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間章 執事の影の戦いとその結果【フィロ視点】

 薄暗い部屋の中に日の光が差しこみ、それが顔に当たった感覚で目を開いた。

 いつもよりも固い布団の感触、強く感じる木の匂い。

 一瞬混乱した頭の中は、腕の中にある温もりがわずかに動いたことで一気に覚醒した。

 ああそうか、と声に出さないようにしながらもにやけてしまいそうな顔に力を籠める。

 まさかこんな日が来るなんて想像もしていなかった。

 絶対に手に入らないと思っていた人、腕の中で眠る彼女の薄紫色の髪をそっと撫でる。

 サラサラとした指通りを楽しんでいても、その髪と同じ薄紫色の瞳は開かない。

 本人は気にしていないとは言っていたが、生まれ育った国からの追放や家族との別れ。

 昨日から生活環境ががらりと変わったことで疲れているんだろう。

 ただこれだけ触れても起きないくらいには気を許されているのが嬉しい。


「リウム、さん」


 小さく呟いても彼女の目が開く気配はない。

 今はなんだか妙に照れてしまって呼び捨てには出来ないが、彼女から良いと言ってもらえた以上はこれからの未来でいつか彼女の名を呼び捨てで呼ぶことが出来る。

 先のことを考えて、昨日のことも思い出して、上がる口角が自分でも制御できない。

 いつだって前を向いていた彼女の背中を見つめるのは寂しくもあり、けれど幸せだとも思っていたはずなのに、やはりしっかりと同じ目線で向き合える喜びとは比べものにならなかった。

 こんな風に触れることを夢見て、けれど身分の差に諦めてを繰り返していた過去が嘘のようだ。

 昨日の婚約破棄の騒動は俺にとっては予想外で、彼女のありもしない罪を述べるあの王子を殴ってやりたかった。

 それどころか最終的に彼女の顔が怖いから妹が怖がるのだとか、言葉が一々冷たいだとか。

 一国の王子が言っているとは信じられない言動だった。

 俺の国に悪は必要ない、なんて言っていたが、あれは本当に俺と同程度の年齢なのだろうか。

 最終的にはただの子供の悪口になっていたことに、自分の怒りの感情の中に呆れが混ざっていたことを覚えている。

 そもそもあの王子がリウムさんに指摘されていたことは最低限のことだけだったように思う。

 他国の王族に対する態度を改めてほしい、婚約者の妹と公衆の面前で恋人のように触れ合うのをやめてほしい、するならばちゃんと妹のことも婚約者として発表してからにしてほしい。

 俺にはリウムさんが正しいことを言っているようにしか思えない。

 それに……

 ん、と小さな声と共に身じろぎした彼女の瞳がゆっくりと開く。

 どこかぼんやりとした薄紫色の目が俺を捉えて、少しの間の後にふわりと笑う彼女。


「おはようございます」

「……うん、おはよう」


 照れたような笑みへと変えて、更に彼女が顔をほころばせる。

 下がった目じり、赤く染まった頬、いつもよりも幼く見える表情。


 ああ、これだ。


 この笑顔を初めて見た時、俺は一瞬で彼女に恋に落ちた。

 確かにあの王子の言う通り、つり目がちで切れ長の瞳は彼女をつんと澄ましているように見せるかもしれない。

 だが第一印象がそうであっても、会話していればそうでないことくらいすぐにわかる。

 俺がまだ執事としての知識が足りなかった時、間違いの指摘や問題点を提示してくれる際にも彼女はこちらが納得しやすい空気を作ってくれていたし、改善方法もいくつか候補をあげてくれていた。

 おかげで俺は自分でやりやすい方法を見つけることが出来たし、同じ失敗を繰り返さずに済んだ。

 もっともあの王子は意見を言われること自体が嫌だったようだが。

 買われてすぐはここで知識をつけて、もっと良い家で、もっともっと、俺を売っていたあの商人達よりもずっと良い暮らしをしてやるのだと思っていたが、彼女と過ごした一月にも満たない時間で、あまりの居心地の良さに別の家に行く意味などないと気が付いてしまった。

