24 奪還
キャロラインがバルコニーからクロークたちの合図を見つめていた頃、屋敷から少し離れた木陰で、クロークとレオは身を潜めていた。
キャロラインからの予定外のことが起きたという合図を見て、クロークは眉を顰める。
「予定外のこと、か」
「この時間帯で予定外のことというなら、恐らくは見回りの時間帯が変わってちょうど今見回りが歩いている、ということじゃないでしょうか」
渋い顔で呟いたクロークの横で、レオはなんてことない顔でそう言った。レオにとってそのくらいのことは既に考えていたので、予定外でもなんでもない。
「問題ないです、変更なしと合図してください」
「本当に問題ないのか?」
クロークがチラ、と横目でレオを見ると、レオはニヤッと挑発的な笑みを浮かべる。
「ここに来るまでにありとあらゆる想定外を脳内シュミレーションして、全て対応できると踏んでいます。たとえ何が起きても全く問題ないですね。それに、万が一問題ありだと言ったとしても、クローク様はそれでもキャロライン様の元へ行くのでしょう?」
レオは何を分かりきったことを、と言う顔をしている。そんなレオを見て、クロークもニヤリ、と不敵な笑みを浮かべた。
「よくわかってるじゃないか。さすが俺の唯一で最高の側近だな」
クロークの言葉を聞いて、レオは一瞬目を大きく見張った。だが、すぐに何事もなかったかのようにいつもの飄々とした顔になり、前方を見る。
「そう言っていただけるのは大変嬉しくありがたいですが、まずはこの計画を成功させましょう。キャロライン様をあの屋敷から奪いますよ」
「ああ、もちろんだ」
そこには、ヒーローではなくむしろ悪役と言わんばかりの悪どい笑みを浮かべたクロークとレオがいた。
◆
クロークからの変更なしの合図に、キャロラインの心臓はギュッと押しつぶされそうになる。だが、クロークたちの決定にキャロラインがすぐに何かを言える距離も手段もない。クロークたちを信じて、キャロラインは迎えを待つしかないのだ。
(迷ってる暇はないわ)
キャロラインは手に持っている懐中電灯で了解の合図を送る。そして部屋の中に入ると、引き出しの中から一つの便箋を取り出し、机の上にそっと置く。そこには、家族へ宛てたキャロラインの思いがしたためられていた。
(きっと、明日の朝になって私の姿が無くなったらお父様たちはすぐにクローク様を疑って、いずれクローク様の屋敷に乗り込んでくるわ。でも、ちゃんと私の気持ちをわかってほしい。この手紙を見てお父様たちの考えが変わるとは到底思えないけど……でも、だからって何も伝えないなんて、私にはできないししたくない)
便箋をそっと指で静かになぞってキャロラインは小さく息を吐く。それから、すぐに意思の強い瞳で歩き出し、ソファにかけておいた真っ黒な上着を来てフードを深く被った。
バルコニーに出て静かに後ろを振り向くと、部屋の中を見渡してから深くお辞儀をした。
(私の部屋。私が育った部屋。もう二度と来ることはできないかもしれないから……今まで、本当にありがとう)
ユキの記憶を思い出す前の、勝手気ままなキャロラインが過ごしてきた部屋だ。正直言えば、あまり思い出したくないほど恥ずかしく情けなくもなる。それでも、キャロラインにとってはたくさんの思い出が詰まった特別な部屋だ。
体を起こすと、クルリと踵を返してバルコニーの手すりに手をかけた。屋敷の壁の向こう側からは時折ランプの淡い光が見え隠れする。おそらく、見回りのランプだろう。
(クローク様たち、見回りに気づかれずにここまで辿り着けるかしら……どうか、ご無事でいて)
キャロラインは上着とフードで自分の姿を隠しながらクロークたちの到着を待っていた。その時、下から物音がする。そして一瞬下から上に向けて光の線が見え、すぐに消えた。
ハッとしてキャロラインがバルコニーから身を乗り出し下を見ると、そこには月明かりに照らされたクロークがいた。キャロラインの姿を見て、瞳を輝かせている。
(クローク様!)
