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17 推しという存在

 コンサバトリー内にある二人掛けのソファにキャロラインとクロークが座り、向かいの一人掛けソファにレオが座る。レオは立っていると言ったが、クロークが座るように指示したため、しぶしぶ座った。


「それで、本当のこととは一体何でしょうか」


 レオのペリドットの瞳がキャロラインを見つめる。微笑んでいるが、やはりその微笑みは穏やかではない。ごくり、と喉を鳴らしキャロラインは助けを求めるようにクロークを見る。だが、クロークは早く話せと言わんばかりの顔だ。キャロラインは小さくため息をついてからぎゅっと目を瞑った。


(ええい、言うしかないのよね!)


「信じてもらえるかどうかわからないけれど、全て話すわね」


 目を開けたキャロラインは、しっかりとレオを見つめて言った。



 


「……つまり、キャロライン様はキャロライン様ではありますが、転生前のユキという人間の記憶があり、そのせいで性格ががらりと変わったと言うことですか。転生前の記憶……にわかには信じがたいですが、現にこうして性格が真逆に変わった理由としてはおかしくはありませんね。ユキは病弱で若くして亡くなってしまったので、キャロラインとして生きている今はその生を精一杯生ききってみたいと」

 

 キャロラインの説明を聞いたレオが真剣な表情でそう言うと、キャロラインは頷いた。


「それに、クローク様にも死んでほしくなかったの。クローク様にも、できることなら幸せになってほしい。だから、私は自分の死とクローク様の死を回避するために努力してきた」


(そしてたぶんだけど、回避はできたんだと思う)


 キャロラインの言葉に、クロークはキャロラインの手を優しく掴み、キャロラインをジッと見つめる。その瞳には溢れんばかりの愛情がこもっていて、レオはクロークとキャロラインを交互に見てなるほど、とつぶやいた。


「それにしてもこの世界が、キャロライン様の転生前の世界では小説の中だとは……それだけはどう考えても信じられませんし、信じたくありませんね」

「そう、よね」


 レオが苦笑すると、キャロラインは困った顔をして微笑んだ。


「例えそうだとしても、俺たちはこうしてここで生きている。それは紛れもない事実だ。それに、小説内の通りに全てが運んでいるわけじゃない。俺たちは俺たちの意思で動いている。今までもこれからもそうだ。小説内がどうであろうと、俺はマリア嬢を好きになったりしないし、キャロラインだけを思い続ける」


 そう言って、クロークはキャロラインの手の甲にキスをする。


(わ、クローク様!レオの前でそんな!)


 突然のことにキャロラインは顔を真っ赤にし、レオはおやおやと嬉しそうに微笑んだ。


「……そうだ、推しについては話さなくていいのか?」


 クロークがそう言ってキャロラインを意地悪そうに見る。


「は?え?」

「推し?というのは何ですか?」


 興味深そうにレオがキャロラインを見る。キャロラインは抗議の目でクロークを見るが、クロークはしれっとした顔で窓の外を眺めた。


(レオを推していることをあんなに嫉妬していたくせに!それに、推し本人へ全力で推してました、今でも最推しです!なんて言えるわけない)


「キャロライン様、まだ何か隠し事が?クローク様が知っていることであれば、俺にも情報共有していただけるとありがたいのですが」

 

 キャロラインが動揺して視線をあちこちへ泳がせていると、レオがまたあの笑っているのに笑っていない圧のある微笑みを向けてくる。言わないなどという選択肢は、そもそも与えられていないのだ。


「あ、う、その、……推しというのは、すごく好きな…あ、えっと恋愛の好きとかではなく、存在そのものを応援していて、他の人にその人の良さをすすめたいほど気に入っている人のことを言うの。それで、……転生前の私は、その、レオのことを推していましたっ!」


(いやーっ!恥ずかしいーっ!)


 キャロラインは両手で顔を覆い、俯く。キャロラインの言葉を聞いたレオはポカンとしてキャロラインを見てから、クロークへ視線を向けた。クロークと言えば、自分から言わせたくせにキャロラインの言葉で明らかに不機嫌になっている。


「ちなみに、今でもキャロラインはレオのことを推しているそうだ。良かったな」


 クロークはそう言ってソファのひじ掛けに肘をついて顎に手を置き、薄ら笑いを浮かべている。これはたぶんものすごくめんどくさいことになっているのだろうと、レオは直感的に思った。


「キャロラインが転生前の記憶をしたためていた日記には、レオのことばかり書いてあった。レオの性格、見た目、仕草、言葉、どれもこれもほめてばかりだったな。俺についてはそこまで熱烈な書き方はしていなかった。まったく、妬けてしまう」

