞれ一人ずつ俺たちを抱いて、あのベンチに座ってゆっくり過ごしていたと聞いたことがある」


 そう言って唇を引き結んだオディロンさんにフィロが向き直り、何か言いたそうに口を開いてまた閉じてと繰り返す。

 つまりフィロが自分の理想の風景だと思っていた場所は、彼が幼い頃、さらわれる前に見ていた景色だったということなんだろう。


「全部、全部なくなったと思っていました。リウムさんと出会ったから、記憶なんてなくても良いと思って生きて来たし、その想いは今も変わらなくて……でも、そうか。俺の中にも、まだ記憶が残っていたんですね」

「両親に出す手紙に、付け加えることが増えたみたいだな」


 そう言って、並んで庭を見つめる瓜二つな彼らの邪魔をしたくなくて、静かに一歩だけ下がる。

 頭に残る記憶をなぞるようにゆっくりと家やその周辺を見回しているフィロの後ろ姿を見て、私の中のアルディナという国の価値がまたなくなっていく。

 アルディナからあの王子や妹が来たとしても、私が情をかけることはないだろう。

 ファクルは私にとって新しい居場所、フィロにとっては記憶の奥底に眠っていた故郷。


「フィロ、おかえり。リウムさん、ようこそファクルへ。ここが君たちの新しく生きていく場所だ。これからよろしく頼む」


 よろしく、と出した声がフィロと重なって、私とフィロの新しい居場所は今、しっかりと定まった。


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