 そもそも今考えればグリーディ家よりも上となると、それこそ王家に仕えるくらいしか選択肢がない。

 居心地の良さ、彼女の寂しそうな目、それらを理由に彼女の傍にいようと決めた時はまだ恋心は生まれていなかったように思う。

 いや、生まれ始めてはいたのかもしれない。

 けれど自分の中で気持ちが明確になったのはその少し後だった。

 どんな会話だったのか詳しく覚えてはいないが、その会話の少し前に彼女が成功させた外交について、俺が何気なく祝いの言葉を述べた時だったはずだ。

 会話の内容はおぼろげにしか覚えていなくても、彼女の表情の変化だけは鮮明に覚えている。

 驚いたように大きくなった瞳がゆるゆると細められ、吊り気味の目じりが下がって口角が上がって。

 少しだけ赤くなった頬と恥ずかしげに口元を隠すように添えられた手。

 隠された口元から零れた、いつもの彼女からは考えられないくらいに小さく、嬉しそうな「ありがとう」という言葉。

 いつもの大人びた顔が少し幼くなったあの笑顔に、一瞬で恋に落ちて……絶望した。

何があっても想いが叶うことのない相手を好きになってしまった、と。

 あの王子が彼女を軽く扱うたび、別の女と寄り添って歩くのを見るたび、家族や国民が彼女を忌々しそうに見るたびに、ずっとはらわたが煮えくり返りそうな怒りを感じていた。

 そしてそれらすべてをため息一つで流して、ある程度のフォローを入れた後は諦めたように過ごしていた彼女にも。


 ねえ、俺はあなたの働きを理解していますよ。

 俺のほうがあなたを想っていますよ。

 俺のほうがあなたを幸せに出来ますよ。

 だからそんな奴らさっさと全部捨てて、俺と……


 そんな口に出すことのできない思いを抱えながら、彼女の味方であり続けた日々。

 無理やりにでも連れて出ることはきっと出来たはずだ。

 けれど彼女に今と同じ様な生活を送らせることのできるだけの地位も金も俺にはなく、何よりも彼女は自分の生まれ持った地位に対しての責任感が強かった。

 連れて出たとしても、彼女はアルディナのことを忘れないだろう。

 その感情がある限り、たとえ想いが通じ合ったとしても彼女は絶対に心から幸せだとは思ってくれない。

 自分が連れ去ったことで泣く彼女を見るのは嫌だった。

 だからせめて、彼女が一人にならない様にそれまで以上の覚悟を持って傍にいることにした。

 自分の記憶が書き換えられる恐怖よりも彼女を一人にする恐怖のほうが強く、そしてその恐怖心があったからこそ俺はぎりぎりのところで記憶を保っていられたような気がする。

 そんなどうにもならないとわかっていながら彼女への想いを抱えて生きていた日々は、あの男が婚約破棄を言いだしたことで突然終わりを告げた。

 あの王子が彼女の手を放してくれたことも、あの国を出る決断をとっくに彼女がしていたことも、俺にとっては驚きで幸福なことで。

 追放という罰を受けてしまったリウムさんには申し訳ないが、国を出た時に俺の心にあったのは歓喜という感情だけだった。

 彼女の向かう先はわからなかったが、二人暮らしという単語を聞いて喜びを態度に出さないように必死だったくらいだ。

 これから先、共に暮らしていくことになるのならば、二度とあの国へ戻らなくてもいいのならば、いつか彼女にとってたった一人の男になる。

 彼女と歩く道を一歩一歩踏みしめながらそんな決意を固めていたのに、彼女はさらに俺に幸福をくれた。

 腕の中の彼女を更に強く抱きしめる。

 俺が恋心を自覚するずっと前から、彼女は俺を想っていてくれた。

 同じ気持ちなのではないかと思ったことはあったが、きっと都合のいい勘違いだと思いなおしていたのに。

 あの自分の頭の中を書き換えられる感覚もなくなる上に、彼女の恋人という地位まで手に入れることが出来たなんて!

