29 招かねざる客
キャロラインが無事実家から戻ってきた翌朝。朝食を食べるキャロラインの横で、クロークは自分の食事に手をつけずただキャロラインをじっと見つめていた。
(ああ、やっぱりここの食事は美味しいわ!……それにしても、クローク様ずっと見てくるけど何かあるのかしら?なんだか食べにくい)
ちら、とクロークを見ると目が合い、クロークは口の端を上げる。うっ、とキャロラインは戸惑い、手に持っていたフォークを静かに置いた。
「あの、クローク様は食べないのですか?せっかく美味しい料理が冷めてしまいますよ?」
「ああ、そうだな。……キャロラインが美味しそうに食べている姿を見れるのが嬉しくてつい見惚れてしまった」
(み、見惚れて……?そんな綺麗な顔で食べてないし、むしろ夢中になって食べてたから変な顔になってたかもしれないのに)
あわわとキャロラインが両手で自分の顔を押さえると、クロークはクスリと小さく笑ってからようやく食べ始めた。スープを一口飲むと、確認するかのように頷く。
「キャロラインが戻ってこれなくなってから、何を食べても味がしなかった。まるで、君がが頭を打つ前の頃に戻ったようだったよ。でも、やはり君と一緒に食事をすると味がする。美味しいと思える。不思議だな」
「クローク様……」
クロークはまた確かめるようにスープを口にしてからふっと微笑む。その姿を見て、キャロラインの胸はなんとも言えない愛おしさでいっぱいだった。
実家にいたときはキャロラインの好物をこれでもかと用意されて至れり尽くせりだった。だが、どんなに好きなものを差し出されても、食べた心地がしない。
食卓で繰り出される話はいつも貴族たるものどうしたら貴族として幸せか、それ相応に見合う結婚をすべきだ、そして結局クロークと離縁しろと言われる。毎日苦痛な食卓でしかなかった。
今、こうしてクロークと一緒に食事ができることがまるで奇跡のようで、これこそが自分にとっての幸せな光景なのだと思える。こんなにも食事が美味しくて、大切な人がそばにいて、嬉しそうに笑ってくれる。それだけで、キャロラインはとてつもなくすごい宝物を手にしているような気持ちだった。
「クローク様がそう言ってくれることが嬉しいです。こうしてまた一緒に食事ができて、笑い合えることができて本当によかった。クローク様、私を実家から連れ戻してくれてありがとうございます」
キャロラインが心底嬉しそうに微笑むと、クロークもその言葉と微笑みに満足そうな顔をして微笑んでいる。そんなクロークを見てそういえば、とキャロラインは目を瞬かせる。
「クローク様、こんなにゆっくりと食事をしていて良いのですか?そろそろお仕事に行く時間では……?」
「それなら気にしなくていい。しばらく休みをとった。いつキャロラインの両親が乗り込んでくるかわからないだろう、俺のいない間にキャロラインがつれ拐われてしまっては困る。元々有休はたっぷり溜まっていたからな、ちょうどいい」
(えっ、休み!?いつものように仕事に行くものだと思っていたのに)
まさか休みをとっているとは思わず横で驚いた顔をしているキャロラインへ、クロークは甘ったるい視線を投げかける。
「それに、ずっと離れ離れだったんだ。一緒にいたいと思うのは当然だろう?それとも、そう思っているのは俺だけか?」
そう言って、キャロラインの片手をとって自分の頬へ付け、愛おしそうに擦り寄せる。色気があるのに甘え方がいじらしく、そのギャップにくらくらしてしまいキャロラインは一気に顔を赤くした。
(ダメだわ、クローク様には敵わない)
「うっ、それは……私も、一緒にいたいですし、一緒にいられるのはとても嬉しい、です」
キャロラインの返事に、クロークは満足そうに微笑んだ。
◆
「お、お待ちください!突然のご訪問は……」
「うるさい、息子の屋敷に父親が来て何が悪い!キャロライン!キャロラインはいるか!」
キャロラインが戻って来てから数日後。突然、バタバタと騒がしい音がする。自分を呼ぶ声がしてキャロラインが廊下に出ていくと、そこには意外な人物がいた。
「お義父様!?」
「おお、キャロライン!久しいな。息災なようで何よりだ」
「急にどうなされたのですか?」
「いや、大事な話があって直接話をしようと……」
クロークの父、ロッグヴェルはそう言いながらキャロラインの背後を見て盛大に眉間へ皺を寄せた。
「貴様、なぜここにいる」
「なぜ?はっ、ここは俺の屋敷ですよ。むしろあなたこそなぜここに?」
