12 朝食
マリアたちと顔を合わせた社交パーティーの翌朝。朝の支度を済ませてキャロラインはダイニングルームへ向かっていた。
(今日もクローク様はいらっしゃるのかしら。昨日のことがあるから、顔を合わせずらいな……)
昨夜のキスを思い出すと胸が異常にドキドキしてしまい、クロークの顔を直視できる自信がない。キャロラインが転生前の記憶についてクロークへ打ち明けてからというもの、クロークは朝食や夕食の席になるべく顔を出すようになっていた。忙しい時はもちろん別々になるため、できれば今日は一緒の食事じゃなければいいのに、と思ってしまう。
キャロラインがダイニングルームにたどり着くと、テーブルの前にはすでにクロークが着席していた。キャロラインが来たのに気付き、クロークはキャロラインを見てほんの少しだけ微笑む。
(うっ、クローク様がいらっしゃる!しかも、今ちょっとだけ微笑みました?微笑みましたよね?)
ドッドッドッと心臓が早鐘のように鳴り、顔に熱が集中していくのがわかる。キャロラインは思わず目をそらし、そそくさと自分の席に着くと、小さくお辞儀をした。
「お、おはようございます。遅くなってしまい申し訳ありません」
「気にしなくていい、俺が早く来すぎただけだ」
クロークの声がするが、キャロラインはクロークの方を見ることができない。ふと、クロークの近くにいるレオに気付いてそちらを見ると、レオと視線がぶつかる。そして、レオは小さく微笑んだ。
(うっ、推しの微笑み……尊い!でも、いつもよりあんまりドキドキしないのはなんでだろう)
キャロラインは不思議に思いながらも、微笑みながらレオに小さく会釈する。すると、クロークは盛大に顔を顰めて口を開いた。
「レオ、この場から退室しろ。食事が終わったら呼ぶ」
「……かしこまりました。食事が終わるころまたこちらへお伺いします」
急な指示にキャロラインが驚いていると、レオは気にする様子もなくお辞儀をして部屋の外へ出て行った。いつもレオはクロークの側を離れることはない。だが、そんなレオを外で待たせるなんて珍しいことだ。
「他の者も、食事を並べ終わったら退室しろ。キャロラインと二人きりになりたい」
クロークの言葉に、給仕たちは静かにお辞儀をした。
(レオを側から離すなんて珍しい……一体、どうしたんだろう?)
疑問に思ってクロークをジッと見つめていると、クロークのオッドアイと目が合う。そして、フッと不敵に微笑んだ。
「ようやく俺の顔を見たな」
「えっ、あっ」
急にそんなことを言われて、キャロラインは目が泳いでしまう。そうこうしている間に、二人の目の前に食事が出され、給仕たちは部屋を出て行く。実質、二人きりでの朝食だ。
(なんだろう、なんだか気まずい……でも、やっぱり食事は美味しいわ!)
オムレツを口に入れると、その美味しさに思わずホウッと笑みがこぼれる。
「ようやく笑った」
そう言われてクロークの方を見ると、クロークが優しく微笑みながらキャロラインを見ている。その瞳はあまりにも甘く、キャロラインの胸はドンッと大きく跳ね上がった。
(そ、そんな顔で見るなんて反則!)
「や、やっぱりシェフの作る食事はどれも美味しいものばかりですね!」
「そうだな。キャロラインと一緒だと、何を食べても美味しく感じる」
「……そ、それならよかったです。あの、そういえば、どうしてレオを退室させたんですか?」
話題を変えようとキャロラインがレオのことを口にすると、クロークはさっきまで甘ったるい視線を向けていたのに、急に不機嫌そうな顔でキャロラインを見る。
「レオがいないと嫌なのか?俺と二人きりだと不満でも?」
「え、いえ、不満とかではなく!ただ、いつも一緒にいらっしゃるのに、珍しいなと思いまして」
「それは君がレオを見て嬉しそうにしたからだろう。俺が目の前にいるのに、俺のことを見もしないでレオとは目を合わせた」
テーブルに片肘をつき、ブスッとした顔でキャロラインを見る。その姿に、キャロラインは目を丸くして驚いた。
(え、クローク様、もしかして焼きもちですか?レオに?)