 あれほど泣く彼女を見たのは初めてだったが、それが自分への想いを告げることで零れた涙だった以上、嬉しさしか感じない。

 頭の中で昨日の彼女の言葉を何度も思い返しながら、腕に力を込めて彼女を更に引き寄せる。

 くすぐったそうに身じろぎした彼女から小さく笑い声が零れた。

 俺が一番好きな彼女の表情が今までになかったくらいの至近距離にある。

 彼女の顔が怖い?

 馬鹿な男だ。

 自分がこの笑顔を引き出せなかっただけだろう。

 リウムさんを手放して、追い出して、あの王子はいったいどうするつもりなのかは知らない。

 アルディナの外交官は彼女だけではないが、それでもリウムさんが結んだ縁の先はあの国にとっては重要な国が多いはずだ。

 そして何よりも大きな、この魔物の国との縁は、リウムさんが国を出たことで断ち切られた。

 あの王子のことは嫌いだし、アルディナがどうなろうとも俺には関係ない。

 リウムさんを適当に扱った挙句に追い出した結果を、いずれアルディナの人間は痛感することになるだろう。

 彼女は決して口には出さないだろうし、もしかしたら思いもしないかもしれない。

 だが俺は、陰で密かに唇を噛み締めていた彼女を見ていた俺は今、心の底から思っている。

 ざまあみろ、と。

 今までリウムさんが苦しんでいた分、あいつらが苦しめばいい。

 代わりに彼女はこれからしっかりと認めてもらえる場所で幸せになるのだから。


「ふふ」

「……どうかした?」


 不思議そうな彼女を見て、満たされていく胸の奥。

 愛も、独占欲も、優越感も、すべてがすべて満たされて笑顔から表情を変えられない。

 彼女が良家の令嬢としての責任感で、自分からは絶対に手放さなかったであろう地位。

 それを強制的に取り上げたこと、そのことだけに関してはあの王子に心の底から感謝している。


「今日は家を整えなくてはなりませんね」

「そう、ね。せっかく頂いた準備期間だもの」


 布団の中は心地いいが、夢見ていた生活の一日目とも言える今日。

 彼女と二人で生活の基盤を整えるのは少し楽しみだが、住む場所も仕事も彼女が事前に動いて準備してくれていたんだ。

 せめて生活基盤を整えることからはしっかり働かなくては。

 流石に彼女に養われるままというのは格好がつかない。

 昨日、リウムさんを待つ間に門番と軽く話して色々と聞いたが、仕事は俺でも願えば与えられるとは言っていた。

 ただ彼らからしてみれば、彼女の仕事がある程度片付くまではその補佐をしてほしいそうだ。

 俺も今までと同じく執事の仕事はしたいが、それ以外にも何か出来ることはないかは門番が確認してくれるらしい。

 少しの間はその返事待ちになりそうだが……この国の住人として生きていく基盤はちゃんと出来そうで安心した。

 リウムさんはこの国は居心地がいいと言っていたが、俺にとってもそれは同じだ。

 門番の小屋までしか足を踏み入れたことはないが、もともと自然が多いほうが好ましいと思っているので、アルディナのような町よりも森を中心に広がっているファクルのほうが過ごしやすそうで少しだけ憧れてはいた。

 本当に、昨日から今まで俺にとっては良いことしか起こっていない。

 その最上級は今彼女を腕の中に閉じ込めていることなのだが。

 布団から抜け出すのが惜しくて、今日の予定を含めた色々な話をポツポツと彼女と交わしていたが、そろそろ起きなければならないだろう。

 名残惜しくてたまらないが、これからはずっとこれが当たり前になるのか。

 それに気が付いてしまえば、余計に笑顔を消すことが出来なくなってしまう。

 昨日家に着いた段階でも、家に二人きりなことに加えて彼女と部屋が隣同士なことで緊張と喜びでどうにかなってしまいそうなくらいで、色々と考え込んでつい長湯してしまったくらいだったのに。

 それ以上に近い位置、同じ部屋での寝起きが出来るとは。

 まいった、にやついている所を彼女に見られないようにしなければ。

 そう決意しても引き締まらない表情筋をどうしたものかと思いながら、名残惜しさに起き上がれず彼女の髪を撫でる。

 俺の名前を呼ぶ彼女との会話をもう少し楽しんだら、新しい生活の、心の奥底で望み続けていた生活の始まりだ。


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