キャロラインの後ろからクロークが歩いてきて、キャロラインを守るように肩をそっと抱え込む。
「仕事もせずキャロラインにべったりくっついているとは、呪われた身の分際で卑しいことよ。お前、キャロラインを勝手にキャロラインの実家から連れ去ったそうじゃないか。ふざけた真似をしおって、恥を知れ!」
屋敷内に怒号が飛ぶ。キャロラインが思わずビクッと肩を震わせると、クロークの肩を抱く力が強まった。
「あなたこそ人の屋敷に勝手に上がり込み怒鳴りつけるとは、品がありませんね。あなたがそんなだから息子の俺もこんなになってしまったんですよ」
ハッ、と呆れながら蔑むようにクロークがそう言うと、ロッグヴェルはカッとなって目を大きく見開き、さらに大きな声で怒鳴る。
「……貴様!いいか、俺はお前を息子だと思ったことは一度もない!お前のような呪われた人間は我が家の恥だ!勝手に息子面するな、穢らわしい!」
ロッグヴェルの怒号に、クロークは一瞬目を見張り強張る。だが、すぐに無表情になり、視線だけが冷酷でロッグヴェルを今にも殺してやると言わんばかりだった。
「クローク様、どうなされました!?……っ、旦那様、どうしてこちらに」
騒ぎを聞きつけたレオが慌てて駆けつけ、ロッグヴェルの姿を見て驚く。レオの顔を見てロッグヴェルは目を細めた。
「おお、レオか。最初からお前が優秀だとわかっていたら、クロークのそばに置かずトリスタンのそばに置いていたものを。お前もいつまで意地を張っている。クロークの側近などやめてトリスタンにつけ」
「……何度もお断りしていますし、今後も私は考えを変えるつもりはありません。意地を張っているわけでもありませんのでご理解いただきたく存じます」
「家に仕える身分のくせに口ごたえしおって、生意気な。クロークに仕えているせいでそんなになってしまったのではないか?いや、どんなに優秀だったとしてもそもそもクロークを選ぶ時点でその程度の男ということだな」
呆れたように吐き捨てるロッグヴェル、そしてレオのことを侮辱されさらに殺意のこもった瞳で父親を睨みつけるクローク、そんなクロークが暴走してしまわないようにと注意を払っているレオ。殺伐とした目の前の光景に、キャロラインはひたすらに唖然としていた。
(何、これ……こんなに酷いものなの?お義父様の言葉、あれが本心?あんな言葉を、態度を、クローク様は小さい頃からずっと浴び続けていたの?)
頭を打つ前のキャロラインはクロークの家について全く興味がなかった。そもそも、クロークを忌み嫌っていたのだからクロークの親子関係についても全く興味がない。それに、どちらかといえばロッグヴェルと同じような考えを持っていただろう。もしもクロークの親子関係に興味を持っていたら、最悪、ロッグヴェルと結託しクロークへさらに酷い罵声を浴びせていた可能性だってある。
キャロラインはあったかもしれない未来を想像してゾッとし、青ざめながら信じられないものを見るような目でロッグヴェルを見つめた。だが、ロッグヴェルは青ざめているキャロラインを見て何かを勘違いしたようだ。
「おお、キャロライン、驚かせてすまないな。頭を打ってからのキャロラインは随分としおらしく、淑女のようになったと聞く。そうであれば、そんな男の腕の中にいていい人間ではないだろう。もしかしてクロークが怖くて動けず、拒否できないのか?さあ、こちらへおいで。そんな男の元にいては幸せになどなれない」
ロッグヴェルは先ほどとは打って変わって優しく媚びるような声を出しながらキャロラインへ手を差し出す。それを見てクロークは顔を険しくし、キャロラインをさらにしっかりと腕の中へ収めた。だが、なぜかキャロラインはその腕をすり抜けてしまう。
「っ、キャロライン……!?」
腕の中から離れロッグヴェルの方へ歩き出したキャロラインに、クロークは信じられない、この世の終わりだと言わんばかりの顔をして青ざめる。歩き出すキャロラインを止めたいのに、衝撃で金縛りにあったように体が動かない。レオも、驚いて目を大きく見開いていた。
「おお、よかった。さ、一緒に来るがいい。そんな呪われた男ではなく、トリスタンのような真っ当な男と一緒になるべきだ」
ロッグヴェルが当然だと言わんばかりの顔でキャロラインを見て微笑んでいる。そしてキャロラインの手が、ロッグヴェルから差し出された手へ応えるように伸ばされた、ように見えたその時。
キャロラインの手が、ロッグヴェルの手を盛大にはたき落とした。