「えっと、もしかして、私がレオのことを推してる、ということを気にしてますか?」
キャロラインが聞くと、クロークは不機嫌そうなまま視線を逸らす。
「前にも説明しましたけど、推すというのは恋愛感情とは全く違います。応援したいな、という気持ちであって……」
「それでも、好意的なことには変わりないだろう?それがいつ恋愛感情に変化するかわからない」
冷ややかな瞳でクロークはキャロラインを見る。その視線に、キャロラインはなるほど、と思った。
(クローク様、もしかして私がレオのことを好きになって、クローク様から離れると思っているのかもしれない。せっかく自分のことを理解しようとしてくれる人間が見つかったのに、失うのが怖いのね、きっと)
小説でも、マリアの優しさに触れてマリアに惹かれるが、マリアが兄のトリスタンと恋に落ちると、途端に情緒不安定になっていた。そして、マリアにひどく執着するのだ。
(愛し方も愛され方もわからない、不器用な人なのよね。だからこそ、私も小説を読みながらクローク様が幸せになれたらよかったのに、と思っていた)
キャロラインは膝の上できゅっと拳を握り締めると、クロークの両目をしっかりと見つめる。
「クローク様、私はあなたを裏切ることも、側を離れることもしません。例え家同士が決めた結婚だったとしても、私はクローク様の妻として、ちゃんとクローク様と添い遂げるつもりです。だから、心配しないでください」
「……小説の中のキャロラインは、兄上に恋をするんだろう。君だってその可能性がある」
「小説の中ではそうかもしれませんが、私はユキの記憶を持っています。ユキとして小説を読んでいた時、気になっていたのはお兄様よりもクローク様でした」
その言葉に、クロークは驚いてキャロラインを見つめる。それから、苦し気に視線をそらして口を開いた。
「嘘をつくな。小説の中の俺は、兄に恋をするヒロインを恨んで殺そうとするんだろう。そんな男、気になるはずがない」
「嘘じゃありません。確かにクローク様は一方的に思いを拗らせて、マリア様を殺そうとします。それはちょっとどうかと思いましたけど……。でも、そうなってしまったのは、クローク様がそのオッドアイのせいで愛されているという実感が持てず、愛し方も知らないからです。クローク様はマリア様と接している時、本当に優しくて情に厚い方だと思いました。本当は良い人なのに、クローク様にだって幸せな未来があったかもしれないのに、その生い立ちのせいで歪んでしまった。クローク様が殺されてしまった時、私は悲しかったんです」
真っすぐクロークの瞳を見つめながら、キャロラインはしっかりとした口調で言葉を紡いでいく。
「前にもお伝えしましたが、こうしてキャロラインとしてクローク様のそばにいるのなら、クローク様にも明るい幸せな未来を生きてほしい、そう思っています。だから、私はクローク様を悲しませるようなことは絶対にしません」
きっぱりと言い切りにっこり微笑むキャロラインを見て、クロークは目を大きく見開いた。それから、俯いてフッ、と小さく笑う。
「まいったな、君には本当に敵わない……」
カチャリ、と手に持っていたフォークを置いて、クロークは立ち上がった。どうしたのだろうと疑問に思って見つめていると、クロークはキャロラインの隣に座る。
「クローク様?」
不思議そうな顔をしているキャロラインの手をクロークはそっと掴み、俯いてその手に額をつける。
「君の言う通り、俺は愛することも愛されることもどういうものかわからない。家族を含め周囲の人間からずっと疎まれて生きて来た。ユキの記憶を取り戻す前の君にもさんざん酷い言葉を吐かれ、距離を置かれていた。それなのに、君は俺を拒絶することなくこんなにも側にいてくれる。……そんな君を俺は絶対に手放したくない。この気持ちがなんなのかわからない。俺にわかるわけがないんだ。それでも」
顔を上げキャロラインを見つめるクロークのオッドアイは不安げに揺れ、今にも泣きだしそうだった。
「この気持ちがなんなのか知りたい。これが愛だというのなら、愛すること、愛されることを教えてほしい。ずっと、この命が尽きるまで、俺の側で永遠に」
そう言って、掴んでいるキャロラインの手をきつく握り締める。あまりの強さにキャロラインは驚くが、手をひこうとは思えずそのままにした。
「君がもし俺の側を離れるようなことがあれば、俺はきっと君を殺す。俺に愛がなんたるかを教えておきながら、離れるだなんて許さない。他に目移りすることも絶対に許さない。後悔したってもう遅いんだ。俺は絶対に君を離さないからな」
そう言って、キャロラインをジッと見つめながら、キャロラインの手の甲に小さくキスを落す。その視線は妖艶で、ねっとりとしてキャロラインに纏わりつくような視線だ。だが、そんな視線を向けられても、キャロラインはクロークから視線をそらさなかった。
(後悔なんてしない。キャロラインに転生した時点で後悔のしようがないもの。私は、この命をちゃんと全うしたい)
「後悔なんてしません。絶対、クローク様の側を離れませんし、目移りだってしません。……それにそんなこと言うなら、クローク様こそ目移りする可能性があるんですよ?」
「は?」
「小説では、クローク様はマリア様を好きになります。マリア様と仲良くなってマリア様のお人柄に触れたらクローク様だって……」
「俺は君以外の人間に興味がない。それに、マリアとかいうご令嬢は兄と恋仲になるんだろう?そんな女を好きになってどうする。……ああ、でも、君が嫉妬してくれるなら少しは興味を持ってもいいか。俺ばかりが嫉妬してるのも気に食わない」
「だから、嫉妬なんかしなくてもクローク様以外の方を好きになったりしませんよ?」
どうやったら信用してくれるのだろうか。こればかりは、時間をかけて信頼関係を強めるしかない。キャロラインはふう、と小さく息を吐いてからテーブルの上に視線を向けた。
「クローク様。せっかくの美味しい食事が冷めてしまいます。とりあえず食べませんか?」
「……俺との会話より、食事の方が大事か?」
「どっちも大事です」
まるで子供の用だと呆れながらも、キャロラインは空いている片手でスプーンを手に取り、スープを一口飲む。少し冷めてしまったが、それでもコクと深みのあるスープの美味しさに思わず微笑んでしまった。そんなキャロラインを見て、クロークは呆れたようにため息をついて微笑んだ。
「そんな嬉しそうな顔を見せられたら、食べるしかないな」
そう言って、苦笑しながらクロークは立ち上がり、自分の席に座る。それから、少し考える仕草をしてから納得するように小さく頷く。
「今度からは、君の隣の席で食事をすることにしよう。君の食事をする顔を真正面から眺めるのも悪くないが、もっと近くで一緒に食事がしたい」
クロークの言葉に、キャロラインはきょとんとしてからすぐに視線を泳がせて食事を口にする。ほんのりとキャロラインの顔が赤らんだのを見て、クロークは満足そうに微笑んだ。