ずっと会いたかったクロークの姿が、すぐそこにある。キャロラインの心臓は大きく跳ね上がり、真夜中で真っ暗な暗闇だと言うのに、キャロラインの心の中は光で照らされ、満たされていくようだった。
「おい!あっちの方で何か光らなかったか?」
「そうか?気のせいじゃないのか」
「いや、一応見に行ってみよう」
少し離れたところから、見回りの声が聞こえてくる。遠かったランプの光がこちらへ向かってくるようだった。
クロークは声のする方をチラリと見ると、またキャロラインを見上げて真剣な顔で両手を広げた。それを見て、キャロラインは頷き、バルコニーの手すりに乗り上げて立ち上がった。
下を見ると、想像以上の高さと不安定な足元に心臓がバクバクと速くなる。キャロラインの部屋は三階だ。人一人が飛び降りて平気な高さではない。今にも気が遠くなりそうになるのを、両手でローブをぎゅっと握り締め、なんとか堪えた。
かすみそうになる視界に、クロークの真剣な顔が映る。その姿を見た瞬間、焦点が急にはっきりとした。
(大丈夫。クローク様がいてくださるんだもの。ちゃんと私を受け止めてくださる。だから、大丈夫)
キャロラインの心の声が伝わったのだろうか、クロークは大丈夫だと言うような顔でしっかりと頷いた。それを見て、キャロラインも頷く。
そして、キャロラインは両目を瞑って両足をうかし、地面へ飛び込んだ。
それは、一瞬のことだった。ヒュン、と体が浮いて急降下する。すぐに何かフワッと体を空気が纏い、気がつくとクロークの腕の中にいて、横抱きされていた。
「大丈夫か、キャロライン!」
「クローク様……!」
懐かしく安心する匂いとあたたかさに包まれて、キャロラインはあまりの嬉しさに思わずクロークの首元へ両腕を巻きつけ抱きついた。
「ん゛っ゛」
突然のことにクロークは動揺して思わず変な声を出すが、キャロラインには聞こえていないようだ。
「来てくださって、ありがとうございます!会いたかった……!」
「……俺もだ、キャロライン。やっと会えたな」
クロークも、キャロラインの肩へ顔を埋め、ぎゅっと抱きしめる。
(クローク様!クローク様だわ!)
「おい!貴様何者だ!何をしている!……って、キャロライン様!?」
見回りの人間がクロークとキャロラインを見つけてギョッとしている。そして、すぐに腰元の剣を鞘から抜き、走り出してくる。
「チッ、もう来たのか」
「クローク様」
「大丈夫だ、走るぞ。しっかり俺に捕まっていてくれ」
クロークはキャロラインをしっかり抱き抱えると、走り出した。だが、追手はどんどん二人に追いついてくる。
(どうしよう、このままだと追いつかれてしまうわ!私を抱えているせいでクローク様が走りにくいから……)
降りて自分の足で一緒に走りたいが、さっき飛び降りた時の恐怖がまだ抜けておらず、走れそうにない。いっそ、ここで降りて自分だけ残るという選択肢もある。自分が時間を稼げば、クロークを逃すことができるだろう。
「キャロライン、俺を逃すためにここで自分だけ残るだなんて変なこと考えるなよ。そんんなこと、絶対にさせないからな」
クロークの、低く怒ったような声がキャロラインの耳元を掠める。どうしてわかったのだろうか、そう思ってキャロラインがクロークを見ると、クロークの宝石のようなオッドアイがきらりと光ってキャロラインを射抜く。キャロラインの考えそうなことなど、クロークには全てお見通しらしい。
「もう少しで追いつくぞ!」
追手が、あと一息でクロークたちに届きそうなその時。
ヒヒーン!ドンッ!
「うわあっ!」
後ろから、蹄の音といななきがして振り向くと、一頭の馬が追手を薙ぎ払いクロークの目の前で急ブレーキをかけるようにして立ち止まった。その馬の手綱を片手で掴んで、クロークはヒョイッととキャロラインを馬の上に乗せた。そして、クローク自身もひらりと身軽そうに馬に飛び乗る。
(えっ、馬!?どこから……)
驚いてクローク越しに後ろを見ると、さらに後ろから馬に乗ったレオが地面に倒れている追手の元にたどり着いていた。
「レオ!」
キャロラインの声にレオがキャロラインへ視線を向けると、小さくウインクして微笑む。そして、すぐに追手へ視線を向けると、追手に片手を向けて何か魔法をかけようとしていた。
「追手についてはレオがどうにかしてくれる。大丈夫だ、あいつはなんでも上手くこなすから心配ない。このまま屋敷まで走るぞ」