「クローク様!もうやめてください!」


 キャロラインは顔を真っ赤にして抗議するが、クロークは両手を広げてやれやれといった顔だ。


「……クローク様、まさか女性の日記を勝手にお読みになったのですか?」


 ぽつり、とレオの声がコンサバトリー内に響く。ハッとしてキャロラインとクロークがレオを見ると、レオの表情はすんとしており、明らかに主の行いに対してがっかりしているのがわかる。それを見て、クロークはしまった!と言わんばかりの顔で口を開いた。


「それは、キャロラインがあまりにも変わりすぎて何かあるんじゃないかと思ったからだ。ちょうどその時に、たまたまキャロラインの部屋の机の上に怪しい本があって……」

「それを、勝手に見たんですね?」

「……。いやでもそれを見たことによってキャロラインがなぜ変わってしまったのかわかったし、キャロラインとも話をすることができて」

「だとしても、勝手に女性の日記を読むのはいかがなものでしょうか。しかも、あろうことかそれをネタにキャロライン様へネチネチと嫉妬めいたことを言うなんて、はしたないですよ」

「ネチネチって……」


 はあ、とレオはため息をついてからキャロラインへ視線を向けた。


「キャロライン様、クローク様の行いについて主に変わって謝罪します。大変申し訳ございません」

「え、そんな、レオが謝ることじゃ……」

「それから、ただの側近である俺のことをそんなにも気に入ってくださっていたとは、恐れ入ります。推し、という言葉はよくわかりませんが、キャロライン様が小説内の俺をよく見ていてくださったことはわかりました。ありがとうございます、嬉しいです」


 そう言って、レオは片手を胸に当てて、お辞儀をした。


(わ、わわ!推しが、私に、ありがとうって言ってくれてる……!)


 キャロラインは両手を口元に当てて顔を真っ赤にしていた。キャロラインにとってレオはクロークの側近であり、特別な存在ではない。だが、転生前のユキにとっては全力で推していたほどの存在だ。ユキとしては、叫んで走り回りたいほどの喜びである。


「ですが、その推しという感情はあくまでも存在そのものを気に入っているということで恋愛感情ではないのでしょう。それなのに、嫉妬に駆られてキャロライン様へ嫌みを言ってしまう主を、どうかお許しください。クローク様はそれほどまでに今のキャロライン様を好いてらっしゃいます。まるで子供のようですが、この手のことについてはクローク様は得意ではないのです。どうか大目にみてあげてください」


 レオの言葉を聞いて、クロークは拗ねたように顔を背けた。それを見てキャロラインは思わずクスクスと笑う。


「大丈夫。小説内でも、クローク様はマリア様を一途に思っていたもの。思いの表現の仕方がちょっと難ありだけど、情が深くて優しい方だって一緒にいてよくわかるわ。本当はマリア様へ向けられるはずだったその思いを私が受けていていいのか、まだ少し疑問だし不思議な気もするけど……」

「小説内がどうであろうと、俺の気持ちは俺が決める。俺は君とずっと一緒にいたい。俺の気持ちを受け取るのは君だけだ。受け取りを拒むことは許さないと言っただろう」


 グイッとキャロラインの体をひいて顔を近づける。その表情は怒りと不安が入り混じった複雑な表情で、美しいオッドアイがかすかに揺れている。


「受け取り拒否なんてしません。私はクローク様にこんなに思われてむしろ嬉しいです。ユキの頃はほとんど病院か家にいるだけだったから、恋愛は物語の中だけで憧れているだけでした。だから、こうしてクローク様に一途に思われるなんて夢みたいですよ」


 ふわっと花がほころぶような微笑みでキャロラインが言うと、クロークは目を見張ってほんのりと頬を赤らめる。そんな二人を見て、レオは嬉しそうに微笑んだ。


「キャロライン様、本当のことを話してくださりありがとうございました。キャロライン様がどうしてそんなにも変わってしまったのか、よくわかりました」

「これでキャロラインの身の潔白は明らかになっただろう」

「そうですね。あ、最後に一つだけ聞いてもよろしいですか」


 レオが微笑みながらキャロラインへ問いかける。まだ何かあるのだろうかとキャロラインが首を傾げると、レオは微笑を消して真剣な顔をした。


「小説内でクローク様はマリア様を強引に自分のものにしようとして、そのせいでトリスタン様に殺されてしまうのですよね。小説内の俺は、クローク様が無茶な行動をとる前にクローク様を止めることをしなかったのでしょうか」

 

 

 

 

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