22 商人
「初めまして、キャロライン様。商人のフラングドと申します。お見知り置きを」
キャロラインが実家に軟禁されてから一週間が経った。その日、キャロラインの目の前に一人の男が現れた。
綺麗な灰色の髪にルビー色の瞳、メガネをかけたその目はやや垂れ目がちで人懐っこそうな顔をしている。一瞬、誰かに似ていると思ったが、それが誰なのかはわからずキャロラインは小さく首を傾げた。
「グラングドさんは交易をなさっていて、他国の珍しい品をたくさん仕入れていらっしゃるそうなのよ。他の貴族の方にも顔が広いらしいから、信用のおける商人なのよ。キャロラインは最近屋敷にこもってばかりで退屈でしょう。他国の商品でも見て少しは気晴らしをしたらいいわ」
(屋敷にこもってばかりって、お母様たちが屋敷から出してくれないんじゃない)
母親の言葉にキャロラインの笑顔が引き攣る。すると、フラングドはキャロラインへ視線を向けてにっこりと微笑んだ。
「そうでしたか。本日は珍しい品を多数用意してございます、ぜひご覧ください。そうだ、奥様には隣国の美しい宝石をご覧いただきたいですね。宝石に詳しい者とぜひ別室でいかがでしょう。値の張る品ばかりですので、警護がしっかりしている部屋がよろしいかと」
グラングドがそういうと、側にいた別の商人がキャロラインの母親へ笑顔でお辞儀をする。
「まあ、そうなの。それは楽しみだわ。それじゃキャロライン、私は別の部屋で宝石を見て来るわね」
母親はそう言っていそいそと応接室を出ていく。呆気に取られながら母親の背中を見つめていると、グラングドは部屋の中にいたキャロラインの見張りの使用人へ視線を向ける。
「申し訳ありませんが、キャロライン様と二人きりにしていただけますでしょうか」
「キャロライン様の側から絶対に離れないようにと言われているので、それはできない」
使用人が渋い顔でそういうと、グラングドは使用人の側まで行き、じっと使用人の目を見つめた。
「な、なんだ……」
「私の目を見てください。そうです。……部屋を出て行ってくださいますね?部屋の外で待って、この部屋に誰も近付けさせるな」
「わかり、ました」
(え?何?どう言うこと?)
使用人はあっさりとグラングドの言葉を聞き入れ、まるで操られるかのように応接室から出ていった。グラングドはドアをゆっくりと閉めて、鍵をかける。
「あ、あの……?」
「ようやく二人きりになれましたね、キャロライン様」
グラングドが振り返り、ニヤリと口角を上げる。そして、パチン!と指を鳴らすと、グラングドの見た目が一瞬で変わる。黒髪はふわふわの金髪になり、ルビー色の瞳はペリドッドのような美しい黄緑色になった。
「……レオ!」
「お元気そうでよかったです。ご実家に帰られてから音沙汰がなかったので、きっと事情があるのだろうと思っていましたが、やはり屋敷から出られなかったのですね」
やれやれ、といった顔でレオはメガネを外して机に置いた。
「レオ、来てくれたのね……!クローク様は?お元気?」
「全く元気がありませんよ。キャロライン様が帰ってこなくなってからすっかり大人しくなってしまったので、早く戻ってきていただかないと困ります」
苦笑しながらそういうレオを見て、キャロラインは心の底からホッとしていた。久しぶりに見るレオの顔は、キャロラインの心に広がっていた不安をどんどん消し去っていくようだ。
「でも、よくここに潜り込めたわね。商人に化けて来るだなんて驚いたわ」
「キャロライン様のご両親、特にお母様は目新しいものが好きだとお聞きしたので、商人として来るのが一番的確だと思ったんですよ」
「さっき、使用人たちがレオの言うことを聞いたのは、魔法か何か?」
「そうです。精神干渉魔法で、一時的に俺の言うことを聞くようにしました。この部屋には防音魔法をかけたので、俺たちの話は外部には漏れません。ですが、俺がかけた魔法はそう長くは持ちません。手短に、何があったか教えていただけますか?」
