23 合図
「キャロラインから……?」
レオから差し出された手紙を見てクロークはハッとし、手紙を奪うようにして手に取るとすぐに中身を取り出し目を通す。そこには、キャロラインの字で、クロークの元に帰れず申し訳ないという言葉と、レオを寄越してくれたことに対する感謝、早くクロークの元に戻りたい気持ち、両親の企みについて書かれていた。
そして、両親は離婚させたがっているが自分は離婚する気がないこと、だからどうか落ち着いてほしい、そして迎えに来てくれる日を心待ちにしていると言う文面で綴じられていた。
「キャロライン……!」
クロークは手紙を読み終えると手紙を胸元に当てて目を閉じる。それを見てレオはふう、と小さく息を吐いた。
「これで少しは落ち着きましたか?キャロライン様は何度も手紙を出そうとしたそうですが、ご両親が阻止していたそうです。ですので、手短ではありますがクローク様への想いをあの場でしたためてもらいました」
「……そうか。おかげでだいぶ落ち着いた。それで、迎えにいくための手筈は?」
クロークのオッドアイは先ほどまでの禍々しい殺気を無くし、凪のように穏やかになっていた。
「キャロライン様に、屋敷が完全に寝静まる時間帯と夜間の見回りの時間と配置を聞いておきました。次の満月の日、つまり五日後に決行です」
「五日後……。それまでに、キャロラインの両親が再婚させようとしている相手について調べることはできるか?」
「その日までに完全に調べることは難しいでしょうが、屋敷からいなくなったキャロライン様を奪還しようとご両親が抗議しに来るであろう日までは調べ上げられるかと思います」
レオは淡々とした口調でクロークへ言う。その様子を見て、クロークは目を細めた。
「レオ、お前のことだから、その再婚相手の予想は既についているんだろう」
「……予想はあくまで予想でしかありません。予測にすらなりませんし、断言することもできません。なので、今は何も言えませんね」
「お前ならそう言うだろうとは思った。いいだろう、今は聞けなくて良しとする。だが、確証を得た段階になったらすぐに教えてくれ」
「かしこまりました」
レオがそう言ってお辞儀をすると、クロークはまた手紙を開いてじっと愛おしそうに見つめている。その様子を見ながら、レオはこれから先起こるであろう波乱を思い浮かべ、心の中で重いため息をついた。
◆
商人に扮してキャロラインに会いにきたレオが帰ったその日の夜。キャロラインは自室でレオとのやりとりを思い出していた。
(レオ、まさか変装して来てくれるだなんて思わなかった。でも、嬉しかったな)
転生前は全力で推していたレオが、キャロラインのためにわざわざ手間暇かけて会いに来てくれたのだ。それがたとえクロークのためであったとしても、キャロラインにとっては心底嬉しいものだった。
(……でも、なんだろう、すごく嬉しいけど前みたいにレオを見るだけで胸がドキドキするとか、顔を直視できないとか、そういう気持ちは薄れている気がする)
ベッドの上でクッションを抱き抱えたまま、キャロラインは小さく首を傾げた。推しが目の前にいるという事実に最初は驚き、心臓がいくつあっても足りないと思うこともあった。しかも、本人に自分が転生前に推していたという事実を知られているのだ。
それでも、今のキャロラインはレオを推しというよりクロークにとってなくてはならない存在、大切な側近だという思いが強い。推す気持ちが全く無くなったわけではないが、それよりもレオ自身を大事な存在だという思いが強くなっているのだろう。
(きっと、私のクローク様への気持ちが関係しているのよね)
転生前の記憶を思い出した当初は、ただクロークに殺されないようにとそれだけを考えていた。だが、転生前の記憶を思い出したことをクロークに知られたことでクロークの態度が一変し、執着されるようになってしまった。
それを嫌だとか困るとか思うこともなく、むしろ日に日に嬉しいとさえ思っている自分がいて、キャロラインは自分の心の変化に戸惑っていた。
(クローク様にとって私は、自分を理解しようとしてくれる貴重な存在で、だからこそ手放したくないと執着しているだけ。別にそれ以上の気持ちなんてきっとない。でも、そうだとしても嬉しいって思ってしまう。きっと私はクローク様のこと本気で……)
キャロラインはぎゅうっとクッションを抱きしめて、顔を埋める。
(この気持ちは、クローク様に伝えるべきじゃないってわかってる。ユキの頃の記憶を思い出す前の私は、散々クローク様にひどいことをしたんだもの。そんな私には、性格が変わったからといってこの気持ちを受け取ってもらう資格なんてない)
キャロラインは顔を上げると小さくため息をつき、クッションを手放す。それからゆっくりベッドから降りてバルコニーへ出ると、窓の外に広がる夜空を見上げた。空には、満月へ向けて膨らみつつある月が煌々と光っている。
(五日後。五日後にはクローク様が来てくださる。どうか、全てが無事に終わりますように)
胸の前で両手を握り締め、キャロラインは祈るように目を瞑った。
◆
「えっ、見回りの時間を変えるのですか?」
クロークがキャロラインを奪還する満月の日。朝食の時間にキャロラインは驚いた声を上げた。
「ええ。最近、貴族の屋敷を狙った強盗がいるらしくて、物騒でしょう。我が領地内ではまだ何も起こっていないけれど、いつ何が起こるかわからないじゃない。今日から時間を変えることにしたの」
「なんだ、キャロライン。そんな驚いた顔をして、見回りの時間が変わることがそんなに不思議か?」
怪訝そうに父親がキャロラインを見る。何かを怪しむような父親の視線に、キャロラインは慌てて笑顔を作った。
「い、いえ!そんなことありません」
にっこりと微笑んで、キャロラインは何事もなかったかのように手元の食事に手を伸ばす。だが、頭の中では大いに焦っていた。
(どうしましょう、レオに伝えている時間と変わってしまったわ。しかも、ちょうどクローク様が迎えに来ようとしている時間に見回りの時間が変わるだなんて……!)
時間が変わったことをクロークたちに伝えたくても、キャロラインには伝える手段が何もない。キャロラインは平然とした顔をしながらもずっとどうしたらいいかずっと悩んでいた。
そうして、何も解決策が見出せないまま、クロークが迎えにくるであろう時間がやってきた。時刻は深夜、キャロラインの実家である屋敷内はすっかり静寂に包まれている。
(そろそろクローク様が来る頃だわ……)
キャロラインはバルコニーに出てじっと目を凝らす。すると、遠くの方でチカチカと光が数回光るのが見えた。
(クローク様からの合図!)
レオが商人に変装して会いに来た時、合図をあらかじめ決めておいたのだ。
(予定外のことが起きたって知らせないと)
キャロラインはバルコニーから少し体を乗り出して辺りを見渡す。まだ見回りは来ていないようだ。手に持っている小型の懐中電灯を光が見えた方向へ向けて、何回かカチカチと光を送る。事前に打ち合わせておいた通り、予定外のことが起きたという合図を送った。
その合図によって、どうするかはクロークたちの判断に任せることになっている。具体的なことは知らせることができない以上、キャロラインはクロークたちの判断を待つしかない。
(もし見回りに見つかったら最後だわ、今回はどうか諦めてほしい……!)
キャロラインは祈る気持ちで懐中電灯を両手でぎゅっと握り締める。だが、その祈りは届かなかった。
送られて来た光は、『問題ない、変更なし』と言う合図だった。