レオにそう言われ、キャロラインは真剣な顔で頷いた。
「なるほど、手紙は出せず、屋敷から出ようとすれば部屋に軟禁される状態だったと。しかもクローク様と離縁させて別の人間と再婚させようとしている。なかなかに酷い状況ですね。その再婚相手については?」
「わからないわ。そもそも私はクローク様と別れるつもりなんてないもの。クローク様の良さを何度も伝えようとしたけど、全く聞こうとはしてくれなくて……。どうにかしてクローク様の元に帰りたいのに」
膝の上で、キャロラインはぎゅっと両手を握りしめる。それを見て、レオは目を細めてから静かに微笑んだ。
「俺も、キャロライン様にはクローク様の側にいていただきたいですし、何よりクローク様がキャロライン様を手放さないでしょう。離縁だの再婚だの話を聞いたら、何をしでかすかわかりませんね」
「う……やっぱり、そうなるわよね」
肩をすくめてそう言うレオに、キャロラインは少し青ざめてしまう。
「まあ、それは俺がなんとかしますよ。とにかく、一刻も早くキャロライン様がここから出られるようにしないといけませんね」
「そんなことできるの?」
不安そうに尋ねるキャロラインへ、レオは不敵な笑みを浮かべて視線を向ける。
「何のために俺がここへ来たと思っているんです?今すぐには無理ですが、絶対に成し遂げて見せますよ」
◆
キャロラインとの話が終わり、レオはキャロラインの実家から出て馬車の中で思考を巡らせていた。
(予想通り、キャロライン様のご両親はキャロライン様をクローク様の元へは帰さないつもりだ。キャロライン様の意思を何も聞かず、勝手に自分たちの思いを押し付けるあたりは貴族らしいというかなんというか)
馬車の中で腕を組み片手を顎に手を添えてレオはふん、とつまらなそうに小さく鼻で笑う。
(それにしても、キャロライン様の再婚相手候補は誰なのだろう。調べないといけないな。……予想はある程度つくが、あまり当たってほしくない予想だ)
もしその予想が当たってしまえば、クロークは激怒するのが目に見えるし、激怒だけではなく傷つきもするだろう。これは一波乱ありそうだと、レオは神妙な顔で小さくため息をついた。
「やはりキャロラインは屋敷から出られない状態だったのか」
戻って来たレオからキャロラインの様子を聞いたクロークは、険しい顔でそう言いながら拳を強く握りしめる。
「それで、キャロラインは大丈夫だったのか?」
「健康面では特に異常はない様子でした。ただ、元気そうに振る舞ってはいましたが、やはり精神的にはきているようでしたね」
「キャロライン……」
クロークはさらに拳をキツく握り締める。握り締められた拳からは、爪が食い込んだせいなのだろう、血が滲み出ていた。
「キャロライン様のご両親は、こちらへキャロライン様を帰すつもりはないようですね。……キャロライン様とクローク様を離縁させて、他の貴族と再婚させるつもりのようです」
「は?」
レオの言葉に、クロークの全身からドンッ!と禍々しいほどの殺気が放出される。クロークの眼光は鋭く、見たものは一瞬で心臓が止まってしまいそうなほどだ。だが、レオはその視線をもろともせず、いつもと変わらぬ様子で見つめていた。
「離縁?再婚?ふざけるな、俺からキャロラインを奪おうとしているのか?は、ははは。笑えるな、そんなことができるとでも?……レオ、今からすぐにキャロラインの実家へ行くぞ。キャロラインを連れ帰り、実家の人間は全員皆殺しだ」
強圧的な声でクロークはそう言うが、レオはダメだと言うように首を振る。
「そんなことをすればキャロライン様が悲しむのは目に見えています。そんなことくらい、クローク様だってわかっているでしょう。キャロライン様からクローク様へ預かり物があります。これを読めば少しは頭も冷えるでしょう」
そう言って、レオはクロークの前に一つの手紙を差し出した。




